第15話 ダンジョンは、一年後に突然現れるわけじゃなかった
九条に車を横浜へ戻してもらっている間、俺は瀬尾へ電話をかけた。
未来掲示板で分かっているのは、神代朔夜の父親がダンジョン発生前から何かを知っていたことと、二〇二六年九月中に行方不明になることだけだ。名前すらまだ分からない状態だったが、神代本人の学校や家族構成まで辿れた瀬尾なら、公開情報の範囲でも何か拾えるかもしれない。
『世界一位のお父さんですか。さっきまで息子を探していたのに、今度は父親って、だんだん対象が増えてません?』
「俺もそう思ってます。ただ、この人は今月中に消えるらしいんです。それに、未来の神代本人が『父はダンジョンが現れることを知っていた』って話してる」
電話の向こうで、それまで続いていたキーボードの音がぴたりと止まった。
『……それ、本当ならかなり話が変わりますね。佐伯さん以外にも未来を知っている人間がいた、ということですか?』
「まだ分かりません。だから調べたいんです。名前と勤務先、それから今月の行動につながりそうな情報があれば何でもお願いします」
『了解です。ただ、個人情報を無理やり掘るようなことはしませんよ。今拾える公開情報と、未来掲示板に残っている情報を照合するところまでです』
「それで十分です」
電話を切ると、運転席の九条がちらりとこちらを見た。後部座席では凛が窓の外へ目を向けている。二人とも、神代朔夜の父親については先ほど説明したばかりなので、わざわざ最初から話し直す必要はない。
「それで、父親まで未来を知ってたらどうすんだ?」
「まず、どうやって知ったのか聞きます。俺と同じなら……正直、何が起きてるのか分からなくなりますね」
「同じスマホ持ってました、なんて言われたら笑うしかねえな。世界二位だの世界一位だの聞かされるだけでも十分おかしいのに、未来人まで増えたら俺はもう驚かねえぞ」
九条が呆れたように言うと、後部座席から凛が少し楽しそうに口を挟んだ。
「九条さん、そう言う人ほど次に何か出たとき一番大きな声を出しそうですけど」
「お前、最近ほんと遠慮なくなったよな。最初はもうちょっと大人しかっただろ」
「慣れましたから。九条さんにも、佐伯さんにも」
「俺まで同じ扱いにしないでもらえます?」
「その二人は、別方向に面倒なので似たようなものです」
わざわざ少し考えてから言われたのが余計に傷ついた。
とはいえ、こうして二人が普通に言い合っているのを聞いていると少し落ち着く。俺一人だったら、未来掲示板に「自分以外にもダンジョン発生を知っていた人物がいる」と出た時点で、頭の中だけで最悪の可能性を何十通りも作っていたかもしれない。
未来から来た人間なのか。
俺と同じものを見ているのか。
あるいは、ダンジョンを発生させる側なのか。
考えようと思えば、いくらでも想像は膨らむ。
けれど今必要なのは推測ではなく、まだ消えていない本人を見つけて話をすることだった。
◇
瀬尾から連絡が来たのは、それから四十分ほど経った頃だった。
九条に車を路肩へ寄せてもらい、俺は送られてきた資料を開く。
「見つかったみたいです。神代征司、四十八歳。地盤調査会社の技術職で、専門は地下構造解析」
「地下?」
凛がすぐに反応した。
「勤務先は《東央地盤技研》横浜技術センター。トンネルや地下鉄、大規模建築の予定地なんかを調べる仕事らしいです。学会発表も何件かあるけど、一般に名前が知られているような人ではないですね」
九条がシートへ背を預け、少し考えるように眉を寄せた。
「ダンジョンと地下調査か。偶然にしちゃ出来すぎてねえか?」
「俺もそう思います」
ただし、瀬尾が見つけたのは神代征司本人について詳しくまとめられた記録ではなかった。
最初の手がかりになったのは、未来掲示板に残っていた神代朔夜についての古いスレッドだ。
『そういや神代の親父って、結局見つかってないんだよな』
『発生前に消えた人だっけ?』
『確か九月だったはず。神代がまだ探索者になる前』
それだけなら、昨日俺が見た「父親は発生前から行方不明」という情報と大差はない。
けれど瀬尾は、そこから書き込みの時期や使われている言葉を拾い、未来掲示板側の検索条件を少しずつ変えていた。
その結果、当時の未解決事件について語っている別のスレッドが引っかかったらしい。
『二〇二六年九月二十四日、横浜市内で四十代男性の家族から捜索願』
名前までは書かれていなかった。
それでも、地盤関係の技術職、横浜市内勤務、妻と子供二人の四人家族という断片が残っている。
現在の公開情報から分かった神代征司の年齢、職業、勤務先、家族構成と照合すれば、偶然で片付けるには一致する部分が多すぎた。
さらに書き込みを追うと、失踪時の状況まで断片的に残っている。
『前日の夜、勤務先を出たところまでは確認されてる』
『翌朝、車だけ横浜市北部で発見』
『昔の共同溝工事区画の近くだったはず』
『財布も携帯も車内。本人だけいない』
そこでようやく、俺たちは日付まで絞り込めた。
二〇二六年九月二十三日。
今日から四日後だ。
翌二十四日に家族から捜索願が出されたという書き込みとも辻褄が合う。
もちろん、未来掲示板に残っている匿名の書き込みだけで、すべてを事実だと断定するつもりはない。それでも、神代征司が今月中に消えたという朔夜側の記録と、現在分かった本人の経歴、さらに失踪者について語られた断片がここまで重なれば、無視する理由のほうがなかった。
「四日後ですか……」
凛はそう呟くと、俺が見ていた画面へもう一度目を落とした。
「これが本当に神代さんのお父さんなら、佐伯さんは止めるつもりですよね?」
「もちろんです。ただ、失踪そのものを止めるだけじゃ足りないと思います。地下構造を調べている技術者が、ダンジョン発生について何か知っていて、そのうえ共同溝の近くで消息を絶つ。だったら、まずは本人がそこで何を確かめようとしていたのかを知らないと」
九条も画面を覗き込みながら眉を寄せた。
「だったら、結局本人に聞くしかねえな。勤務先は分かってるんだろ?」
「はい。今いる場所からなら二十分くらいです」
時刻は午後六時を少し回ったところだった。
電話で面会を頼む方法もある。しかし、こちらには神代征司との接点がないうえ、「四日後にあなたが失踪する可能性があるので話を聞かせてください」などと言えば、会えるものも会えなくなる。
結局、俺たちは勤務先の近くまで行き、本人がまだ会社にいるようなら直接話す機会を探すことにした。
世界一位になる息子を探していたはずが、今度はその父親の退勤を待つことになる。
未来掲示板を手に入れてから、俺の人生は着実に普通の会社員から遠ざかっていた。
◇
東央地盤技研の横浜技術センターは、幹線道路沿いに建つ五階建ての地味な建物だった。
俺たちは近くのファミレスへ入り、瀬尾から送られてきた社員紹介ページの写真を見ながら待つことにした。さすがに建物の前へ三人で立っていたら、通報されても文句は言えない。
道路を挟んだ窓際の席へ座ると、九条は夕食時なのをいいことにハンバーグと大盛りライスを注文し、凛までパスタを頼んでいた。
「二人とも普通に食べるんですね」
「待つだけなら飯食ってたほうがいいだろ。お前も何か頼めよ」
「この状況でよく食欲ありますね……」
「未来の世界一位の親父を待つのと、俺が腹減ってるのは別問題だ。むしろ張り込みするなら食えるときに食っとくもんじゃねえの?」
「いつから張り込みになったんですか」
「やってることは完全にそうだろ」
否定できない。
凛も何食わぬ顔で水を飲んでいるので、どうやら気にしているのは俺だけらしい。
仕方なくサンドイッチを頼み、半分ほど食べた頃だった。
凛がフォークを置き、窓の外へ視線を向ける。
「あの人じゃないですか?」
俺もそちらを見る。
会社の自動ドアから、作業服の上に薄いジャケットを羽織った男性が出てきた。
四十代後半。
短く切った黒髪には少し白いものが混じり、細身の眼鏡をかけている。写真より疲れて見えたが、顔立ちは間違いない。
神代征司。
未来の世界一位、神代朔夜の父親だった。
「行きます」
会計を済ませて店を出ると、神代征司は会社の駐車場へ向かっていた。
呼び止める直前になって、俺は自分たちがどれほど怪しいかを改めて理解した。
知らない若者三人が、退勤直後の会社員を待ち伏せしている。
しかも用件はダンジョンだ。
どう考えてもまともではない。
「神代征司さん、ですよね?」
それでも声をかけると、男性は足を止めて振り返った。
「そうですが……どちら様でしょうか」
「突然すみません。佐伯湊といいます。少しだけ、お話を聞かせてもらえませんか」
「営業でしたら会社を通してください。個人でお受けすることはありませんので」
当然の反応だった。
神代は軽く頭を下げ、そのまま歩き出そうとする。
どうする。
未来掲示板のことをいきなり話すのは危険だ。しかし、普通の話題では立ち止まってもらえない。
俺は一瞬迷った末に、彼が無視できないはずの言葉を選んだ。
「二〇二七年九月一日、午前六時」
神代の足が止まった。
隣にいる九条も、その後ろの凛も黙る。
「その時間に、地下で何が起きるんですか?」
数秒の沈黙があった。
神代征司はゆっくりと振り返り、さっきまでの営業を断る会社員とはまるで違う目で俺を見た。
「……君は、どこでその日付を知った?」
声が低い。
俺の心臓が速くなる。
「やっぱり、何か知っているんですね」
「質問しているのは私だ。九月一日という日付を、どこで知った?」
九条と凛へ目を向けると、二人とも表情が変わっていた。
少なくとも、神代征司が何かを知っていることだけは間違いない。
「ここでは話せません。ただ、俺が知っていることを話せば、神代さんが今調べているものの答え合わせができると思います」
「私が何を調べているかまで知っているのか?」
「全部ではありません。ただ、新宿と梅田。それから海外のいくつかの都市で、地下に説明できない異常が出ていませんか」
その瞬間。
神代の顔から、明らかに血の気が引いた。
周囲を確認するように視線を走らせたあと、彼は一度だけ会社の建物を振り返る。
「……場所を変えよう」
◇
連れていかれたのは、会社から少し離れた古い喫茶店だった。
神代征司は店の一番奥にある席を選び、注文もそこそこに鞄からノートパソコンを取り出した。警戒心が消えたわけではない。むしろ俺たち三人を値踏みするような視線は、さっきより鋭くなっている。
「最初に確認する。君たちは行政の人間ではないな?」
「違います。民間企業です。株式会社アーク・フロンティアという、出来たばかりの会社をやっています」
「聞いたことがない」
「でしょうね。出来たばかりなので」
九条が隣で小さく笑ったが、神代はそちらへ目を向けなかった。
「では、どこかの研究機関か?」
「それも違います。信じてもらえないと思いますが、俺は未来の情報を見ることができます」
神代が黙る。
露骨に馬鹿にされたほうが、まだ楽だったかもしれない。
しばらく俺の顔を見たあと、彼は眼鏡を外して眉間を揉んだ。
「未来、か。普通ならこの時点で帰るところだが、君が知っていた日付が問題だな」
「神代さんは、その日付まで分かってたんですか?」
「いや。私が予測していたのは来年の夏から秋にかけてだ。九月一日という具体的な日付までは出せていない」
そう言うと、神代はパソコンをこちらへ向けた。
表示されたのは地図だった。
東京、大阪、そのほか国内の複数地点に赤い印が付いている。
「私は地盤調査が専門だ。地下鉄や地下道路、大型施設の建設前に、地下がどうなっているかを調べる。地震波、電磁探査、ボーリング。方法はいくつもあるが、今年の春頃から妙なデータが混じり始めた」
神代が一つのグラフを開く。
俺には何を表しているのかほとんど分からなかったが、いくつかの線が途中で不自然に途切れている。
「最初は機器の故障だと思った。だが別の機器でも同じ結果が出た。場所を変えても、条件さえ一致すれば同じ現象が起こる。地下数十メートルから数百メートルの範囲に、観測波が正常に返ってこない領域が存在している」
「空洞なんですか?」
凛が地図を見ながら尋ねた。
神代は首を横へ振る。
「空洞なら説明できる。水脈でも鉱床でも、人工構造物でもない。そこに何かがあるはずなのに、測定するたび形が変わるんだ。昨日は幅十二メートルだった領域が、翌日には十四メートルになっている。ところが周辺の地盤には、その規模の変化が起きた痕跡がない」
「つまり、少しずつ大きくなってる?」
「ああ。しかも確実に」
神代が別の資料を開く。
今度は数か月分の観測結果を重ねたものだった。
四月から九月まで、色の付いた領域が月を追うごとに膨らんでいる。
「地下で巨大な空洞が成長しているなら、地表へ影響が出ないはずがない。だが何も起きていない。地盤沈下すらない。だから私は、これは通常の三次元空間では説明できない現象ではないかと考え始めた」
「通常の三次元空間……」
「馬鹿げた話だと思うだろう。しかし、測定値のほうがもっと馬鹿げている。存在していないはずの距離が観測されることがある。深さ八十メートルまでしか掘っていない観測孔から、数百メートル先にあるはずの反射波が返ってくる。それも一度や二度ではない」
俺は返す言葉を失った。
未来掲示板では、ダンジョンは二〇二七年九月一日に突然現れたことになっている。
午前六時。
世界各地で地面が割れ、入口が出現し、そこから魔物が溢れた。
少なくとも、一般人はそう理解していた。
けれど神代征司の観測が正しいなら、違う。
突然現れるのではない。
「もう……出来始めてる?」
俺が呟くと、神代はゆっくり頷いた。
「私はそう考えている。地下に我々の理解できない領域が生まれ、それが成長している。そして、ある大きさを越えた時点で地表と接続する」
地表と接続する。
その言葉を聞いた瞬間、未来掲示板で何度も目にした光景が頭に浮かんだ。
ダンジョン入口。
迷宮。
氾濫。
魔物。
俺たちが「発生日」と呼んでいた日は、ダンジョンが生まれる日ではない。
人類が初めて、その入口を見る日なのかもしれない。
「神代さん。その赤い地点、一つずつ読み上げてもらえますか」
俺はスマホを取り出した。
「何をする気だ?」
「俺が持っている未来の情報と照合します」
神代が最初の場所を告げる。
「東京都新宿区」
「一致します」
「大阪市北区」
「そこもです」
「次は国内じゃない。共同研究先からもらったデータだが、ロンドン中心部」
「一致」
神代の表情が変わる。
「ニューヨーク、マンハッタン」
「一致します」
「北京」
「それも」
そこから先も、未来掲示板に記録されている第一世代迷宮の出現地点と、神代が持つ異常観測地点は重なっていった。
完全な座標までは比べられない。
それでも都市単位では、一つも外れない。
神代は途中から何も言わなくなり、最後の地点を確認し終えると、椅子へ深く背を預けた。
「君の話を信じろというのか」
「俺だって、最初は信じませんでした」
「未来の情報が見える。しかも一年後、今観測されている異常領域が地表へ現れ、君の言う『ダンジョン』になる」
「はい」
「証明できるか?」
俺は少し考えてから、未来掲示板そのものを見せるのではなく、これまでに起きた出来事を話した。
白石凛の事故。
未来では左腕を失っていたこと。
それを事前に知り、結果を変えたこと。
澪の母親の病気。
九条の未来。
まだ世間では価値を知られていない物資や土地。
そして。
「八王子の旧東都ロジスティクスセンターも、未来では日本最大級のダンジョンの入口になる場所です。だから俺たちが先に買いました」
「住所は?」
伝える。
神代の反応は、予想以上だった。
眼鏡をかけ直し、すぐにキーボードを操作する。いくつものフォルダを開き、地図を拡大していった。
「神代さん?」
「少し待ってくれ」
声が硬い。
数分後。
画面へ一枚の地図が表示された。
見覚えがある。
俺たちの倉庫周辺だ。
その中心に、赤い円があった。
「……嘘だろ」
九条が思わず身を乗り出した。
俺も同じ気分だった。
「そこも、調べてたんですか?」
「私が直接調査したわけではない。以前、あの物流センター周辺で地盤改良工事の計画があり、過去の観測データが残っていた。今年七月、そのデータを別件で再解析した際に異常が見つかった」
「七月って、俺たちが買うより前じゃないですか」
「ああ。それどころか、現在確認している国内の異常領域の中でも成長速度がかなり速い」
俺は地図から目を離せなかった。
第八話で買った、潰れかけの物流センター。
未来では日本最大級のダンジョンが現れる場所。
だから先に確保した。
それだけだった。
地下に何かがあるとは思っていたが、それは一年後に現れるものだと勝手に思い込んでいた。
「今、真下にあるんですか?」
「正確には、既存の地下構造として『ある』とは言えない。しかし観測上の異常領域は存在する。君が話している未来が事実なら、それがダンジョンの前段階だと考えるのが一番自然だ」
背中に冷たいものが走った。
俺たちは、世界がダンジョンを知らないうちに、その真上へ会社を作った。
冗談みたいな話だが、未来を知って自分で選んだ場所なので笑えない。
隣から、九条が低い声で呼んだ。
「佐伯。俺、あそこで普通に寝泊まりしてるんだけど」
「大丈夫ですよ。未来では一年後まで出てきませんから」
「今の話を全部聞いたあとで、その説明で安心できると思うか?」
「……すみません」
「今夜から二階で寝る」
「階数の問題なんですか?」
凛が吹き出しそうになり、慌てて顔を逸らした。
神代征司はそんな俺たちをしばらく眺めていたが、やがて少しだけ表情を緩める。
「不思議だな。もっと危険な連中かと思っていた」
「何だと思ってたんですか」
「私の調査を止めに来た人間かと」
その言葉で、空気が変わった。
「止める?」
「会社には報告した。だが再現性の説明ができないデータを正式な調査結果にはできないと言われた。当然だと思う。私自身、立場が逆ならそう判断する。ただ、それでも放置できない」
神代は一度画面を閉じ、鞄の中から紙の地図を取り出した。
赤いペンで印が付いている。
その場所を見た瞬間、俺は息を呑んだ。
未来掲示板に残されていた失踪記録。
神代征司の車が発見されたとされる、横浜市北部の旧共同溝工事区画。
「……九月二十三日」
思わず日付を口にすると、神代の手が止まった。
「何だって?」
九条と凛の視線もこちらへ集まる。
ここまで来た以上、もう隠す意味はない。
「神代さん。この場所へ、九月二十三日に行くつもりですか?」
神代はすぐには答えなかった。
けれど、その沈黙だけで十分だった。
「どうして、それを……」
「未来では、その日にあなたが行方不明になります」
今度こそ、神代征司の表情から完全に余裕が消えた。
「翌日、家族から捜索願が出されます。車だけがこの近くで見つかって、財布と携帯は車内に残っている。あなた自身は見つからない。そのあと少なくとも十年、帰ってきたという記録も未来掲示板にはありません」
「……十年」
「息子さんは、あなたがダンジョンの発生を知っていたと後に話しています。ただ、どうやって知ったのかは未来でも分かっていない。俺は今日まで、あなたも俺と同じように未来を知る何かを持っていたんじゃないかと思っていました」
そこで一度言葉を切り、改めて神代を見る。
「でも違った。あなたは未来を見たんじゃない。今この世界で、まだ誰もダンジョンと呼んでいないものを見つけていたんですね」
神代はしばらく動かなかった。
やがて視線を落とし、紙の地図へ指を置く。
「この共同溝では、他の地点より強い異常が出ている。しかも地下へ入れる経路が残っている。会社には止められたが、私は自分の目で確かめるつもりだった」
「一人で行くつもりだったんですか?」
「ああ。まともな根拠も示せない調査に、部下を付き合わせるわけにはいかないからな」
「それなら、なおさらやめてください」
思ったより強い声が出た。
けれど神代は怒らず、むしろ静かに俺を見返した。
「君の話が本当なら、行けば私は消える。それでも、放置していい問題だとも思えない」
「放置しろとは言ってません。一人で行かないでくださいと言ってるんです」
「では、どうする?」
「うちで調べます」
九条が隣で俺を見る。
凛もだ。
俺自身、口にしてから何を言っているのかと思った。
けれど考えれば考えるほど、それしかなかった。
「アーク・フロンティアには倉庫があります。未来では最大級ダンジョンが現れる場所で、今も異常がある。研究者もいます。情報を拾える人間もいる。資金管理する人も、現場を動かせる人もいる。今ならまだ小さい会社ですけど、ダンジョンを調べる場所としては、たぶん世界で一番条件が揃っています」
「佐伯、お前さりげなく俺も人数に入れてるだろ」
九条が呆れたように口を挟む。
「九条さんは現場担当です」
「聞いてねえぞ」
「今決めました」
「お前はそういうところだぞ」
凛が隣で笑いを堪えている。
神代征司は、そんな俺たちを呆れたように眺めていた。
「君はいつもこうなのか?」
「大体こんな感じです」
凛が俺より先に答えた。
「人の予定まで勝手に増やしますけど、危ないことを一人でやらせるよりはいいと思います。ただ、佐伯さん本人が一番危ないことを勝手にやるので、その辺は信用しすぎないほうがいいです」
「凛、その補足はいらなかったですよね?」
「初対面だからこそ重要だと思います」
今度は神代が小さく笑った。
ほんの少しだけ。
昨日、息子の朔夜が妹と歩いていたときに見せた笑い方と、どことなく似ていた。
その瞬間。
俺は改めて思う。
この人も、一年後にはいなくなる予定だった。
母親が死に、妹が死に、父親はその一年前から消えている。
未来の神代朔夜は、世界一位になる代わりに家族を全部失う。
そんな未来なら。
やっぱり、壊してしまっていい。
「神代さん。もう一つ、お願いがあります」
「まだあるのか」
少し疲れたように言われたが、拒絶する調子ではなかった。
「息子さんと、奥さんと、娘さん。来年九月までに、今の生活圏から避難できる準備をしておいてください」
神代の目が細くなる。
「理由を聞いても?」
「ダンジョン発生日に、横浜で大規模な崩落が起きます。未来では奥さんがそこで亡くなって、娘さんも三日後に助からない」
隠さなかった。
ここまで話したのなら、中途半端に伏せるほうが残酷だ。
神代は何も言わず目を閉じ、長い時間をかけて息を吐いた。
「……朔夜は?」
「生き残ります」
「そうか」
たったそれだけだった。
けれど、テーブルの上で固く握られた手を見れば、何を思っているのかは十分に分かった。
しばらくしてから、神代が静かに口を開く。
「君が知る未来では、息子はそのあとどうなる?」
「世界一位の探索者になります」
「……何の冗談だ」
「俺も最初はそう思いました」
「あいつは自動車整備士になりたいと言っている男だぞ」
「俺も昨日それを知りました」
神代は額へ手を当てた。
九条が耐えきれず笑う。
「安心してください。俺なんか今、世界二位らしいですから」
「君が?」
「そういう顔すんなよ。これでも未来じゃ《炎帝》って呼ばれてるんだぞ」
凛が呆れた顔で九条を見る。
「九条さん、自分で称号まで言うとかなり恥ずかしいですよ」
「お前は世界三位だから余裕あるだけだろ」
「私は少なくとも、自分から未来の称号を名乗ったりはしません」
二人のやり取りを見た神代は、本当に訳が分からないという顔をしていた。
当然だと思う。
今の俺ですら、たまにそう思うのだから。
◇
話し合いが終わったのは、午後十時を過ぎた頃だった。
神代征司は、四日後に予定していた単独調査を中止すると約束した。
その代わり、アーク・フロンティアへ来る。
社員としてではない。
まずは外部技術顧問という形で、神代が持っている異常観測データと、俺の未来掲示板に残されているダンジョン出現記録を照合する。
未来を知る俺。
未来を知らないまま、現在からダンジョンへ辿り着いた神代征司。
二つの情報が合わされば、一年後までに出来ることは今まで考えていたより遥かに多いかもしれない。
店を出る直前。
神代が不意に足を止めた。
「そういえば、一つ確認しておきたい」
「何ですか?」
「君たちが買った八王子の物流センターだが、地下の異常は他の場所とは少し違う」
嫌な言い方だった。
「……どう違うんです?」
「成長速度が速いと言っただろう。それだけではない。昨日届いた最新の観測データで、一度だけ非常に大きな変化が出ている」
俺は無意識にスマホを握った。
「いつですか?」
「九月十八日の午後十一時過ぎだ。ほんの数秒だが、異常領域が地表方向へ急激に伸び、そのあと元へ戻っている。機器の誤作動だと思っていたが、君の話を聞いた今は断言できない」
昨日。
俺たちが会社の初仕事を終えた時間だ。
九条の顔から笑いが消えた。
「佐伯。俺、昨日その時間、倉庫にいたよな?」
「いましたね。というか全員いました」
「それ、今の話を聞いたあとだと全然笑えねえんだけど」
「俺も今初めて聞いたんですよ」
神代がスマートフォンに観測データを表示する。
俺たちの倉庫。
その地下。
一年間、何も起こらないはずだった場所で。
昨日だけ、確かに何かが地上へ向かって動いている。
俺は自分のスマホを開いた。
未来掲示板の検索欄へ文字を打つ。
《八王子 ダンジョン 発生前 異常》
検索結果が表示される。
その中に、これまで見た覚えのないスレッドが一件だけ混ざっていた。
『〖閲覧注意〗アーク本部の地下で、発生日より前に「扉」が開いたって話』
投稿日時は二〇三六年九月十九日。
今日だ。
昨日までは存在していなかった。
俺たちが会社として最初の仕事を終え、神代征司と接触したことで未来が変わったのか。
それとも最初からあった事実を、俺が今まで知らなかっただけなのか。
まだ分からない。
ただ、タイトルに書かれた一語だけは、嫌になるほどはっきり読めた。
《発生日前》。
俺はずっと、一年後だと思っていた。
準備期間は一年ある。
それまでに人を集め、物資を備蓄し、土地を確保して、起きる災害へ備えればいい。
けれど。
もしダンジョンがもう地下に存在していて、今は入口だけが閉じているのだとしたら。
俺たちに残された時間は。
最初から、一年ではなかったのかもしれない。




