第2話 未来の英雄は、今はただの女子大生だった
事故から一時間後。
俺はコンビニ近くのファミレスで、世界第三位になる女と向かい合っていた。
「それで、佐伯さん」
白石凛は、テーブルの上で指を組みながら俺をじっと見ている。
「どうして、あの車が突っ込んでくるって分かったんですか?」
「……ですよね。そこ聞きますよね」
「聞かないほうがおかしいと思います」
それはそうだ。
警察からの事情聴取が終わったあと、白石さん――本人から「少し話を聞かせてほしい」と言われた。
断る理由はいくらでもあった。
むしろ、未来のことを知られないためには断るべきだったかもしれない。
それでも俺がここにいるのは、一つ理由がある。
彼女をこのまま帰していいのか、判断できなかったからだ。
十年後の掲示板には、こう書かれている。
『発生前に確保できるなら白石凛は最優先』
事故を防いだことで未来は変わった。
片腕だった《白銀剣聖》は消え、両腕を持つ《双剣姫》へ変わった。
世界ランキングも七位から三位まで上昇している。
つまり、俺が今日やったことは、一人の人生を救っただけではない。
十年後の人類戦力そのものを変えてしまった。
なら、なおさら白石凛という人間を今から手放すのは惜しい。
「未来が見えるんです」
俺がそう言うと、白石さんは少しだけ眉を寄せた。
当然だ。
「もう少しマシな嘘ありません?」
「俺もそう思います」
「では、別の説明をお願いします」
「ないんですよ、それが」
白石さんはため息をつき、運ばれてきたアイスティーへ口をつける。
怒っているというより、困っているらしい。
俺だって逆の立場なら困る。
事故を予言した男が、今度は「未来が見える」と言い出したのだ。
通報されても文句は言えない。
「正確に言うと、未来そのものが見えるわけじゃありません。俺のスマホが、十年後の掲示板に繋がってるんです」
「掲示板?」
「ダンジョン攻略掲示板です」
「……ダンジョン?」
やはり、そこから説明しなければならない。
俺はスマホを取り出した。
もちろん、そのまま全部見せる気はない。
こちらが一方的に未来を知っている優位性は、今のところ俺にとって唯一の武器だ。
「来年の今日、世界中にダンジョンが出現します」
白石さんは黙っていた。
「東京だけじゃありません。大阪、ニューヨーク、ロンドン、北京……世界各地で同時に発生する。中から今の常識じゃ説明できない生物が出てきて、人が死ぬ。その後、人間の一部が特殊な力に目覚めて、ダンジョンへ入る職業が生まれる」
「それが探索者?」
「そうです」
「私も、その探索者になるんですか?」
俺は少し迷ってから頷いた。
「なります」
「強いんですか?」
「ものすごく」
「どのくらい?」
「十年後の世界で、三番目」
白石さんの表情が止まった。
数秒してから、俺を疑うように目を細める。
「……さっきより話が大きくなってません?」
「俺もさっきまでは七番目だと思ってました」
「どういう意味ですか?」
そこまで言ってしまってから、俺は失敗に気づいた。
だが、もう遅い。
「あなたは、本当なら今日の事故で左腕を失うはずだったんです」
白石さんが反射的に自分の左腕を見る。
その動きだけで、さっきまでの軽い疑いが消えた。
「未来のあなたは、片腕で世界七位まで行ってました。でも、俺が事故を防いだあと掲示板を確認したら、記録が書き換わっていた。あなたは両腕のまま探索者になって、世界三位になっていたんです」
「……じゃあ、あなたがさっき店に来なかったら」
「その腕は、なかったはずです」
ファミレスの雑音が、妙に遠く感じた。
白石さんはしばらく何も言わなかった。
自分の腕を見つめて、指を握ったり開いたりしている。
当たり前に動く左手。
本当なら失っていたはずのもの。
「証拠は?」
「ありません」
「その未来の掲示板を見せてもらうことは?」
「できます。でも、全部は無理です」
「どうして?」
「俺以外に見えるのか、まだ分からない。それに、見せていい情報と悪い情報の区別もついてません」
これは本音だった。
今の俺はまだ、この異常なスマホについてほとんど何も知らない。
どこまで信用できるのか。
過去の改変で何が消え、何が残るのか。
そもそも、なぜ俺だけがアクセスできるのか。
確認すべきことはいくらでもある。
「ただ、一つだけなら証明できます」
「何を?」
「これから起きることです」
俺は掲示板を開いた。
事故の記事が書き換わった直後から、俺は一つ気になっていることがあった。
未来が変わったなら、事故以外の情報にも影響が出ているはずだ。
俺は検索欄へ『2026年9月1日 東京』と入力する。
大量の記事が表示された。
その中から、今夜起きる出来事を拾い上げる。
『2026年9月1日23時17分、杉並区の古い雑居ビルで火災。死者なし、重傷者二名』
現在時刻、22時41分。
あと三十六分。
住所も載っている。
「ここで火事が起きます」
白石さんが画面を覗く。
俺には普通に文字が見えている。
「……何も表示されてませんよ?」
「え?」
「真っ黒です」
俺は思わずスマホを見直した。
文字はある。
確かにある。
だが、白石さんには見えていないらしい。
「ちょっと持ってみてもらえますか?」
スマホを渡す。
白石さんは首を傾げた。
「ただの黒い画面です」
「……マジか」
俺が受け取った瞬間、文字が戻った。
いや。
消えていたのではない。
最初から俺にしか見えていない。
「どうやら、本当に俺専用みたいです」
「それ、証明としてはかなり不利ですね」
「ですよね」
それでも火災の予言が当たれば、少なくとも俺が未来の出来事を知っている証明にはなる。
俺たちはファミレスを出た。
◇
23時02分。
未来掲示板に記載されていた雑居ビルへ着いた。
築年数の古そうな四階建てで、一階には居酒屋、二階以上には小さな事務所が入っている。
まだ火災の気配はない。
「これから十五分以内に火が出るんですよね?」
「掲示板では」
「原因は?」
俺は記事を読み直す。
「二階の給湯室。老朽化した配線から出火。火災発生に気づいた会社員二人が煙を吸って重傷」
「それなら――」
「通報ですね」
俺は消防へ連絡した。
今度は「焦げ臭い匂いがする」とだけ伝えた。
さすがに二回連続で未来予知を根拠に通報する勇気はない。
その間に白石さんが一階の店員へ事情を話し、ビル内の人へ声をかけ始める。
さすが未来の英雄。
こういうときに迷わない。
俺が通報を終えて戻るころには、二階にいた会社員二人も外へ出ていた。
「何も起こらなかったら、かなり怒られそうですね」
「そのときは俺が謝ります」
「私も共犯なんですけど」
「すみません」
「そればっかりですね、佐伯さん」
23時15分。
消防車の音が聞こえ始めた。
そして23時17分。
ビル二階の窓から、黒い煙が上がった。
「……」
白石さんの顔から表情が消える。
消防隊員が中へ駆け込み、数分後には炎が見え始めた。
だが、未来掲示板に記録されていた重傷者は出ない。
全員、すでに外へ避難していたからだ。
俺はスマホを見る。
記事が更新された。
『2026年9月1日23時17分、杉並区雑居ビル火災。事前避難により負傷者なし』
その下に新しい記述が追加されている。
『火災発生直前に避難を呼びかけた男女について、当時の目撃者は「何かを知っているようだった」と証言している』
「……俺たちが記事に載ってる」
「え?」
「未来の記録に」
白石さんは何も言わなかった。
ただ、燃えるビルと俺を交互に見る。
もう疑ってはいない。
それが分かった。
「来年、本当にダンジョンが出るんですね」
「たぶん」
「たぶん?」
「未来が変わることは分かりました。でも、どこまで変わるかまでは分からない」
俺が火災を防いだ。
白石凛を救った。
たったそれだけでも、未来の記録は書き換わった。
なら、これからもっと大きなことをすればどうなる?
未来の英雄を救う。
重要な技術を先に確保する。
ダンジョン発生後に起こる大災害を事前に潰す。
そうすれば、俺が見ている未来そのものが消えていく可能性がある。
これは万能の攻略本ではない。
使えば使うほど、攻略本の内容そのものが書き換わっていく。
だからこそ、最初に何をするかが重要だ。
「白石さん」
「凛でいいです」
「え?」
「助けてもらった相手に名字で呼ばれ続けるのも変なので」
突然距離を縮められ、少し戸惑う。
「じゃあ……凛さん」
「さんもいりません」
「いや、それはさすがに」
「未来では世界三位なんですよね、私」
「そうですけど」
「なら今のうちに仲良くしておいたほうが得じゃないですか?」
凛は少しだけ笑った。
どうやら、思ったより冗談を言うタイプらしい。
未来掲示板では《双剣姫》《日本最強の剣士》《災害級キラー》など、物騒な呼び名ばかり並んでいたので意外だった。
「それで、佐伯さんはこれからどうするんですか?」
俺は答える前にスマホを見る。
例のスレッドを開いた。
『もしダンジョン発生一年前に戻れたら、誰を確保する?』
白石凛の名前には、すでに妙な変化が起きていた。
『白石凛は無理じゃね? 発生前から謎の男と行動していたって説あるだろ』
「……は?」
さっきまで、そんな書き込みはなかった。
指を止める。
『名無しの探索者:2036/09/01 01:27
白石の初期スポンサー誰だったっけ?』
『名無しの探索者:2036/09/01 01:28
スポンサーじゃない。記録にほとんど残ってないけど、ダンジョン発生前から一緒にいた一般人がいたらしい』
『名無しの探索者:2036/09/01 01:28
あれ都市伝説じゃないの?』
『名無しの探索者:2036/09/01 01:29
白石本人が昔のインタビューで言ってる。
「私が最初に信じた人です」って』
背筋にぞくりとしたものが走る。
これ。
俺のことじゃないか?
未来の歴史に、俺が入り始めている。
凛が隣から覗き込もうとするが、当然画面は見えない。
「何かありました?」
「いや……まだ大丈夫です」
まだ。
という言葉が、自分でも気になった。
このまま未来を変え続ければ、いずれ掲示板の中に俺自身の名前が出るかもしれない。
その未来の俺は、何をしている?
生きているのか。
誰といるのか。
そして、何を知っている?
検索欄に自分の名前を打ち込みたくなる衝動を、俺は抑えた。
先にやるべきことがある。
「次の人を探します」
「次?」
「未来で強くなる人です。できれば、今困っていて、今のうちなら俺たちでも助けられる人」
「俺たち?」
凛がそこだけ拾った。
「……手伝ってくれるんですか?」
「ここまで聞いて、はいさようならは無理でしょう」
凛は自分の両腕を見る。
「それに、この腕の借りがあります」
「借りなんて思わなくていいですよ」
「私が思います」
言い切られた。
未来で世界三位になる女は、十九歳の時点ですでに頑固らしい。
俺は少し考えてからスマホへ指を滑らせた。
候補はいくらでもいる。
炎帝。
魔導技術者。
世界最強の盾。
死んだ天才。
裏切った英雄。
未来では敵になる人物までいる。
その中で、今すぐ動くべき名前。
『回復聖女 水城澪』
検索する。
関連スレッドが並ぶ。
『水城澪の人生、ダンジョン発生前からハードモードすぎる』
『治療費の借金で詰んでた一般人が世界最高のヒーラーになるまで』
『もし最初からまともな支援者がいたら何人救えたんだろうな』
俺はまとめ記事を開いた。
水城澪。
現在十八歳。
一年後、ダンジョン発生時に《聖域》という希少能力へ覚醒。
未来では世界最高峰の回復術師となり、数十万人の命を救う。
しかし発生前の彼女は――。
「……これ、急いだほうがいいな」
「何がですか?」
「次の人、もうかなり追い詰められてる」
母親の長期入院。
治療費。
借金。
高校を卒業後、進学を諦め複数のアルバイトを掛け持ち。
そして未来掲示板には、こんな一文が残されていた。
『2026年9月3日、水城澪は治療費を工面するため違法高利貸しから借金。以後、ダンジョン発生日まで返済に苦しみ続ける』
九月三日。
明後日だ。
しかもスレッドを読み進めると、その借金が後々まで彼女を苦しめる原因になっている。
発生後、希少能力者だと知られた水城澪は、借金を盾に悪質な探索者組織へ囲い込まれる。
そこから抜け出すまで一年半。
その期間だけで、未来掲示板では何度も「人類の損失」と書かれていた。
「間に合う」
今なら。
まだ借りていない。
まだ彼女は、未来で自分がどれほど重要な存在になるのか知らない。
「明日、この子に会いに行きます」
凛が俺の顔を見る。
「どこにいるんですか?」
「埼玉です」
「じゃあ朝からですね」
「来る気なんですか?」
「言ったでしょう。手伝います」
凛は当然のように言った。
俺はスマホを握り直す。
未来では各国、巨大企業、最強ギルドが奪い合う人材。
その一人が今、金に困っている。
まだ誰も彼女の価値を知らない。
世界が気づくのは一年後。
なら。
俺たちが先に行けばいい。
そのとき、掲示板の新着通知が震えた。
『【歴史考察】ダンジョン発生前から動いていた謎の集団について』
俺は目を疑った。
そんなスレッドは、数分前まで存在していなかった。
『名無しの探索者:2036/09/01 01:41
最近また資料出てきたけど、やっぱこいつらおかしくね?』
『名無しの探索者:2036/09/01 01:42
白石凛、水城澪、九条蓮司――後の超有名探索者たちに、発生前から接触していた形跡がある』
『名無しの探索者:2036/09/01 01:42
偶然で説明できるか?』
『名無しの探索者:2036/09/01 01:43
中心にいた男の名前だけ、なぜか記録から抜けてるんだよな』
俺の指が止まった。
まだ、水城澪には会ってすらいない。
なのに。
十年後にはもう――俺たちが彼女へ会いに行った歴史が存在している。
未来は、書き換わっている。
俺が行動したあとではなく。
俺が次の行動を決めた、その先まで。
「……なんだよ、それ」
未来掲示板は、ただの記録ではない。
俺がこれから選ぶ未来まで、追いかけている。
そしてその中心にいる「名前のない男」が誰なのか。
もう考えるまでもなかった。




