第26話 未来の探索者は、魔物が出る前に倉庫の異常へ気づいていた
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東京湾第六倉庫で最初の警報が鳴ったのは、未来掲示板に書かれていた日付と同じ日だった。
ただし、時刻までは同じではなかった。
午後七時四十二分。
四日前、栃木で発見された《前駆侵入生物第一号》の標本から作られた簡易検知基準に、東京湾沿岸へ試験配置された観測装置の一つが反応した。
反応値は基準値の一・七倍。
その三分後には二・三倍まで上昇し、倉庫内部の監視装置にも原因不明の距離測定誤差が出始めた。
俺のスマホに御厨さんから連絡が入ったときには、アークの事務所でもすでに榊原さんが観測データを開いていた。
「場所は間違いない。東京湾第六倉庫だ」
榊原さんはモニターに表示された波形を指で拡大しながら、普段よりわずかに速い口調で続けた。
「栃木の地下駐車場で記録された前駆接続とほぼ同じ変化が出ている。ただし今回は出力が強い。空間の一部が一時的につながるだけでは済まない可能性がある」
「生きたものが来る?」
「来ると断定はできない。だが、その可能性を前提に動くべき数値だ」
未来では来る。
しかも今回は、四日前の死骸とは違う。
生きたまま。
そして、その現場には未来で名を残す探索者がいる。
俺はスマホを机の横へ伏せて置いた。
「現場の人は?」
『いま避難を始めてもらっているわ』
通話越しの御厨さんの声が聞こえた。
『倉庫会社には、湾岸部で発生している原因不明の環境異常に伴う緊急点検として説明してある。いきなり「別世界から生物が出てくる可能性があります」なんて言っても現場が混乱するだけだから、まず人を出すことを優先したわ。ただ、一つ問題があるの』
「何です?」
『まだ中に作業員がいる。出荷予定の医療機器が一部残っていて、搬入口を閉める前に確認したいと言っている人が何人かいるらしいのよ。責任者には全員退避を指示してもらっているけれど、倉庫がかなり広いから、まだ点呼が終わっていない』
俺は時計を見た。
未来掲示板には、正確な出現時刻までは書かれていなかった。
四日前に表示されたのは、
《東京湾第六倉庫で、生きた前駆侵入生物が初めて確認された》
という結果だけだ。
未来情報を持っていても、何時何分に、倉庫のどこから、何匹現れるのかまでは分からない。
「行きます。九条にも連絡を」
「もうした」
榊原さんが即答した。
「白石凛には?」
「今回は待機させる。何が出るか分からない段階で、戦える人間を全員同じ場所へ集める必要はない。今回は九条に現場対応を任せよう」
その判断には俺も同意した。
未来ランキング上位を集めているからといって、何か起きるたび全員を突っ込ませるつもりはない。
アークはこれから戦闘だけの組織ではなくなる。
誰がどこへ行き、誰を残し、何を守るのかまで考えなければ、大人数を集める意味がなかった。
事務所を出る直前、俺は一度だけ未来掲示板を開いた。
東京湾第六倉庫
前駆侵入生物
二つの言葉を組み合わせて検索する。
今度は、名前が出た。
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【古参向け】三枝拓真がアークに入った頃ってどんな感じだった?
221:名無しの探索者
東京湾第六倉庫の件だろ
あれが有名すぎる
222:名無しの探索者
当時まだ二十五歳の荷役作業員
探索者ですらない
223:名無しの探索者
魔力訓練どころかダンジョン自体まだ存在してない時代だからな
それで前駆侵入体を相手に作業員十五人逃がしたの頭おかしい
224:名無しの探索者
後の有名探索者がフォークリフト乗ってた時代
225:名無しの探索者
三枝、ここで左腕に大怪我してるんだよな
あの怪我がなければもっと上だった説、今でもある
226:名無しの探索者
そこ変わってなかったっけ?
今の記録だと無傷だぞ
227:名無しの探索者
未覚醒でそこまでやってたの普通におかしい
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三枝拓真。
二十五歳。
東京湾第六倉庫の荷役作業員。
未来では名を残す探索者。
そして、本来なら今日、左腕に大怪我を負う。
俺は画面を消した。
間に合う。
少なくとも、まだ間に合う未来だ。
◇
東京湾第六倉庫へ到着したとき、敷地入口にはすでに数台の公用車が停まっていた。
まだ警察や消防を大量投入する段階ではない。一般社会には説明できない現象である以上、現場を不用意に拡大することも避けなければならなかった。
神代征司さんが政府側の担当者と話し、御厨さんは倉庫会社の責任者と退避人数を確認している。
俺たちを見ると、御厨はすぐに歩み寄ってきた。
「全従業員三十七名のうち三十四名は外へ出た。残り三名。二人は今こちらへ向かっていることが確認できているけれど、最後の一人と連絡が取れていない」
「三枝拓真?」
俺が名前を出すと、御厨の表情が止まった。
「……どうして知っているの、とは今さら聞かないほうがいいわね」
「中にいるんですね?」
「ええ。第二荷役区画の夜間担当。避難指示が出たあと、同僚二人が残っていることに気づいて探しに戻ったみたい。その二人は別の出口からもう退避しているんだけど、三枝さん本人に連絡がつかない」
未来掲示板にあった、
《作業員十五人を逃がした》
という記録。
未来はすでに少し変わっている。
本来なら避難が始まるのは、何かが出てきたあとだったのだろう。
今回は違う。
前駆侵入生物第一号を保存した。
そこから検知基準が作られた。
その基準によって、何かが出てくる前に警報を出せた。
だから大部分の人間はすでに外にいる。
一つ前の未来改変が、今日の被害を減らしている。
「九条は?」
「中よ」
御厨が倉庫入口を見る。
「あなたたちより七分早く着いたから、政府側の人と一緒に捜索へ入ってもらった。ただし榊原さんから『空間異常の中心には不用意に近づくな』と言われているから、今は三枝さんの確保が最優先」
「俺も行きます」
「佐伯君」
征司さんが止めるように名前を呼んだ。
俺は彼へ向き直る。
「戦うつもりはありません。三枝さんが第二荷役区画の夜間担当なのは分かっていますし、ここへ来るまでに倉庫の配置図も確認しました。捜索の補助だけさせてください」
本当は場所までは分からない。
だが、荷役作業員だったことと、この現場で負傷したことは分かっている。
少なくとも彼は、出現地点から遠い場所にいたわけではない。
征司さんは短く考えたあと、俺一人を止めるより同行者をつけたほうが安全だと判断したらしい。
「防護装備を着けろ。単独行動は禁止だ。少しでも状況が変わったら戻る」
「分かりました」
倉庫内部は、外から見るよりはるかに広かった。
天井まで積み上げられた棚の列。その間をフォークリフト用の通路が何本も走り、奥へ進むほど入口からの光が弱くなる。
照明自体は点いている。
それなのに、第二荷役区画へ近づくにつれて距離感がおかしくなっていった。
十メートル先にあるはずの柱が、歩いてもなかなか近づかない。
一方で、横にある棚だけは妙に早く後ろへ流れていく。
「栃木と同じだ」
同行していた榊原さんが、小型測定器を見ながら呟いた。
「空間が伸び始めている。ただし固定されていない。数秒単位で距離が変わってる」
無線にノイズが混ざった。
『佐伯』
九条の声だった。
『いた』
「三枝さんが?」
『たぶん。第二荷役区画の奥。男一人。フォークリフトの横にいる』
「そっちへ行きます」
『急げ。床がおかしい』
九条がそう言った直後だった。
倉庫全体の照明が、一瞬だけ消えた。
完全な停電ではない。
一秒にも満たない暗転。
しかし照明が戻ったとき、目の前の景色が変わっていた。
本来は壁で終わっていたはずの通路が、その先へ続いている。
灰色の岩肌に囲まれた、細い洞窟のような空間。
人工物ではない。
栃木の地下駐車場で記録されていたものより、はるかにはっきりと向こう側が見えていた。
「接続した!」
榊原さんが叫ぶ。
「下がれ、まだ境界が安定してない!」
その声とほぼ同時に、洞窟の奥から何かが走ってきた。
四日前に見た《灰潜り》より大きい。
体長は一メートル近くある。六本の脚で壁と床を交互に蹴りながら、細長い身体を蛇のようにくねらせている。
頭部には目らしい器官がなく、その代わり、口元から何本もの細い触角が伸びていた。
そいつは境界を越えた瞬間、倉庫の床へ身体を打ちつける。
苦しんでいるようにも見えた。
だが、死なない。
数秒後には頭を持ち上げ、人の動く気配へ反応した。
「九条!」
俺が叫ぶ。
返事より先に、金属棚の向こうで激しい衝突音が響いた。
ところが魔物はそちらへ向かわなかった。
反対側。
フォークリフトの近くに立っている男へ、一直線に走り出した。
三枝拓真。
作業着姿の若い男は、逃げなかった。
正確には、自分の後ろを見たあとで逃げることをやめた。
床には別の作業員が一人倒れていた。避難済みだと確認されていた二人とは違う。どうやら点呼に含まれていた別区画の人間が、荷物を取りに戻ってきたらしい。
三枝はその男を引きずって物陰へ入れる時間がないと判断したのだろう。
近くに立てかけてあった長い荷役用フックを掴んだ。
「三枝さん、離れて!」
俺が叫んでも、彼は魔物から目を離さなかった。
「離れたら、こいつがそっち行くだろ!」
初めて聞く声だった。
未来では名を残す探索者。
後に世界中の探索者から名前を知られる男。
だが、今の三枝拓真には能力も、武器も、探索者としての経験もない。
それでも彼は、後ろに倒れている同僚と魔物の間へ立った。
魔物が跳んだ。
三枝は真正面から受けなかった。
荷役用フックを突き出し、空中にいる魔物の身体を横から引っかけ、その軌道をわずかにずらす。
完璧には避けられない。
爪が作業着の袖を裂いた。
本来の未来なら、ここで左腕をやられていたのかもしれない。
だが三枝は腕を引きながら、そのままフォークリフトの側面へ身体を滑り込ませた。
「こいつ、真っすぐ来てない!」
俺は思わず足を止めた。
三枝は魔物ではなく、床を見ていた。
「走る直前に床が沈む。いや、沈んでるんじゃない。距離がずれてるんだ!」
榊原さんも気づいたらしい。
「空間変位を見ているのか……?」
測定器なしで。
しかも、初めて遭遇した現象を。
魔物が再び方向を変える。
三枝は今度こそ逃げるように見えた。
だが違った。
フォークリフトへ乗り込むと、エンジンを始動させ、荷物を持ち上げるための爪を低い位置まで下げる。
「伏せろ!」
倒れていた同僚へ叫び、アクセルを踏んだ。
魔物と正面から衝突するつもりではない。
直前でハンドルを切り、進路上に積まれていた空の金属パレットを爪で押し出した。
魔物が跳ぶ。
その着地点へ、パレットが滑り込む。
金属音が響き、魔物の後ろ脚が格子へ挟まった。
「今だ!」
三枝の声に反応したのは九条だった。
棚と棚の間から飛び出した九条が、一瞬で距離を詰める。
殺さない。
それは事前に伝えていた。
生きた前駆侵入生物は、今後の研究にとって死骸以上の価値がある。
九条は魔物の頭部を狙わず、身体を横から蹴って体勢を崩し、そのまま榊原さんたちが準備していた簡易拘束網をかぶせた。
数人がかりで固定する。
暴れる魔物の脚が金属床を削ったが、やがて動きが弱くなっていった。
生きている。
確保できた。
俺はすぐに三枝のもとへ走った。
「腕を見せてください」
「擦っただけだ。こいつを先に」
三枝は自分より、倒れている同僚を指した。
幸い意識はある。
転倒したときに足を捻っただけで、魔物には触れられていなかった。
「あなたもです。爪に何が付着しているか分かりません」
「……分かったよ」
そこでようやく三枝は抵抗をやめた。
作業着の左袖は裂けていたが、皮膚には浅い擦過傷しかない。
未来掲示板にあった大怪我は、起きなかった。
俺が安堵していると、三枝が妙な顔でこちらを見る。
「あんたたち、何なんだ?」
「アーク・フロンティアです」
「会社名を聞いてるんじゃない。あれが来るって、最初から分かってたのか?」
簡単には答えられない質問だった。
それでも全部をごまかす気はなかった。
「来る可能性があることは分かっていました。だから観測装置を置いて、避難も早めてもらいました。ただ、何時に、何が、どこから出るかまでは分かっていません」
三枝は拘束された魔物へ視線を向けたあと、俺たちの装備を見る。
「じゃあ、あいつがあんなに強いのも?」
九条のことだ。
「少し事情があります」
「少しって顔じゃないだろ」
疲れているはずなのに、三枝は小さく笑った。
その反応を見て、俺は未来の肩書きを口にしなかった。
あなたは十年後、名の知られた探索者になる。
そう言えば、興味を持つかもしれない。
アークへ来る理由にもなるかもしれない。
けれど、それでは駄目だ。
未来の神代朔夜がアークへ入ると分かっていたときと同じだ。
未来は本人の人生を決める命令書ではない。
「三枝さん。一つだけ聞いていいですか?」
「何だよ」
「さっき、どうしてあの生き物が動く前に進路が分かったんです?」
三枝はしばらく考えた。
「分かったってほどじゃない。ただ、気持ち悪かったんだよ。あいつが走る直前だけ、棚の線と床の線が合わなくなる。最初は目がおかしくなったのかと思ったけど、二回とも同じだった」
「普段からそういうのに気づくんですか?」
「倉庫じゃ距離を間違えたら事故になるからな。フォークで毎日何百回も棚の間を通ってれば、十センチずれただけでも嫌でも分かる」
特殊能力ではない。
少なくとも、まだ本人はそう認識している。
毎日の仕事で磨かれた距離感覚。
棚の幅、荷物の高さ、フォークリフトの旋回半径、人間が通れる隙間。
そうしたものを何千回、何万回と見てきた経験が、世界で誰より早く空間の異常を見抜いた。
未来の探索者・三枝拓真の始まりは、派手な戦闘訓練ではなかった。
倉庫で事故を起こさないための仕事だった。
「三枝さん」
俺がもう一度名前を呼ぶと、彼は警戒するようにこちらを見る。
「何だ」
「後日、話をする時間をもらえませんか。今日のことと、これから起きるかもしれないことについてです」
「スカウトか?」
驚いた。
御厨が隣でわずかに口元を緩める。
「どうしてそう思うんです?」
「あんな化け物見た直後に、知らない会社の社長から『後日話したい』って言われたら、それ以外に何があるんだよ」
もっともだった。
「否定はしません。でも、今ここで答えを出してほしいとは言いません」
三枝は俺の顔をしばらく見たあと、裂けた作業着の袖を眺めた。
「今日までなら、そんな会社絶対怪しいと思っただろうな」
「今も十分怪しいと思いますよ」
「自分で言うのか」
「思わないほうが危ないです」
三枝は少しだけ笑ったが、その場で加入を決めることはなかった。
「話だけなら聞く。ただ、先に言っとくけど、今の仕事を急に放り出すつもりはない。俺が抜けたら夜勤が一人減るし、今日みたいなことがまた起きるなら、なおさら現場を知ってる人間が必要だろ」
それでいい。
むしろ、その答えを聞いて安心した。
「分かりました。条件も含めて、そのとき話しましょう」
俺はそれ以上勧誘しなかった。
未来ではアークに入る。
すでに掲示板を見れば、そう書いてあるかもしれない。
それでも今の三枝拓真が何を選ぶかは、今の三枝拓真のものだ。
◇
東京湾第六倉庫の封鎖が完了したのは、日付が変わる少し前だった。
前駆侵入生物は生きた状態で研究施設へ搬送され、倉庫内部に出現した通路も二時間十七分後には完全に消失した。
人的被害は、転倒による軽傷一名。
三枝の腕も消毒だけで済んだ。
死亡者なし。
重傷者なし。
そして、人類史上初めてとなる生きた前駆侵入生物の確保。
本来の未来より、明らかに結果が変わっている。
俺は帰りの車へ乗る前にスマホを開いた。
未来掲示板の履歴が、また書き換わっていた。
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【歴史】東京湾第六倉庫事件、改めて見るとおかしくない?
901:名無しの探索者
本発生約一年前
前駆侵入体を生け捕り
死者ゼロ
重傷者ゼロ
後の有名探索者が現場にいる
アークが先に到着してる
情報量多すぎ
902:名無しの探索者
三枝拓真、この事件では左腕に軽傷で済んでるんだよな
前駆侵入体相手に未覚醒で作業員逃がして軽傷なの普通におかしい
904:名無しの探索者
一番怖いのそこじゃない
アーク、この時点で九条と白石に接触済みだろ?
905:名無しの探索者
二位、三位、五位候補に接触したあとで、また有力な探索者候補まで見つける
未来人でも雇ってんのか
906:名無しの探索者
未来人でもこの集め方は無理だろ
全員まだ無名だぞ
907:名無しの探索者
三枝が正式にアーク入るの、この六日後
908:名無しの探索者
加入理由が「化け物と戦いたいから」じゃないの好き
909:名無しの探索者
あいつ最初に要求したの、自分の給料じゃなくて
「倉庫の人間も避難訓練に参加させてくれ」だからな
910:名無しの探索者
後に名を知られる男が最初に欲しがったのが職場の安全対策なの、三枝らしすぎる
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俺はそこで読むのを止めた。
六日後。
未来では、三枝拓真がアークへ入ることになっている。
けれど、その未来を本人へ教えるつもりはなかった。
俺たちが六日間で何を話し、どんな条件を作り、三枝が何を見て決めるのか。
それを飛ばしてはいけない。
俺はそこでスマホを閉じた。
今の未来記録では、三枝拓真がアークへ入るのは六日後になっている。
でも、その記録が六日後まで同じままとは限らない。
だからこそ、未来に書かれた答えへ三枝を誘導するのではなく、今ここにいる本人と向き合おうと思った。




