第18話 世界四位は、助ける必要がなかった
九月二十四日の朝。
神代征司は、未来では行方不明になっているはずだった日の翌日を、普通に家族と迎えた。
本人から送られてきたメッセージは、朝七時十二分。
『妻に全部は話せなかったが、仕事で危険な目に遭うところだったことは説明した。今日は休暇を取る。娘に約束していた水族館へ行ってくる』
その文面を読んだ俺は、事務所の椅子へ身体を預けながら、知らず知らずのうちに肩の力を抜いていた。
未来掲示板では、今日から神代征司という人間は「失踪した父親」になるはずだった。朔夜にとっても、妻や娘にとっても、何があったのか分からないまま帰りを待ち続ける十年間が始まる日だったはずだ。
それが今は、水族館だ。
未来を変えた結果としては、あまりにも普通である。
けれど、その普通が妙に嬉しかった。
「神代さん、今日は来ないんですか?」
凛が紙コップのコーヒーを持って事務所へ入ってきた。
「家族サービスです。さすがに今日は会社へ呼べませんよ。昨日までなら、今頃は家に帰ってない人だったんですから」
「それなら良かったです。昨日ずっと調査してましたし、神代さん本人より家族のほうが心配してそうですからね」
凛はそう言って自分の席へ座り、それから俺の前に置かれたスマホへ視線を向けた。
「それで、もう次を調べてるんですか?」
「……分かります?」
「その画面を見ながら難しい顔してたら、大体そうでしょう」
完全に行動を読まれている。
俺が未来掲示板を隠す意味もないので、そのまま画面を凛へ向けた。
表示されているのは、昨日も確認した二〇三六年版の世界探索者ランキングだった。
一位、神代朔夜。
二位、九条蓮司。
三位、白石凛。
ここまでは、すでに現在の俺たちとつながっている。
そして。
第四位。
《東雲小春》
称号、《断界》。
所属、《アーク・フロンティア》。
二〇三六年時点、三十一歳。
「女の人なんですね」
「みたいです。今は二十一歳。神奈川県在住」
「近いですね」
「そこなんですよ」
世界四位と聞いた時点で、俺は次も遠くまで探しに行く覚悟をしていた。
ロンドンでもニューヨークでも、未来で必要になる人間なら探すつもりだった。パスポートの有効期限まで一瞬考えたくらいだ。
ところが、東雲小春は神奈川県にいる。
それどころか、現在の職場まで未来のインタビュー記事から簡単に分かった。
箱根。
家族経営の小さな温泉旅館。
《旅館しののめ》。
世界ランキング第四位。
未来では空間そのものを切断する能力を持ち、災害級ダンジョンの深層で複数の巨大魔物をまとめて両断した記録まで残している女性が、今は旅館で接客をしているらしい。
「九条さんが警備員で、神代君が自動車整備士志望で、今度は旅館ですか」
「未来の英雄、職歴だけ見ると本当に普通なんですよね」
「私は?」
「凛は……」
言いかけて、止まる。
「何ですか、その間」
「いや、凛は比較的そのままだなと思って」
「どういう意味です?」
「褒めてます」
「今の絶対褒めてなかったですよね?」
問い詰められそうになったところで、ちょうど事務所の扉が開いた。
九条と瀬尾だった。
助かったと思ったが、九条は俺と凛を交互に見てから、いきなり余計なことを言った。
「朝から何揉めてんだ?」
「佐伯さんが私だけ普通じゃないみたいな言い方するので」
「言ってないでしょう!」
「だいたい合ってんじゃねえか?」
「九条さんまで何なんですか!」
凛の矛先が九条へ向いたので、俺はその間に未来掲示板を自分のほうへ戻した。
こういうときは黙っているに限る。
◇
世界四位の東雲小春について、俺は昨日の夜から少しずつ調べていた。
ただし今回は、今までとは検索の順番を変えている。
まず「どれだけ強いのか」を調べるのではなく。
未来で何を失ったのか。
そこから調べた。
神代朔夜の件で、はっきり分かったからだ。
強さの理由と悲劇を同じものだと考えてはいけない。
家族を救っても、神代は世界一位になった。
それなら世界四位だって、未来で失うものがあるなら先に救っていい。
むしろ。
そのために未来を見ている。
そう考えて検索したのだが。
「……ないんですよね」
「何が?」
俺の呟きを聞いた瀬尾が隣へ来た。
「東雲小春が未来で失ったものです。家族の死亡記録なし。本人も大きな後遺症なし。旅館も二〇三六年まで残ってます」
「良いことじゃないですか」
「もちろん良いことなんですけど……ここまで何もないと、逆に不安になるというか」
「佐伯さん、未来の英雄を全員一回不幸にしないと気が済まない人みたいになってますよ」
「違いますよ!」
慌てて否定すると、瀬尾は笑いながら椅子を引いた。
九条と凛もやってきたので、俺は調べた内容を順番に説明することにした。
東雲小春。
二〇〇五年十一月生まれ、現在二十一歳。
両親と祖母の四人暮らしで、箱根にある《旅館しののめ》を家族で経営している。高校時代までは剣道を続けており、県大会へ出場した記録もあるが、卒業後は進学せず、そのまま家業を手伝っている。
そして二〇二七年九月。
ダンジョン発生。
その三日後。
箱根周辺にも小規模なダンジョンが複数発生し、観光客や住民の避難が始まった。
未来の小春は、その混乱の中で覚醒する。
能力名は《断界》。
物質ではなく、「境界」そのものを切断する極めて特殊な能力だったらしい。
最初は自分でも何をしているのか分からず、道路を塞いでいた巨大な倒木を切った程度だった。それが後に、魔物の防御や魔法障壁、さらにはダンジョン内部の空間構造へ干渉できる能力だと判明する。
「それで世界四位?」
九条が興味を示した。
「最終的には。未来の記事だと、普通の防御がほとんど意味をなさない能力みたいですね。硬いとか柔らかいとか関係なく、境界として認識できれば切れるらしいです」
「俺の炎も?」
「未来掲示板に対戦スレありますよ」
「結果は?」
「見ます?」
「……いや、今はいい」
世界二位にも学習能力はあるらしい。
凛が笑いを堪えながら尋ねる。
「それで、東雲さんの家族は全員助かるんですよね?」
「はい。旅館も避難所として使われて、発生日直後からかなりの人数を受け入れています。お父さんもお母さんも祖母も、十年後まで存命。少なくとも俺が調べた範囲では、大きな悲劇は見つかりません」
「だったら、今すぐ何かする必要ないんじゃねえの?」
九条の言うことは正しい。
だからこそ、俺も迷っていた。
「そうなんですよ。今までなら、未来で事故に遭うとか、誰かが死ぬとか、放っておけない理由がありました。でも東雲小春には、それがない」
「未来でアークへ入るんですよね?」
瀬尾に聞かれ、俺は頷いた。
「二〇二七年十二月に正式加入してます。ただ、それもダンジョン発生後です。家族を失ったからじゃなくて、箱根周辺の避難支援でアークと一緒に動いたことがきっかけらしい」
「なら一年後に声をかけても間に合うんじゃないですか?」
凛がそう言ったあと、少し考えて言葉を足した。
「佐伯さんは、未来で強くなる人を全員今すぐ集めたいんですか?」
答えようとして。
俺は口を閉じた。
これまで。
未来で重要になる人間を見つけたら、先に確保する。
それが正しいと思っていた。
実際、九条も凛も瀬尾も榊原も、早く出会ったからこそ今できていることがある。神代征司に至っては、出会わなければ昨日消えていた。
でも。
東雲小春は違う。
今の彼女は困っていない。
助けを求めてもいない。
家族と一緒に旅館で働き、少なくとも未来掲示板を見る限り、その生活は一年後まで続く。
そんな人間に。
未来で世界四位になるから、うちへ来てくれ。
そう言うのは。
「……違うな」
「何がです?」
「今すぐ集めればいいってものじゃない」
俺はランキングを見ながら言った。
「俺、ちょっと勘違いしてたかもしれません。未来でアークにいる人を見つけたら、現在でもアークへ入ってもらうのが正解だと思ってた。でも、その人には今の生活があるんですよね」
九条なんて、最初は警備員を続けていた。
凛にも。
瀬尾にも。
榊原にも。
それぞれの人生があった。
未来で重要になるからといって、それを勝手に終わらせる権利まで俺にあるわけじゃない。
「東雲さんは、勧誘しないんですか?」
「少なくとも、いきなり社員になってくださいとは言わないです」
瀬尾が面白そうに笑う。
「珍しく普通ですね」
「俺だって成長するんですよ」
「一週間くらい前なら旅館ごと買おうとしてそう」
九条が言った。
「さすがにしませんよ!」
「八王子の倉庫買った奴が言ってもな」
「事情が違うでしょう!」
反論したものの。
一瞬だけ。
旅館を会社の保養所兼箱根方面の拠点にすれば便利かもしれない、と考えた自分がいたので少しだけ黙った。
凛がこちらを見ている。
「今、買うこと考えました?」
「考えてません」
「目が泳ぎましたよ」
「考えてませんって」
「佐伯さん、分かりやすいですから」
最近、本当にごまかしが効かない。
◇
それでも。
何もしないという選択肢も、俺には選べなかった。
理由は単純だ。
東雲小春の家族が未来で全員無事だからといって。
何もしなくても同じ未来になるとは限らない。
すでに歴史は変わっている。
神代征司は失踪しなかった。
前駆接続は一年早く観測された。
アーク・フロンティアは、元の未来より遥かに早い段階からダンジョンの存在を把握している。
それによって。
東雲小春の未来だって。
変わる可能性がある。
「未来掲示板を確認します」
俺はそう言って検索欄を開いた。
「何を調べるんですか?」
「東雲小春が、今の未来でも同じ経緯でアークへ来るのか」
検索。
《東雲小春 アーク加入》
いくつか結果が表示された。
その中で最も新しいスレッドを開く。
『〖古参向け〗断界って結局どうやってアーク入ったんだっけ?』
『名無しの探索者:2036/07/14 21:07
箱根の避難支援が最初』
『名無しの探索者:2036/07/14 21:08
いやその前に佐伯が会いに行ってる』
「……会いに行ってる」
思わず声が出た。
「未来でも?」
凛が覗き込む。
「はい。発生前に一回会ってるみたいです」
続きを読む。
『名無しの探索者:2036/07/14 21:09
未来の英雄青田買い時代な』
『名無しの探索者:2036/07/14 21:09
本人談だと最初の勧誘は普通に断ったらしい』
『名無しの探索者:2036/07/14 21:10
そりゃそうだろ、旅館で働いてたら知らん会社の社長が来て「一年後世界四位になるからうち来ません?」だぞ』
九条が吹き出した。
「お前、未来でもやってんじゃねえか!」
「まだ俺は言ってないでしょう!」
「でも言うんだろ?」
「言いませんよ! 今これ読んだんだから言いません!」
瀬尾まで肩を震わせている。
ひどい。
未来の俺。
もう少しやり方を考えてほしい。
さらにスクロールする。
『名無しの探索者:2036/07/14 21:11
しかも断られたあと普通に宿泊して帰ってるの好き』
『名無しの探索者:2036/07/14 21:12
旅館気に入ってその後も何回か使ってる』
『名無しの探索者:2036/07/14 21:12
アークの初期合宿ここだったよな』
『名無しの探索者:2036/07/14 21:13
結果的に東雲家ごと付き合い長くなった』
俺はそこで手を止めた。
「……これなら」
「何か見つけました?」
「勧誘しなくても、会いには行けそうです」
旅館。
宿泊。
それなら。
いきなり人生を変えてくれと頼む必要はない。
普通の客として泊まることができる。
しかも、今後アークが箱根や富士方面のダンジョンを調べるなら、拠点として付き合いを作っておくこと自体に意味がある。
「皆さん」
俺が顔を上げると、九条が嫌そうな顔をした。
「その言い方、何か思いついたときのやつだろ」
「明日、箱根行きません?」
「急だな」
「調査も兼ねて一泊しましょう。八王子と横浜で前駆接続が確認された以上、未来のダンジョン出現地点を何か所か現地確認しておきたいです。箱根周辺にも発生日直後に複数出ますし、ちょうど東雲さんの旅館もある」
凛が少し考えたあと、俺を見る。
「つまり、勧誘じゃなくてお客さんとして会うんですね?」
「はい。未来のことも、こっちからは言いません」
「本当に?」
「本当にです」
「世界四位だとも?」
「言いません」
「能力のことも?」
「言いませんよ」
「旅館を買う話も?」
「そもそも買いません!」
なぜそこまで信用がないのか。
九条は腕を組み、少し考えてから頷いた。
「まあ、温泉入れるなら俺は行く」
「調査が目的ですよ」
「調査してから温泉入れば同じだろ」
「私は行きます。箱根周辺の避難経路も実際に見ておいたほうがいいと思います」
凛は真面目だった。
瀬尾もノートパソコンで予定を確認しながら、「一日なら空けられます」と答える。
「榊原さんにも聞きます?」
「温泉なら行かないと思いますけど、現地測定って言えば来るかもしれません」
「神代さんは?」
「今日は家族サービスさせてあげましょうよ。明日も連れ出したら奥さんに俺が怒られます」
そう言いながら。
俺は《旅館しののめ》の予約ページを開いた。
空室。
あり。
大人四名。
一泊。
夕食付き。
予約確定。
ここ数日。
未来の失踪事件。
世界初の前駆接続。
地下空間。
ダンジョン。
そんなものばかりを追いかけていたせいで。
温泉旅館へ泊まりに行くだけの予定が、ひどく平和に感じた。
◇
翌日の午後。
その考えが少し甘かったことを、俺は箱根へ着いて十分もしないうちに知った。
《旅館しののめ》は、未来の記事で見た通り、観光地の中心部から少し離れた斜面沿いに建っていた。
木造二階建て。
客室は十室ほど。
派手さはないが、手入れが行き届いている。
入口脇には小さな庭があり、その向こうから温泉の匂いが漂っていた。
「いいじゃん」
九条は完全に観光客の顔になっている。
「仕事ですよ」
「分かってるって。チェックインするのも仕事のうちだろ」
「便利な言葉にしないでください」
俺たちが玄関へ向かおうとした、そのときだった。
建物の脇から。
女性の声が聞こえた。
「お父さん、それ一人で持たないでって昨日も言ったでしょ!」
「これくらい平気だ」
「平気じゃないから腰痛めたんでしょう!」
続いて。
何か重いものが置かれる音。
俺たちは思わず足を止めた。
裏手から出てきたのは、作務衣姿の若い女性だった。
黒い髪を後ろで一つに束ね、腕には大きな段ボール箱を抱えている。
その後ろでは、五十代くらいの男性がもう一箱を持とうとして止められていた。
「だから私がやるって言ってるの。お客さん来る時間なんだから、お父さんはフロントお願い」
「でもお前、厨房もあるだろ」
「お母さんがやってる。ほら、いいから行って」
女性は父親を半ば追い払うように建物へ戻し。
そのあと。
こちらに気づいた。
「あ」
目が合う。
未来掲示板の写真で見た顔。
十年後。
世界ランキング第四位。
災害級ダンジョンの深層を切り開き。
《断界》と呼ばれる探索者。
東雲小春。
現在二十一歳。
その本人が。
段ボール箱を抱えたまま。
俺たちの前に立っている。
「すみません、お客様ですよね? いらっしゃいませ。今すぐご案内しますので、少々お待ちください」
普通だった。
あまりにも普通だった。
笑顔も。
声も。
旅館の娘として客を迎える姿も。
世界四位なんて言葉が、まるで似合わない。
小春は抱えていた箱を脇へ置こうとして。
九条が先に手を出した。
「それ、俺持つよ」
「え? いや、お客様にそんなこと――」
「いいって。俺こういうの担当らしいから」
「誰が決めたんですか、それ」
俺が思わず突っ込むと。
九条は箱を受け取りながら、こちらを見た。
「お前」
確かに。
神代の観測機材を運ばせたときに。
そんなことを言った。
小春は事情が分からず目を瞬かせたあと、小さく笑った。
「では……すみません。玄関の中までお願いしてもいいですか?」
「任せろ」
九条が段ボールを運び。
凛が笑い。
瀬尾が「完全に旅館へ泊まりに来ただけですね」と小声で言う。
俺も。
少しだけ笑った。
今度は。
急がなくていい。
この人には。
今すぐ救わなければならない命も。
四日後に消える未来もない。
なら。
未来の世界四位としてではなく。
まずは。
東雲小春という一人の人間を。
普通に知ればいい。
未来を見られるようになってから。
初めて。
俺はそう思えた。
ただし。
その日の夜。
旅館の地下にある源泉設備で。
神代征司の観測データと同じ種類の異常が見つかることになるなんて。
このときの俺たちは。
まだ誰も知らなかった。




