第77話:新・聖女の仮面
一、 奈落の静寂とスープの奇跡
光の届かぬ暗黒の底、地下収容施設――通称「奈落」。
腐臭と諦念に満ちていたその死の空間に、かすかな、だが確かな【命の熱】が充満していた。
アルが振るった一振りの包丁と、海竜より授かりし『海神の涙塩』がもたらした奇跡。
極限の飢餓と憎悪によって正気を失いかけていた何百人もの不適合者たちは、アルが配ったスープを一口啜るごとに、人間としての尊厳と正気を取り戻し、すすり泣きながら互いの肩を抱き合っていた。
「う美味い……こんなに温かいものを食べたのは、何年ぶりだろうか……」
「お腹の底が……ポカポカする。心が、生きてる……!」
アルは、額の汗と血を拭い、空になった小さな水筒を愛おしそうに抱え直した。
「みんな、スープは少しずつ飲んでね。焦っちゃダメだよ」
その背後で、かつての罪悪感と過去のトラウマを完全に乗り越えたエレナが、静かに歩み寄ってきた。
彼女の白磁の甲冑は傷つき、白銀の髪は乱れていたが、その青い瞳からはかつての迷いや自己嫌悪の陰りは綺麗に消え去っていた。そこにあるのは、自らが犯した過去の罪を受け入れ、それでもアルの作る『温かな食卓』を守り抜くという、不滅の騎士としての凛とした気高さであった。
「アル殿……背中の傷は大丈夫か?」
「うん、エレナさんの結界が微かに護ってくれたから、たいしたことないよ!」
アルは元気に笑ってみせたが、その表情はすぐに硬くなった。
二人の視線が落ちた先――瓦礫の山の上に横たわる、相棒カルムの姿。
カルムの全身は、自身の命を薪にして燃やした『滅びの炎』によって黒く焦げ付き、さらにエノクの指先から放たれた『絶対静止』の神威によって、心臓の奥底まで青白い氷の棘で貫かれていた。
オルタが止血と仮死状態の維持シークエンスを行っているものの、ピクリとも動かない。
「カルム……待っててね。僕が絶対に、君の心の氷を溶かす『最高のスープ』を作ってあげるから」
アルがカルムの黒焦げの手を握り締めた、その時。
『――――警告ッ!! 奈落の上層部より、超高密度の神聖マナの降行を検知!……エノクではありません。……この波形はッ!――――』
オルタのルビー色の瞳が、再び激しく明滅し、奈落の天井を指差した。
天井の崩落跡――遥か頭上の暗闇から、カツン、カツンと、あまりにも美しく、規則正しいヒールの足音が響き渡ってきたのだ。
二、 降り立つ狂信、偽りの聖女
「あらあら……まあまあ。あのような死のゴミ捨て場に落とされたというのに、虫のように這いずり回り、あまつさえ薄汚いノイズ(感情)を感染させているなんて……」
鈴の転がるような、透き通った甘い声。
だが、その声には一切の温度がなく、聞く者の鼓膜を冷たく麻痺させるような不気味な響きが混ざっていた。
光の届かない奈落の空間に、一筋の純白の神聖光が降り注ぐ。
その光の柱の中を、ゆっくりと浮遊しながら降下してきたのは――先ほど旧地下水路でエレナに破れ、気絶したはずの新・聖騎士長セリア……ではなかった。
「な……ッ!?」
エレナが、息を呑んで絶句した。
舞い降りたのは、純白と黄金で彩られた、あまりにも豪奢で神々しい法衣を纏った一人の少女であった。
年頃はアルより少し上、十五、六歳ほど。絶世の美貌を持ち、その背中には、教国の純血の証である【神聖光環】が、まるで後光のように眩しく輝いている。
しかし、彼女の顔の上半身は、複雑なルーン文字が刻まれた【白磁の仮面】によって固く覆い隠されていた。
仮面の目の部分からは、感情を一切感じさせない、冷たい黄金の光だけが怪しく明滅している。
「……セリアではない。……お前は、誰だッ!」
エレナが、アルを背中に庇い、聖剣『星霜』を構えた。
仮面の少女は、優雅に着地すると、まるで歌うような声で両手を広げた。
「お初にお目にかかります、元・聖騎士長エレナ先輩。……セリアは、使徒エノク様の手により、役立たずの廃品として既に処理されました」
「なに……!? セリアを、処分しただと!?」
「ええ。神の教## 第77話:新・聖女の仮面
純白の玉座と死の香気
聖都アルティナの中心に燦然とそびえ立つ、中央大聖堂『光の天蓋』。
その最奥に位置する謁見の間は、幾重もの壮麗なステンドグラスから差し込む七色の光で満たされていた。高天窓から降り注ぐ光の粒子は、まるで神の祝福が可視化されたかのように空気中を漂い、床一面に敷き詰められた白銀の絨毯を美しく照らし出している。
しかし、その神聖極まりない空間を満たしている香気は、可憐な百合の花の香りだけではなかった。
微かに、だが確実に漂う、焦げ付いた肉と血の鉄臭さ。
そして、それを強引に押し込めようとする高級な香炉の煙。
「——神は、すべてをお許しになります」
鈴を転がすような、あまりにも透き通った少女の声が、大理石の回廊に静かに響き渡った。
高壇の上に設置された純白の玉座。
そこに深く腰掛け、黄金の刺繍が施された純白の聖衣を纏った少女——それこそが、前聖女エレナの電撃的な失脚と処罰に伴い、教会本庁が新たなる『神の威光』として擁立した新・聖女、セラフィナであった。
歳は十五、あるいは十六ほどだろうか。
夜空の月をそのまま溶かし込んだかのような銀糸の髪と、吸い込まれそうなほどに澄み渡った瑠璃色の瞳。その造形は、まるで神の工房で最高峰の職人が丹精込めて削り出した彫像のように完璧であった。
傷一つない陶器のような肌、小さく結ばれた薄桃色の唇。誰が見ても「天界から降臨した天使」と錯覚するほどの可憐さを誇っている。
だが、その脚元にひれ伏す男たち——教会を実質的に統括する枢機卿や異端審問官たち——の背中には、氷を押し当てられたかのような凄まじい冷汗が伝っていた。
「……セラフィナ様。エレナ前聖女の派閥に属していた聖騎士団第二隊の残党、ならびに彼らに内通していた下級司祭ら三十二名の処分が完了いたしました」
重々しい鉄の甲冑を鳴らし、膝をついて報告を行ったのは、異端審問官の頭領であるマルクスであった。
かつては「酷吏」と恐れられ、数々の異端者を容赦なく拷問・処刑してきた冷血漢である彼ですら、今の声には微妙な震えが含まれていた。
「三十二名、ですか」
セラフィナはゆっくりと首を傾げた。
その仕草はあまりにも可憐で、まるで野に咲く花を愛でる少女のようだった。
彼女は胸元で抱えていたロザリオを小さく撫でながら、心底哀しそうな、そしてどこか慈愛に満ちた溜息を漏らす。
「まあ……なんという惨めな魂でしょう。前聖女エレナという『偽りの光』に惑わされ、不純な欲に身をやつし、至高なる神の教えを汚してしまったのですね。救いがたい、本当にお気の毒な人々です」
「はっ……彼らは反省の色を見せるどころか、教皇庁の決定に不服を申し立てておりましたため、異端審問規約に基づき『火刑』に処しました。焦熱の炎をもって、その罪を炙り出させた次第です」
マルクスが淡々と告げる。
謁見の間の外から漂ってくる嫌な匂いの正体は、それだった。大聖堂の前庭で、つい先ほどまで行われていた粛清の煙が、風に乗ってここまで届いていたのだ。
普通であれば、どのような権力者であれ、あるいは敬虔な聖職者であれ、同胞が焼かれる匂いと断末魔の記憶には不快感を示す。前任者のエレナでさえ、自身の権力を誇示するために処刑を利用しつつも、裏ではその残虐性に顔を顰めるような「人間らしい打算と嫌悪」を持っていた。
しかし、セラフィナの反応はまったく異なっていた。
「ふふ……炎、ですか。素晴らしいですね」
セラフィナはうっとりと瞳を細め、胸の前で両手を組み合わせた。
「炎はすべてを等しく白熱させ、灰へと還します。肉体の苦痛を通して、彼らの穢れた魂も少しは神の御元へと近づけたことでしょう。マルクス卿、あなた方は素晴らしいお仕事をなさったわ。神もきっと、彼らの『浄化』をお喜びになっているはずです」
「……は、ははっ。恐悦至極に存じます」
マルクスは深く頭を下げたが、その額からはだらだらと冷や汗が吹き出していた。
セラフィナの言葉には、意地悪さも、残虐性を楽しむようなサディズムも一切含まれていない。
彼女は心から、真底から「人が炎で焼かれて死ぬこと」を「魂の救済」だと信じ込んでいるのだ。
狂気——という言葉すら生ぬるい。彼女にとって、この世界のあらゆる生としとしけるものは、神の光によって浄化されるための「不完全な器」に過ぎないのだった。
慈愛という名の断罪
「さて、枢機卿閣下」
セラフィナの視線が、高壇の脇に立っていた老政治家、ヴァルター枢機卿へと向けられた。
ヴァルターは教会内の権力闘争を生き抜いてきた百戦錬磨の狸であり、扱いづらくなったエレナを切り捨て、このセラフィナを新たな教会の「象徴」として担ぎ上げた張本人であった。
聖女というアイコンは、民衆を統率し、自らの派閥の正当性を証明するために不可欠だ。
エレナは自尊心が高く扱いづらい女だったが、物欲や承認欲求という「分かりやすい弱点」があったため、裏からコントロールすることは容易だった。
しかし——ヴァルターは今、自らが手繰り寄せた糸の先にある存在に対して、底知れぬ恐怖を抱き始めていた。
「は、はい。セラフィナ様、何でしょうか」
ヴァルターは努めて穏やかな、威厳ある笑みを貼り直して一歩前へ出た。
「エレナという『病』は取り除かれました。ですが、まだこの世界には、神の光を遮る巨大な影が残っておりますね?」
「……と、申しますと?」
セラフィナはすっと立ち上がった。
小柄な体躯でありながら、彼女が動きを見せた瞬間、謁見の間全体の空気がぎしりと軋むような圧迫感に包まれた。
彼女が軽く右手を掲げると、その掌の上に、目も眩むような純白の光球が出現した。
魔法の詠唱も、陣の展開すらない。ただ神の威光をその身に宿す者として、当然のように高密度の聖属性魔力を現出させている。その光はあまりにも眩しく、あまりにも過剰で、周囲の空間の魔力濃度を異常なまでに跳ね上げていた。
「東方の開拓領……そして、そこに巣食う異端の者たちです」
セラフィナは、まるで絵本の中の悪魔を指差すかのように、愛くるしい笑みを浮かべたまま語り出す。
「前聖女エレナは愚かでした。神から賜った聖女の力を私利私欲のために使い、あまつさえ異端の者——神の秩序を乱す者たちとの戦いに敗れ、教会の権威を失墜させました。彼女の罪は、死をもってしても贖いきれるものではありません」
「ええ、まさにその通りでございます。故にこそ、セラフィナ様のご神徳をもって、失われた教会の権威を取り戻さねばなりません」
ヴァルターは調子を合わせて頷いた。
彼らのシナリオでは、新聖女セラフィナを「エレナの過ちを正す奇跡の聖女」として大々的に売り出し、東方領土への再遠征を名目に民衆から多額の「特別税(贖宥状)」を巻き上げるはずだった。
戦果など適当でいい。重要なのは、教会が再び強大な力を持っていると周囲に知らしめ、求心力を取り戻すことだったのだ。
しかし、セラフィナの思い描く「シナリオ」は、ヴァルターたちの浅薄な政治的企みなどを遥かに超絶していた。
「取り戻す? いいえ、枢機卿。そのような矮小な話ではありません」
セラフィナは首を横に振った。
瑠璃色の瞳に、爛々と輝く怪しい光が宿る。
「奪われた名誉などというものは、人間のちっぽけなプライドに過ぎません。私がなすべきは、神の悲しみを拭い去ることです。あの方々は……神の創り出したこの美しい世界において、神を拒み、己の力と異端の知恵で生きようとしています。……ああ、なんて可哀想なのでしょう! 神の愛を知らぬまま生きるなど、それは生きているとは言えません。ただの『動く屍』です」
彼女は自身の胸に両手を当て、感極まったように瞳を潤ませた。
「だからこそ、私が参ります。この手で、あの哀れな異端者たちを、一人残らず『解放』してさしあげるのです」
「……解、放……と、おっしゃいますと?」
ヴァルターの背筋に冷たいものが走った。
「決まっているではありませんか。この不完全で、苦しみに満ちた肉体と世界から解き放ち、神の絶対なる光の領域へと引き上げて差し上げるのです。……つまり、全員を殺し、その魂を神にお捧げするのです」
彼女は「おはようございます」と挨拶でもするかのような軽やかさで、万人規模の殺戮を宣言した。
「……ッ!?」
マルクス審問官が息を呑み、ヴァルター枢機卿の顔から血の気が引いた。
「セ、セラフィナ様……! 東方領には数万の民が暮らしております! 中には教会の庇護を求める敬虔な信徒も……」
「まあ、ヴァルター閣下」
セラフィナはクスクスと可愛らしく笑い、老枢機卿の言葉を遮った。
「信徒であればなおのこと、早く神の御元へ行けるのですから幸いではありませんか? 異端の地に留まり、悪徳の空気を吸い続けることは、それだけで魂の汚濁です。彼らもきっと、私の手によって浄化されることを望んでいるはずですわ。……それとも、閣下は神の救済を『殺戮』などという醜い言葉で否定なさるおつもりですか?」
「あ……いや、そのような滅相もございません! ただ、軍事的な準備や、周辺諸侯との調整が……」
「関係ありません」
セラフィナの声から、一瞬にして温度が消えた。
あまりの落差に、ヴァルターの言葉が凍りつく。
「神の御意志に、人間の都合などという雑音が介入する余地はありません。聖騎士団を動かしなさい。異端審問官を全員招集しなさい。拒む者は……ふふ、この大聖堂の前庭で、次の『炎の舞』を踊っていただくことになりますけれど」
セラフィナの背後に、巨大な純白の光の翼が幻視された。
それは温かな祝福の光などではなく、接触したすべての物質を原子レベルで消滅させる、苛烈極まる破壊のエネルギーの余波であった。
大理石の床にサラサラと亀裂が走り、結晶化していく。
ヴァルターもマルクスも、悟ってしまった。
自分たちは、エレナという扱いやすい「小悪党」を捨てた結果、言葉の通じない「本物の怪物」を解き放ってしまったのだと。
崩れた均衡と新たな教義
謁見が終わると、ヴァルター枢機卿はフラフラとした足取りで聖堂の廊下を歩いていた。
豪華な赤絨毯を踏みしめる足が重い。額の汗を絹のハンカチで何度も拭うが、一向に不快な冷や汗は引かなかった。
「……恐ろしい。あれは聖女などではない……『神という名の狂気』そのものだ……」
誰もいない回廊の影で、ヴァルターは震える声で呟いた。
前聖女エレナは、野心家であった。
欲望に忠実で、地位と権力を愛し、贅沢を好んだ。だからこそ、彼女をコントロールするのは容易だった。金を与え、贅沢をさせ、彼女の誇りを満足させてやれば、教会の意のままに動く「客寄せパンダ」として機能していたのだ。
主人公(異端とされる存在)との戦いに敗れ、失態を犯した際も、彼女は必死に言い訳をし、保身に走った。それは「人間」として極めて理解しやすい行動だった。
しかし、セラフィナは違う。
彼女には欲望がない。金も、権力も、贅沢も、美味な食事すらどうでもいいのだ。
彼女の行動原理はただ一つ。「世界のすべてを神の光で塗りつぶすこと」。
そのためなら、どれほど大量の血が流れようが、自らの身が滅びようが、まったく痛痒を感じない。
自分が正義だと100%信じ切っている狂信者。説得も妥協も不可能な、対話不能の存在。
そこへ、暗がりから異端審問官頭領のマルクスが姿を現した。
その顔もまた、死人のように蒼白であった。
「……ヴァルター閣下。大変なことになりました」
「マルクスか……。セラフィナ様の言動を見たか。あれは正気ではない」
「正気か否かなど問題ではありません。問題は、彼女の『神力』が本物だということです」
マルクスは苦々しく吐き捨てた。
「エレナ前聖女の聖属性魔力も歴代最高峰と謳われていましたが、セラフィナ様のそれは別次元です。先ほど、裏で彼女の過激な方針に異議を唱えた第5級審問官がおりました。……彼女はただ、彼の額に優しく手を触れ、『神の祝福を』と微笑んだだけです」
「……どうなった?」
「その審問官は……叫ぶ間もなく、内側から白光に包まれ、一瞬で純白の灰へと変わりました。苦痛すら感じる暇もなかったでしょう。残されたのは、衣服と……彼が所持していたロザリオだけです」
「ヒッ……!?」
ヴァルターは短い悲鳴を上げ、口元を押さえた。
「呪文の詠唱も、魔力の予兆すら無かった。あれは魔法ではありません。『権能』です。彼女自身が神の奇跡そのものと化している。我々がいくら裏から糸を引こうとしても、彼女が『不純』と判断すれば、我々など一瞬で灰にされる……!」
マルクスの言葉は、冷酷な現実を突きつけていた。
教会の権力者たちは、民衆の不満を逸らし、失墜した求心力を回復させるための「お飾り」としてセラフィナを担ぎ上げたはずだった。
しかし、現れたのはお飾りなどではなく、自らの教義に従ってすべてを破壊し兼ねない「神の暴走兵器」だったのだ。
「どうするのだ……! このまま東方領へ進軍させれば、主人公たちの軍勢と全面衝突になる! もし敗北すれば、今度こそ教会の権威は完全に失墜するぞ! いや、それどころか勝ったとしても、あの聖女は東方の民を皆殺しにする気だ! それでは統治など不可能になる!」
「止める術はありませんよ、閣下」
マルクスは自虐的な笑みを浮かべた。
「彼女を止めようとすれば、我々が最初に『浄化』されるだけです。……我々にできるのは、あの狂聖女の進む道に立ち塞がる哀れな犠牲者たちのために、せいぜい祈りを捧げることぐらいですな」
神の意志の行く先
一方、大聖堂のバルコニー。
聖都を一望できるその高所において、セラフィナは一人、風に銀髪をなびかせて立ち尽くしていた。
眼下に広がるのは、何万人もの人々が暮らす美しい街並み。
活気に満ちた市場、行き交う人々、遊ぶ子供たちの笑い声。
それらは一見すると平和で、幸福に満ちた光景に見えた。
しかし、セラフィナの瑠璃色の瞳には、それらはまったく異なった姿で映っていた。
「……ああ、汚れているわ」
彼女はぽつりと呟いた。
「人々はパンのために争い、欲望のために嘘をつき、肉体の快楽に溺れている。こんなにも不完全で、こんなにも醜い。神様、なぜあなたはこれほどまでに浅ましい生き物をお造りになったのでしょう?」
彼女は胸元でぎゅっとロザリオを握り締めた。
「ですが、ご安心ください。神様。私がすべてを正してみせます」
セラフィナの脳裏に、先日もたらされた報告書の内容が想起される。
東方開拓領。
そこに現れた男——既存の身分制度を壊し、魔法の常識を覆し、神の教えに頼らずに人々を豊かにしてみせた「異端の英雄(主人公)」。
そして、彼に敗北し、命からがら逃げ延びた末に幽閉された、哀れな前聖女エレナ。
「エレナは言っていましたね。『あの男は悪魔だ。神の秩序を破壊する化け物だ』と」
セラフィナはフッと可憐な笑みを浮かべた。
「違いますわ、エレナ。悪魔などではありません。あの男もまた、神の愛を受け取ることができなかった、可哀想な『迷い子』に過ぎないのです。自らの力で運命を切り開けると過信し、神の御手から零れ落ちてしまった、哀れで哀れな魂……」
セラフィナはゆっくりと両手を広げた。
まるで、世界全体をその腕で抱きしめようとするかのように。
「待っていてくださいね、東方の迷い子の皆さん。そして……神に背きし英雄さん」
彼女の背後に、再び凄絶なまでの純白の光が凝縮されていく。
それは太陽のように温かい光ではなく、絶対零度の冷たさと、あらゆる存在を消滅させる絶対的な拒絶を秘めた「過剰なる純粋さ」の光であった。
「私が今、参ります。あなた方のその不完全な営みを、その哀れな足掻きを、すべて私の光で包み込んで差し上げます。痛みも、苦しみも、迷いもない……完璧なる神の平和(死)を、プレゼントして差し上げますから」
彼女の仮面——「慈愛に満ちた聖女」という完璧な仮面の下にあるのは、人間の理解を拒絶する絶対的な狂信。
かつてエレナがもたらした脅威は、欲望と権力ゆえの「人間の悪」であった。
だが、この新・聖女セラフィナがもたらすのは、一切の妥協も慈悲もない「神の名を借りた天災」である。
聖都に揺れる百合の花が、一瞬の強風によって静かに散っていく。
東方の地に迫る、かつてないほどに純粋で、かつてないほどに恐ろしい「光の嵐」の予兆を告げるかのように、大聖堂の鐘が重々しく鳴り響いたのだった。




