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第12話 未来の金庫番に、半年で潰れると言われました



 久世真琴が働いている銀行へ向かう朝。


 俺は、少しだけ逃げたかった。


「珍しいですね」


 隣を歩く凛が言った。


「何がです?」


「佐伯さん、いつも未来で重要って分かったら、すぐ会いに行くじゃないですか。今日は駅を出てから歩くの遅いです」


「気のせいです」


「嘘ですね」


「なんで分かるんです?」


「顔」


 最近、周囲の人間から観察されることが増えた気がする。


 瀬尾を仲間候補に入れた影響ではないと思いたい。


 今日の同行者は凛だけだった。


 九条は旧物流センターの修繕確認。


 澪は母親の見舞い。


 榊原は実験室。


 瀬尾は夜勤明けで寝ている。


 未来の世界最強ギルド。


 その初期メンバーたちは、まだ全員が別々の生活を持っている。


 当然だ。


 会社はまだ設立準備中。


 ギルドなんて影も形もない。


 それでも、俺たちが動かす金額だけは日に日に大きくなっていた。


 研究費。


 資材購入。


 倉庫賃料。


 法人設立。


 特許関連費用。


 九条の給与。


 これから設備を入れれば、さらに増える。


 そして未来では。


 久世真琴が俺の事業計画書を見た第一声。


『この会社、半年以内に潰れます』


 だったらしい。


「そんなに怖い人なんですか?」


 凛が聞く。


「未来では《鉄の金庫番》」


「強そう」


「お金の人です」


「九条さんより?」


「別方向に」


「じゃあ佐伯さんに必要ですね」


「どういう意味です?」


「止める人が」


 返す言葉がなかった。


     ◇


 久世真琴。


 二十八歳。


 都内の中堅銀行勤務。


 法人営業部所属。


 未来ではアーク・フロンティア最高財務責任者。


 俺が未来掲示板で調べた限り、彼女の強みは単に「金に詳しい」ことではなかった。


 数字から。


 会社の嘘を見る。


 無理な計画を見る。


 人間が口では隠している危険を見る。


 未来掲示板では。


『久世に事業計画見せると三分で死因言われる』


『アークが無茶できたの、久世が無茶できる範囲を計算してたから』


『佐伯のブレーキ兼アクセル』


 などと言われている。


 最後だけ少し意味が分からない。


 止めるだけではなく、行けると判断したときにはむしろ金を突っ込む人らしい。


 そして。


 今はまだ。


 ただの銀行員だ。


「佐伯様ですね」


 応接スペースへ現れた女性は、想像より若く見えた。


 黒いスーツ。


 肩より少し短い髪。


 派手さはない。


 けれど。


 目だけが鋭い。


「久世です。本日は法人設立後の口座開設、それから将来的な融資についてのご相談と伺っています」


「はい。よろしくお願いします」


 名刺を出す。


 まだ今の会社のもの。


 これも、いつまで使うことになるのか分からない。


 久世は俺の名刺と、こちらで用意した資料を順番に確認した。


「株式会社アーク・フロンティア。設立準備中」


「はい」


「主な事業は研究開発、倉庫運営、資材調達、災害対策支援……」


 一度。


 資料から目を上げる。


「随分、幅広いですね」


「よく言われます」


「まだ設立前ですよね?」


「はい」


「なぜ、最初からこれほど複数事業を?」


 来た。


 これを普通に説明するのは難しい。


 一年後にはダンジョンが出るから。


 では頭がおかしい。


「共通して必要になる事業だと考えているからです」


「何に?」


「将来の災害対応と新規エネルギー研究です」


「市場は?」


「まだありません」


 久世のペンが止まった。


「顧客は?」


「まだ」


「商品は?」


「研究段階です」


「売上見込みは?」


「当面ありません」


 久世が黙った。


 凛が隣で俺を見た。


 たぶん。


 俺も今、自分で聞いていて不安になっている。


「では」


 久世は冷静なまま続けた。


「何を根拠に、法人を設立されるんですか?」


「必要になるからです」


「何が?」


「全部」


 久世の目が少し細くなった。


 まずい。


 言い方が悪い。


「すみません。順番に説明します」


「お願いします」


 俺は持ってきた資料を開く。


 旧東都ロジセンターの使用計画。


 榊原の研究概要。


 出願済みの特許三件。


 GX―17の調達。


 倉庫設備を利用した研究・保管・物流体制。


 まだ未来のダンジョンという単語を使わなくても。


 現時点で説明できる材料は増えている。


 久世は。


 驚くほど静かに聞いた。


 質問は少ない。


 でも。


 たまに入る一言が鋭い。


「この特許、いつ収益化します?」


「まだ分かりません」


「倉庫賃料は月額いくらですか?」


 答える。


「研究費の上限は?」


「まだ」


「榊原さんの人件費は?」


「これから決めます」


「九条さんという方は雇用契約?」


「今は業務委託に近い形で」


「保険は?」


「……これから」


 久世のペンが止まった。


 嫌な予感。


「佐伯さん」


「はい」


「資金繰り表は?」


「簡単なものなら」


「見せてください」


 俺は出す。


 未来で重要になるものは知っている。


 でも。


 未来の俺の資金繰り表までは持っていない。


 久世は一分ほど見た。


 二分。


 三分。


 そして。


 顔を上げる。


「この会社」


 来た。


「半年以内に潰れます」


 未来通りだった。


 分かっていても。


 地味に刺さる。


「……やっぱり?」


 思わず聞き返した。


 久世が眉を寄せた。


「やっぱり?」


「あ、いえ」


「誰かにも言われたんですか?」


「未来……じゃなくて、想定してました」


 危なかった。


 凛が横で顔を伏せている。


 笑っている。


 絶対笑っている。


「理由を聞いても?」


「多すぎます」


 即答だった。


「まず、初期投資に対して売上発生時期が不明確です」


「はい」


「研究開発費の上限がない」


「はい」


「倉庫を押さえているのに、具体的な稼働計画が薄い」


「はい」


「人件費見積もりも甘い」


「はい」


「さらに」


 資料を一枚めくる。


「在庫として購入している高純度黒鉛。三百キロ」


「はい」


「なぜ?」


「将来必要になるので」


「誰に売るんですか?」


「売る予定はありません」


 久世の目が止まった。


「三百キロ買って、売らない?」


「研究用です」


「全量?」


「予備も含めて」


「どの研究計画に?」


「将来的なエネルギー伝導技術に」


「現時点で、その必要量を裏付ける実験データは?」


「……ないです」


「では在庫ではなく、ほぼ投機です」


「いや、未来では」


 また口が滑りかけた。


 止める。


「将来的には価値が出ます」


「根拠は?」


「あります」


「資料は?」


「出せません」


 久世が俺を見た。


 何も言わない。


 この沈黙。


 かなり怖い。


「佐伯さん」


「はい」


「御社予定の事業計画は」


 少し間を置く。


「計画ではなく、確信で動いています」


 俺は黙った。


 その通りだ。


「なぜこの土地なのか」


 久世が続ける。


「なぜこの研究なのか」


「なぜこの素材なのか」


「なぜ今なのか」


「全部、理由はある」


「でも説明できない」


 俺は頷いた。


「はい」


「銀行から見ると、最も融資しにくいタイプです」


「ですよね」


「なのに」


 久世は資料へ目を落とす。


「妙なんです」


 俺は顔を上げる。


「何が?」


「普通、こういう会社はもっと雑です」


「十分雑じゃないですか?」


 凛が小さく咳払いした。


 久世は構わず続ける。


「大きな夢を語る割に、足元の取引先すら決まっていない。技術の中身も曖昧。土地も根拠なく選ぶ。そういう計画が多い」


「はい」


「でも、あなたの場合」


 特許資料。


 倉庫。


 黒鉛。


 研究者。


 一つずつ指で示す。


「選んでいるものだけは異常に具体的です」


 俺は息を止めた。


「何を作るか説明できないのに、使う素材は決まっている」


「市場がないのに、市場が出来た後に有利な場所を押さえようとしている」


「収益モデルがないのに、知的財産だけは先に囲っている」


「まるで」


 久世の目が俺へ向く。


「答えだけ知っていて、途中式を知らない人みたいです」


 凛が固まった。


 俺も。


 何も言えなかった。


 この人。


 怖い。


 未来掲示板を見せてすらいないのに。


 かなり近い。


「……すごいですね」


 俺が言うと。


「褒めてません」


「ですよね」


「何か、私に話していない前提がありますね?」


 ある。


 とんでもなく大きいのが。


「あります」


「それは融資審査で開示できますか?」


「できません」


「法令に触れることですか?」


「違います」


「インサイダー情報?」


「違います」


「反社会的なもの?」


「絶対違います」


「なら」


 久世は少し考える。


「別の形で証明してください」


「証明?」


「説明できないなら」


 資料を閉じる。


「結果で」


     ◇


 銀行を出たあと。


 俺は大きく息を吐いた。


「疲れた……」


「佐伯さん」


「はい?」


「たぶん今まで会った人で、一番危なかったです」


 凛が真顔だった。


「何が?」


「未来のこと、一番早く気づきそう」


「俺もそう思います」


 九条はまず信じなかった。


 榊原は実験結果を見てから。


 澪も、凛も。


 未来情報が当たる経験をして、少しずつ信じた。


 久世は違う。


 情報そのものではなく。


 俺の行動から。


 俺が何かを知っていることへ近づいてきた。


「でも、仲間にはならなかったですね」


 凛が言う。


「まだ一か月早いです」


「未来では?」


「はい」


 未来掲示板。


 久世真琴がアークへ入るのは十月。


 銀行内部で起きる事件のあと。


 俺たちとの今日の面談は。


 最初の接点にすぎない。


「じゃあ、今日はこれで終わり?」


「いえ」


「まだ何か?」


「結果で証明しろって言われたでしょう」


 俺はスマホを開く。


 未来掲示板。


『2026年9月 短期 市場』


 検索。


 ただ金を増やすだけなら。


 競馬でも。


 株でも。


 未来情報を使える。


 でも。


 久世に見せるなら。


 もっと意味のある結果がいい。


 今の事業へ繋がるもの。


「何探してるんです?」


「会社の最初の売上です」


「売上?」


「今まで俺たち」


 考えてみれば。


 金を使うばかりだった。


 澪の支援。


 研究。


 資材。


 倉庫。


 特許。


 未来への投資。


 久世が半年で潰れると言うのも当然だ。


「未来で必要になるものを集めるだけじゃ駄目なんです」


「売らないと?」


「今の時代にも価値を出す」


 それが必要だ。


 俺は検索を続けた。


 すると。


 一つ。


 使えそうな未来記事を見つける。


『二〇二六年九月十八日 首都圏物流障害』


 まだダンジョンとは関係ない。


 普通の現代社会の出来事。


 大型台風。


 高速道路の一部通行止め。


 複数の物流拠点で荷物滞留。


 特に医療機器と精密部材の配送が遅れ、企業が混乱する。


 そして。


『このとき無名だったアーク・フロンティアが最初の法人契約を獲得』


 俺の指が止まった。


「……あった」


「何が?」


「初仕事」


 未来では。


 俺たちの最初の売上は。


 ダンジョン関係ではなかった。


 物流。


 今の俺が。


 未来知識なしでも経験を持っている分野。


『旧東都ロジセンターの空き区画を利用し、緊急一時保管と迂回配送を実施』


 さらに。


『佐伯湊の物流経験と、瀬尾拓海による在庫・入出庫管理が高く評価された』


 瀬尾。


 ここで使うのか。


 未来の英雄の力ではない。


 今持っている能力で。


 会社に価値を作る。


「凛」


「はい」


「みんな集めましょう」


「何かするんですか?」


「一週間後」


 俺は未来の台風進路を見る。


 今の天気予報では。


 まだ日本へ直撃する予測は出ていない。


 でも未来では知っている。


 どの道路が止まるか。


 どの地域で配送が詰まるか。


 どんな荷物が困るか。


「うちの会社」


 まだ設立すら終わっていない。


 それでも。


「初めて稼ぎます」


     ◇


 その夜。


 旧物流センターへ全員を集めた。


 九条は床の補修途中。


 榊原はGX―17の試料を持ってきていた。


 澪は病院から。


 瀬尾もいる。


「台風?」


 九条が聞く。


「今の予報だとこっち来なくないか?」


「来ます」


「未来か」


「はい」


 もう九条は驚かない。


 瀬尾だけが少し複雑な顔をしたが。


 彼にも先日の盗難未遂で。


 俺の情報が普通ではないことは伝わっている。


「一週間後、首都圏の物流がかなり乱れます」


 俺はホワイトボードへ地図を貼った。


 未来記事を参考に。


 通行止めになる高速区間。


 浸水する道路。


 停止する物流センター。


 特に混乱する地域。


 ただし。


 未来掲示板の内容を、そのまま写すわけにはいかない。


 今の天気予報。


 道路情報。


 物流網。


 俺の現場知識。


 そこへ未来を重ねる。


「東都さんの八王子センター」


 俺は言う。


「ここは止まりません」


「なんで?」


 瀬尾が聞く。


「浸水リスクが低い。主要道路一本が止まっても、別ルートが二つ残る」


 未来でも。


 このセンターは大きな被害を受けない。


「しかも空き区画がある」


 旧物流センターを押さえた。


 最初は。


 一年後のダンジョンのためだった。


 でも。


 今も使える。


「物流が止まりそうな会社へ、先に営業をかけます」


「何を売るんです?」


 澪。


「緊急保管場所と配送迂回の手配」


「人足は?」


 九条。


「必要なら短期で手配します。そこは俺の今の会社で使ってる業者にも相談する」


「俺は?」


「現場」


「またそれか」


「現場統括」


「よし」


 肩書きに弱い。


「瀬尾は」


 俺は彼を見る。


「在庫管理と入出庫記録」


「俺?」


「得意でしょう」


 瀬尾は少しだけ考えたあと。


「やれます」


「凛は安全管理と作業補助」


「はい」


「澪は無理しなくていいです」


「事務ならできます」


「じゃあ受付と連絡補助」


「分かりました」


 そして。


 榊原。


「研究してください」


「最初からそのつもり」


「会社の初仕事ですよ?」


「物流は専門外」


 一切ぶれない。


 九条が呆れたように笑った。


「こいつだけ未来でも変わらなそうだな」


 たぶん。


 そうだと思う。


     ◇


 準備を始める。


 営業先。


 料金。


 契約方法。


 保険。


 作業体制。


 俺は。


 そこで。


 また壁にぶつかった。


「……値段、いくらにすればいいんだ?」


 未来掲示板には。


 最初の仕事を取ったことは残っている。


 でも。


 細かい見積書まではない。


 未来を見れば。


 何をすればいいかは分かる。


 でも。


 どうやるか。


 全部は教えてくれない。


 俺は机に座り。


 久世から受けた指摘を書き出した。


 原価。


 人件費。


 保険。


 倉庫使用料。


 車両。


 利益。


 そして初めて。


 まともに。


 一件の仕事でいくら残るかを計算した。


 未来で必要になるから。


 ではない。


 今。


 会社として。


 金を稼ぐために。


「……これ」


 やってみると。


 面白かった。


 今まで未来掲示板に答えを聞いていた。


 でも。


 今回は。


 未来がくれたのは。


「一週間後に困る人がいる」


 それだけ。


 その困りごとを。


 今の俺たちがどう解決するか。


 そこは自分たちで作る。


 そして。


 たぶん。


 それこそが。


 この会社が未来で強くなる理由なんだと思った。


 スマホが震えた。


 未来掲示板。


『アーク・フロンティア 初売上』


 記事が。


 まだ変わっていない。


 契約先の会社名も。


 売上額も。


 載っている。


 でも。


 俺は。


 そこを閉じた。


「今回は」


 未来の金額を見るのをやめる。


「自分で取ろう」


 未来の正解より。


 今の俺たちが作った結果を。


 十年後の掲示板へ。


 新しく書かせてみたくなった。


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