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神殺しのフルコース ~少年料理人と修羅の創世食卓~  作者: solune
第4章:聖都ルミナ編

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第98話:立ち上がる理由

一、 忘却の深淵と、目覚める白磁の少女

星の原初マナが毒のように渦巻く、果てしなく深く暗い空間『忘却の深淵』。

教国ルミナの地下数万メートルに存在するこの地獄の底で、少年料理人アルと、新・聖騎士長のセリアは、歩みを続けていた。


「ハァ……ッ……ハァ……ッ」


アルの呼吸は限界まで乱れ、足取りは覚束ない。

マナが枯渇し、胸の『炉』が沈黙した生身の身体で、己の体格と変わらないセリアを支え、さらにエプロンで作った即席のロープで機甲素体オルタを引きずりながら進むのは、想像を絶する苦行だった。

原初マナの熱波が皮膚を焦がし、地下水が冷たく体温を奪っていく。

それでも、アルの漆黒の瞳の奥で輝く【真理の目】は、環境の危険を完璧に見極め、安全なルートを解体し続けていた。


「……アル様、少し休憩しましょう。あなたの身体が持ちません」

セリアが、アルの肩に寄りかかりながら、痛切な声で言った。

彼女自身もマナ回路を破壊された重傷の身であるが、アルの献身的な歩みに心を痛めていた。


「大丈夫……もう少しで、原初マナの流れが落ち着く場所があるんだ。そこで休もう」

アルは、額の血と汗を拭いながら、気丈に微笑んだ。


真理の目が捉えた通り、しばらく進んだ先に、巨大な水晶の岩盤が傘のように突き出し、原初マナの暴風を遮っている安全地帯があった。

アルはセリアを岩陰にそっと座らせ、背負っていたオルタの身体を静かに下ろした。


「ふぅ……。オルタ、大丈夫かな」

アルは、道中で地熱を蓄えた特殊な鉱石を、オルタの胸の刻印(コア)の近くに当て直した。


『――――ピー……。システム・チェック。メインジェネレーター、破損率八十二パーセント。……魔力回路、断線多数。……生存確率、極めて低し……』


無機質な電子音が、暗闇に響く。

セリアが息を呑んで見守る中、オルタのルビー色の瞳が、チカチカと明滅を繰り返した。


『……ですが。……外部からの熱供給により、補助バッテリーの再起動に成功。……視覚センサー、オンライン』


「オルタッ!」

アルが、嬉しさに顔を輝かせて身を乗り出した。


オルタのルビー色の瞳が、ぼんやりと焦点を取り戻し、目の前にいる血と泥にまみれたアルの顔を捉えた。


「……マスター・アル。……それに、セリア殿。……ワタクシは、どうやら完全にスクラップになることは免れたようですね」

オルタの合成音声は所々ノイズが混じり、弱々しかったが、そこには確かな『意識』が宿っていた。


「よかった……! 本当によかった……っ!」

アルは、冷たい白磁の身体をギュッと抱きしめた。


「マスター……アル。あなたの体温が……伝わってきます。ワタクシの冷却ファンが止まっているというのに……胸の奥が、とてもぽかぽかします」

オルタは、破損した右腕をギギギと動かし、不器用な動作でアルの背中にそっと手を回した。


「……使徒との戦闘データは、記録されています。カルム殿、エレナ殿の生命反応(マナシグナル)がロストしていることも。……マスター、彼らは……」


「死んでないよ」

アルは、顔を上げて力強く首を振った。

「カルムもエレナさんも、僕たちが安心してご飯を食べられるように、強くなるために一人で修行に行ったんだ。……僕たちも、絶対に強くなって、またみんなで集まるんだよ」


オルタは、ルビー色の瞳を数回点滅させ、状況を理解したように微かに頷いた。


「……了解しました、マスター。ワタクシの戦闘能力は喪失しましたが、データベースと環境分析によるバックアップは可能です。……最後まで、マスターの『厨房』のお供をいたします」


絶望のどん底にあって、オルタの意識が戻ったことは、アルとセリアにとって何よりも心強い光であった。


二、 空箱の記憶と、折れた包丁の重み

岩陰の安全地帯で、三人は一時的な休息を取った。

アルは、先ほど残しておいた『焦土の泥スープ』の残りをセリアと分け合い、オルタのコアには地熱石を当てて体力を回復させていた。


「……アル様」

スープを飲み終えたセリアが、壁に背を預けたまま、静かに口を開いた。


「はい? どうしたの、セリアさん」

アルは、折れた『黒鉄の包丁の柄』をエプロンの布で拭きながら顔を上げた。


「……あなたはどうして、そこまで心が折れないのですか」

セリアの青い瞳が、アルの泥だらけの顔を真っ直ぐに見つめていた。


「私は……教国で幼い頃から完璧な聖騎士となるべく、過酷な訓練と洗脳を受けてきました。痛みにも、死にも耐える覚悟を持っていたつもりでした。……しかし、あの使徒たちの圧倒的な『理不尽』を前にして、私の心は完全に折れ、すべてを諦めてしまった。自分がゴミのように無価値な存在だと思い知らされたのです」


セリアは、自嘲するように目を伏せた。


「ですが、あなたは違う。マナもなく、包丁も折られ、仲間たちと離れ離れになっても……あなたの瞳の奥の光は、一微塵も消えていない。……あなたをそこまで駆り立てる『理由』とは、一体何なのですか?」


セリアの問いに、アルは少しだけ作業をする手を止め、手の中の折れた包丁の柄を見つめた。


「……僕ね、昔は『空箱』だったんだ」

アルが、ポツリと語り始めた。


「スラム街の、暗くて冷たい路地裏。……親の顔も知らないし、誰も僕のことなんか気にかけてくれなかった。お腹が空いて、寒くて、ただ雨に打たれながら、早く死んじゃえば楽になるのかなって、ずっと膝を抱えて震えてた」


アルの脳裏に、あの絶望的なほどの孤独の記憶が蘇る。


「その時、ある人が僕を拾ってくれたんだ。……泥だらけの僕を抱き上げて、ボロボロの小屋に連れて行ってくれて。そこで、温かいスープを飲ませてくれた」


アルは、目を閉じて、その時の体温を思い出すように胸に手を当てた。


「あの時、凍りついてた僕の身体の芯から、ブワァァァって温かさが広がって……涙が止まらなくなった。……スープが美味しかったのもあるけど、それ以上に、『生きてていいんだ』って言われた気がしたんだ。誰かが自分のために、温かいご飯を作ってくれた。それが、空っぽだった僕の箱に、初めて『心』が入った瞬間だったんだよ」


セリアも、オルタも、静かにアルの言葉に耳を傾けていた。


三、 立ち上がる理由

「だから僕は、料理人になったんだ」

アルは、真っ直ぐな瞳でセリアを見つめ返した。


「冷たくて、暗くて、自分が生きている意味が分からないって泣いている人に……あの時僕がもらった『温かさ』を、今度は僕が分けてあげたい。……美味しいご飯を食べて、みんなで笑って、『明日も生きたい』って思ってもらいたいんだ」


アルの手の中で、折れた黒鉄の包丁の柄が、かすかに温もりを帯びているように感じられた。


「使徒たちは……神様の法則は、それを全部否定する」


アルの声に、静かな、しかし確かな【怒り】と【決意】が宿った。


「悲しみも争いもない代わりに、温かさも、美味しいって笑い合う心も全部奪って、真っ白な氷にしちゃう。……カルムやエレナさん、奈落のみんなが、あんなに必死に生きようとしてたのに、それを『エラー』だなんて言って、ゴミみたいに踏み潰す」


アルは、強く歯を食いしばった。


「それが神様のルールなら……僕は、絶対にそんなルールは認めない」


「アル様……」

セリアが、息を呑む。


「僕が立ち上がる理由は、一つだけだよ。……大好きなみんなと、同じ食卓を囲んで、笑いながら『美味しいね』って言いたい。ただそれだけなんだ」


それは、神を殺すという壮大な使命でもなく、世界を救うという英雄的な野望でもない。

ただ、一人の少年料理人としての、純粋で、どこまでも泥臭く、愛に満ちた【願い】であった。


「その『食卓』を奪おうとする奴がいるなら……相手が神様だろうが、使徒だろうが関係ない。僕の包丁で、その理不尽な法則を全部、綺麗に解体してやるんだ。……力が足りないなら、何度でも泥水をすすって、強くなる。……だって僕は、カルムたちに『待ってる』って約束したんだから」


アルの漆黒の瞳に宿る【修羅の覚悟】。

それは、己の無力さを骨の髄まで噛み締めた上で、大切なものを護るために世界そのものに抗おうとする、人間の根源的な強さであった。


「……敵わないな」

セリアは、アルの言葉を聞いて、憑き物が落ちたようにふっと微笑んだ。


「教国の教律には、何万文字もの複雑な戒律がありました。ですが……あなたの持つ『たった一つの理由』の方が、何千倍も気高く、尊く、そして強いのですね」


セリアは、己の胸に手を当てた。


「私も、あなたのその食卓に……もう一度、座りたい。あの時のように、あなたの作ったスープを飲んで、涙を流して笑い合いたい。……それが、私自身の『立ち上がる理由』です。……アル様、あなたの剣として、この命を捧げます」


「セリアさん……。うん! 絶対に、またみんなでご飯を食べよう!」


『――――ワタクシも、エネルギー補給にはオイルではなく、マスターの特製パイを希望します。……あの甘い体温の味が、最適解と判断します』

オルタもまた、ノイズ混じりの合成音で、彼女なりのユーモアを交えて賛同した。


絶望の深淵で。

武器を折られ、マナを失い、すべてを奪われた残された者たちは、自らが「立ち上がる理由」を言語化し、共有することで、その絆を何よりも強靭な鋼へと鍛え上げていた。


四、 導きの特異点と、古代の残骸

「さて、それじゃあ出発しようか」

アルは、セリアを再び背負おうとし、オルタを繋いだエプロンの縄を握った。


「アル様、私も自分の足で歩きます。まだ戦闘はできませんが、少しは身体が動くようになりました」

セリアが、壁を伝いながら自力で立ち上がった。

「それに、オルタの索具も私が引きます。……あなたは、これからの『調理』のために、少しでも体力を温存してください」


「ありがとう、セリアさん」

アルは無理をせず、セリアの厚意に甘えることにした。


彼らは再び、暗黒と原初マナが荒れ狂う忘却の深淵を歩き始めた。


アルの『真理の目』は、周囲の危険を的確に解体し、安全なルートを導き出し続ける。

そして、彼らが数時間ほど歩き続けた時。


「……あれは……」

アルが、足を止めて前方を指差した。


『――――環境スキャン。……前方五百メートル。異常なマナ密度の収束を検知。……これは、自然発生したマナではありません。人工的な……超高密度の【概念結界】です』

オルタのセンサーが、暗闇の奥に潜む異常を捉えた。


アルたちの目の前に広がっていたのは、ただの岩盤や空洞ではなかった。


深く、静かな地底湖。

原初マナが毒のように渦巻くこの深淵において、その地底湖の周囲だけが、澄み切った清らかな空気に包まれ、神秘的な青白い光を放っていた。


そして、その湖の中心に浮かぶ小島には——。


「遺跡……? いや、あれは……」

セリアが目を凝らす。


そこにあったのは、巨大な黒い石で組み上げられた、古代の神殿のような建造物であった。

だが、通常の神殿とは構造が全く異なる。

巨大な【竈(かまど)】のような形状をした石の台座。上部には煙突のような通気口が地殻の亀裂へと伸びており、周囲には巨大な金属の鎖や、何かの『調理器具』を模したような意匠が施された柱が立ち並んでいた。


「……厨房……?」

アルの口から、無意識のうちにその言葉が漏れた。


その光景は、まさに神話の時代に巨人が使っていたかのような、超巨大な『厨房の遺跡』であった。


「……視える……。あそこから、強烈な【特異点の光】が視えるんだ……」


アルの『真理の目』が、黄金に激しく明滅する。


彼が探していたもの。

神の法則(理不尽)を解体するための最高の包丁を打ち直し、自らの枯渇した『炉』に再び火を灯すための、究極の金属と概念。

それが、あの古代の厨房遺跡の中に眠っているのだと、彼の魂が直感的に理解していた。


「行きましょう、アル様。……あそこに、あなたの求める答えがあるのですね」

セリアが、折れたレイピアの柄を握りしめ、アルの隣に並び立った。


「うん……!」


アルは、胸元の『折れた黒鉄の包丁の柄』をギュッと握り締めた。


(待っててね、カルム、エレナさん。……僕も、ここから反撃を始めるから)


少年料理人アルの、すべてを失った状態からの真の覚醒。

彼が「立ち上がる理由」を胸に刻み込み、自らを真の特異点へと押し上げるための試練が、この星の最深部に眠る古代の厨房にて、いま静かに幕を開けようとしていた。


一方その頃。

アルたちと別れ、別々の道を歩み始めた二人の戦士もまた、己の無力さを噛み締めながら、命を懸けた孤独な試練へと立ち向かおうとしていた。


次なる物語の視点は、折れた聖剣を捨て、己の真の不滅の盾を求めて泥を這う気高き騎士、エレナ・ルミナスの誓いへと移っていく。

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