第141話:暗雲を突く紅い光
一、 裂ける天空、解体される絶対法則
アガルタの地上口を覆い尽くし、世界を絶望の底へと沈めていた紫色の重力暗雲。
数十倍にも及ぶ異常重力を発生させる『星喰いの楔』が放つその暗黒の空が、アルが顔を上げたその瞬間、まるで巨大な見えない包丁によって下から上へと真っ二つに切り裂かれた。
ズバァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
物理的な爆発音ではない。それは空間そのものの位相が強制的にズレ、強固な法則の結び目が断ち切られた時に響く、澄み切った切断音であった。
暗雲の裂け目から、強烈な【真紅と緋色の極光】が、まるで天界から降り注ぐ後光のように、アガルタの戦場へと一直線に射し込んできた。
「……光……?」
腹部を蹴られ、激痛に身を捩っていたアルが、霞む瞳を見開く。
その紅い光は、アガルタの上空数百メートルで不気味な紫色の波紋を放射し続けていた巨大な『星喰いの楔』へ、寸分の狂いもなく直撃した。
いかなる物理破壊をも拒絶する神造の漆黒金属。しかし、その紅い光——カルムの放った【赤蓮の概念炎】の奔流に触れた瞬間、何一つ抗うことなく、スゥッと斜めに両断されたのである。
パァァァァァァンッ!!
何万トンもの質量を持つ巨大な楔が、切断面からドロドロに融解し、瞬く間に蒸発して光の塵となって消え去った。
「……あ……。身体が……」
アルの口から、驚きの声が漏れる。
楔が消滅した瞬間、アガルタの防衛線全体を押し潰していた数十倍の異常重力場が、フッと完全に消失したのだ。
鉛のように重かった四肢から圧が抜け、酸素を拒絶していた肺に新鮮な空気が勢いよく流れ込んでくる。
「……重力が、消えた……?」
意識を失いかけていたレジスタンスの戦士たちが、自身の身体の軽さに驚き、次々と目を開け始めた。
彼らを縛り付けていた神の理不尽な万力が、たった一筋の紅い光によって、完璧に解体されたのである。
二、 天門の驚愕、計算外のバグ
一方、その頃。
星の成層圏に浮かぶ使徒たちの居城『天門』の中枢システムルームでは、信じられない光景を前に、三人の使徒たちが息を呑んでいた。
『……エ、エラー。……地上座標アルファ・セブン、重力楔のロストを確認。……続いて、座標ベータ、ガンマ、デルタ……全座標の楔、一斉にロスト……!』
メイン・コンソールのシステム音声が、無機質な中にも明らかな異常事態を告げる警告音をけたたましく鳴り響かせていた。
巨大な水晶盤に映し出されていた、地上全域に突き刺さっていた数万本の『星喰いの楔』の光点が、まるでドミノ倒しのように、いや、同時多発的にプツリ、プツリと消え去っていく。
『……バカな。世界中に散らばった楔を、これほどの短時間で全て破壊したというの!?』
使徒メリエルが、美しい顔を驚愕に歪め、水晶盤にすがりつくように身を乗り出した。
『あれは我々が管理する最上位の抑圧兵器よ! 物理的な移動速度だけで全てを破壊して回るなど、いかなる特異点でも不可能……! 一体、どういうことなの、エノク!』
メリエルの悲痛な叫びに対し、常に冷徹な計算を崩さなかった使徒エノクの顔にも、初めて【明らかな焦燥】の色が浮かんでいた。
『……奴は、物理的に飛び回ったわけではない。……【概念の直列化】だ』
エノクの眼鏡の奥で、無数のデータが弾け飛ぶ。
『特異点カルムは、最初に破壊した楔の「重力干渉の波長(理)」を読み取り、その波長と同期している世界中の全ての楔の「結節点」を、空間の距離を無視して因果の糸で繋ぎ合わせたのだ。……そして、その繋ぎ合わせた因果の直線を、極大の炎で一刀両断した』
『……なんだとォ!? 空間の距離を無視して、世界中の兵器を同時に叩っ斬ったってのか!?』
使徒バアルが、信じられないものを見るように吠える。
『そうだ。マナというエネルギーの送受信ネットワーク(システム)を逆手に取られた。……彼にとって、我々が構築した強固なシステムは、どこからでもアクセスして解体できる「見え透いた糸」に過ぎないのだ』
エノクの言葉に、中枢システムルームは重い静寂に包まれた。
『……バグだ。あれはもはや、この世界の管理において許容できるレベルのバグではない。……存在そのものが、我々の神の法則を書き換える「ウイルス」だ』
絶対的支配者であった彼らが、初めて人間の少年に抱いた感情。
それは、純粋な【恐怖】であった。
三、 降り注ぐ光の雨、解体される軍勢
アガルタの地上口。
上空の暗雲の裂け目から降り注ぐ紅い光は、楔を破壊しただけでは終わらなかった。
サラサラサラ……。
まるで春の雪のように、真紅と緋色が交じり合った細かな光の粒子が、アガルタの戦場全体へ優しく降り注ぎ始めたのだ。
『……警報。……未知ノ概念エネルギートノ接触。……神聖マナノ結合ガ……崩壊……』
アガルタの青き結界をこじ開け、内部へ侵入しようとしていた数万の上位天使や、エレナの盾を砕いた巨大な神殿殲滅兵たちが、その紅い光の粒子に触れた瞬間、一斉に機械的なバグ音を吐き出し始めた。
「……え……?」
立ち上がったアルの視界で、信じられない光景が広がる。
カルムの放った光の粒子は、敵の装甲を物理的に叩き割っているのではない。
光の粒子が触れた箇所から、上位天使たちの身体を構成している高密度の神聖マナが、「結合の理」を失ってポロポロと砂のように崩れ落ちていくのだ。
『……エ……ラー……。……私ハ……何故……ココニ……』
感情を持たないはずの神造兵器たちが、自らの存在を維持する法則を解体され、戸惑うように自らの両手を見つめながら、次々と光の塵となって空間に溶けていく。
数万という絶望的な大軍勢が、ただ紅い光が降り注いだだけで、一切の抵抗もできずに音もなく消滅していく。
それは、凄惨な殺戮ではなく、あまりにも美しく、静かな【存在の調律】であった。
「……すごい……。カルムの火が、全部の『スジ』を解きほぐしていく……」
アルの黄金の【真理の目】には、カルムの放った紅い光の粒子が、まるで何万本もの極薄の包丁となって、敵の急所(結び目)にだけ正確に滑り込んでいくのが視えていた。
力任せの暴力ではない。
世界をあるべき姿に戻すための、極限まで研ぎ澄まされた料理人のような手捌き。
四、 絶望の底で繋がる命の温度
そして、その紅い光の粒子は、敵を解体する一方で、アルたち地上の人間にとっては、全く別の『奇跡』をもたらしていた。
「……あ、温かい……」
紅い光の粒子がアルの頬に触れ、折れた肋骨や打撲の傷口へ吸い込まれていく。
すると、身体の芯からジンジンとした熱が湧き上がり、激痛で動かせなかったはずの四肢に、不思議なほど力が漲ってきたのだ。
「……私の……腕が……」
背後の瓦礫の山で倒れていたエレナが、信じられないものを見るように自身の両腕を見つめていた。
神殿殲滅兵の破城槌によって粉々に砕け散ったはずの彼女の腕の骨が、紅い光の粒子に包まれると同時に、超高速で結合し、痛みが嘘のように引いていく。
「……カルム殿の火は……破壊だけではない。対象の『本来あるべき正しい形』を見極め、そこへマナを繋ぎ直しているのか。……これはもはや、神の奇跡すらも凌駕する【魂の修復】だ」
エレナが、瓦礫の中から立ち上がる。
彼女の盾は失われたままだが、その瞳にはかつてないほどの強い生命力が宿っていた。
『……クゥ……ン……』
さらに、数百の光の槍に貫かれ、血の海に沈んでいた漆黒の魔狼オルタも。
降り注ぐ光の粒子をその身に受けることで、身体に突き刺さっていた神聖マナの槍が光となって霧散し、抉られた肉体が緋色の炎と共に瞬く間に再生していく。
オルタは力強く四肢を踏ん張り、アルの横へと再び立ち上がった。
異常重力で倒れていたレジスタンスの戦士たちも、次々と立ち上がり、自らの手を握りしめ、不思議そうに顔を見合わせている。
「……息ができる……。痛みが、消えた……」
「あの光が、俺たちを治してくれたのか……?」
カルムの放った【祈りの極光】。
それは、敵の法則を解体する絶対の刃であると同時に、自分が大切に想う者たちを護り、癒やすための、どこまでも優しく温かい『家族の炎』であった。
五、 巨大なる残滓、最期の足掻き
紅い光の雨によって、アガルタを包囲していた数万の天使軍団は、その九割以上が消滅した。
だが、その光の浄化を強引に耐え抜いた者たちが、ごく僅かに残されていた。
『……主(使徒)ノ意志ハ……絶対……。……コノ身ガ崩レヨウトモ……異端者ヲ、道連レニ……!』
エレナの盾を砕いた十体の神殿殲滅兵のうち、最も巨大で装甲の厚い指揮官機体が、半身を光の粒子に解体されながらも、執念でアガルタの地上口へと踏み込んできた。
その右腕の破城槌はすでに融解しているが、機体の中枢にある『自爆用マナ・コア』を臨界点まで過充填し、アルたちを巻き込んで巨大な爆発を起こそうとしていたのだ。
「……アル殿! 下がれッ! 奴は自爆する気だ!」
エレナが、アルを庇おうと前に飛び出そうとする。
だが。
「……逃げないよ。エレナさんも、下がってて」
アルは、立ち上がり、深呼吸を一つすると、遥か遠くに転がっていたボロボロの黒鉄の包丁を拾いに行き、しっかりと両手で握り直した。
「……アル殿!? 君一人で、あの質量をどうするつもりだ!」
「……一人じゃないよ。……『最高の火力』が、もうそこまで来てるから」
アルの漆黒の瞳は、自爆しようと迫り来る巨大な神殿殲滅兵ではなく。
その遥か上空、暗雲の裂け目から降り注ぐ紅い光の【最も濃密な中心点】を真っ直ぐに見据えていた。
(……視える。……カルムの命の温度が……真っ直ぐに、僕たちの場所へ向かってきているのが……!)
アルは、逃げるどころか、自爆のコアを赤黒く輝かせる巨大な神殿殲滅兵へ向けて、自分から一歩、力強く踏み出したのだ。
六、 降臨の予兆、天を裂く声
ズゴォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!
その瞬間、アガルタの地上口周辺の空間そのものが、圧倒的な熱波によって激しく陽炎のように揺らぎ始めた。
自爆特攻を仕掛けようとしていた巨大な神殿殲滅兵の動きが、空中でピタリと硬直する。
システムのエラーではない。
上空から突きつけられた、生物としての本能を根源から停止させるほどの【絶対的なプレッシャー】に、神の機械すらも完全に金縛りに遭ったのだ。
「……待たせたな、アル。エレナ」
空の彼方から、大気を震わせ、世界中の絶望を吹き飛ばすような、低く、しかし最高に力強い少年の声が響き渡った。
『……エ……ラァ……ァ……』
神殿殲滅兵が、頭上を見上げ、その無機質な顔に初めて恐怖のような歪みを浮かべた。
暗雲を切り裂き、地上を照らす真紅と緋色の光の奔流。
その中心から、まるで天を貫く一本の流星のように、すさまじい速度と熱量を纏った【影】が、アガルタの地上へ向けて急降下してくる。
周囲の空気がプラズマ化し、雷鳴のような轟音が轟く中。
アルは、ボロボロの包丁を胸の前で抱きしめ、最高に嬉しそうな笑顔でその光を見上げた。
「……世界中の理不尽掃除……。ご苦労様、カルム!」
アルの声に呼応するように、空から降る真紅と緋色の極光が、さらにその輝きと熱を増して爆発する。
世界を管理する神の楔を全て解体し、絶望の地獄から完全なる勝利を引っ提げて。
最強の修羅が、ついに愛する相棒たちの待つ最前線へと、その足跡を刻み込もうとしていた。




