第33話 八年前、日本五か所から同じ七分間の記録が消えていた
三枝さんがアーク・フロンティアの安全運用室へ加わった翌朝、会議室の壁は八年前の資料で埋まっていた。
昨夜、榊原さんと話してから十時間も経っていない。それなのに神代征司さんが政府側の記録検索を進め、榊原さんは五地点で起きた可能性のある異常を比較するための条件をまとめ、瀬尾は公開情報から拾える新聞記事、自治体広報、道路情報、気象観測記録を一覧にしていた。
俺が未来掲示板から持ってきたのは、五人の周囲で異常が起きた時刻が七分以内に集中しているという手掛かりだけだ。
そこから先は、未来の答えを写す作業ではなかった。
「佐伯君、まず認識を揃えておこう」
神代さんが大型モニターへ五つの地図を表示する。それぞれ別の県で、互いに数百キロ離れている。八年前の時点で神代朔夜、九条蓮司、白石凛、東雲小春、深町律が生活していた地域だった。
「昨夜から公的記録を横断検索した結果、候補時刻を午後二時十三分から二時二十分までに絞れた。ただし、これは五人本人に何か起きた時刻ではない。あくまで、それぞれの生活圏で説明困難な記録が残り始めた時間帯だ」
「五か所全部に、ちゃんと記録があったんですか?」
「一種類だけなら偶然で済ませたところだ」
神代さんが画面を切り替える。
最初に表示されたのは道路管理会社の記録だった。
一地点目では、トンネル入口に設置された交通量計が午後二時十四分から断続的に停止している。停電は起きていない。他の設備も正常だったため、当時は通信装置単体の故障として処理された。
二地点目では、市営駐車場の入退場記録が七分ほど欠落していた。ただし遮断機そのものは正常に動作していたらしく、利用者からの苦情はない。
三地点目では、地域気象観測装置が風向だけを記録できなくなっている。気温、湿度、降水量、日照時間は残っているのに、風向センサーだけが同じ時間帯に異常値を吐いていた。
四地点目では、民間施設の非常通報設備が一度だけ自動再起動している。
そして五地点目。
「ここだけは、事故として人の記録が残っている」
神代さんが出した資料には、救急搬送記録と書かれていた。
原因不明の眩暈で、近隣施設にいた三人がほぼ同時に体調を崩した。全員軽症。当日の検査でも異常はなく、その日のうちに帰宅している。
「三人の中に、P5の誰かが?」
「いない」
俺の問いに、神代さんはすぐ首を振った。
「そこは重要だ。未来ランキングの五人だけを見ていると、彼らを中心に事件が起きたように錯覚する。今のところ、そう判断できる証拠はない。同じ場所にいた別人にも影響が出ているなら、五人だけを狙った現象とは限らない」
言われてみれば当然だった。
未来掲示板でP5という名前を先に知っているせいで、俺はつい五人を特別な中心人物として見てしまう。
けれど八年前には、世界ランキングなど存在しない。
ダンジョンもない。
アークもない。
当時そこで暮らしていた人々の一部に、同じ現象が触れた可能性がある。その中で、なぜ五人だけが十年後に世界上位へ並ぶほど適応したのかは、別の問題として考えなければならない。
「ここまでは昨夜の段階でもある程度予想していた。問題は、今朝見つかった記録だ」
榊原さんが神代さんと入れ替わり、モニターの前へ立った。
「五地点全部に、共通する計測異常が一つある。しかも別々の機関が持っていたデータだから、当時は誰も並べて比較していない」
表示されたのは細い波形だった。
「地震計ですか?」
「正確には、自治体や研究機関が設置していた強震観測装置と微動計のログを混ぜている。機種も設置目的も違うが、時刻補正できるものだけ抽出した」
五本の線が画面に並ぶ。
午後二時十五分十一秒。
一本目の波形がわずかに動いた。
ほとんど同時に、二本目も動く。
三本目。
四本目。
五本目。
素人の俺でも、何かがおかしいことくらいは分かった。
「全部、同じ時刻……?」
「時刻補正後の差は最大〇・四秒だ」
榊原さんは拡大したグラフを示した。
「通常の地震なら、震源から離れた観測点へ波が順番に届く。五地点は数百キロ離れているんだから、これほど揃うことはない。それに波形も地震とは違う。地面が大きく揺れたわけじゃない。装置そのものが、一瞬だけ同じ方向へ引っ張られたような値を出している」
「機械の同期エラーは?」
瀬尾が尋ねると、榊原さんは待っていたように別資料を出した。
「当然疑った。メーカーは三社、設置年も違う。記録方式も統一されていない。共通しているのは時刻だけだ」
研究者側がそこまで潰してくれているなら、俺が思いつきで疑問を挟む余地はあまりない。
神代さんも補足する。
「さらに電力会社へ照会したところ、五地点の周辺で同じ時間帯に瞬間的な無効電力の変化が残っていた。停電扱いにならない程度だから、当時は異常としてすら拾われていない。通信事業者側にも問い合わせているが、八年前の詳細ログは保存期限の問題がある。復元できるかどうかはまだ分からない」
「つまり八年前、本当に五か所で同時に何か起きていた?」
「そこまでは言える」
榊原さんは断定した。
「P5が原因だとか、ダンジョン由来だとか、一つの場所から五地点へ接続したとか、そこまでは証明できない。ただし『五人が後から有名になったから無関係な昔の記録をこじつけているだけ』という段階は終わった。八年前の午後二時十五分前後、日本の離れた五地点で、同時性の高い物理異常が発生している」
未来掲示板で見つけた一行が。
今の世界に残っていた記録によって。
初めて裏付けられた。
◇
次にやったのは、五人本人への確認だった。
ただし、「八年前のこの時間に何がありましたか」と突然聞いても、覚えている可能性は低い。何月何日の午後二時十五分に自分が何をしていたかを八年後まで記憶している人間のほうが珍しい。
そこで神代さんたちは先に、当時の生活記録から五人がどこにいた可能性が高いかを確認した。
九条さんについては学校関係の記録。
凛は当時の習い事と家族の予定。
東雲さんは旅館側に残っていた勤務・行事記録。
深町さんは学校の出席記録。
朔夜君は本人と家族の記憶。
個人情報を勝手に掘り返すのではなく、本人へ理由を説明したうえで確認できる範囲を提供してもらう。
最初に返事を寄越したのは九条さんだった。
『八年前? 知らねえよ』
電話をスピーカーにしていたので、会議室中に声が響く。
「もう少し考えてください。午後二時十五分くらいです。その日に限って時計が止まったとか、停電したとか、変な体調になったとか」
『八年前の時計の話覚えてる奴いるか?』
「ですよね……」
『ただ、その日付なら覚えてる』
全員が顔を上げた。
「何かあったんですか?」
『部活の練習が途中で終わった日だ。体育館の照明が一斉に一回消えた。すぐ点いたけど、顧問が漏電かもしれないって練習止めた』
榊原さんが無言でキーボードを叩き始める。
「そのとき、九条さん自身に何か変わったことは?」
『別に。ただ……』
珍しく九条さんが言葉を探した。
『そういや、今の話で思い出した。あれも距離異常だったのかもしれねえ。体育館が一瞬、変に広く見えた』
「広く?」
『一番奥の壁が、遠く見えた。目がおかしくなったと思って何回か瞬きしたら戻った。今まで忘れてたわ』
会議室が静まる。
それは。
今の俺たちなら知っている。
距離異常。
東京湾第六倉庫でも。
栃木の地下駐車場でも。
前駆現象の直前に確認されている。
「どれくらい続きました?」
『知らねえ。数秒じゃね? 照明消えたのと同じくらいだと思う』
「分かりました。ありがとうございます」
『つーか、それ俺だけじゃないぞ』
「え?」
『隣にいた奴も「あれ、ゴール遠くなってね?」って言ってた。俺が言う前に』
これは大きかった。
九条蓮司だけの主観ではない。
同じ場所にいた別人も見ている。
通話を終えると、榊原さんはすぐに記録へ追加した。
「P5本人の記憶だけを証拠扱いするな。隣にいた人物への聞き取りが可能なら神代から本人経由で連絡を取る。先入観を与えない質問票を作る」
「もう作ってます」
瀬尾がノートパソコンをこちらへ向けた。
「『距離が伸びませんでしたか』とは聞かず、『照明が消えた前後で普段と違うことがあれば自由記述』にします。そのほうがいいですよね?」
「ああ。同じ表現が複数人から独立して出るなら価値が上がる」
話がどんどん進む。
俺が未来掲示板を持っているから調査できているのは確かだ。
でも今はもう、俺一人が答えを教える形ではない。
研究者が仮説を立て。
行政側が古い記録を集め。
現場の証言を取り。
未来情報とは無関係な証拠を積み上げている。
それが少し嬉しかった。
◇
白石凛からの返事は、夕方になって届いた。
本人には記憶がなかった。
代わりに。
母親が覚えていた。
「写真があるそうです」
凛が事務所へ来るなり、スマホをこちらへ差し出した。
画面には、八年前に撮影された写真が表示されている。
公園。
ベンチ。
遊具。
木立。
特別なものは何もない。
「この日、お母さんと出かけていたみたいです。私、全然覚えてないんですけど」
「何がおかしいんです?」
「撮影時刻です」
同じ場所で撮った写真が何枚かある。
二時十四分四十八秒。
二時十四分五十三秒。
二時十四分五十八秒。
そこまでは普通だった。
次の写真。
二時二十二分十一秒。
「間が七分くらい空いてますね」
「母に聞いたら、こんなに撮影を止めた覚えはないって。私が遊んでるところを連写みたいに撮ってたらしいです」
単に撮影しなかっただけかもしれない。
スマートフォンの不具合かもしれない。
八年前の記憶など曖昧だ。
それだけなら弱い。
けれど凛は、もう一枚の画像を出した。
「この写真だけ、変なんです」
二時二十二分十一秒。
空が写っている。
青空に薄い雲。
その下に木の枝が伸びている。
「どこが?」
「ここ」
凛が拡大する。
木の枝の間。
青空の一部が。
四角く歪んでいた。
画像圧縮の乱れにも見える。
レンズの反射にも。
ただ。
形が妙だった。
縦に長い長方形。
横浜の病院地下に出た木製扉と比べればずっと曖昧だが、「何かの入口」と言われればそう見えなくもない。
「元データあります?」
榊原さんがすぐ尋ねた。
「母の古いスマホからパソコンへ移して残してたそうです。加工はしてないって」
「コピーじゃなく元ファイルを預かりたい。もちろん本人の許可を取ってからだ。撮像素子の不具合か圧縮ノイズか、まずそっちを全部潰す」
「分かりました」
凛は頷いたあと、写真を見つめた。
「これが八年前からあったなら……私、もうその頃から何かに触れてたんでしょうか」
「まだ分かりません」
俺が答える前に、榊原さんが言った。
「分からないうちは、自分に原因があると思うな。現象がその場所へ来た可能性も、近くにいた誰にでも同じ影響があった可能性もある。白石だけが選ばれたという証拠は一つもない」
凛は少し驚いたあと、安心したように息を吐いた。
「はい」
俺も心の中で同意した。
未来の世界三位。
その肩書きがあるからといって。
八年前の凛まで特別な存在だったと、後から決めつけてはいけない。
◇
東雲さんと深町さんの周辺からも、似た記録が出始めた。
東雲さんの旅館では、八年前のその時間だけ館内放送設備に原因不明の雑音が入ったという修理伝票が残っていた。交換部品なし。「再現せず」で処理されている。
深町さんがいた地域では、市立図書館の自動ドアが七分間だけ開閉を繰り返していた。保守会社の作業報告には、センサー異常を疑ったものの点検時には正常だった、と書かれている。
神代朔夜については。
父親である神代さん自身が、記録を持っていた。
「これを忘れていたのは、少し情けないな」
夕方。
神代さんが持ってきたのは、古いメールだった。
八年前。
妻の美沙さんから送られた家族内のメール。
『朔夜がまた車の時計を直してる。七分ずれたらしいけど、故障かな?』
その下に。
若い神代さんからの返信。
『エンジンを切っても時計は保持される。バッテリーが弱っているのかもしれない。帰ったら見る』
さらに美沙さん。
『さっきまで合ってたって本人は言ってる。テレビの時計と比べてたから間違いないって』
「車は?」
「もう廃車にしている。整備記録も残っていない。ただ、このメールの送信時刻は午後二時二十三分だ」
七分。
また。
七分だった。
「朔夜君本人は覚えてます?」
「車の時計がずれたこと自体は覚えていた。車好きになり始めた頃だったから、故障だと思って気にしていたらしい。だが、それ以上の異常は覚えていないそうだ」
これで。
五人全員の生活圏に。
同じ時間帯の異常記録が見つかった。
道路。
電力。
地震計。
設備。
写真。
人の記憶。
どれか一つなら偶然だ。
五つ並べても、まだ原因までは分からない。
けれど。
「何もなかった」とは。
もう言えない。
◇
夜八時を過ぎた頃。
榊原さんが突然、会議室の照明を半分落とした。
「地図を出す」
大型モニターに、日本地図が表示される。
五地点。
赤い印。
「昨夜は位置関係に意味があるかもしれないと考えた。距離、方角、地質、標高、地下構造、当時の電力網、通信網まで一通り比較したが、綺麗な共通項は出ない」
「じゃあ、未来掲示板の『座標重ねたら変なことが分かった』っていうのは?」
「地球上の座標同士を比べてる限り分からないんだろう」
榊原さんは平然と言った。
「だから別のものを重ねる」
五つの地点を拡大する。
一地点目。
九条さんがいた体育館。
二地点目。
凛がいた公園。
三地点目。
東雲さんの旅館周辺。
四地点目。
深町さんがいた図書館付近。
五地点目。
朔夜君がいた駐車場。
「建物も環境も違いますね」
「ああ。ただし、異常が記録された位置を中心に、当時の機器が示した変化の方向を取ることはできる」
地震計の一瞬の偏り。
風向計の異常。
自動ドアのセンサー。
写真の歪み。
交通量計の受信不良。
それぞれ精度も種類も違う。
それでも。
前駆現象によって「空間がどちらへ歪んだか」を推定できる情報だけを拾う。
榊原さんは五地点を。
同じ縮尺。
同じ中心。
異常方向を上に揃えて。
重ねた。
画面に五つの地図が透過表示される。
道路も。
建物も。
地形も。
当然一致しない。
ところが。
赤い線だけが。
ほぼ同じ場所へ伸びた。
「……何ですか、これ」
瀬尾が呟いた。
「各地点で、空間の異常が最も強かったと推定される方向だ」
「五か所とも?」
「誤差は大きい。八年前の別目的のデータから逆算しているから当然だ。それでも五本とも、中心からほぼ同じ角度、ほぼ同じ推定距離に異常点がある」
俺は画面へ近づいた。
五地点は。
地球上では数百キロ離れている。
でも。
周辺地図を捨て。
異常が起きた場所を中心に置き。
空間の歪みだけを重ねると。
同じ形になる。
「同じ場所……?」
「断定はしない」
榊原さんは念を押した。
「ただ、仮説としては成立する。こちら側では別々の五地点だった。しかし五地点それぞれが、同じ構造のどこかへ短時間接続した可能性がある」
神代さんが静かに尋ねる。
「向こう側では、一か所だった?」
「可能性の話ならな」
それなら。
未来掲示板の書き込みと。
矛盾しない。
『同じ場所にいる必要ないんじゃね』
『こっち側の場所ならな』
九条さんも。
凛も。
東雲さんも。
深町さんも。
朔夜君も。
この世界では。
一度も同じ場所に集まっていなかった。
けれど八年前。
七分間だけ。
五人の近くに現れた《向こう側》が。
同じ場所だったのなら。
話は変わる。
俺は未来掲示板を開いた。
「佐伯」
「分かってます。答えを探しすぎません」
榊原さんに先回りされ、思わず苦笑した。
「今ある証拠で進めるって意味です。ただ、一つだけ確認したい言葉があります」
検索欄へ。
《P5 七分間》
と入力する。
検索結果は少なかった。
その中に。
一つだけ。
これまで見たことのないスレッドが出ていた。
---
【前駆史】P5の七分間って結局何だったの?
642:名無しの探索者
正式名称なら《2018年同時接触事象》
643:名無しの探索者
通称《七分間》
644:名無しの探索者
五地点が同時に同じ前駆領域へ接続したってやつ?
645:名無しの探索者
「同じ」までは証明されてない
構造一致率が異常に高いだけ
646:名無しの探索者
でもP5全員あそこ由来の適応者なんだろ
647:名無しの探索者
その言い方は違う
あの七分間に影響受けた人間は他にもいる
648:名無しの探索者
じゃあ何でP5だけあんな強い?
649:名無しの探索者
それが未解決
適応率が違った説
曝露位置が違った説
元々の体質説
どれも決着してない
650:名無しの探索者
重要なのはP5じゃなくて
七分間のほうだろ
651:名無しの探索者
十八年前の接続先
本発生後に見つかってるからな
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俺の指が止まった。
本発生後に。
見つかっている。
そこまで読んで。
次の書き込みを表示する。
---
652:名無しの探索者
どこのダンジョン?
653:名無しの探索者
ダンジョンじゃない
654:名無しの探索者
じゃあ何だよ
655:名無しの探索者
《観測室》
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それだけだった。
次の書き込みは削除されている。
「観測室……?」
口にした瞬間。
榊原さんが振り返った。
「何だそれ」
「未来では、2018年の《七分間》に接続していた場所が、本発生後に見つかるらしいです。ただ、ダンジョンじゃないって」
「名称は?」
「《観測室》」
誰も。
すぐには話さなかった。
観測。
何を。
誰が。
何のために。
日本の五地点へ。
同時に接続したのか。
もしその名前が。
後世の研究者が勝手につけただけなら。
まだいい。
けれど。
最初から。
何かを観測するための場所だったとしたら。
八年前。
偶然こちらへ穴が開いたのではなく。
向こう側から。
こちらを見ていた可能性まで出てくる。
未来ランキングTOP5が全員日本人だった理由を調べ始めただけだった。
ところが。
見つかったのは。
英雄たちの共通点ではない。
ダンジョン発生より九年近くも前に。
日本の五か所へ同時に開いた。
誰かの《観測室》だった。




