↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神殺しのフルコース ~少年料理人と修羅の創世食卓~  作者: solune
第4章:聖都ルミナ編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
93/143

第93話:己の無力さとの対峙

一、 焦土の静寂と、繋がれた命の息吹

ボタッ……ボタッ……。


黒く尖った岩肌から滴り落ちる、かすかに温もりを帯びた地下の雫。

それが、崩落した神聖金属の破片にあたって不協和音を奏でていた。


光の届かぬ忘却の深淵。

教国ルミナの地上から何万メートルも下層に位置するその焦土の空洞には、死と敗北の冷気がいまだ濃密に漂っている。


「……ハァ……ハァ……っ」


アルは、血で固まった手足を震わせながら、倒れている仲間たちの傍らに身を横たえていた。

先ほど採集した粘性キノコと発光苔、そして原初岩塩を煮詰めて作った『焦土の泥スープ』。

お世辞にも美味しいとは言えない、苦くて渋いその泥水を口にしたことで、仲間たちの途絶えかけていた命の脈動は、奇跡的に繋ぎ止められていた。


カルムの黒焦げになった胸が、小さく、だが確実に上下している。

エレナの腫れ上がった目蓋の奥で、静かな呼吸の音が聞こえる。

セリアも、オルタも、死の境界線の手前で踏みとどまり、深い眠りの中へと落ちていた。


「……よかった……みんな……生きてる……」


アルは、胸を撫で下ろした。

だが、その安心感は一瞬で去り、代わりに重く、冷たい鉛のような塊が、彼の胸の奥底へと落ち込んでいった。


静寂。

仲間たちの規則正しい呼吸音だけが響く暗闇の中で、アルはひとり、己の両手を見つめた。


血と泥にまみれ、爪は剥がれ、皮膚は裂けて赤黒く腫れ上がっている。

そして、その右手に握られているのは——先ほどの戦いで三使徒の攻撃を受け、刃の半ばから粉々に叩き割られた『黒鉄の包丁の柄』であった。


刃がない。

スラムのゴミ捨て場で拾い、自分で一生懸命に研ぎ澄まし、どんな時も一緒に旅をしてきた相棒。

それが、ただの不格好な鉄屑となって手元に残されている。


「……っ……」


アルの口から、抑えきれないうめき声が漏れた。

指先が激しく震え出す。


生き延びた。

奇跡的に奈落の崩落に巻き込まれ、使徒たちの処刑の手から投げ出されたことで、命だけは助かった。

だが、その生存は自分たちの『勝利』によるものでも、『強さ』によるものでもない。

ただの偶然。ただの死の先送りに過ぎないのだ。


二、 脳裏に焼き付く神威の影

目を閉じれば、あの惨劇の光景が鮮明に蘇ってくる。


第一使徒補佐メリエルの、世界そのものを漂白する冷たい『創世の法典』。

第二使徒エノクの、あらゆる熱と運動を否定する『絶対静止』。

第三使徒バアルの、どんな攻撃も無効化する『概念封殺』。


そして、それらの圧倒的な神威の前に、自分たちがどうなったか。


カルムは、自分の命と全マナを薪にして【全界焦土咆哮】を放った。

己の肉体を炭化させ、寿命を削り、魂のすべてを叩きつけた一撃。

それなのに……使徒たちの防壁をかすり傷程度に削り、数秒で元通りに再生されて終わった。

カルムの命懸けの炎は、届かなかったのだ。


エレナは、己の『星霜の聖剣』が折れるのを覚悟で、全存在をかけた極光の突きを放った。

血を吐き、不滅の盾としての誇りを胸に、アルを護るために前に出た。

それなのに……メリエルの胸元あと数ミリという場所で、剣は砕け散り、反発エネルギーによって彼女の肉体は木っ端微塵に粉砕された。


そして、自分自身はどうだったか。


マナが枯渇し、『炉』が沈黙した中で、それでも諦めずに黒鉄の包丁を振り抜いた。

仲間たちの想いを背負い、神の法則を解体しようと死力を尽くした。

だが、結果は——包丁を折られ、壁に叩きつけられ、エノクの靴底に頭を踏み付けられて、ただ血の海でのたうち回ることしかできなかった。


「……あぁ……っ……ああぁぁぁ……っ!」


アルは、両手で顔を覆い、血の混ざった涙をボロボロと流した。


悔しい。

悔しくて、悔しくて、胸が張り裂けそうだった。


敗北の味は、口の中に残る泥の味よりも苦く、不快で、惨めだった。

自分たちがどれほど『仲間』を信じようと。

どれほど『覚悟』を決めて命を燃やそうと。

相手の絶対的な『火力』と『法則(理不尽)』の前には、ただの虫けらの足掻きに過ぎなかったという現実。


「僕が……僕が弱かったからだ……っ!」


アルの唇から、血の滲むような吐露がこぼれ落ちる。


「僕が……もっと強い炎を出せていたら……僕の包丁が、神様の法則を切り裂くくらい凄かったら……カルムも、エレナさんも……こんな酷い目に遭わずに済んだのに……っ!」


自責の念が、鋭い刃となってアルの心を苛む。


これまでの旅で、アルは自分の『炉』の熱と包丁の技に、どこかで自信を持っていた。

海神の呪いを解き、第一使徒ガラテアを退けたことで、自分たちの絆と料理の力があれば、どんな冷たい世界だって温められると信じていたのだ。


だが、それは単なる『井の中の蛙』に過ぎなかった。

本物の神の代行者——世界の法則そのものを管理する使徒たちの前では、自分たちの力など、芽吹いたばかりの弱々しい雑草と同じだった。


力不足。圧倒的な、力不足。


どれほど情熱があろうと、どれほど包丁を振るう理由が正しかろうと、相手の防壁を打ち破る『火力』がなければ、大切な人を一人すら救うことはできない。

その冷酷すぎる現実が、アルという少年料理人の自尊心を、完全に打ち砕いていた。


三、 泥水に映る己の素顔

アルは、這いつくばったまま、近くの小さな水溜まりを覗き込んだ。

黒い岩の凹みに溜まった、かすかに発光する地下水。


そこに映っていたのは、血と泥で汚れ、髪は乱れ、目元には濃い隈が落ち、唇を悲痛に歪ませた一人の惨めな少年の顔であった。


「……スラムの時と……何も変わってない……」


アルは、水面に映る自分の顔を見つめながら、ポツリと呟いた。


教国のスラム街。

ゴミ捨て場の影で、雨に打たれながら一人で震えていたあの頃。

お腹が空いても何も食べられず、寒くて、ただ死を待つしかなかった、あの無力な子供。


恩人に拾われ、包丁を握り、カルムたちという最高の仲間に出会えて、自分は少しは「強い人間」になれたのだと思っていた。

自分はもう、あのゴミ捨て場で震えていた哀れな子供ではないのだと、どこかで思い上がっていた。


だが、違った。


剥ぎ取られてみれば、自分は何も持っていない、ただの『空箱』だったのだ。

魔力(マナ)もない。戦う剣技もない。

ただの包丁を持っただけの、弱くて小さな子供。


「使徒の言う通りだ……。僕は……何も救えてない……」


メリエルの冷たい声が、脳裏でリフレインする。

『あなたの放つ熱は、人々に無駄な希望を持たせ、より深い絶望へと引きずり下ろす』


エノクの嘲笑が、耳の奥で響く。

『あなたが余計なことをしなければ、彼らは平穏に静止できたのです』


自分が「温かい食卓を作りたい」と願ったから。

自分がみんなを巻き込んで、教国の神座の塔へ潜入したから。

だから、エレナは愛剣を折られ、カルムは右腕を失い、奈落の人々は再び氷漬けにされたのだ。


自分が、みんなを絶望へ引きずり降ろした『元凶』なんじゃないか。


「……うぁぁぁぁぁっ……!」


アルは、石畳に何度も拳を叩きつけた。

爪が剥がれ、血が水溜まりに散り、自分の情けなさに嗚咽が止まらない。


包丁は折れた。

マナ(熱)を生み出す『炉』は空っぽだ。

仲間の傷を治す薬も、使徒に立ち向かう術も、ここには何一つ存在しない。


このまま、この暗闇の深淵で、みんなで静かに消えていくのが、世界にとって一番正しい選択なのではないか。

自分がこれ以上足掻いても、仲間たちをさらに傷つけるだけなのではないか。


深体的な疲労と、精神的な敗北感が、アルの心を真っ黒な泥の中へと引きずり込んでいく。

料理人としての誇りも、仲間を救いたいという誓いも、圧倒的な『無力さ』の前に、指の間からこぼれ落ちる砂のように消え去ろうとしていた。


四、 折れた柄に宿る、かすかな温度

どれほどの時間が流れただろうか。


涙も枯れ、声も出なくなり、アルが水溜まりの前で膝を抱えて硬直していた、その時。


コトリ……。


アルの膝の上で、握り締められていたものが、微かな音を立てた。


『黒鉄の包丁の柄』。


刃を失い、半ばから無惨に打ち砕かれた、ただの鉄と木の破片。


アルは、無意識のうちに、その折れた柄を自分の胸元へと引き寄せた。


(……ごめんね……)


アルは、折れた包丁に心の中で語りかけた。


(僕が弱かったから……君を守ってあげられなかった。君の刃を……折らせちゃった……)


スラムのゴミ捨て場でこの包丁を見つけた日。

錆だらけで、誰も見向きもしなかった鉄の塊。

それを、アルは毎日毎日、自分の手で研ぎ続け、命を吹き込んできたのだ。


その包丁の柄から——。


じわ……っ。


信じられない感触が、アルの手のひらへと伝わってきた。


冷たいはずの不格好な鉄の破片。

刃を失い、ただのゴミと化していたはずのその柄から。

本当にかすかな、だが絶対に気のせいではない【温もり】が、アルの手のひらへ、そして彼の凍え切った腕を通して、胸の奥底へと染み込んできたのだ。


「……え……?」


アルは、息を呑んで折れた柄を見つめた。


それは、アルの『炉』が放ったマナの熱ではない。

アルがこれまでの旅で、この包丁を握り締め、何千回、何万回と料理を作り続けてきたことによって、包丁の素材そのものに染み込んでいた【命の温度】。


カルムのために、肉を切り分けた時の熱。

エレナのために、スープの食材を刻んだ時の熱。

オルタのために、花丸のパイを焼いた時の熱。

ガレアの街で、スラムの人々に温かいご飯を配った時の熱。


アルが料理人として積み重ねてきた『誰かを愛し、誰かを温めたい』という想いそのものが、包丁の柄の中に、小さな灯火となって残り続けていたのだ。


「包丁……僕の……包丁……」


アルの目から、再び涙が溢れ出した。

だが、今度の涙は、先ほどまでの惨めな自責の涙ではなかった。


包丁は、折れてもなお、自分を温めてくれていた。

「お前は料理人だろ」と、「諦めるな」と、その小さな柄が黙ってアルの手を握り返してくれていたのだ。


五、 絶望の底で研ぎ澄まされる修羅の目

(……そうだよ)


アルは、折れた柄を、両手で強く、強く抱きしめた。


(包丁は……折れたかもしれない。でも……僕が料理人だってことは……絶対に折れないッ!)


アルの脳裏に、仲間たちの姿が巡る。


『お前のスープは世界一だぜ、シェフ!』と、豪快に八重歯を見せて笑ってくれたカルム。

『君の作る食卓が、私の一番の誇りだ』と、優しく微笑んでくれたエレナ。

『アルのご飯を食べると、ワタクシの心がぽかぽかするのです』と、目を細めてくれたオルタ。


彼らは、アルが「強い魔法使い」だから一緒にいてくれたわけじゃない。

アルが作ったスープが美味しくて、アルの届ける食卓が温かかったから、仲間になってくれたのだ。


力が足りなかった?

火力で負けた?

神の法則に跳ね返された?


だったら——。


「……強くなればいい」


アルの口から、低く、静かな声が漏れた。


「僕の火力が足りないなら……神様の壁をぶち破れるくらい、凄まじい火力を手に入れればいい。僕の包丁が折れるなら……神様の法則(理不尽)そのものを綺麗に切り解体できるくらい、最高の包丁を作ればいいんだ……ッ!」


逃げるのは、もうやめだ。

自責の念に囚われて、うじうじ泣くのも終わりだ。


自分は、無力だった。完膚なきまでに負けた。

その惨めな現実を、アルは泥と一緒にすべて飲み込んだ。


負けたからこそ、解ったことがある。

自分たちに何が足りないのか。神という理不尽に打ち勝つために、何が必要なのか。


「僕は……諦めない」


アルは、血塗れの顔を上げた。


彼の漆黒の瞳。

血と涙で汚れ、絶望の泥に染まっていたその両瞳に。

かつての優しさだけでなく、己の無力さを噛み締めた者だけが宿すことのできる、どこまでも深く、鋭く、研ぎ澄まされた【修羅の覚悟】が宿っていた。


【真理の目】が、静かに、黄金の光を帯びて瞳の奥底で再始動する。


視える。

暗闇の深淵の奥。

地下の底から吹き出す原初マナの脈動と、この焦土に眠る古代の鉱石の性質が。


「カルム……エレナさん……待っててね」


アルは、折れた包丁の柄を、自らの胸のエプロンの内側へと大切に仕舞い込んだ。


「僕が……絶対に、最高の料理を作って……みんなを世界で一番強くしてみせるからッ!」


己の無力さと真っ向から対峙し、敗北の泥を舐めた少年料理人は。

絶望のどん底において、二度と折れることのない真の『特異点』として、その魂を研ぎ澄まし始めた。


だが、彼らの反撃は、アル一人だけで完成するものではない。

倒れている相棒カルム。己の全生命力を燃やし尽くし、右腕を炭化させ、炎の限界を突きつけられた男。

彼がこの敗北からどのようにして立ち上がり、自らの『火』を新たなる境界へと昇華させるのか。


焦土の暗闇の中で、次なる覚悟の物語が、静かに鼓動を打ち始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最後までお読みいただきありがとうございます。 もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、作品ページや各話下部にある【ブックマーク追加】や評価(★マーク)をいただけますと、今後の執筆の大きな励みになります!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。