第14話 世界一位は、まだ誰にも必要とされていなかった
世界ランキング上位五人。
その全員が、十年後にはアーク・フロンティアへ所属している。
昨夜、未来掲示板でその事実を知ってから、俺はほとんど眠れなかった。
理由は単純だった。
残る三人を探せばいい。
言葉だけなら簡単だ。
けれど、九条や凛のときと同じように、未来の英雄たちは今まだ普通の人間として暮らしている。顔も知らない。現在の住所も分からない。未来では有名でも、ダンジョンが発生していない今は検索したところで名前すらまともに出てこない可能性が高い。
しかも。
その中には、世界一位がいる。
「……本当に、うちへ来るんだよな」
朝六時過ぎ。
誰もいない事務所で、俺はスマホに表示されたランキングをもう一度確認した。
一位から五位まで。
所属は全員。
昨夜見たときと変わっていない。
俺は一位の名前をタップした。
《神代朔夜》
男性。
二〇三六年時点、二十九歳。
探索者ランキング世界第一位。
称号は――《無窮》。
「読めないんだよな、この称号……」
名前は読める。
かみしろ、さくや。
そこまではいい。
問題は、その人物紹介だった。
『現代探索者史上、唯一単独で災害級ダンジョンを完全攻略した人物』
『世界初の深層単独踏破者』
『確認されている単独討伐数、世界最多』
『保有能力の詳細は現在も非公開』
『探索者間では、人類最強と呼ばれる』
九条が世界二位。
凛が世界三位。
その二人より上にいる男。
数字だけ見れば、絶対に確保したい人材だった。
だが、俺が気になったのはそこではない。
プロフィール下部。
経歴欄に妙な空白がある。
二〇二七年。
ダンジョン発生直後に覚醒。
二〇二八年。
国内複数ダンジョンで単独攻略を達成。
二〇二九年。
アーク・フロンティア加入。
その間に何があったのか。
なぜ世界一位になるような人間が、発生後すぐにどこかの組織へ所属せず、二年以上も単独で動いていたのか。
俺は未来掲示板の検索欄へ名前を入力した。
《神代朔夜 アーク加入》
大量のスレッドが出てきた。
その中に。
妙に古いものが一つあった。
『〖昔話〗神代ってアーク入る前どんな感じだったの?』
投稿日は二〇三一年。
世界一位になるより、ずっと前だ。
開く。
『名無しの探索者:2031/05/11 18:04
今の若いの知らんだろうけど、あいつ最初ガチで誰とも組まなかったからな』
『名無しの探索者:2031/05/11 18:05
コミュ障だったの?』
『名無しの探索者:2031/05/11 18:06
違う』
『名無しの探索者:2031/05/11 18:06
家族死んでる』
俺の指が止まった。
『名無しの探索者:2031/05/11 18:07
発生日の横浜崩落事故だろ』
『名無しの探索者:2031/05/11 18:08
母親と妹だったかな』
『名無しの探索者:2031/05/11 18:09
本人だけ助かった』
胸の奥が重くなる。
まただ。
凛の腕。
澪の母親。
未来の英雄には、未来の英雄になる理由がある。
それが才能や努力だけならよかった。
けれど実際は。
失ったから強くなった人間が、あまりにも多い。
俺はさらにスクロールした。
『名無しの探索者:2031/05/11 18:11
正確には妹は発生日じゃない』
『名無しの探索者:2031/05/11 18:11
え?』
『名無しの探索者:2031/05/11 18:12
母親が崩落で死亡』
『名無しの探索者:2031/05/11 18:12
妹は三日後』
『名無しの探索者:2031/05/11 18:13
救助遅れ』
『名無しの探索者:2031/05/11 18:14
避難所から病院へ運べなかった』
俺はそこで画面を閉じた。
見続けるのがきつかった。
ダンジョン発生まで。
あと一年。
未来では、母親が死ぬ。
妹も死ぬ。
そして一人残された男が。
世界最強になる。
「……そんな理由なら」
俺は椅子へ深く座り直した。
「世界一位じゃなくなってもいいだろ」
声に出すと、思った以上に自然だった。
未来が変わって。
神代朔夜が弱くなるかもしれない。
アークへ来なくなるかもしれない。
世界一位ではなくなるかもしれない。
それでも。
家族が助かるなら。
そのほうがいい。
◇
「で、今日は何やらかす気だ?」
午前九時。
九条が事務所へ入ってきて、俺の顔を見るなりそう言った。
「朝一番にそれ聞きます?」
「その顔してるとき、大体何かあるだろ」
「どういう顔ですか」
「未来見て、勝手に責任背負ってる顔」
俺は言葉に詰まった。
この男。
意外とよく見ている。
「……世界一位を探します」
「は?」
九条の表情が変わった。
すぐ後ろから入ってきた凛も足を止める。
「昨日言っていた残り三人のうちですか?」
「そうです」
「名前、分かったんですか?」
「神代朔夜。未来では世界一位。今は十九歳」
九条が眉を上げた。
「十九?」
「俺より下ですね」
「俺の一個下か」
凛も少し驚いたようだった。
当然だ。
未来のランキングを見ていると忘れそうになるが、今の彼らはほとんどが十代から二十代前半だ。
ダンジョン発生後。
たった数年で。
世界の頂点まで駆け上がる。
「それで、どこにいるんだ?」
「横浜です」
「分かったのか?」
「住所まではまだ。でも、未来の記事から今通ってる学校は絞れそうです」
「大学?」
「専門学校です」
「何の?」
「自動車整備」
九条が黙った。
凛も黙った。
数秒後。
「世界一位が?」
「自動車整備士志望です」
「なんでだよ」
「俺に聞かれても」
「何かこう、剣道とか格闘技とかじゃねえの?」
「未来の英雄が全員そういう経歴だったら怖いですよ」
凛が少し笑った。
「でも、佐伯さんが探したい理由は、それだけじゃないですよね?」
鋭い。
俺は二人へ、掲示板で見たことを話した。
神代朔夜の母親。
妹。
ダンジョン発生当日の横浜。
そして、その三日後。
話し終わる頃には、九条の顔から軽さが消えていた。
「助ける気か」
「そのつもりです」
「一年後の話だぞ?」
「だから今から準備できます」
「本人に何て言うんだよ。来年、お前の母親と妹が死ぬから俺の会社来いって?」
「それは完全に不審者ですね」
「完全にじゃなくても不審者だろ」
正しい。
凛が腕を組み、少し考えてから口を開いた。
「まず本人を探すんですよね?」
「はい」
「見つけて、そのあと?」
「……そこから考えます」
「珍しいですね。何も決めてないんですか」
「未来の事故だけなら対策できます。でも、一年後に助けるためだけに今から監視するなんて、それもおかしいでしょう」
正直。
今までより難しかった。
九条には未来の能力が必要だった。
凛は未来で腕を失う危険が目前にあった。
澪も母親の病気という理由があった。
けれど神代朔夜は。
今この瞬間には。
何も困っていない可能性がある。
未来で大きな不幸が起こるからといって。
今の人生へ、こちらの都合で割り込んでいいのか。
「探すだけにします」
俺は言った。
「少なくとも今日は。それ以上は、本人を見てから決めます」
九条が少し笑った。
「まともなこと言うようになったな」
「普段からまともです」
「それはないです」
「凛?」
「すみません」
まったく申し訳なさそうではなかった。
◇
神代朔夜の居場所を割り出したのは、瀬尾だった。
未来掲示板から拾った学校名。
年齢。
居住地域。
過去インタビューの断片。
それらを今の公開情報と照合して。
三時間後。
「たぶん、この人です」
瀬尾が画面をこちらへ向けた。
専門学校の昨年度イベント写真。
自動車整備科。
集合写真の端。
黒髪の青年が立っている。
目立たない。
身長は高めだが。
特別身体が大きいわけでもない。
笑ってもいない。
だからこそ。
未来の写真と同じだった。
目だけが。
「……世界一位」
思わず呟いた。
九条が横から画面を覗き込む。
「こいつが?」
「未来では」
「強そうに見えねえな」
「九条さんも最初見たときそんな感じでしたよ」
「俺は強そうだっただろ」
「夜勤明けの警備員でしたよ」
「見た目じゃ分からないですね」
凛まで参戦する。
「お前ら、俺を何だと思ってんだよ」
未来の世界二位です。
と言いかけてやめた。
「学校は横浜。今日授業あります」
瀬尾が言う。
「行きます?」
俺は少し迷った。
それでも。
「行きます」
未来を見た。
なら。
少なくとも本人を知らずにいることはできなかった。
◇
午後四時。
専門学校の最寄り駅。
俺と九条と凛は、駅近くの小さな喫茶店にいた。
「なんで俺らまで来てんだよ」
「九条さんが来るって言ったんでしょう」
「世界一位の顔見たかっただけだ」
「私もです」
「凛まで」
「未来の一位って気になるじゃないですか」
分からなくはない。
自分たちより上の人間。
しかも同じ組織へ所属する未来がある。
二人にとっては興味があるのだろう。
俺たちは学校の正門が見える席から、出てくる学生を眺めていた。
十分。
二十分。
三十分。
「佐伯」
「はい」
「これ、普通に張り込みじゃねえか?」
「言わないでください」
「警察呼ばれたら何て説明すんだよ」
「未来の世界一位を探してます」
「その時点で終わりだろ」
俺もそう思う。
帰ろうか。
そう考え始めたとき。
凛が窓の外を見たまま言った。
「あの人じゃないですか?」
俺も見る。
専門学校の門から。
一人の青年が出てきた。
黒髪。
やや長め。
身長は百七十五くらい。
リュックを片方の肩へ掛けている。
隣には。
「女の子?」
九条が言う。
小学生くらいの女の子だった。
青年の腕へ抱きつくように歩いている。
写真で見た神代朔夜が。
困ったような顔をしながら。
でも。
少し笑っている。
「妹だ」
俺はすぐに分かった。
未来では死ぬ。
神代の妹。
今。
生きている。
普通に。
笑っている。
『お兄ちゃん遅い』
窓越しで声までは聞こえない。
けれど、口の動きでそんなことを言っているように見えた。
神代が何か返す。
妹が頬を膨らませる。
そのあと。
神代が自販機でジュースを買い。
妹へ渡す。
女の子はすぐ機嫌を直した。
「……普通だな」
九条が小さく言った。
「普通ですね」
凛も答える。
俺は言葉が出なかった。
未来掲示板。
英雄譚。
世界一位。
人類最強。
そんな肩書きを知っているせいで。
勝手に神代朔夜という人間を。
特別な存在として考えていた。
でも。
今はただの十九歳だ。
妹を迎えに来て。
ジュースを買ってやる。
普通の兄だった。
そして。
一年後。
この光景は。
消える。
「佐伯さん」
凛が静かに呼んだ。
俺は無意識に立ち上がっていた。
「行くんですか?」
「……いや」
止まった。
今話しかけて。
何を言う?
未来で妹が死ぬ。
母親も死ぬ。
だから一年後に備えろ。
そんなこと。
言えるわけがない。
それに。
俺は今。
神代本人を助けたいのか。
未来の世界一位を確保したいのか。
自分でも分からなくなっていた。
席へ座り直す。
「今日はやめます」
九条は何も言わなかった。
凛も。
ただ。
三人で。
兄妹が駅へ入っていくのを見送った。
◇
帰りの車。
俺は助手席で未来掲示板を開いていた。
神代朔夜。
家族。
横浜崩落。
救助記録。
どうすれば助けられるか。
調べようとして。
検索欄へ文字を打つ。
そのとき。
新しい候補が出た。
《神代朔夜 母》
《神代朔夜 妹》
《神代朔夜 父》
父?
俺は指を止めた。
未来の記事では。
母親と妹が死んだことしか書かれていなかった。
父親について。
見た記憶がない。
検索する。
出てきたスレッドは。
一件だけ。
『〖未解決〗神代朔夜の父親って結局何者だったの?』
「……何者?」
俺は開いた。
『名無しの探索者:2034/02/08 01:14
これガチで情報ないよな』
『名無しの探索者:2034/02/08 01:15
発生前から行方不明』
『名無しの探索者:2034/02/08 01:16
公式経歴にも載ってない』
『名無しの探索者:2034/02/08 01:17
神代本人が一度だけ言ってる』
『名無しの探索者:2034/02/08 01:18
「父はダンジョンが現れることを知っていた」』
心臓が。
強く鳴った。
「……は?」
運転していた九条が横目で見る。
「どうした?」
俺は答えられない。
さらに下。
『名無しの探索者:2034/02/08 01:20
発生前に失踪』
『名無しの探索者:2034/02/08 01:20
しかも失踪日が』
『名無しの探索者:2034/02/08 01:21
2026年9月』
今月。
俺は思わず日付を見る。
二〇二六年九月十九日。
ダンジョン発生まで。
約一年。
その一年も前に。
世界一位の父親は。
ダンジョンが現れることを知っていた。
そして。
今月。
消える。
「九条さん」
「何だ」
「戻ってください」
「どこへ?」
「横浜」
「はあ?」
凛が後部座席から身を乗り出した。
「何か分かったんですか?」
「神代本人じゃない」
俺はスマホを握る手へ力を込めた。
未来掲示板を知っているのは。
俺だけだと思っていた。
でも。
もし。
そうじゃないなら。
「世界一位の父親が」
画面には。
未来から届いた。
たった一行の証言が残っていた。
「ダンジョン発生を知ってたみたいです」
車内が。
静かになった。
さっきまで。
俺たちは未来の英雄を探していた。
けれど。
もしかすると。
先に探すべき人間は。
別にいる。
俺以外に。
一年前から未来を知っていた人間が。
この世界のどこかにいるかもしれなかった。




