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神殺しのフルコース ~少年料理人と修羅の創世食卓~  作者: solune
第2章:古代都市アガルタ編

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第46話:海の恵みと市場

一、 押し寄せる水の壁と炎の無力感

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!!!


海洋都市アクアリアの沖合から押し寄せる、山脈のような黒い「水の壁」。

それは、伝説の海竜(リヴァイアサン)の苦痛の咆哮が巻き起こした、規格外の異常潮汐(津波)であった。空を覆う暗雲の下、巨大な波が都市の防波堤を飲み込まんと、圧倒的な質量をもって迫り来る。


「やらせるかよッ!!」


カルムが、誰よりも早く防波堤の先端へと躍り出た。

彼の全身から、これまでにないほど激しい、太陽のような赤蓮の極光炎が爆発的に吹き上がる。


「どんなデカい水だろうが……俺の全開の炎で、一滴残らず蒸発させてやるッ!!」


【我流神殺・太陽紅蓮大瀑布】ッ!!!!


カルムが両腕を前方に突き出すと、巨大な火炎の竜巻が渦を巻き、迫り来る水の壁のど真ん中へと一直線に激突した。

ドガァァァァァァァァンッ!!

炎と水が衝突し、凄まじい水蒸気爆発が引き起こされる。


「いけぇぇぇぇッ!!」カルムが血管を浮き上がらせて叫ぶ。


しかし――。


「……なっ!?」


カルムの顔が、驚愕に歪んだ。

陸上の魔獣を一瞬で灰にし、アガルタの分厚い装甲をも溶かした彼の『最高火力の炎』が。

数万トンという海の質量を前にして、「ジュワァァッ……」と情けない音を立てて、一瞬にしてかき消されてしまったのだ。


「嘘だろ……俺の炎が……効かねぇ……!?」


炎を失い、無防備になったカルムの頭上へ、勢いをわずかに削がれただけの巨大な波が覆い被さろうとした。


「カルム殿、下がれッ!!」


エレナが、カルムの前に飛び込み、聖剣を天高く掲げた。


「【星霜不滅・絶対防壁(アウローラ・シールド)】ッ!!」


青白銀の巨大な幾何学魔法陣が展開され、波の直撃を真っ向から受け止める。

ガガガガガガッ! と甲冑が軋み、エレナが苦悶の声を上げた。


「くっ……なんという質量だ! これが……海という大自然の力……!」


障壁がミシミシとひび割れ始める。

その絶対絶命の瞬間。


「退きな、お嬢ちゃんたちッ!!」


船長のギルが、背中の巨大な白銀の銛(ハープーン)を両手で構え、防波堤を蹴って空高く跳躍した。


「海には……海の戦い方があるんだよッ!!」


ギルの全身の筋肉が隆起し、白銀の銛に群青色の荒々しいマナが纏われる。

彼は空中で身体を捻り、迫り来る波の「頂点(波頭)」へ向かって、全魂の力を込めて銛を振り下ろした。


「【海王一閃・波断ち】ッ!!」


ズバァァァァァァァァァァンッ!!!!


ギルの放った一撃は、魔法の爆発ではない。海の男が熟知する「波の構造の急所」を突いた、純粋な物理と技の一閃。

白銀の銛が波の頂点を切り裂いた瞬間、巨大な津波は自らの重力バランスを崩し、防波堤の手前で「ザバーーーンッ!」と豪快に崩れ落ち、ただの大量の白波となって分散したのだ。


ザァァァァァァ……。


防波堤を越えた大量の海水が、アクアリアの市場や水路へと流れ込む。

しかし、街を粉砕するほどの威力は完全に殺されていた。


「ギョォォォォォォォォォォォォォ…………ッ!!」


沖合の暗雲の中で、巨大な海竜のシルエットが、苦しげな、そして悲痛な咆哮を上げた。

海竜は、それ以上の追撃を行うことなく、再び黒い嵐の中心へとその巨体を沈め、姿を消していった。


「……退いていったか」

ギルが、防波堤に着地し、銛を肩に担ぎ直しながら荒い息を吐いた。


「ハァ……ハァ……っ」


カルムは、防波堤の上に膝をついたまま、自分の両手――完全に鎮火し、ただ熱だけを持っている己の拳を、信じられないものを見るように見つめていた。


(俺の炎が……完全に負けやがった……)


スラムを生き抜き、アガルタの機械群を打ち破ってきた彼の絶対の自信(火力)。

それが、海という広大で無慈悲な大自然の前に、初めて完全に「通用しない」という残酷な現実を突きつけられた瞬間であった。


二、 荒れ果てた市場と漁師たちの絶望

「カルム! エレナさん! ギルさん!」

アルとオルタが、防波堤へ駆け寄ってきた。


「大丈夫!? どこか怪我はない!?」

「ワタクシのセンサーでは、お三方とも致命的な外傷は確認されません。……ですが、カルムの魔力回路に一時的なショック状態が見られます」

オルタが、カルムの顔を心配そうに覗き込む。


「俺は……平気だ。何ともねぇ」

カルムは、ギリッと奥歯を噛み締め、立ち上がって顔を背けた。その背中は、どこか悔しさと焦りに満ちていた。


「ともかく、直撃は免れた。ギル、見事な一撃だった」

エレナが、ギルに一礼する。

「ああ。だが……街の被害はゼロってわけにはいかなかったな」


ギルが振り返った先。

海洋都市アクアリアの心臓部である大水上市場(グランド・アクア・マーケット)は、津波の余波を受けて無惨な有様になっていた。


水路の水位が急激に上がったことで、木製の屋台はなぎ倒され、商人たちが大切に並べていた魚や甲殻類は、泥水と瓦礫の中に散乱してしまっている。


「ああ……俺たちの売り物が……」

「ダメだ……。近海で獲れた最後の魚が、全部泥だらけになっちまった。……もう、この街は終わりだ」


漁師たちや商人たちが、倒れた屋台の前に座り込み、頭を抱えて絶望の声を上げていた。

ただでさえ海竜のせいで漁に出られず、食料が枯渇しつつあったのだ。今回の波で残された食材まで失い、人々の心には「もうどうにもならない」という暗い諦めが広がっていた。


ギルもまた、無惨に散らばった魚たちを見つめ、銛の柄をギュッと握り締めた。

「……クソッ。俺がもっと早く海竜を仕留めていれば、こんなことには……」


海の男としての誇りと責任感が、彼を苛んでいるのが分かった。


カルムも、自分の炎が通じなかった無力感から、黙って俯いている。


絶望の重い空気が、市場全体を覆い尽くそうとしていた。

教国の支配ではなく、自然災害による絶望。それは、ある意味で暴力よりも人々の心を深く折り砕く力を持っていた。


しかし――。


「落ち込んでても、お腹は膨れないよ!」


その重い空気を、パァン! と手を叩く明るい音が打ち破った。


みんなが振り返ると、そこには、エプロンを風にはためかせ、両手を腰に当てて仁王立ちする少年――アルの姿があった。


「魚が泥だらけになった? 屋台が壊れた? ……そんなの、洗って食べればいいだけじゃないか!」


アルは、泥の中に落ちていた一匹の大きな銀鱗マグロを拾い上げ、満面の笑顔でギルたちを見た。


「海が怒ってるのも、カルムの炎が効かなかったのも、今は関係ない! 今一番大事なのは……みんなで美味しいご飯を食べて、元気を出すことだ!」


三、 少年料理人の炊き出し

「なっ……お、お前、こんな状況でメシの話かよ!?」

漁師の一人が、呆れたようにアルを指差した。


「泥まみれで、打ち身だらけの魚だぞ!? 売り物にもならねぇし、味だって落ちちまってる。……そんなモン、食えたもんじゃねぇよ!」


「食えるよ! 僕が、世界で一番美味しくしてあげる!」


アルは、手製の大きな鉄鍋を、市場の広場の比較的乾いた場所へドスンと設置した。


「オルタ! お手伝いお願い!」

「はい、アル!」

オルタが、パッと顔を輝かせてアルの隣に並んだ。


「オルタのセンサーで、散らばってる食材の中から『泥を洗えば食べられるもの』を全部選別して集めて! 魚、カニ、貝……なんでもいいよ!」


『――――了解しました! 食材の品質および毒素の有無、瞬時にスキャンしますッ!――――』

オルタは、ルビー色の瞳を輝かせながら、市場の瓦礫の中を小走りで回り、まだ使える食材を次々と木桶に集めていく。


「エレナさん! その魚たちを、綺麗なお水で洗ってくれる?」

「承知した。聖騎士の素早さで、泥を一粒残らず洗い落としてみせよう」

エレナが、近くの湧き水の水飲み場へ魚を運び、甲冑姿のまま手際よく泥を落としていく。


「おい、コック長! 俺は……俺は何をすればいい?」

カルムが、少し気まずそうに歩み寄ってきた。


アルは、カルムの顔を見上げ、最高に温かい笑顔を向けた。

「決まってるでしょ! カルムの『火』がないと、僕の料理は完成しないんだから! お鍋の火入れ、よろしくね!」


「……おうッ! 任せとけ!」

カルムの顔に、少しだけいつもの活力が戻り、彼はお鍋の下に『我流・極小微火』を丁寧に灯した。


「さぁ、下ごしらえの時間だ!」


アルは、腰から『黒鉄の包丁』を滑らかに抜き放った。


アルの漆黒の瞳に、【真理の目】の黄金の輝きが宿る。

まな板の上に置かれたのは、波に打たれて身が傷み、ストレスで身が硬くなってしまった魚たち。

普通なら、生臭くて食べられない「廃棄物」。


しかし、アルの包丁の前では、どんな食材も必ず「最高の姿」へと生まれ変わる。


(魚たちが感じた恐怖や、波の衝撃による血の濁り……。その『アクの結び目』だけを、解体する!)


トントン、トントン、トントン――――ッ!


静まり返っていた市場の広場に、軽快で心地よい包丁の音が響き渡り始めた。


「な、なんだあの包丁さばきは……!?」

座り込んでいた漁師たちが、信じられないものを見るように立ち上がった。


アルの包丁の刃先が、傷ついた魚の身に触れた瞬間。

魚の身を硬くしていた「ストレスと恐怖の筋」が、まるで魔法のようにスルスルと解きほぐされ、濁った血の結び目が切り離されていく。

傷だらけだったはずの魚の切り身が、アルが包丁を通すたびに、透き通るような美しい真珠色の輝きを取り戻していくのだ。


「【真理解体】……!」


アルは、魚だけでなく、さっきの海岸で拾ってきた硬い岩鎧貝や磯蟹も素早く解体し、次々とカルムが温めている大鍋の中へと投入していった。


四、 海の恵みの極上ブイヤベース

「ギルさん!」

アルが、包丁の手を休めずに、呆然と立っていたギルへ声をかけた。

「この街には、オリーブオイルみたいな油とか、トマトみたいな野菜はある?」


「え? あ、ああ……。港の倉庫に、南の大陸から輸入したオリーブ油と、太陽トマトのストックが少し残ってるはずだが……」

「それ、お鍋に入れたいな! 持ってきてもらえる?」


「あ、ああ、分かった!」

ギルは、自分でも不思議なほどアルのペースに巻き込まれ、慌てて倉庫へと走った。


オリーブ油、太陽トマト、そしてアルが持っていた荒野の岩塩。

それらが、魚介の旨味が溶け出した大鍋の中へと投入される。


ジュワァァァァァァァァァァッ……!!


その瞬間。

市場の潮と泥の臭いを、完全に、そして圧倒的に上書きする【至高の香り】が爆発的に広がった。


「うおぉぉっ……なんだこの匂いはぁぁっ!」

「トマトの酸味と……魚の濃厚な出汁の匂い! 腹が……腹が鳴って止まらねぇぞッ!」


絶望して座り込んでいた市場の人々が、全員立ち上がり、フラフラとアルの鍋の周りへと吸い寄せられてきた。


トマトの鮮やかな赤色と、オリーブ油の黄金色。

その中で、アルが『真理解体』で極限まで旨味を引き出した白身魚、カニ、貝柱が、グツグツと幸せな音を立てて煮込まれている。


「完成だよ!」


アルが、木のお玉を高く掲げ、満面の笑顔で叫んだ。


「【真理解体・アクアリア復興の極上海鮮ブイヤベース】だッ!!」


アルは、集まってきた漁師や街の人々に、次々と木のお椀でブイヤベースを振る舞っていった。


「さあ、冷めないうちに食べて! いっぱいあるからね!」


ギルも、お椀を受け取り、信じられないという顔でその赤いスープを見つめた。


「これが……あの傷だらけの売り物にならない魚で作ったっていうのか……?」


ギルは、木のお匙でスープをすくい、おそるおそる口へと運んだ。


ズズッ。


『―――――――――――――――ッ!?』


ギルの三白眼が、カッと極限まで見開かれた。

スプーンが手から滑り落ちそうになるほどの、雷に打たれたような衝撃。


「う、美味ぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」


ギルが、大の男が涙ぐみながら叫んだ。

「なんだこの味は! 魚の生臭さが全くねぇ! カニと貝の旨味が、トマトの酸味と絡み合って、口の中で海が踊ってやがる! なのに、すげぇ優しくて……身体の芯まで温かくなる……ッ!」


「本当だ! こりゃあ美味ぇぞ!」

「泥に落ちた魚が、こんな極上の料理に化けるなんて……! 俺たち、まだこんなに美味いもんを食えるのか!」


市場の人々が、次々とブイヤベースを口に運び、そのあまりの美味しさと温かさに、涙を流しながら笑顔を取り戻していく。

さっきまでの絶望や諦めの空気は、完全に吹き飛んでいた。


アルの料理には、「栄養」や「味」だけではない、特別な力がある。

それは、彼体内の『炉』から注ぎ込まれた「生きろ」という圧倒的な情熱と、優しい『体温』だ。


「おい、コック長」


カルムが、自分もお椀を持ちながら、アルの隣へやってきた。

彼の顔には、先ほどの無力感による陰りは消え、代わりに晴れやかな笑みが浮かんでいた。


「お前ってやつは、本当にすげぇな。……俺の炎じゃ波一滴押し返せなかったのに、お前のスープは、この街の連中の『絶望』を、一瞬で蒸発させちまいやがった」


「ふふっ、カルムの火加減が最高だったからだよ」

アルが笑う。


「……おう。次は……俺も絶対に、海に負けねぇ炎を出してみせる。お前や、みんなを守るためにな」

カルムは、自らの拳を固く握り締め、心の中で新たな誓いを立てた。


五、 海を恐れず、海を愛する

「……参ったぜ」


ギルが、空になったお椀を持ってアルの前に歩み寄り、豪快に頭を掻いた。


「料理人が海竜を解体するなんて、最高の冗談だと思ってたが……お前らのその力と、このスープの美味さを見ちまったら、冗談だなんて言えなくなっちまった」


ギルは、背中の巨大な銛を地面に突き立て、アルに向かって真剣な目を向けた。


「アル、だったな。……お前の言う通りだ。海竜は怒ってるんじゃねぇ、苦しんでるのかもしれねぇ。俺たち海の男は、海竜を恐れるあまり、ただ逃げるか殺すかしか考えてなかった」


ギルは、アルの肩に大きな手を置いた。


「だが、お前の料理を食って思い出したよ。俺たちは海を恐れてるんじゃねぇ、海を愛してるんだってな。海が苦しんでるなら、助けてやるのが、本当の海の男ってもんだ」


「ギルさん……!」

アルの顔がパァッと明るくなる。


「明日、俺の船『シーホーク号』を出す。マストは折れたままだが、動かすことはできる。……お前たちを、あの嵐の中心まで連れて行ってやるよ」


ギルの宣言に、市場の漁師たちも「俺たちも手伝うぜ!」「船の修理は任せろ!」と活気づき、一斉に動き始めた。


「ありがとう、ギルさん!」

アルが力強く頷く。


「はい! ワタクシのナビゲーション機能も、海流の解析を完了しています! シーホーク号の最適ルートは、お任せください!」

オルタも元気よく手を挙げた。


「うむ。私も剣の手入れを済ませておこう」

エレナが微笑む。


荒れ果てた市場は、アルの一杯のスープによって、再び海の恵みを愛し、海に立ち向かう「活気」を取り戻した。


圧倒的な大自然の暴力と、カルムの炎の無力感という試練を前にしても、チーム『最高の厨房』の温かな体温は、決して消えることはなかった。


明日は、いよいよ暴走する海竜との直接対決。

少年料理人の包丁が、海竜を苦しめる悪意の結び目を解き放ち、この海に真の平穏を取り戻すための、熱き航海が始まろうとしていた。

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