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第27話 スカウトした探索者は、自分の条件より先に同僚の避難訓練を頼んできた

修正しました

 東京湾第六倉庫で前駆侵入生物を捕獲した翌朝、俺がアーク・フロンティアの事務所へ着いたときには、すでに榊原さんと神代征司さんが会議室を占領していた。


 机の上には昨夜の観測記録が広げられ、壁の大型モニターには倉庫内部の平面図と前駆粒子濃度の推移が重ねて表示されている。昨夜ほとんど寝ていないはずの二人だったが、疲労よりも新しいデータを手に入れた研究者特有の興奮のほうが強いらしく、俺が入ってきても挨拶より先に話が始まった。


「捕獲個体は今朝まで生存している。少なくとも栃木で見つかった《前駆侵入生物第一号》より、こちらの環境への適応力が高い」


 榊原さんが画面を切り替えると、透明な隔離容器の中で六本脚の生物が身体を丸めている映像が映った。昨夜は倉庫中を走り回っていたものが、今は動物病院で怯えている野生動物のように見える。


「ただし元気という意味じゃない。呼吸に相当する活動も代謝も徐々に落ちている。前駆粒子の濃度を少し上げると回復する傾向が出たから、この生物にとって向こう側の環境そのものが生存条件になっている可能性が高い」


「つまり、本発生後はもっと長く動けるようになる?」


「おそらくな。地球側の前駆粒子濃度がこれから上昇するなら、昨日の個体より強いものが出てきた場合、勝手に弱るのを待てるとは思わないほうがいい」


 嬉しくない情報だった。


 けれど、今分かったこと自体には価値がある。


 昨夜までは、「魔物がこちらへ来る可能性がある」までしか分かっていなかった。今日からは、その魔物がなぜ弱るのか、逆に何が揃えば活動できるのかまで調べ始められる。


 神代さんは倉庫の平面図を指しながら、別の問題を説明してくれた。


「こちらも重要だ。東京湾第六倉庫で観測された空間変位は、栃木の地下駐車場より複雑だった。単純に通路が長くなったわけではなく、一時的に二点間の距離が伸縮している。三枝君が気づいた現象だな」


「測定機器でも確認できたんですか?」


「ああ。ただし、我々が異常だと判断できたのは事後解析をしてからだ。現場にいた三枝君は、棚と床の見え方だけで数秒以内に気づいている。あれは能力というより、長年同じ場所で働いていた人間だから分かった変化だろう」


 そこが、昨夜からずっと頭に残っていた。


 未来の英雄を探すとき、どうしても未来で得る能力や肩書きに目が向く。


 九条なら炎。


 凛なら未来の探索者としての実績。


 東雲小春なら《断界》。


 深町律なら《閉鎖領域》。


 けれど、能力を得る前の本人が空っぽなわけではない。


 深町さんが建物を守る仕事をしていたからこそ、あの異常な力を「どこを閉じれば人が助かるか」という方向へ使えたように、三枝さんにも昨日まで積み上げてきたものがある。


 未来掲示板は結果を教えてくれる。


 その人が何位になったのか。どんな称号で呼ばれたのか。どの戦いで活躍したのか。


 でも、それだけを見ていたら、今の本人が持っている価値を見落とす。


「佐伯さん、電話です」


 会議室の外から瀬尾が顔を出した。


「東京湾第六倉庫の三枝拓真さん。佐伯さんと話したいそうです」


 思わず時計を見る。


 午前八時十四分。


 俺たちから連絡するより早かった。


          ◇


 三枝さんが指定してきたのは、アークの事務所ではなかった。


 東京湾第六倉庫から少し離れたところにある、倉庫会社の仮設事務所。


 昨夜の異常発生を受けて第六倉庫は政府側の調査が終わるまで使用停止になっており、夜勤を含む従業員は別棟へ集められていた。建前上は設備事故に伴う緊急点検だが、実際に異形の生物を見た人間もいる以上、会社側も単なる故障では押し通せなくなっている。


 会議室へ入ると、三枝さんは昨日と同じ作業着姿で待っていた。


 昨日裂けた作業着ではなく、今日は予備らしい別の一着に替わっている。


「昨日はありがとうございました。腕、その後どうですか?」


「消毒して終わり。病院でも異常なし。ただ、会社から今日は休めって言われたから、仕事しに来たのに仕事させてもらえなくて困ってる」


「休んでくださいよ」


「寝られるわけないだろ。昨日あんなもん見たんだぞ」


 それはそうだ。


 俺が向かいの椅子へ座ると、同行した神代さんと瀬尾も席に着いた。九条は今日は来ていない。昨夜の現場を見た三枝さんにとって、九条の存在はそれだけで十分すぎるほど印象に残っているので、今回は戦力を見せるより話をするほうがいいと判断した。


 三枝さんは俺たち三人を見回したあと、前置きをせず本題へ入った。


「昨日、スカウトかって聞いたよな」


「はい。俺も否定しませんでした」


「その話をする前に聞きたいことがある。昨日みたいなの、また起きるのか?」


 答えを濁すことはできた。


 けれど、昨夜あの場にいた人へ都合のいい安心だけを渡すほうが無責任だ。


「起きる可能性はあります。第六倉庫でまた起きるかどうかは分かりません。ただ、同じような空間異常は他の場所でも確認されています。俺たちは、今後増えていく可能性が高いと考えています」


「いつまで?」


「少なくとも、一年後に大きな変化が起きる可能性があります」


 三枝さんはそこで黙った。


 一年後。


 その言葉をどう受け取るか見ていると、彼は俺の想像とは違う質問をした。


「じゃあ、俺だけそっちに転職しても意味なくないか?」


「……はい?」


「俺をスカウトしたいんだろ。理由は分からないけど、昨日の動きを見て使えると思ったとか、そういう話だと思ってる。でも、俺だけここからいなくなって、そのあとまた倉庫で同じことが起きたらどうすんだ?」


 自分が危険だから残りたい、という意味ではなかった。


 三枝さんは机へ肘をつかず、少し前屈みになって続ける。


「昨日、中へ戻った俺が正しかったとは思ってない。結果的に一人助けられたけど、俺まで動けなくなってたら救助する側が二人増えてただけだ。だから次は戻らなくて済むようにしないと駄目だろ。全員が一回で外へ出て、誰が残ってるか外で分かるようにする。その仕組みを先に作れないのか?」


 未来掲示板で読んだ文章が頭に浮かんだ。


 ――あいつ最初に要求したの、自分の給料じゃなくて。


 ――「倉庫の人間も避難訓練に参加させてくれ」だからな。


 未来に書かれていた出来事が、目の前で起きようとしている。


 けれど不思議と、「やっぱり未来どおりだ」とは思わなかった。


 俺は未来を知っている。


 昨日の時点で、この人が何を要求するかまで読んでいた。


 それでも今、三枝拓真本人の口から理由を聞くと、一行の書き込みとはまるで重さが違った。


「できます」


 俺が答えるより少し早く、神代さんが口を開いた。


「むしろ必要だ。これまでの避難計画は、火災や地震、津波といった既知の災害を前提に作られている。しかし昨日のような空間変位が起きるなら、単純に最短の非常口へ向かえば安全とは限らない。従来とは別の避難手順を作るべきだろう」


 三枝さんは神代さんへ視線を移した。


「昨日持ってた機械、あれで事前に分かるんですか?」


「昨日は分かった。ただし毎回同じとは保証できない。だから警報だけに頼る手順も危険だ。従業員自身が『いつもと違う』ことに気づいた場合の対応まで決める必要がある」


「だったら、俺も作る側に入れてください」


 即答だった。


「ここの避難経路なら分かる。昼と夜で置いてある荷物も違うし、搬入口が開いてる時間も違う。図面だけ見て決めたら、たぶん現場じゃ使えない」


 俺は思わず神代さんと顔を見合わせた。


 未来の有名探索者だから価値がある。


 そういう話ではなくなっていた。


 今、必要だから価値がある。


「一つ確認していいですか?」


「何だ?」


「それをアークへ入る条件にしたい、ということですか?」


 三枝さんは少し考えたあと、首を振った。


「条件っていうと違うな。まだ入るって決めてないから」


 そこはきっちりしていた。


「俺は倉庫の仕事が嫌いなわけじゃない。給料がすげえ高いわけでもないし、夜勤もあるけど、もう五年やってる。いきなり知らない会社へ来いって言われて、昨日助けてもらったからって、その場で分かりましたとは言えない」


「それでいいと思います」


「でも昨日みたいなことが増えるなら、何も知らないまま仕事を続けるのも無理だ。だから、そっちが本当に人を守るつもりなのか見せてほしい」


 三枝さんは机の上に置いていた勤務表をこちらへ滑らせた。


 六日分。


 昼勤と夜勤、休みの組み合わせが色分けされている。


「うちは班が分かれてる。六日あれば、今いる全員が一回は勤務日に当たる。第六倉庫が再開できなくても、別の倉庫か訓練施設を借りれば避難訓練はできるだろ」


 そこで、六日という数字の意味が初めて分かった。


 未来掲示板には結果しかなかった。


 東京湾第六倉庫事件の六日後、三枝拓真がアークへ入った。


 それだけだった。


 俺はどこかで、六日間かけて説得したのだと思っていた。


 違う。


 未来の俺たちは六日間、彼を説得していたんじゃない。


 三枝さんが、自分の職場にいる全員が訓練を受けるのを確認するまで待っていたんだ。


「分かりました」


 俺は勤務表を受け取った。


「六日間で全員やりましょう。ただ逃げるだけじゃなくて、昨日の記録を使って、空間異常が起きた場合の手順まで作ります」


 三枝さんが少し目を見開く。


「そこまでやるのか?」


「やるなら、そのほうがいいです。それに第六倉庫だけで終わらせるつもりもありません」


「どういう意味だ?」


「ここで使えるものができたら、神代さんを通して他の施設でも使える形にします。物流倉庫だけじゃなく、地下設備のある工場や商業施設にも応用できるはずです」


 神代さんが苦笑した。


「私を通して、という部分は少し勝手だが、方向としては賛成だ。行政へ持っていくなら、まず実地試験の結果が必要になる。昨日の事故があった施設の従業員が協力してくれるなら説得材料としては大きい」


 三枝さんはしばらく俺たちを見ていた。


「なんか、俺が思ってたスカウトと違うな」


「俺も昨日まで、もう少し普通に会社の説明をして条件を出すつもりでした」


「普通の会社は化け物捕まえないだろ」


「そこは否定できません」


 初めて三枝さんが声を出して笑った。


          ◇


 その日の午後には、訓練計画の原案ができた。


 早い。


 自分でもそう思う。


 ただ、悠長に一週間かけて会議をする理由もなかった。


 昨日の第六倉庫には三十七人がいた。


 結果として全員生きて帰れたが、一人は避難後に荷物を取りに戻り、三枝さんは残っていると思った同僚を探すため倉庫へ戻った。


 つまり、問題は魔物との戦い以前に起きていた。


 誰が外へ出たのか分からない。


 避難完了後に戻る人がいる。


 異常が起きたとき、普段使っている通路をそのまま信用してしまう。


 消防訓練なら「煙を吸わない」「エレベーターを使わない」と教えればいい。しかし、前駆現象では床まで伸び縮みする。


 そこで三枝さんから出た提案は、驚くほど現場的だった。


「まず、持ち場ごとに人数を数えるのやめたほうがいいです。昨日みたいに別区画へ応援に行ってることがあるから、班長だけじゃ実際どこにいるか分からない」


 仮に借りた物流会社の研修施設で、三枝さんは倉庫図面へペンを走らせていた。


「外へ出た人間が自分でチェックする方式にして、未確認だけ探す。あと私物を置いて出るってルールも、言うだけじゃ多分戻る奴が出ます。スマホも財布もロッカーにある人間がいるから」


 瀬尾がメモを取りながら尋ねる。


「じゃあ、常に全部持ち歩かせます?」


「フォーク乗ってると邪魔だし、それは無理。避難したあと、管理者が責任持って私物を回収するって決めとけばいいんじゃないですか。命かかってるときに財布の心配すんなって言われても、生活かかってる側は気になるから」


 俺は何も言えなくなった。


 正しい。


 未来掲示板には、そんな細かい話までは書かれていない。


 けれど実際の人間は、警報が鳴ったから機械のように出口へ向かうわけではない。財布も、スマホも、明日の仕事も、置いてきた荷物も気になる。


 「命が一番大事」で終わらせるのは簡単だ。


 命を優先してもらうためには、それ以外をどうするのかまで決めておかなければならない。


 さらに神代さんから、前駆現象特有の手順が追加された。


 距離感がおかしい通路には入らない。


 見慣れない扉や階段を見つけても開けない。


 出口が見えていても、歩いて近づかない状態が続く場合は引き返す。


 通信不能になった場合に備え、避難完了地点を一か所ではなく複数設定する。


 原因不明の生物を発見した場合は、捕獲しようとせず距離を取る。


 ただし、最後の項目を読み上げたところで三枝さんが俺を見た。


「昨日は捕まえましたよね?」


「あれは九条たちがいて、拘束する準備もできていたからです。一般向け手順に『戦える人間が来るまで待つ』とは書けないでしょう」


「そりゃそうか」


 瀬尾が吹き出し、神代さんまで眼鏡の奥で笑っていた。


 こうして並べると、昨日まで存在しなかった種類の避難マニュアルだった。


 まだ世間にはダンジョンが存在しない。


 魔物という言葉も公的には使えない。


 だから表紙に書かれた名前は、


《空間異常発生時・暫定退避手順 第一版》


 それだけだった。


          ◇


 最初の訓練は、その日の夜勤班から始めた。


 十九人。


 昨日の現場にいた人間もいれば、休みで何も見ていない人間もいる。


 全員へ本当の事情を話すことはまだできないため、「昨日発生した設備異常を想定した緊急訓練」という説明になった。


 それでも、警報が鳴ると空気は変わった。


 昨日、異形の生物を実際に見た人間がいる。


 冗談だと思える雰囲気ではない。


 訓練開始から一分十八秒で全員が建物外へ出た。


 遅いのか速いのか、比較対象がないので分からない。


 問題はそのあとだった。


「十八人しかいません」


 点呼担当者の声が上がる。


 すぐに班長が名簿を確認し、一人足りないことが分かった。


 ただし今回は訓練だ。


 足りない一人は、事前に協力してもらい、休憩室へ残ってもらっている。


 何も知らされていなかった従業員の一人が、反射的に建物へ戻ろうとした。


「待って!」


 三枝さんが止める。


「自分で探しに戻らない。昨日俺がやったのと同じになる」


 戻ろうとした男性が足を止めた。


「でも一人残ってるんだろ?」


「だから場所を確認する。最後に誰がどこで見たか、それから監視カメラ。空間がおかしくなってる可能性があるなら、人を増やしたら駄目だ」


 昨日、自分がやった行動を否定する。


 簡単そうで難しいことだと思う。


 三枝さんは英雄扱いされたいわけではない。


 自分が危険な場所へ戻らなくても済む仕組みを作ろうとしている。


 結局、残留者の位置確認まで含めた訓練終了には四分四十六秒かかった。


 神代さんは結果を記録しながら、「十分改善できる」と言った。


 すると三枝さんは悔しそうに眉を寄せる。


「四分以上か。昨日なら、その間にもう出てきてる可能性ありますよね」


「昨日と同条件ならな。ただ、訓練一回目で問題点が分かったことのほうが重要だ」


「明日は短くできます?」


「君たち次第だ」


「じゃあやります」


 即答だった。


 俺はそのやり取りを少し離れたところから見ていた。


 スカウト対象を見に来たはずなのに、今日は一度も雇用条件の話をしていない。


 年収も。


 役職も。


 将来の能力も。


 未来でどれほど有名になるのかも。


 何一つ話していない。


 それなのに、昨日より三枝拓真という人間のことが分かった気がした。


 帰り際、本人が俺のところへ来る。


「佐伯さん」


「はい」


「あと五日、全部付き合ってくれるのか?」


「もちろんです。全班終わるまでは」


「社長って暇なのか?」


「今かなり忙しいです」


「じゃあ何でいるんだよ」


 少しだけ言葉を選んだ。


「三枝さんを雇いたいから、というのもあります。でも、それだけじゃないです。昨日みたいなことがこれから増えるなら、俺たちだけ強くなっても間に合わないと思ってます」


 三枝さんが黙って聞いている。


「アークの人間が現場へ到着するまで、そこにいる人たちは自分たちで生き残らないといけない。だったら、戦える人間を一人増やすのと同じくらい、戦わずに逃げられる場所を一つ増やすことにも意味があるはずです」


「……それ、本気で言ってる?」


「本気です」


「なら、あと五日見ます」


 それだけ言って、三枝さんは仲間たちのほうへ戻っていった。


 まだ加入ではない。


 未来掲示板に答えが書いてあっても、今日の時点では違う。


 三枝拓真は、まだ東京湾の倉庫で働く荷役作業員だ。


 その人生を、未来を知っている俺の都合で五日早く終わらせる必要はない。


          ◇


 事務所へ戻ったのは午後十一時を過ぎていた。


 瀬尾と神代さんが訓練記録の整理を始める中、俺は自分の席でスマホを開いた。


 別に三枝さんの加入日を確認したかったわけではない。


 それは五日後だと分かっている。


 気になったのは、今日作った避難手順のほうだった。


《空間異常 退避手順 東京湾第六倉庫》


 検索すると、すぐに結果が出た。


 しかも、一つではない。


---


【歴史資料】本発生前に作られた《第六倉庫方式》ってどこまで今の避難手順と同じ?


331:名無しの探索者


基本部分はほぼ残ってる


「異常通路へ入らない」

「見覚えのない扉を開けない」

「避難後に勝手に戻らない」

この三つは第六倉庫版が最初


332:名無しの探索者


あれ最初はただの物流会社の社内マニュアルだったんだろ?


333:名無しの探索者


違う


アークと国の前駆現象調査組が共同で作って

物流施設で実地訓練したあと横展開された


334:名無しの探索者


本発生までに全国何か所入ってたっけ


335:名無しの探索者


二百八十三施設


学校とか病院向けに派生したやつまで含めるともっと多い


336:名無しの探索者


初日の死者数が抑えられた理由の一つって研究あるよな

本発生前から避難手順が広がってた影響ってやつ


338:名無しの探索者


しかしアークって戦闘ギルド扱いされがちだけど

最初期から避難マニュアル作ってたんだな


339:名無しの探索者


だから後から巨大化したんだろ


戦える奴だけ集めた組織なら国家はここまで頼ってない


---


 俺は画面を持ったまま、しばらく動けなかった。


 二百八十三施設。


 今日。


 俺たちが十九人相手に、一回目の避難訓練をした。


 たったそれだけだった。


 しかも四分四十六秒もかかって、改善点だらけだった。


 それが十年後には、本発生前から存在した避難方式として記録されている。


 未来の英雄を一人救えば、その人の未来が変わる。


 土地を一つ確保すれば、未来の拠点が変わる。


 技術を一つ早めれば、未来の研究が変わる。


 でも今日変えたものは、そのどれとも少し違った。


 名前も知らない人たちが。


 一年後、何かが起きた瞬間に「どうすればいいか」を知っている未来。


 俺が未来掲示板を手に入れた頃には、そんなものはなかった。


 世界中が初めて見るダンジョンと魔物を前に、何も知らずに逃げ、何も知らずに戻り、何も知らずに死んでいた。


 それが少しずつ変わっている。


「佐伯さん?」


 瀬尾に呼ばれ、俺は顔を上げた。


「また何か変わりました?」


「……はい。でも、三枝さんの未来じゃないです」


 俺はスマホを伏せた。


「俺たちが今日作ったマニュアルの未来が、変わりました」


 瀬尾は最初きょとんとしたあと、机の上に積まれている訓練記録へ目を落とした。


「これが?」


「これが、です」


 まだ第一版。


 穴だらけ。


 明日には修正される。


 六日間で、たぶんまったく違う形になっている。


 それでも。


 世界がダンジョンを知るまで、あと一年近く。


 世界が何も知らない一年間は、英雄を集めるためだけの時間ではない。


 普通の人間が、英雄に助けてもらわなくても生き残れる準備をする時間でもある。


 未来掲示板の下部に、新しい書き込みが一件増えた。


---


340:名無しの探索者


第六倉庫方式の原案作った三枝拓真って

この時点じゃまだアーク社員じゃないの笑う


341:名無しの探索者


正式加入まであと五日


本人より先に本人の仕事がアーク入りしてる


---


 思わず笑ってしまった。


 どうやら未来でも。


 三枝拓真は、少しだけ順番がおかしいらしい。


 加入まで、あと五日。


 明日は二班目の訓練だ。


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― 新着の感想 ―
九条いつの間に規格外戦力になったんだろう?まだ未覚醒ですよね
ダンジョン発生の情報公開の是非についていまのところ綺麗に着地できる気がしないんだけど大丈夫なのかな なんか変なとこと繋がるかもねーぐらいは国に匂わせてないと、後で情報隠蔽していた責任追求かわせないので…
>左袖だけ新しいものへ替わっている。 袖だけ新しく替える作業着なんて見たことないです。 少し裂けたぐらいなら縫って終わり。 昨日の今日なら他の作業着を着ると思います。
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