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第1話 俺のスマホだけ、十年後に繋がった



 その掲示板を最初に見たとき、俺は手の込んだ悪ふざけだと思った。


 九月一日、午前零時を少し回った頃。


 仕事から帰ってシャワーを浴び、コンビニ弁当を電子レンジへ放り込んだ俺――佐伯湊は、ベッドに寝転がりながらスマートフォンを眺めていた。


 二十五歳、独身。


 都内の小さな物流会社勤務。役職なし、特殊な資格なし、貯金も自慢できるほどではない。


 要するに、どこにでもいる会社員だ。


 そんな俺のスマホに、見覚えのない通知が表示された。


『Dungeon BBSへの接続が可能になりました』


「……なんだ、これ」


 新手の広告かと思って通知を消そうとしたが、指が止まった。


 アプリの通知ではない。


 ブラウザからだった。


 しかも俺がいつも使っている検索アプリでもなければ、怪しいサイトを開いていた覚えもない。少し気味が悪かったが、好奇心に負けて通知を押すと、ひどく簡素な掲示板が表示された。


 黒い背景。


 白い文字。


 画面上部には、こう書かれている。


『DUNGEON攻略掲示板 総合入口』


「ダンジョン……?」


 ゲームの攻略サイトか?


 そう思ってスレッド一覧を眺めた俺は、すぐに眉をひそめた。


『【九周年】ダンジョン発生日の思い出を語るスレ』


『今だから言える第一次新宿迷宮攻略の戦犯』


『現役探索者が選ぶ、歴代最強ランキング2036年版』


『初心者質問スレpart5821 魔石税の申告についてはこちら』


『海外ダンジョン総合 北米第七迷宮また氾濫』


 どれもこれも、妙に作り込まれている。


 ただのゲーム掲示板にしては、生々しい。


 俺は一番上のスレッドを開いた。


『【九周年】ダンジョン発生日の思い出を語るスレ』


 投稿日時を見て、思わずスマホを顔へ近づけた。


 2036年9月1日。


「……十年後?」


 俺は鼻で笑った。


 なるほど。


 未来の掲示板という設定のジョークサイトらしい。


 こういう凝ったネタを作る暇人もいるものだと思いながら、何気なく書き込みを読み進める。


『名無しの探索者:2036/09/01 00:02

 もう九年か。2027年9月1日の世界同時ダンジョン発生から』


『名無しの探索者:2036/09/01 00:03

 午前六時ジャストだったな。東京、新宿。大阪、梅田。ニューヨーク、ロンドン、北京、その他二十三都市に第一世代迷宮が同時発生』


『名無しの探索者:2036/09/01 00:04

 当時は「大規模テロか?」ってニュースで言ってたよな』


『名無しの探索者:2036/09/01 00:04

 初日の死者だけで世界二万人超えだぞ。笑えねえ』


「来年の九月一日ねえ……」


 今日からちょうど一年後。


 設定としては分かりやすい。


 俺はレンジから弁当を取り出し、箸を割りながら続きを読んだ。


 最初は軽い暇潰しだった。


 しかし五分、十分と読み続けるうちに、妙な違和感を覚え始めた。


 情報量がおかしい。


 架空の設定にしては、あまりにも細かすぎるのだ。


 ダンジョンの発生場所。


 行政の対応。


 法律の成立日。


 企業の参入。


 探索者という職業が生まれるまでの経緯。


 各国で起きた事件。


 そして、後に英雄と呼ばれる人間たち。


 数千、数万どころではない書き込みがあり、それぞれの利用者が当たり前のように「ダンジョンが存在する世界」で生活している。


 しかもスレッド一覧はリアルタイムで更新され続けていた。


「生成AIか何かで作ってるのか?」


 そう呟いて、俺はパソコンを立ち上げた。


 スマホに表示されているアドレスを入力する。


『このページを表示できません』


「……あれ?」


 もう一度。


 結果は同じ。


 検索しても『DUNGEON攻略掲示板』なるサイトは一件も出てこない。


 スマホに戻る。


 普通に開いている。


「俺のスマホだけ?」


 さすがに少し気味が悪くなってきた。


 そのとき、一つの書き込みが目に入った。


『名無しの探索者:2036/09/01 00:18

 歴史知ってると、発生前に戻りたいって思うよな』


『名無しの探索者:2036/09/01 00:19

 分かる。未来の英雄を先に集めるだけで世界変わる』


『名無しの探索者:2036/09/01 00:20

 白石凛とか最たる例だろ。発生一年前の事故がなければ、どこまで強くなったんだよっていう』


 俺の箸が止まった。


「事故?」


 名前をタップすると、関連スレッドが大量に表示された。


『【白銀剣聖】白石凛を語るスレpart214』


『片腕でSSS級まで行った化け物』


『白石凛の全盛期って実際どのくらい強かった?』


 なんとなく一番上を開く。


 そこには、一人の女性についての経歴がまとめられていた。


 白石凛。


 2036年現在、二十九歳。


 日本に十二人しか存在しないSSS級探索者の一人。


 通称《白銀剣聖》。


 第二次東京防衛戦で推定三万人を救助。


 単独でS級迷宮を攻略した記録を持ち、世界探索者ランキング最高七位。


 そして――左腕を失っている。


『白石が左腕失ったのってダンジョン関係ないんだよな』


『そう。発生一年前』


『2026年9月1日、練馬のコンビニに車突っ込んだ事故』


 俺は咀嚼するのを忘れた。


 今日だ。


 さらに読み進める。


『当時十九歳だった白石は夜勤中。客を庇って左腕を重度損傷、その後切断』


『それでも剣聖だからな』


『両腕あったら世界一狙えた説』


『本人がインタビューで「あの日だけは今でも夢に見る」って言ってる』


「待て待て待て……」


 背中が冷たくなった。


 ジョークサイトにしては出来すぎている。


 俺は書き込みに記載されていた事故について検索した。


 当然、何も出ない。


 事故はまだ起きていないのだから。


 だが、未来掲示板には事故の詳細まで残されていた。


 場所。


 時間。


 事故を起こした車種。


 運転手の名前まで。


『事故発生時刻 20時43分』


 俺はスマホ上部の時計を見る。


 19時56分。


「…………」


 偶然だ。


 そう思った。


 こんなものを信じて電車に飛び乗るなんて、どうかしている。


 そもそも白石凛という人間が実在する保証すらない。


 ところが、店名を検索すると実在していた。


 自宅から電車で二駅。


 徒歩を合わせても二十分ほどで着く。


「確認するだけだ」


 俺は誰に言い訳するでもなく呟き、食べかけの弁当を置いた。


 もし全部デタラメなら、コンビニで飲み物でも買って帰ればいい。


 それだけだ。


 そう考えながら家を飛び出した時点で、俺はもう半分以上、この馬鹿げた掲示板を信じ始めていたのだと思う。


     ◇


 20時24分。


 未来掲示板に書かれていたコンビニは、本当に存在した。


 俺は店の自動ドアをくぐり、雑誌コーナーへ目を向ける。


 レジに若い女性がいた。


 黒髪を後ろで束ねた、細身の女性。


 名札には――。


『白石』


 心臓が大きく鳴った。


「いらっしゃいませ」


 白石凛は、ごく普通の店員として頭を下げた。


 未来のSSS級探索者。


 数万人を救う英雄。


 世界ランキング七位。


 そんな肩書きを知っていなければ、大学帰りにアルバイトをしている普通の女の子にしか見えない。


 そして今から十九分後、この人は左腕を失う。


「……マジかよ」


「はい?」


「あ、いや、何でもないです」


 俺は慌てて飲料棚へ逃げた。


 どうする。


 事故が本当に起きるとして、本人へ「十九分後に車が突っ込みます」と言ったところで信じてもらえるはずがない。


 スマホを取り出し、事故についてさらに検索する。


『20時39分頃、白色のワンボックスカーが環七方面から蛇行運転』


『交差点進入時に運転手が意識を失い、歩道へ乗り上げる』


『コンビニ正面へ衝突』


 俺は店を出た。


 110番へ電話する。


「あの、蛇行運転している車を見たんですが」


 嘘ではない。


 まだ見ていないだけだ。


 車種とナンバーを伝え、走ってくる方向も説明する。電話口では少し怪しまれたものの、交通事故につながる可能性があるため確認すると言われた。


 時計を見る。


 20時35分。


 これで止まってくれればいい。


 しかし、未来が本当に変わるのかどうかも分からない。


 俺は店へ戻った。


「すみません」


「はい」


「ちょっと変なお願いなんですけど、あと十分くらい、レジの前から離れてもらえませんか?」


 白石さんが困惑した顔をした。


 当然だ。


「……どういう意味ですか?」


「説明したら絶対に頭がおかしい人だと思われるんですけど、この店に車が突っ込むかもしれないんです」


「え?」


「警察には連絡しました。できれば、他の店員さんも店の奥へ」


 白石さんの顔から営業スマイルが消えた。


 俺を不審者だと判断したのだろう。


 それでも俺が車種とナンバーまで伝えると、さすがに様子が変わった。


「どうしてそこまで分かるんですか?」


「それは……」


 答えに詰まった、そのときだった。


 店の外から、クラクションが聞こえた。


 長い。


 明らかに普通ではない音だった。


 俺と白石さんが同時に振り向く。


 道路の向こうから、白いワンボックスカーが走ってくる。


 揺れていた。


 左右に大きく蛇行しながら、それでも速度を落とさず交差点へ近づいてくる。


 未来掲示板に書かれていた車種。


 ナンバー。


 全部、一致していた。


「奥へ!」


 叫んだ直後、車が歩道へ乗り上げた。


 白石さんの反応は速かった。


 俺が腕を引くより先に、近くにいた客の肩を抱いて床へ伏せる。


 直後、凄まじい破砕音が店内へ響いた。


 ガラスが飛び散り、棚が倒れ、ワンボックスカーの前半分が店へ突っ込んでくる。


 悲鳴。


 警報音。


 散乱する商品。


 俺は腕で顔を庇いながら床へ転がった。


 数秒後。


 恐る恐る顔を上げる。


 俺のすぐ近くで、白石さんも身体を起こした。


「大丈夫ですか!」


「俺は……大丈夫です。それより腕!」


「腕?」


「左腕です!」


 白石さんが、自分の左腕を見る。


 傷一つない。


 両腕ともある。


 未来では失われていたはずの腕が、そこにあった。


「…………変わった」


「え?」


「いや……」


 店の外からサイレンが近づいてくる。


 先ほどの通報を受けたパトカーだろう。


 俺は震える手でスマホを取り出した。


 未来掲示板を開く。


 さっきまで表示されていたページを更新した。


『ページが更新されました』


 白石凛。


 2036年現在、二十九歳。


 日本に七人しか存在しないSSS級探索者の一人。


 通称――《双剣姫》。


「……七人?」


 さっきは十二人だった。


 肩書きも変わっている。


 ページをスクロールする。


『2029年 日本最年少でS級昇格』


『2031年 SSS級認定』


『2033年 世界探索者ランキング三位』


『第三次太平洋迷宮災害において単独で災害級モンスター二体を討伐』


 俺は息を呑んだ。


 さらに下。


『白石凛は両手剣術を得意とし――』


 両手。


 事故の記事は消えていた。


 代わりに別の記事が存在している。


『2026年9月1日に発生した練馬区コンビニ車両突入事故に遭遇するも負傷者なし。白石本人も無傷だった』


「……未来が、書き換わった」


 俺が白石凛を助けたから。


 十年後が変わった。


 しかも彼女は、片腕だった未来より遥かに強くなっている。


「さっきから何を見てるんですか?」


 白石さんが俺のスマホを覗こうとする。


 反射的に画面を伏せた。


「なんでもないです」


「なんでもない人は、事故を車種とナンバーまで予言しないと思うんですけど」


「ですよね」


「ですよ」


 困った。


 未来最強クラスの英雄に、初対面で完全に不審者認定されたらしい。


 しかし、そのときの俺には彼女との関係を気にする余裕などなかった。


 もっと重要なことに気づいてしまったからだ。


 未来は決まっていない。


 変えられる。


 ならば――。


 俺は掲示板の検索欄へ文字を打ち込んだ。


『発生前 助けたかった探索者』


 大量のスレッドが表示された。


 そのうち一つを開く。


『もしダンジョン発生一年前に戻れたら、誰を確保する?』


 冗談半分で作られたらしいスレッドだった。


 だが、俺にとっては宝の山だった。


『白石凛。事故前なら絶対』


『“炎帝”九条蓮司だろ。覚醒前は無職だぞ』


『回復聖女の水城澪。発生三か月前に家族の治療費で借金地獄』


『技術者なら榊原。あいつが最初から日本側なら魔導装備の実用化が三年早まってた』


『海外組込みなら候補百人超える』


『早死にした天才も忘れるな』


『結局、未来の知識持って一年前に戻れた奴がいたら最強ギルド作れるよな』


 俺は、その書き込みを何度も読み返した。


 最強ギルド。


 普通なら笑い飛ばす言葉だ。


 けれど今、目の前には十年後の人類が積み重ねた情報がある。


 誰が強くなるのか。


 何が価値を持つのか。


 どこにダンジョンが現れるのか。


 どんな災害が起きるのか。


 誰が死ぬのか。


 そして、それを防げば未来そのものが変わることまで分かった。


 俺は日付を確認する。


 2026年9月1日。


 世界で最初のダンジョンが発生するのは、2027年9月1日。


 残り一年。


 一年もある。


 未来で英雄になる人間たちは、今はまだ誰にも知られていない。


 その才能を国も企業も知らない。


 本人すら知らない。


 だったら、先に会いに行けばいい。


 先に助ければいい。


 先に仲間になってもらえばいい。


 未来で奪い合いになる人材も、技術も、土地も、情報も。


 全部、世界が価値に気づく前に。


「……何を笑ってるんですか?」


 白石さんに言われて、初めて自分が笑っていることに気づいた。


「すみません。ちょっと、人生が変わりそうで」


「私は今日、人生が終わりかけたんですけど」


「……本当にすみません」


「謝るところなんですか?」


 白石さんは呆れたような顔をしたあと、自分の左腕をさすった。


 彼女は知らない。


 本来なら、その腕は今日失われていた。


 そして俺だけが知っている。


 この普通の女子大生が、十年後には世界第三位の探索者になることを。


 スマホが震えた。


 掲示板に新着レスが一件。


『名無しの探索者:2036/09/01 01:03

 発生前から未来の英雄全員知ってる奴なんて、いるわけないだろ』


 俺は画面を見つめた。


「ああ」


 小さく答える。


 いる。


 ここにいる。


 世界がダンジョンという存在を知るまで、あと一年。


 そして俺のスマホだけが、その十年後を知っている。


 なら――この一年、何もしない理由なんてなかった。


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