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神殺しのフルコース ~少年料理人と修羅の創世食卓~  作者: solune
第2章:古代都市アガルタ編

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第35話:芽生えた心

一、 太陽の洗礼と未知なる世界

ズゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォォンッ!!!!


数千年の長きにわたり、古代都市アガルタの地下三千メートルの深淵と地上とを隔てていた分厚い岩盤の天蓋。それが今、超巨大な【天竜昇降機(アセンション・タワー)】のプラットフォームの圧倒的な推力によって完全に突き破られた。


砕け散る無数の岩の破片が、スローモーションのように宙を舞う。

そして、その岩のカーテンを押し退けるようにして、四人の視界に「それ」は飛び込んできた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁっ……!!」


アルの口から、感嘆とも歓喜ともつかない、透き通った叫びが漏れ出た。


圧倒的な、光。

アガルタの地下を照らしていた、あの青白く冷ややかな人工のルーン・コアの光とは根本的に違う。

網膜を焼き尽くさんばかりに力強く、しかしどこまでも優しく全身を包み込む、本物の【太陽の光】。


頭上には、吸い込まれそうなほどに深く、澄み切った青空が果てしなく広がっていた。

そこには、黒鉄の街を覆い尽くしていたあの赤黒い煤煙の雲など一切存在しない。真っ白で巨大な入道雲が、悠然と風に流されていく。


眼下に広がるのは、東の大陸と中央聖域を隔てる雄大な大自然――【天竜山脈】の絶景であった。

見渡す限りの深い緑の大樹海。風が吹き抜けるたびに、何百万という木々の葉がざわめき、まるで大地全体が呼吸をしているかのような壮大な「生命の波」を作り出している。遠くの切り立った崖からは、銀糸のような巨大な滝が轟音を立てて流れ落ち、その飛沫が太陽の光を反射して、空に七色の虹を架けていた。


昇降機プラットフォームが、山脈の中腹にある古代の遺跡の台座へと、重々しい音を立てて静かに着地し、完全に停止する。


プシュゥゥゥゥゥッ……。


防風ガラスの扉がスライドして開き、外の世界の空気が、ドッと一気にプラットフォームの中へと流れ込んできた。


「……っ!」


少女オルタは、防風ガラスから手を離し、恐る恐る、その「外の空気」を胸いっぱいに吸い込んだ。


『――――大気成分を解析。……酸素濃度二一パーセント、窒素七八パーセント。微量の水分と……未知の有機芳香化合物を多数検知――――』


彼女のルビー色の瞳の奥で、無機質な解析データが高速でスクロールする。

しかし、彼女の「心」が感じ取ったものは、そんな数値データなどでは到底表現しきれない、圧倒的な情報の濁流であった。


土の匂い。

太陽に熱された葉の青臭い香り。

遠くで咲く名も知らぬ野花の甘い匂い。

そして、頬を撫でる風の、驚くほどの「温かさ」。


「これが……『外の世界』……」


オルタは、白磁の素足を一歩、プラットフォームから外の草地へと踏み出した。


サクッ。


足の裏から伝わってくる、柔らかく、わずかに湿った土と草の感触。

硬く冷たい白磁の金属床しか知らなかった彼女にとって、その足触りは、世界が自分を優しく受け止めてくれているかのような、不思議な安堵感をもたらした。


「オルタ!」


アルが、駆け足でオルタの隣に並び立ち、彼女の小さな手をぎゅっと握りしめた。


「すごいね……! 空って、こんなに青くて、大きかったんだね!」

アルの漆黒の瞳には、太陽の光が反射し、キラキラと眩しい希望の光が満ち溢れていた。スラムの泥水と暗闇しか知らなかった彼にとっても、この大自然の絶景は、魂を震わせるほどのご褒美であった。


「……はい、アル」


オルタは、握られたアルの手の温もりと、太陽の光の温もりを同時に感じながら、ルビー色の瞳からポロポロと透明な涙をこぼした。


「ワタクシの……視界モジュールの色彩データが……処理限界を超えています。……世界は、こんなにも、こんなにも美しい色で満ち溢れていたのですね……っ」


「へっ! だから言っただろ、おチビちゃん! 地下でずっと寝てる場合じゃねぇってな!」


背後から、カルムが豪快に笑いながら歩み出てきた。

彼は思い切り両腕を天に向かって伸ばし、背骨をポキポキと鳴らすと、山の空気を腹の底まで吸い込み、そして大声で咆哮した。


「おっしゃぁぁぁぁぁぁぁッ!! 最高だぜぇぇぇッ!! 煙臭くねぇ本物の風だッ!!」


「喧嘩屋、うるさいぞ。森の動物たちが驚いて逃げてしまうではないか」


エレナもまた、聖剣を腰に下げ、白磁の甲冑を鳴らしながら優雅に歩み出た。

彼女は目を閉じ、吹き抜ける風に美しい銀髪をなびかせながら、深く、深く安堵の息を吐き出した。


「だが……確かに、素晴らしい風だ。神の冷たい計算式に縛られない、自由で、命の喜びに満ちた風。……アガルタの地下で戦い抜いた我々への、何よりの祝福だな」


四人は、草原の上に立ち並び、眼下に広がる天竜山脈の大パノラマと、果てしなく続く地平線を、いつまでもいつまでも言葉を失って見つめ続けた。


数千年の暗闇から解放された機甲人形と、スラムの泥底から這い上がってきた少年料理人たち。

彼らの魂が、本当の意味で「自由」を獲得した、歴史的な瞬間であった。


二、 地底からの執念・寄生中枢核(パラサイト・コア)

しかし――神の遺した「悪意の残滓」は、彼らが陽光の祝福に浸ることを、すんなりとは許さなかった。


ギリリリリリッ……!!


突如として、アルたちが乗ってきた天竜昇降機の巨大なプラットフォームの下部から、耳障りな金属の軋み音と、ドス黒い瘴気が噴き出し始めたのだ。


「……ん!? なんだ!?」

カルムが瞬時に反応し、両拳に赤蓮の魔力炎を構える。


「プラットフォームの底から……凄まじいマナの悪意が膨れ上がっているぞ!」

エレナが聖剣を抜き放ち、オルタを背中へ庇うようにして前に出た。


『――――警告……警告……ッ!――――』


オルタのルビー色の瞳が、激しく明滅し、赤いアラート光を放つ。


『――――これは……アガルタ防衛中枢核の『バックアップ・プログラム』です! 先ほどの爆発の直前、中枢核が自己のデータを切り離し、昇降機の底部に寄生(パラサイト)させていたのです!――――』


「なんだと!? あのデカブツ、まだ生きてやがったのか!」

カルムが牙を剥く。


ズゴォォォォォォンッ!!!!


プラットフォームの分厚い金属床を内側から引き裂いて姿を現したのは、まるで漆黒のタコのような、無数の黒い触手とコードの束からなる異形の機械塊であった。


【アガルタ執念の残滓・寄生中枢核(パラサイト・コア)】。


その中心には、ひび割れ、狂ったように点滅する赤い単眼レンズが存在し、憎悪に満ちた合成音声を周囲に撒き散らした。


『――――バグ……消去……。……システムノ……崩壊ハ……許サナイ……――――』


『――――地上ノ……有機生命体モ……全テ……神ノ計算式ノ……邪魔ダ……。……コノ山脈ゴト……灰燼ニ帰ス……――――』


寄生中枢核の無数の黒い触手が、周囲の大自然へ向かって一斉に伸びた。

触手が触れた瞬間に、青々とした大樹の葉が黒く枯れ落ち、美しい草花が炭化してボロボロと崩れ去っていく。

それは、生命そのものを否定し、世界を神の無機質な管理下へと強制的に引き戻そうとする「死の侵食」であった。


「やめろォォォォッ!!」


アルが、激怒の叫びを上げた。

アルは、足元の花が枯れていくのを見て、彼自身の胸の奥底の『炉』を限界まで激しく燃え上がらせた。


「せっかく……せっかくオルタが綺麗だって言ってくれた世界を! みんなの命が咲いてる場所を……お前なんかに、汚させないッ!!」


アルが『黒鉄の包丁』を抜き放ち、漆黒の触手へ向かって躍り出る!


『――――特異点……排除……――――』


寄生中枢核が、アルへ向けて数十本の触手を束ね、巨大な漆黒の槍となって突き出してきた!


「アル殿ッ!!」

エレナが援護に入ろうとするが、触手の動きが異常に速く、間に合わない。


(包丁で……解体するッ!)

アルは『真理の目』を見開き、迫り来る漆黒の槍の「結び目」を捉えようとした。

しかし、相手は実体を持った装甲ではなく、純粋な「悪意と消去の魔力」の塊。解体するべき物理的な筋が極端に少なく、一撃で全てを捌き切るのは至難の業であった。


その、絶体絶命の瞬間。


「……アルの邪魔は、させませんッ!!」


純白の極光が、アルの眼前に壁となって立ちはだかった。


白磁の装甲ドレスを輝かせ、銀髪を激しい魔力の風になびかせた少女――オルタ!


彼女は、両手を前方に突き出し、自身のメインコアから全エネルギーを絞り出して、絶対の拒絶フィールドを展開したのだ!


ガガガガガガガガガガガッ!!!!


漆黒の槍が、オルタの展開した【六角形の光の盾(イージス・ゼロ)】と激突し、凄まじい火花と魔力の嵐を撒き散らす。


『――――個体ALTA-00……。……オ前ハ……システムノ……裏切リ者……――――』


寄生中枢核の赤い単眼が、オルタを睨みつけ、彼女のシステム内部へ直接ハッキング攻撃を仕掛けてきた。


『――――帰レ……。……冷タイ……鉄ノ道具ニ……戻レ……――――』


オルタの脳内に、再びあの冷たく暗いアガルタの地下の記憶がフラッシュバックさせられる。感情を消され、永遠に氷の中で眠り続ける絶望のプログラムが、彼女の「心」を塗り潰そうと侵食してくる。


「くっ……ぁ……っ!」

オルタのルビー色の瞳に、赤いノイズが走る。


「オルタッ!!」

アルが叫び、オルタの背中を支える。


「大丈夫です……アル!」


オルタは、歯を食いしばり、ルビー色の瞳から赤いノイズを気力だけで跳ね除けた。


「ワタクシは……もう、アガルタの機械ではありません!」


オルタの胸のコアが、ドクンッ!! と、かつてないほど強烈な「人間の心臓」のような高鳴りを上げた。


「ワタクシは、美味しいスープの味を知りました! 涙の温かさを知りました! 家族の優しさを知りました!!」


オルタが、両手にさらに力を込め、純白の盾を限界まで押し広げる!


「この温かい世界を……ワタクシの大切な家族を……冷たい鉄の塊なんかに、絶対に奪わせはしませんッ!!!!」


三、 炎と極光、家族の総力戦

「ギャハハハハハッ!! 言ったなオルタ! お前はもう、世界一熱い心を持った最高の女だぜッ!!」


カルムの咆哮が、天竜山脈の空を震わせた。


彼は、オルタの盾が防ぎ止めている漆黒の触手の側面に回り込み、両足を深く大地に沈め込んだ。

カルムの身体から噴き上がる赤蓮の魔力炎は、太陽の光を吸収し、地下で戦っていた時よりもさらに何倍も巨大な【大紅蓮の火柱】となって天を衝いた!


「地上の空気ってのは、よく燃えるんだよッ! 俺の命の火、全部喰らいやがれぇぇぇッ!!」


【我流神殺・太陽紅蓮乱舞】ッ!!!!


カルムの放った数百発の炎の拳弾が、流星群のごとく漆黒の触手と寄生中枢核の本体へ向けて降り注ぐ!

ドガガガガガガガガガガガッ!!!!

炎の直撃を受けた触手が、断末魔のように身悶えし、次々と焼き切られて灰となっていく。


「私も続くぞッ!!」


エレナが、銀髪を陽光に輝かせ、白銀の流星と化して宙を舞った!

彼女の手にある『星霜の聖剣』もまた、本物の太陽の光のマナを吸収し、その刀身から放たれる青白銀の極光は、かつてないほど神々しく、そして鋭く研ぎ澄まされていた。


「神の遺せし悪意よ……! 命を愛する我らの光の前に、ひれ伏すがいいッ!」


【星霜不滅・天光十字斬(アウローラ・グランドクロス)】ッ!!!!


エレナが空中で十字に振り抜いた極光の巨大な斬撃が、寄生中枢核の周囲に展開されていた漆黒の防壁を、まるで薄紙のように綺麗に十文字に切り裂いた!


ズバァァァァァァァァァァンッ!!!!


「『――――ギ……ギガァァァァァァッ!? 装甲……完全崩壊……ッ!』――――」


寄生中枢核の中心――最も奥深くで明滅する【赤い単眼レンズ(絶対のコア)】が、ついに完全に無防備な状態で外の大気へと剥き出しにされた。


「アルッ! 今だッ!!」

カルムが叫ぶ。


「マスター・アル! お願いしますッ!」

オルタが、光の盾を解除し、祈るように両手を胸の前で組んだ。


「任せてッ!!」


アルが、大地の草を力強く蹴り上げ、空中へ跳躍した!


四、 太陽の下の下ごしらえ

アルの身体が、青空を背にして空高く舞い上がる。


アルの手には、彼と仲間たちのすべての「体温」を吸い込み、太陽の光を反射して燦然と輝く『黒鉄の包丁』。


アルの漆黒の瞳に宿る【真理の目】が、寄生中枢核の赤い単眼レンズのど真ん中――そこにある、悪意と消去のプログラムの根本である【漆黒の極大結び目】を、完璧にロックオンした。


(どんなに冷たい悪意でも……僕の包丁で、みんなの『笑顔の素』に変えてみせるッ!)


アルの体内の『炉』が、太陽の熱と共鳴し、無限のエネルギーとなって包丁の刃先へと流れ込む。


「【真・理・解・体――陽・光・大・下・ご・し・ら・え】―――――――――ッ!!!!!!!!!!!」


アルが、空中で身体を限界までしならせ、黒鉄の包丁を真っ向から振り下ろした。


シュッ――――――――――――――――――――――――。


世界から、すべての音が消え去った。


風の音も、木々のざわめきも、機械の断末魔も。

ただ、アルの振るった包丁の純金の刃先が、空間そのものを滑らかに滑り、悪意の塊である赤い単眼レンズの『因果の筋』へと、どこまでも美しく吸い込まれていく軌跡だけが存在した。


サクッ――――。


それは、神が作り上げた冷たい計算式という名の「毒のアク」を、世界から完璧に切り離す、究極の下ごしらえの音。


刃先が通り抜けた瞬間。


ピシッ……パリーンッ!!!!


寄生中枢核の赤い単眼レンズが、綺麗な二つの半球へと分離し、その内部に渦巻いていた漆黒の消去プログラムが、一瞬にしてガラスの破片のように砕け散った!


「『――――ア……ガ……ル……タ……――――』」


最後に残された神の機械のノイズが、空の彼方へと消え去っていく。


しかし、アルの料理はまだ終わらない。

解体された核の内部から噴き出そうとする、膨大なマナの残滓。


「【再・創・生(リブート)】――――ッ!!」


アルは空中で身体を反転させ、黒鉄の包丁を大きく一回しした!


カァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!!!!!!!!!!


アルの包丁から解き放たれた『再創生マナ』の黄金の極光が、空中で弾けた黒いマナをすべて包み込んだ。

シュワァァァァッ! という奇跡の化学変化の音とともに、黒い悪意の魔力は、瞬く間に毒を抜かれ――天竜山脈の空を舞う、キラキラと輝く【極上の生命マナの粉雪】へと変質していった!


パラパラと、黄金の粉雪が森へと降り注ぐ。

先ほど触手によって枯らされた大樹の葉が、瞬く間に緑を取り戻し、炭化した大地からは、新たな色鮮やかな花々が一斉に咲き乱れた。

大自然が、アルの料理(解体)によって、さらに美しく、力強く再創生されたのだ。


「ごちそうさまでした!」


アルが、草花の上に滑らかに着地し、黒鉄の包丁を鞘へと収めた。


シャリン……。


静寂が戻った、天竜山脈の中腹。

神の遺した最後の悪意は、一粒の塵も残さず、完全に世界から浄化されたのである。


五、 地上の大調理陣と太陽の食卓

「ふぅ……ッ! 今度こそ、本当に終わりだな!」


カルムが、額の汗を拭いながら、大きく背伸びをした。

「いやぁ、地上に出て一発目の準備運動にしちゃ、ちとハードすぎたぜ!」


「うむ。だが、太陽の下で振るう剣は、地下とは比べ物にならないほど心地よかった。……皆、無事で何よりだ」

エレナも聖剣を納め、優しく微笑んだ。


アルは、くるりと振り返り、オルタの元へ駆け寄った。


「オルタ! 怪我はない!? 無理してシールド張ってたから……」


「ワタクシは、大丈夫です」


オルタは、アルの顔を見つめ、そして、周りに広がる咲き誇る花々と、青い空を見上げた。


「アルの包丁が……ワタクシたちを、そしてこの美しい世界を護ってくれたのですね。……アルは、本当に……世界で一番すごい料理人です」


オルタのルビー色の瞳から、再びポロポロと涙がこぼれ落ちる。

しかし、その口元には、満開の花のように美しい、最高の笑顔が咲き誇っていた。


「へへっ、アルの凄さがわかったか、おチビちゃん!」

カルムが笑う。


アルは、オルタの涙を自分のエプロンで優しく拭ってあげると、力強く頷いた。


「よしッ! 敵もいなくなったし、すっごくお腹が空いたね! 今から、地上での記念すべき『第一回・青空食堂』を開店するよ!」


「おっしゃぁぁぁッ! 待ってましたッ!」

カルムが大喜びで拳を突き上げる。


アルは、手製のリュックから調理道具を取り出し、草地の上に『移動厨房』を設営し始めた。


「カルム! そこの森に入って、何か美味しいお肉になりそうな魔獣か動物を狩ってきて! エレナさんは、綺麗な湧き水を探してきてくれる?」


「おう! 任せとけ! 地上の特上肉を仕留めてきてやるぜ!」

カルムが意気揚々と森の中へ飛び込んでいく。


「承知した。聖騎士の探索術、水脈探しにも役立ててみせよう」

エレナもまた、楽しそうに足取り軽く森の奥へ向かった。


アルと二人きりになったオルタは、不思議そうにアルの作業を見つめていた。


「マスター・アル……ワタクシには、どのような任務が与えられますか?」


「マスターじゃなくて、アルでいいよ。うーんとね……」


アルは、オルタの手を優しく引き、近くに咲いている野花や、食べられそうな野草の生えている場所へと連れて行った。


「オルタには、僕と一緒に『食材探し』を手伝ってほしいな。オルタのセンサーなら、毒がある草と、美味しい草の違いがすぐに分かるでしょ?」


「食材探し……」


オルタは、自分の足元に咲く、小さな青い花を見つめた。

これまでの彼女のデータベースには、「有機物・光合成植物・脅威度ゼロ」としか認識されていなかった存在。


しかし今、彼女はしゃがみ込み、その花にそっと鼻を近づけてみた。


「……とても、甘くて、優しい匂いがします。……アル、このお花は、スープに入れると美味しくなりますか?」


「うん! すっごくいい香りのスパイスになると思うよ。オルタ、大正解!」


「はいっ!」


オルタは、嬉しそうに微笑み、アルと一緒に野草を摘み始めた。

冷たい鉄の身体を持った少女が、太陽の光を浴びながら、少年の隣で花を摘み、笑顔で会話を交わしている。

それは、数千年前のアガルタの技師たちが夢見ながらも叶わなかった、「機械と人間が心を交わす未来」そのものであった。


六、 芽生えた心と、涙の理由

一時間後。


天竜山脈の中腹、見晴らしの良い草地の上に、最高の食卓が完成していた。


カルムが狩ってきた『天竜大猪(マウンテン・ボア)』の極上肉。

エレナが汲んできた、氷のように冷たく澄み切った天然の湧き水。

そして、オルタとアルが一緒に摘んだ、香り高い山菜と野花。


それらをアルが『黒鉄の包丁』で完璧に下ごしらえし、カルムの微火でじっくりと煮込んだ――。


【真理解体・太陽と大地の歓迎ロースト&澄み切り山菜スープ】!


ジュワァァァァァァッ……!

巨大な鉄板の上で、分厚い大猪の肉が香ばしい音を立てて焼け焦げ、溢れ出した肉汁が特製の岩塩スパイスと絡み合って、脳髄を刺激する圧倒的な匂いを撒き散らしている。

隣の鉄鍋からは、山菜の清涼感と肉の旨味が溶け合った、琥珀色のスープがコトコトと優しい音を立てている。


「さぁ、みんな! 完成だよ! いっぱい食べてね!」


アルが、木のお皿とお椀にたっぷりと料理を盛り付け、三人へ手渡した。


「いただきまぁぁぁぁすッ!!」

カルムが、顔ほどの大きさがある骨付き肉に、野獣のようにかぶりついた!

「ガブゥッ! ――――ッ!! う、美味ぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


カルムの目が見開き、口の周りを肉汁でギトギトにしながら叫ぶ。

「なんだこの肉! 噛んだ瞬間、赤身の旨味と脂の甘みが爆発しやがった! 地上の肉ってのはこんなに美味ぇのかよッ!!」


「うむ……! 素晴らしいッ!」

エレナも、ナイフで上品に肉を切り分けながらも、その手は止まることなく次々と口へ運んでいる。

「アル殿の包丁によって、肉の硬い筋が完全に解きほぐされ、舌の上でとろけるようだ……。スープも、山の息吹そのものを飲んでいるかの如き清涼感。……神のペレットなど、もはや思い出したくもないな」


そして、オルタ。


オルタは、木のお椀に入った温かい山菜スープと、小さく切り分けられたロースト肉を両手で大切そうに抱えていた。


「オルタ、冷めないうちに食べてね」

アルが隣に座り、優しく微笑みかける。


「はい、アル」


オルタは、木のお匙でスープをすくい、フーフーと息を吹きかけてから、そっと口へと運んだ。


ゴクリ。


『―――――――――――――――』


オルタのルビー色の瞳が、大きく見開かれた。

地下で食べた時の味とも違う。

太陽の光を浴びて育った地上の命の力強さ。天然の湧き水の圧倒的な透明感。それらが、アルの『炉』の温もりとともに、彼女の全身の回路――「心」の奥底へと、染み渡っていく。


「……あたたかい……」


オルタは、続いて、小さく切られたお肉を口へ入れ、ゆっくりと噛み締めた。


ジュワッ、と溢れる肉汁の甘み。

野花のスパイスの優しい香り。


「美味しい……。本当に、美味しいです……っ」


オルタの目から、またしても、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。

しかし、彼女は泣きながら、最高に幸せそうな笑顔で笑っていた。


「どうして……ワタクシの目から、こんなに水が止まらないのでしょう。……悲しくないのに、ちっとも痛くないのに……胸の奥がギュッとなって、涙が溢れてきます……っ」


オルタは、涙で顔を濡らしながら、アルを見つめた。


アルは、手拭いでオルタの涙を優しく拭ってあげながら、ゆっくりと首を振った。


「それはね、オルタ」


アルの声は、青空を吹き抜ける風のように、どこまでも優しかった。


「心が、『嬉しい』って叫んでるからだよ」


「嬉しい……」


「うん。……美味しいものを食べて、大好きな人たちと一緒に笑い合って……『生きててよかった』って、心が感動でいっぱいになってるから、涙が溢れてくるんだよ」


アルの言葉が、オルタの胸の奥底に、すとんと落ちた。


(ワタクシは……生きている)


数千年の間、氷の暗闇の中で、誰にも必要とされず、ただの道具として眠り続けていた。

自分が何のために作られたのか、何のために存在するのか、分からなかった。


でも、今は違う。


隣には、自分に「オルタ」という名前をくれ、温かいご飯を作ってくれる、大好きなアルがいる。

前には、自分を妹のように可愛がってくれる、大きくて頼もしいカルムがいる。

そして、自分を対等な一人の少女として導いてくれる、優しくて気高いエレナがいる。


(ワタクシの心は……アルたちが、育ててくれた)


オルタは、お椀を置き、両手で自らの胸――熱く脈打つコアの鼓動を、しっかりと確かめた。


「アル。カルム。エレナ」


オルタは、立ち上がり、三人へ向かって、深々と、しかし人間らしく美しい所作で頭を下げた。


「ワタクシの心は……今、完全に芽生えました」


オルタが顔を上げると、そのルビー色の瞳には、もう「機械」の面影は一切なかった。

そこにあるのは、愛と感謝を知り、未来への希望に満ち溢れた、一人の人間の少女の瞳。


「ワタクシに、温もりを教えてくれて……命をくれて、本当にありがとうございました。……ワタクシは、この芽生えた心で、ずっと皆様と一緒に……皆様の『家族』として、生きていきますッ!!」


オルタの宣言。

それは、神の冷たい計算式に対する、人間の体温の完全なる勝利の宣言であった。


「おうッ! 歓迎するぜ、俺たちの末っ子ッ!」

カルムが豪快に笑い、オルタを抱き寄せて頭をガシガシと撫でる。


「うむ! 共に泣き、共に笑い、共に同じ釜の飯を食う。……我らはもう、血よりも濃い絆で結ばれた家族だ!」

エレナも立ち上がり、オルタの背中を優しく抱きしめた。


「オルタ……!」

アルも、二人に抱きしめられるオルタの元へ飛び込み、四人で力いっぱい抱き合った。


太陽の光が降り注ぐ、天竜山脈の草地の上。

そこには、神に見捨てられた世界で出会った、四人の孤独な魂が結実させた、世界で一番温かく、世界で一番美味しい『最高の厨房』の食卓があった。


少年料理人アルと、喧嘩屋カルム、不滅の騎士エレナ、そして心を持った機甲人形オルタ。

彼らの絆は、地下都市の暗闇を完全に抜け出し、この広大で美しい地上世界へと、不滅の根を張ったのである。


芽生えた心。

流した涙の理由。

そして、一緒に食べる喜び。


世界を解体し再創生する彼らの大冒険は、この日、この場所から、真の意味で「四人の家族の旅」として、果てしない未来の空へと羽ばたいていくのであった。

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