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第25話 害獣として処理された死骸は、十年後には魔物と呼ばれていた

修正しました。

 神代征司から連絡が入ったのは、翌日の午後だった。


 アーク・フロンティアの会議室へ入ってきた征司は、挨拶もそこそこに持参した端末を机へ置いた。隣では榊原恭介がすでにノートパソコンを開いており、瀬尾拓海も共有用の記録端末を準備している。


「佐伯君。昨日言っていた件だが、一件だけ、それらしい記録が見つかった」


 征司の声はいつもと変わらず落ち着いていたが、表情にはわずかな硬さがあった。


「政府側でも重要資料として扱われていたんですか?」


「いや。むしろ逆だ。別々の部署に分散していて、誰も関連づけていなかった。だから今まで残っていたとも言える」


 表示されたのは、昨日見た栃木県内の公共施設地下駐車場に関する資料だった。


 一晩だけ、本来存在しないはずの通路が約十一メートル延びていた事件。翌朝には元の構造へ戻り、防犯カメラにも空間そのものが伸びたように見える映像が残っていた。


 それだけでも十分に異常だった。


 だが今回、征司が見つけてきたのは、その報告書に付随していた別部署の記録だった。


「環境衛生課……?」


 俺が画面上部の文字を読むと、征司が頷く。


「地下駐車場の異常とは別件として処理されていた。発見されたのは同じ日の早朝だが、担当部署が違ったため、事故調査資料には添付されていない」


 征司が映像を再生する。


 地下駐車場の奥。時刻は深夜だった。


 昨日の資料で確認した、本来より長くなっている通路が映っている。照明は途中までしか届かず、その先は暗闇に沈んでいた。


 しばらく何も起きない。


 やがて暗闇の奥で、小さな影が動いた。


「これ……動物ですか?」


 瀬尾が身を乗り出した。


 最初は猫か何かに見えた。


 だが、影は妙に低い姿勢で床を這うように進んでいる。体長は三十センチほど。灰色の体毛に覆われており、細長い前脚を使って何度も床を確かめながら進んでいた。


 通路の暗闇から完全に出たところで、映像の倍率が上げられる。


 鼠に似ている。


 けれど鼠ではない。


 頭部に対して口が不自然に大きく、前脚には長い指が五本ある。尻尾はなく、背中には薄い板のような突起が何枚も並んでいた。


 生き物は数メートル進んだところで急に動きを止める。


 身体を震わせ、何度か口を開閉したあと、その場へ倒れた。


「生存時間は?」


 榊原が映像から目を離さずに尋ねた。


「映像で確認できる範囲では、出現から四分十二秒。その後、清掃員が発見するまで動いた形跡はない」


 征司が資料を切り替える。


 翌朝。


 地下通路は元へ戻った。


 十一メートル分の空間は跡形もなく消えている。


 にもかかわらず、生き物の死骸だけはこちら側に残っていた。


 俺は無意識に息を詰めていた。


 空間の異常だけなら、まだ測定ミスだと言い張ることもできる。映像の乱れだとか、施工図面の誤りだとか、何かしら現実側の理由を無理やり探すこともできただろう。


 だが、向こう側から出てきたものがこちら側へ残った。


 それなら意味がまったく違う。


「当時はどう処理されたんです?」


「外来生物、もしくは遺伝的異常のある野生動物という扱いだ。専門機関にも送られたが、既知種との一致はなし。感染症や放射性物質も検出されず、人への直接的な危険性が確認できなかったため、優先順位が下げられた」


「そんな生き物が見つかって、それで終わったんですか?」


 瀬尾が呆れたように言うと、征司は責めるでもなく首を横に振った。


「普通ならそうなる。未知の生き物が見つかったからといって、別世界から来たと判断する組織はない。しかも同日に発生した地下構造の異常とは別部署の案件だ。関係があると考える前提そのものがなかった」


 俺には、その説明がよく分かった。


 俺だってスマホが十年後につながらなければ、同じ映像を見せられても信じなかっただろう。


 だからこそ、今は確かめる方法がある。


 俺は机の下でスマホを起動した。


 画面に未来の《ダンジョン攻略掲示板》が表示される。他の三人から見れば真っ暗な画面にしか見えないため、自然と俺だけが文字を追う形になる。


 検索欄へいくつか言葉を入れた。


『栃木 地下駐車場 発生前』


 すぐに複数の書き込みが表示された。


---


【昔の記録】ダンジョン発生前って、本当に何も来てなかったの?


774:名無しの探索者


栃木の地下駐車場があるだろ


本発生のほぼ一年前に灰潜りが一匹だけ出てきてる


775:名無しの探索者


あれ当時は正体不明の害獣扱いだったやつな


映像残ってるけど標本は保存期限切れで廃棄


今考えると歴史的資料すぎる


776:名無しの探索者


灰潜りって発生初期ならそこら中にいたE級だろ?


そんな早くから来てたのか


777:名無しの探索者


来てたというより前駆接続に紛れ込んだっぽい


こっち側じゃ四分ちょいで死亡


魔素濃度が低すぎて長時間活動できなかった説が有力


778:名無しの探索者


標本残ってたら前駆生物研究十年は進んでたって研究者が毎回キレてる案件


---


 俺は最後の書き込みを二度読み返した。


「標本は、まだありますか?」


 俺が顔を上げると、征司がわずかに眉を動かした。


「ある。だから私もここへ来た」


 画面が切り替わる。


 保管場所は国の研究施設。未知動物として冷凍保存されていたが、研究対象としての優先度が低いため、今月末で保管期限を迎える予定になっている。


 未来では廃棄された。


 なら、今ならまだ間に合う。


「処分を止めてください。可能なら、前駆現象との関連を調べたいです」


 俺が言うと、榊原がすぐに口を挟んだ。


「前駆粒子を調べる。外皮だけでは駄目だ。表面に付着しただけなら、地下駐車場側の汚染と区別できない。筋肉、臓器、できれば骨髄まで測定したい」


 挨拶や感想を飛ばして、すでに検証手順へ進んでいる。


 征司もそれを止めなかった。


「私も同じことを考えていた。政府側には、前駆現象連絡会の追加調査という形で申請してある。ただし、生物試料だから管理条件は厳しい。持ち出しは不可だ」


「十分です。現地で調べられるだけでも」


 俺が答えると、征司は数秒だけ俺を見た。


「佐伯君。君はこれが何なのか、もう知っているんだな?」


 問い方は穏やかだった。


 だからこそ、ごまかす気にはなれなかった。


「名前までは知っています。ただ、それを今の段階で証明する方法はありません。俺が知っている未来では、この標本は残っていませんでした」


 征司はそれ以上追及しなかった。


「なら、今回は未来を証拠にするのではなく、現在の標本を証拠にしよう。それなら誰にでも説明できる」


 その言葉に、俺は頷いた。


 俺が未来を知っていることと、世の中がそれを信じることは別だ。


 けれど、現在に残っている証拠なら話は違う。


 その日の夕方、俺たちは政府側の許可を受け、試料が保管されている研究施設へ移動した。


 冷凍状態で保管されていた個体は、映像で見るより小さかった。


 金属製の作業台に置かれた灰色の身体を前に、榊原は余計な感想を一切挟まず測定機器を準備する。


 まず外皮。


 次に筋肉。


 さらに過去の検査で採取されていた臓器組織。


 数値が出るたびに、榊原の手が止まる時間が長くなっていった。


「榊原さん?」


 俺が声をかけると、彼はモニターをこちらへ向けた。


「GX―17の解析以降、前駆現象が起きた場所には共通する偏りが出ている。地下空間、消失地点、前駆接続の直後。強弱はあるが、全部同じ傾向だ」


 榊原は別のグラフを重ねた。


「こいつの体内にもある。それも外側だけじゃない。筋肉にも、臓器にも、骨髄にも残っている。環境から付着した量では説明できない」


 征司がモニターを見つめたまま尋ねる。


「つまり?」


「こいつは前駆現象が起きた場所に偶然入り込んだ地球の生物じゃない」


 榊原はそこで初めて作業台の個体へ視線を移した。


「前駆現象の向こう側を、生息環境にしていた生物だと考えたほうが合理的だ」


 部屋の空気が変わった。


 これまでも、俺たちはダンジョンにつながる空間を見ている。


 前駆覚醒も起きた。


 人間の能力が変わり始めていることも確認した。


 それでも、どこかにまだ境界線があった。


 異常は起きている。


 しかし本格的なダンジョン発生は未来の出来事だ。


 そう思う余地が残っていた。


 目の前の死骸は、その境界線を越えていた。


 ダンジョンが発生する一年前。


 すでに向こう側の生物は、一度こちらの世界へ入ってきている。


「暫定名称を決める必要がありますね」


 瀬尾が記録端末を操作しながら言った。


「まさか報告書に『未来では灰潜りって呼ばれてます』とは書けませんし」


 思わず俺が苦笑すると、榊原は真顔のまま答える。


「前駆侵入生物第一号でいい。名称より分類を先に作る」


「榊原さんらしいですね」


「名前で安全性は上がらない」


 瀬尾が肩をすくめたが、そのまま入力を続けた。


 征司は政府側の担当者としばらく話したあと、こちらへ戻ってくる。


「標本の廃棄は停止された。今後、地下構造異常や前駆接続が起きた場所では、生物侵入も想定して調査する。少なくとも『計測機器の故障だけを疑う』段階は終わった」


 大きな変化だった。


 まだ世界はダンジョンを知らない。


 魔物という言葉も、一部の創作の中にしか存在しない。


 それでも政府の内部では今日、初めて「向こう側から生物が来る可能性」を前提にした手順が生まれた。


 未来を知っていたから結果だけを教えたわけではない。


 未来に失われるはずだった証拠を残し、現在の技術で確かめた。


 それなら俺がいなくても使える。


 アークだけが秘密を抱えたまま強くなるのではなく、世界そのものの準備を少しずつ早められる。


 研究施設を出たあと、俺は車に乗る前にもう一度スマホを確認した。


 掲示板の表示が更新される。


 先ほどまで存在していた書き込みの一部が消えていた。


---


【前駆現象史】アークって本発生前から魔物調べてたってマジ?


812:名無しの探索者


マジ


栃木で見つかった前駆侵入生物一号を廃棄寸前で保存させたのがアーク


813:名無しの探索者


そんな標本、本発生前から保存されてたのかよ


814:名無しの探索者


その標本から前駆生物の検知基準作ったんだよ


本発生前に魔物用の監視手順が存在してたの、今考えても意味わからん


815:名無しの探索者


しかも最初に警報が出たの、その四日後だぞ


816:名無しの探索者


東京湾第六倉庫の件?


817:名無しの探索者


そう


生きた前駆侵入生物が初めて見つかったやつ


818:名無しの探索者


あの現場にいた一人が、後に名を知られる探索者なんだよな


819:名無しの探索者


待て


この時期のアーク、もう上位候補に何人も接触してるだろ。そこからまた無名の有力株まで拾うの、人材獲得の順番がおかしくない?


---


 俺は最後まで読み終えたあと、スマホのカレンダーを開いた。


 四日後。


 今までの未来には存在しなかった出来事が、すでに予定として生まれている。


 標本を残したことで、検知基準が作られた。


 検知基準が作られたことで、本来なら見逃されていた侵入が発見される。


 そして、その現場には未来で名を残す探索者がいる。


 未来を変えるたび、次の未来がこちらへ手を伸ばしてくる。


 俺は東京湾第六倉庫という文字を、予定表へ登録した。


 ダンジョン発生まで、まだ一年近くある。


 それなのに世界はもう、静かに始まっていた。


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― 新着の感想 ―
もう未来見る方が良いのか微妙になってきた感 最近は掲示板の書き込みの意見に行動指針が誘導されてる感をどうしても否めない 未来のことだと信じてるナニカに上手く使われているという恐怖さえ覚える 杞憂である…
なかなかにスリリングな展開です。
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