第142話:深紅の流星の帰還
一、 星界の頂きにて、修羅が断ち切ったもの
教国ルミナの大陸全土を覆い尽くしていた、絶望の象徴。
空を真っ黒に染め上げる巨大な漆黒の金属群『星喰いの楔』は、天門の使徒エノクが地上を完全に制圧し、特異点であるカルムを物理的かつ概念的に押し潰すために投下した、神の最高位抑圧兵器であった。
各々の楔が放つ局地的な重力異常は、大気を歪ませ、大地をすり鉢状に陥没させ、その下に生きるすべての命の活動を強制的に停止させる。それはまさしく、神が自らの箱庭をリセットするために放った「物理的な死の宣告」に他ならなかった。
だが、その絶望の空のさらに上空。
成層圏にまで到達するほどの高高度——薄氷のように冷たく、マナの濃度が極限まで希薄になる星界の頂きにて。
カルムは、重力という物理法則を完全に無視した飛翔の果てに、静かに宙に留まっていた。
「……見え透いてんだよ、てめぇらのやり口は」
カルムの生身の両腕に刻まれた『赤蓮の紋様』は、真紅の命の熱と緋色の祈りを脈動させ、真空に近い冷酷な空間においてなお、太陽の如き熱量を放ち続けていた。
彼の黄金の左目——万物の理を透過し、構造の欠陥を見極める【解体眼】は、眼下に広がる教国の大陸全土を、まるで一枚の精密な設計図のように捉えていた。
カルムの視界には、世界中に突き刺さった数万本の『星喰いの楔』が、単なる独立した兵器の群れではなく、それぞれが目に見えない【紫色のマナの糸】によって複雑に結びつき合い、天門の中枢システムへと接続されている巨大な「網」として映し出されていた。
(……一つ一つの楔を物理的に壊して回る? ……そんな面倒なマネ、誰がやるかよ)
カルムは、遥か眼下の空で重力波紋を放つ、最も巨大な主柱へ向けて、スゥッと右手の生身の手刀を掲げた。
使徒エノクは、システムの完全性を信じすぎている。
彼らが構築した法則の網目は、確かに強固で、人間の力では到底干渉できない次元の暗号化が施されている。だが、ネットワークとして繋がっている以上、そこには必ず【結節点】が存在し、エネルギーを循環させるための【スジ】が通っているのだ。
武神の孤島で、三十倍、百倍という重力地獄の中で、理不尽な暴力の化身たちと死闘を繰り広げてきたカルムにとって。
そして何より、アルという最高の料理人が見せる「命を解体する極致の包丁さばき」をその目に焼き付けてきたカルムにとって。
使徒の作ったシステムなど、無駄な装飾でコーティングされた、大味で不恰好な「巨大な肉の塊」に過ぎなかった。
「……俺の火は、対象の表面を焦がすだけの安い火じゃねぇ」
カルムの手刀の先端から、一ミクロン以下の極薄にまで圧縮された、純白に近い【赤蓮の概念刃】が伸びる。
「……繋がってんなら、その『繋がり(スジ)』のど真ん中に刃を滑り込ませて、根元から全部まとめて三枚におろすだけだ」
カルムは、一切の気負いも、怒りも、焦りも見せず。
ただ、最も美味しく、最も綺麗に対象を解体するための、完璧に澄み切った『料理人の心境』で、その右手を真っ直ぐに振り下ろした。
スゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ…………ッ!!!!
音すらない。
真空の宇宙空間において、物理的な衝撃波は発生しない。
だが、カルムが振り下ろした純白の刃は、主柱が放つ重力波紋の中心——最もマナが密集し、法則が複雑に絡み合っている【コアの結び目】へと、寸分の狂いもなく突き刺さった。
その瞬間。
カルムの刃から流し込まれた『解体の概念』が、天門のネットワークを逆流し、世界中に散らばる全ての楔へと、光通信すら凌駕する速度で同時伝播したのだ。
パァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
地上から見れば、それは暗雲を真っ二つに切り裂く紅い光の束。
だが、その実態は、世界を縛り付けていた数万本の神の楔が、一瞬にしてその【存在の法則(因果)】を解きほぐされ、自壊していく音であった。
重力異常は消滅し、漆黒の金属はドロドロに融解して光の塵へと還っていく。
カルムは、たった一振りの手刀で、使徒が数千年かけて構築した世界制圧のシステムを、完全に紙屑へと変えてしまったのだ。
「……さてと」
カルムは、崩壊していく世界中の楔を見下ろしながら、その視線を、遥か真下の『アガルタ』へと向けた。
遠く離れた成層圏にいても、カルムの魂には、地上の最前線で抗い続けるアルの祈りが、エレナの不滅の闘志が、オルタの命の鼓動が、痛いほどに伝わってくる。
(……待たせたな、お前ら)
カルムは、両腕の赤蓮の紋様に、これまでにないほど限界突破の熱量を注ぎ込んだ。
それは破壊のためではない。
愛する相棒たちの元へ、一秒でも早く、一瞬でも早く帰還するための、究極の推進力。
「……今、帰るぜッ!!!!」
ズゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!
カルムの身体が、大気圏への再突入の摩擦すらも自らの炎に変換し、空を焼き焦がす巨大な【深紅の流星】となって、アガルタの地上へと真っ逆さまに急降下を開始した。
二、 絶望の自爆機構と、少年料理人の眼
その頃、アガルタの地上防衛線は、完全なる崩壊の淵に立たされていた。
カルムが空を切り裂き、重力異常を消滅させたことで、人々は確かに立ち上がる力を取り戻した。
だが、目の前に迫り来る絶望の質量そのものは、未だ消え去ってはいなかったのだ。
「……アル殿! 下がれッ! 奴は自爆する気だ!」
両腕を砕かれ、瓦礫の山に倒れ伏していたエレナが、血を吐きながら悲痛な叫びを上げた。
彼女の視線の先には、エレナの『不滅の盾』を粉砕し、最前線を突破した全高十メートルを超える神造兵器——『神殿殲滅兵』の指揮官機体が立っていた。
機体は、カルムが空から降らせた解体の光の粒子によって右半身を砂のように崩壊させられ、すでに戦闘能力の大半を喪失している。
だが、自らの消滅を悟った神殿殲滅兵のAIは、最後の命令である『アガルタの殲滅』を実行するため、胸部装甲を展開し、機体の中枢にある【自爆用マナ・コア】を露出させていた。
ゴォォォォォォォォォォォォ……ッ!
露出した巨大な球体のコアは、周囲の空間を歪ませるほどの凄まじい熱量を発し、赤黒く明滅している。
臨界点までのカウントダウン。
それは、かつて教国の異端審問で一つの街を地図から消し去ったとされる、戦略級の破壊兵器の起動であった。
「……ウソだろ……。あんなのが爆発したら、アガルタの入り口どころか、地下都市まで完全に蒸発しちまう……!」
レジスタンスの隊長が、重力から解放された身体を引きずりながらも、あまりの絶望的な質量を前にして膝を震わせた。
逃げ場などない。
防ぐ手段もない。
『……最終プロセス。……特異点ノ結界破壊、オヨビ異端者ノ完全消去……。……実行……』
無機質な機械音声と共に、コアの明滅が最高潮に達しようとした、その時である。
「……逃げないよ。エレナさんも、みんなも……下がってて」
絶体絶命の最前線に、ただ一人。
マナを持たない小柄な少年料理人・アルが、遥か遠くに転がっていたボロボロの黒鉄の包丁を拾い上げ、両手でしっかりと握り直して立ちはだかったのだ。
「……アル殿!? 君一人で、あの質量をどうするつもりだ! それ以上近づけば、自爆の余波だけで君の身体など消し飛んでしまうぞ!」
エレナが絶叫する。
だが、アルの足取りに迷いはなかった。
彼の漆黒の瞳の奥で、黄金の【真理の目】が、自爆しようと赤黒く膨張する巨大なマナ・コアの内部構造を、冷徹なまでに完璧に解析していた。
(……視える。……あの中にある、莫大なエネルギーがぶつかり合ってる『結び目』。……マナが爆発へ向けて連鎖反応を起こそうとしてる、一番太い『スジ』……)
アルは知っていた。
どれほど巨大なエネルギーの塊であろうと、それが『作られたもの』である以上、必ずそこには調理の工程(法則)が存在する。
食材の細胞が熱によって変性するように、マナの爆発もまた、幾重にも絡み合った法則の糸が特定の順序で発火することによって引き起こされるのだ。
(……僕の包丁じゃ、あの分厚い金属の装甲は切れない。……でも、中身がむき出しになったあの『コア』の法則の糸なら……僕の眼で、絶対に断ち切れるポイントが見つけられるはずだ!)
「……アル……! やめろッ!」
倒れていたレジスタンスたちも悲鳴を上げる。
『……障害物、排除』
神殿殲滅兵が、最後の力を振り絞り、融解しかけた左腕をアルへ向けて薙ぎ払おうとした。
アルの小さな身体など、その腕の風圧だけで叩き潰されてしまう。
だが、アルは逃げなかった。
彼の眼は、巨大な腕ではなく、その遥か上空——暗雲の裂け目から降り注ぐ光の中心を、真っ直ぐに見据えていた。
(……来る。……僕たちの『最高の火力』が……!)
三、 空間の凍結、絶対者の威圧
ズゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!!!
その瞬間、世界から一切の音が消失したかのような、異様な『静寂』が戦場を包み込んだ。
いや、音が消えたのではない。
遥か上空から叩きつけられた、あまりにも強大で、あまりにも苛烈な【絶対的なプレッシャー(威圧)】によって、アガルタの空間そのものが、物理的・概念的に完全に凍結してしまったのだ。
「……え……?」
アルへ向けて薙ぎ払われようとしていた神殿殲滅兵の巨大な左腕が、アルの鼻先わずか数センチの距離で、ピタリと停止した。
機械の故障ではない。自爆のカウントダウンを告げていた赤黒いコアの明滅すらも、まるで時間を止められたかのように、その鼓動を完全に停止させている。
『……エ……ラァ……。……システ……ム……、完全……停……止……』
神造兵器のAIが、自らの存在を維持するマナの循環すらも押し留められるほどの『上位の存在』の接近を感知し、自己防衛のためにすべての活動を強制シャットダウンさせてしまったのだ。
それは、野生の草食動物が、背後に巨大な肉食獣の気配を感じた瞬間に、恐怖で筋肉を硬直させてしまうのと同じ、根源的な恐怖のメカニズムであった。
「……この、空気の重さは……! 重力異常とは違う……純粋な、魂の質量……!」
エレナが、震える声で空を見上げた。
暗雲を完全に切り裂き、地上を真昼のように明るく照らし出す真紅と緋色の光の奔流。
その中心から、天空を割るような雷鳴と共に、一条の極光が一直線にアガルタの地上へ向けて急降下してくる。
大気がプラズマ化し、凄まじい衝撃波が円心状に広がっていく。
だが、その衝撃波は、アルやエレナ、倒れたレジスタンスたちを傷つけることは一切なく、彼らを包み込むようにして、熱波と殺意だけを【敵】へと正確に叩きつけていた。
「……世界中の理不尽掃除……。ご苦労様、カルム!」
アルが、空を見上げて最高に嬉しそうな笑顔を咲かせた。
その直後。
天を突く極光が、アルのすぐ目の前、フリーズした神殿殲滅兵の巨大な機体の頭上へと、凄まじい速度で激突した。
四、 深紅の流星、大地への帰還
ズガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!!!!
大地が跳ね上がり、黒曜石の防壁が粉々に砕け散る。
だが、その爆発的な激突のエネルギーは、周囲へ無秩序に撒き散らされることはなかった。
落下してきたカルムの両腕から放たれる『赤蓮の翼』が、落下の全運動エネルギーを瞬時に真紅の炎へと変換し、その熱量のすべてを、足元にいる神殿殲滅兵の巨大な機体のみへ向けて【ピンポイントで叩き込んだ】のだ。
バキィィィィィィィンッ!!!!
全高十メートルの重装甲が、カルムの着地の衝撃と熱波を真上から受け、まるで空き缶がプレス機で潰されるように、縦に一瞬でペシャンコに圧縮された。
もうもうと立ち込める粉塵と、真紅と緋色の炎の粒子。
大地を焦がす熱波のド真ん中で、ゆっくりと、その『修羅』が立ち上がった。
「……ハァ……ッ……ハァ……ッ……」
カルムは、深く、長く、熱い息を吐き出した。
彼が纏う衣服は成層圏からの降下の摩擦で所々が焼け焦げ、素肌が露出している。だが、その両腕から首筋にかけて深く刻み込まれた『赤蓮の紋様』は、まるで彼自身の脈動と完全に同期するように、美しく、そして恐ろしいほどの鮮やかさで明滅を繰り返していた。
「……待たせたな、アル。エレナ」
粉塵が晴れ、カルムの姿が完全に露わになる。
その顔には、かつてのスラムで飢えと怒りに塗れていた野良犬の面影はない。
武神の孤島での死闘を経て、神を殺す真理の刃を手に入れ、そして何より、愛する相棒たちの待つ『帰るべき場所』を己の魂に刻み込んだ、最高に不敵で、気高き【最強の料理人(修羅)】の顔がそこにあった。
「……カルム……ッ!」
アルが、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、その名を叫ぶ。
「……無事か、お前ら」
カルムは、振り返ることなく、背中でそう問いかけた。
彼の黄金の左目——『解体眼』は、足元でプレスされながらも、未だ自爆の臨界エネルギーを燻らせている神殿殲滅兵のコアを、冷徹に見下ろしていたからだ。
「……俺がいない間に、随分と派手に散らかしてくれたじゃねぇか。……天門の神様どもは」
カルムの周囲の空間が、彼の放つ怒りの熱量によって、ジリジリと歪み始める。
「……カルム殿! 気をつけろ! その足元の機体は、自爆用のマナ・コアを臨界まで過充填している! 物理的な衝撃を与えれば、エネルギーが連鎖崩壊を起こして大爆発するぞ!」
瓦礫の中から、エレナが必死に警告を飛ばす。
プレスされ、スクラップ同然となった機体の残骸の中心で。
巨大な球体のマナ・コアが、最後の執念のように再び赤黒い光を放ち始め、今にも爆発の連鎖反応をスタートさせようとしていた。
『……エ……ラー……。自爆……シーケンス……再起動……。……半径……五キロメートル……完全……消去……』
「……カルム! コアの中央、少し右にずれた所に、爆発の起点になる一番太いマナの『結び目』がある! そこを刺激したらダメだ!」
アルが、真理の目を凝らして叫ぶ。
普通の人間であれば、これほど巨大な爆発物の前では、逃げるか、結界を張って防御に徹するしかない。物理的な切断や破壊を行えば、それが引き金となって爆発を引き起こしてしまうからだ。
だが、カルムは逃げも、防御もしなかった。
彼は、赤黒く臨界を迎えようとしている巨大なコアへ向けて、だらりと下げていた生身の両腕を、静かに差し伸ばした。
「……爆発? させるかよ、そんな安っぽい花火」
五、 解体の極致、概念の摘出
カルムは、マナ・コアの表面を覆う数千度の高熱の防壁へ、ためらうことなく自らの両手を突っ込んだ。
ジジジジジジジジッ!!!!
カルムの生身の皮膚が焦げる音ではない。
カルムの両腕に纏わされた『赤蓮の概念炎』が、コアの放つ破壊の熱量を中和し、逆にその法則そのものをドロドロに溶かしていく音であった。
「……アル。お前の眼には、この爆弾の『スジ』が完全に見えてるんだな」
カルムは、コアの内部へ両腕を深く沈めながら、背後のアルに尋ねた。
「……うんッ! 爆発を起こそうとしてる、赤い糸の塊みたいな結び目がある! それが解ければ、エネルギーは爆発せずに散るはずだよ!」
「……上等だ。……なら、俺の手に、お前の眼を乗せろ」
カルムの黄金の左目と、アルの黄金の真理の目が、空間を越えて完全に同期する。
アルが見ているコア内部の複雑怪奇なマナの流動が、カルムの脳内へ、そして両腕の神経へとダイレクトに伝達されていく。
(……見えた。……ここか)
カルムの両手の指先が、コアの最深部で赤黒く脈打つ、ソフトボール大の【自爆の起爆点(結び目)】へと到達した。
少しでも力を入れ間違えれば、その瞬間にアガルタごと消し飛ぶ、極限の爆発物処理。
だが、カルムの手つきは、まるで熟練の職人が繊細なガラス細工を扱うかのように、あるいは最高の料理人が極上の肉の最も美味しい部位を切り出すかのように、滑らかで、一切の迷いがなかった。
「……俺の火は……ただ燃やすだけの火じゃねぇ」
カルムの両腕の『赤蓮の紋様』から、極細の、針のような純白の概念刃が無数に伸び、起爆点の結び目へと静かに滑り込んでいく。
「……対象の理を見極め……必要なものと不必要なものを……完璧に切り分ける……ッ!」
カルムの指先が、起爆点の中で複雑に絡み合うマナの糸を、一本、また一本と、丁寧に、そして超高速で弾き、切断し、解きほぐしていく。
それは物理的な破壊ではない。
自爆という【事象】を成立させている因果のプロセスを、途中で強制的にキャンセルさせるという、神の奇跡すらも凌駕する『概念の解体(摘出)』であった。
『……エ……ラー……? 臨界……エネルギー……消失……。因果……切断……』
数秒後。
スゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ…………。
赤黒く、周囲の空間を歪めるほど膨張していた巨大なマナ・コアの光が。
まるで風前の灯火がフッと吹き消されるように、一瞬にして静かな透明色へと色を落とし、そして、ただの巨大なガラス玉となって、パリンッ……と乾いた音を立てて砕け散ったのだ。
「……え……?」
エレナが、信じられないものを見るように息を呑む。
半径五キロを吹き飛ばすはずのエネルギーが、爆発することなく、完全に『解体』され、無害な自然マナへと還元されて虚空に消え去ったのである。
「……ハァ……ッ。……ざっと、こんなもんだ」
カルムは、砕け散ったコアの残骸からゆっくりと両腕を引き抜き、軽く手を払って残った熱を散らした。
力任せに殴るのではなく、理を見極め、刃を滑り込ませ、対象をあるべき姿へと解体する。
これこそが、アルの料理(真理の目)とカルムの暴力(赤蓮の炎)が完全に融合して到達した、【我流極奥義・赤蓮解躰】の真骨頂であった。
「……すごいよ、カルム……! 爆発の糸を、一瞬で全部解いちゃった!」
アルが、興奮して飛び跳ねるように叫ぶ。
「……お前の眼が正確だったからな。……一人じゃ、もっと手こずってたさ」
カルムは、振り返り、アルへ向けて最高に誇らしげな笑みを浮かべた。
六、 砕けた盾と、繋がれた命の温度
敵の完全なる消滅。
静寂が戻った戦場には、カルムの放つ温かい赤蓮の炎の余熱だけが心地よく漂っていた。
カルムは、ゆっくりと歩みを進め、瓦礫の山で倒れているエレナの元へと近づいた。
「……カルム殿……」
エレナは、砕け散った大盾の破片の横で、自らの両腕をだらりと下げたまま、痛みに顔を歪めながらも、深い安堵の息を吐き出した。
「……申し訳ない。……私は、君たちが戻る場所を護ると誓ったのに……。私の盾は砕け、最後は……君の力に頼り切りになってしまった。……不滅の盾などと、笑止千万だ」
エレナの碧眼から、悔しさと不甲斐なさの涙が一筋こぼれる。
カルムは、エレナの前に片膝を突き、その視線を彼女と同じ高さに合わせた。
「……バカ言ってんじゃねぇよ」
カルムの生身の右手が、エレナの骨が砕け、紫に腫れ上がった腕へとそっと触れる。
「……ッ!」
エレナが激痛に身をこわばらせるが、次の瞬間、カルムの手から放たれる【紅い光の粒子】が、彼女の腕を優しく包み込んだ。
それは、空から降らせたあの光の雨と同じ、対象の『本来あるべき正しい形』を見極め、そこへマナを繋ぎ直す【魂の修復】の炎。
ミシミシ……と音を立てて、エレナの砕けた骨が正しい位置へ戻り、引き裂かれた筋肉と神経が瞬く間に結合していく。
激痛は、信じられないほどの温もりと安らぎへと変わっていった。
「……カルム殿……。これは……」
「……お前の盾が砕けたのは、お前が俺たちのために、自分の限界を超えてまで攻撃を受け止めてくれたからだ。……お前が盾になってくれなきゃ、アルも、ここの連中も、俺が帰ってくる前に全員死んでた」
カルムは、修復が終わったエレナの腕から手を離し、真っ直ぐに彼女の目を見つめた。
「……俺にとっての『不滅』ってのは、鉄の板が壊れないことじゃねぇ。……何度折られても、何度砕かれても、俺たちのためにその足で立ち上がってくれる、お前のその『魂』のことだ」
カルムの言葉に、エレナは目を見開き、そして、せきを切ったようにボロボロと大粒の涙を流し始めた。
「……あぁ……。あぁ……ッ! カルム殿……ッ!」
エレナは、治癒した両腕で自らの顔を覆い、子供のように声を上げて泣いた。
教国の聖騎士として、常に完璧な強さを求められ、弱さを見せることを許されなかった彼女が、初めて他者の前で見せた、等身大の人間の涙であった。
「……よく護ってくれたな、エレナ。……あとは全部、俺に任せろ」
カルムは、エレナの肩を優しく叩くと、立ち上がって次の場所へ向かった。
そこには、数百の光の槍に貫かれ、漆黒の血の海に倒れ伏している巨大な魔狼・オルタの姿があった。
カルムが空から降らせた光の雨によって、致命傷は塞がりつつあるものの、オルタの息は絶え絶えで、その瞳は弱々しく半開きになっている。
「……クゥ……ン……」
オルタは、近づいてきたカルムに気づき、悲しげに喉を鳴らした。自分は最後までアルを護りきれなかったという、悔恨の響きがそこにあった。
「……バーカ。お前が謝る必要がどこにある」
カルムは、オルタの巨大な頭を撫で、その緋色の紋様が刻まれた額へ、自分の額をゴツンと軽くぶつけた。
「……自分の体がボロボロになるまで、アルを庇ってくれたんだろ? ……お前は、最高に立派な俺たちの『家族』だ。……胸張って休んでろ、オルタ。お前が流した血の分は、俺が使徒どもにキッチリ請求してやるからよ」
カルムの言葉と、その額から伝わる命の熱量を受けて。
オルタの瞳に、再び強い光が宿った。
『……グルゥゥゥゥッ!』
オルタは、カルムの言葉に応えるように力強く吠えると、安心したように目を閉じ、アルの足元の影の中へとスゥッと沈み込んで、深い回復の眠りについた。
七、 最強の相棒、そして家族の抱擁
仲間たちの治療と労いを終えたカルム。
彼は最後に、その視線を、戦場の中央で立ち尽くしている小さな少年の背中へと向けた。
「……アル」
カルムがその名を呼ぶと。
アルは、両手で固く握りしめていたボロボロの黒鉄の包丁を、カラン……と地面に取り落とした。
アルの身体は、限界をとっくに超えていた。
マナを持たない彼が、数十倍の異常重力に耐え、エレナを庇い、神造兵器の前に立ちはだかり、カルムの帰還を信じて、己の魂を極限まで削り出していたのだ。
アルは、ゆっくりと振り返った。
その顔は、泥と涙と血でグシャグシャに汚れ、折れた肋骨の痛みで表情は歪んでいる。
だが、カルムの姿を正面から捉えた瞬間。
アルの顔に、この世のすべての絶望を吹き飛ばすような、最高に無邪気で、最高に安心しきった笑顔がパァッと咲き誇った。
「……おかえりなさい……ッ! カルムッ!!」
アルは、痛む身体を引きずりながら、カルムの元へとよろよろと駆け出した。
カルムもまた、両腕を大きく広げ、飛び込んでくる相棒を受け止めるために数歩前へ出る。
ドンッ!
アルの小さな身体が、カルムの胸の中へと勢いよく飛び込んだ。
「……ただいま、アル。……遅くなって、悪かったな」
カルムは、生身の両腕でアルの背中をしっかりと抱きしめ、その温かい体温を確かめるように強く抱擁した。
「……ううん、全然遅くない! カルムは、一番大事な時に、絶対に来てくれるって……僕、ずっと信じてたから!」
アルは、カルムの焦げた衣服に顔を埋め、ボロボロと涙を流しながらその胸板を小さな拳で何度も叩いた。
「……あぁ。お前が俺を信じてくれたから、俺は世界中のどんな遠い場所にいても、迷わずにここ(帰るべき場所)へ真っ直ぐに飛んで来れたんだ」
カルムは、アルの頭を優しく撫でながら、孤島での地獄の修練を思い返していた。
武神の残滓に左腕を砕かれ、絶望の淵に沈みかけた時。カルムを立ち上がらせたのは、アルと交わした「最高の食材(未来)を二人で料理する」という約束だった。
マナを失い、星の生命力を直接取り込むという狂気の修行に耐えられたのも、すべてはアルの祈りが、カルムの魂の中で『絶対に消えない火種』として燃え続けていたからだ。
「……アル。お前、一人で逃げずに、あのデッケェ爆弾(神殿殲滅兵)の前に立ち塞がったんだってな」
「……うん。だって、エレナさんが倒れて、オルタもやられちゃって……僕がここで逃げたら、アガルタのみんなが危なかったから。……それに、僕の眼には、あいつの爆発を止める『スジ』が見えてたから……だから、逃げる理由なんてなかったよ」
アルの言葉は、震えながらも、驚くほど力強く、そして透き通っていた。
マナを持たない、ただの子供。
だが、その心根に宿る強さは、教国のどんな聖騎士よりも、天門の使徒たちよりも、遥かに気高く、強大であった。
「……フッ。……お前は、本当にスゲェ奴だよ、アル」
カルムは、アルから体を離し、その泥だらけの頬を自らの指で優しく拭った。
「……俺は、武神の孤島で、どんな理不尽も解体する『火力』を手に入れてきた。……でも、お前はそんな力なんかなくても、とっくの昔から……どんな絶望にも屈しない『最強の心』を持ってたんだな」
カルムの言葉に、アルは照れくさそうに笑い、鼻の頭を擦った。
「……僕一人じゃ、お肉も切れないからね。……カルムの火があって、初めて僕の料理は完成するんだよ」
「……あぁ、違いない。俺とお前で、最高のコンビ(厨房)だ」
二人は、互いの瞳を見つめ合い、そして、静かに、深く頷き合った。
言葉以上の絶対的な信頼。
スラムで雨を凌ぎ、なけなしのパンを分け合ったあの日から始まった二人の物語は、幾多の地獄と絶望を乗り越え、いま、世界を救う【究極の絆】へと完全に昇華されたのだ。
八、 地上の凱歌、新たなる伝説の幕開け
カルムとアルが抱擁を交わし、互いの無事を確かめ合っている間。
周囲で倒れていたレジスタンスの戦士たちや、アガルタの地下から恐る恐る地上へと顔を出した避難民たちが、その奇跡の光景を前に、言葉を失って立ち尽くしていた。
空を覆っていた紫色の暗雲は完全に消え去り、澄み切った青空から、眩しい太陽の光がアガルタの大地を照らし出している。
数万の使徒の軍勢は跡形もなく消え去り、彼らを苦しめていた重力異常も完全に消滅した。
そして、その戦場の中央に立つのは、真紅と緋色の炎を纏う少年の背中。
「……勝った……。俺たちは、また……生き延びたんだ……!」
レジスタンスの隊長が、折れた剣を杖にして立ち上がり、震える声で空を見上げた。
「……神様のバケモノ軍団が、全滅しちまった……! あの赤い光を放った少年が、たった一人で……全部ぶっ壊してくれたんだッ!」
「重力の楔も消えた! 通信機が復活したぞ! 他の都市のレジスタンスたちも、無事だ! 全員、あの光に救われたんだ!」
地上全域から、無数の歓喜の報告が次々とアガルタへと舞い込んでくる。
「……オォォォォォォォォォォォォッ!!!!」
「英雄だ……! 赤蓮の英雄が、俺たちを神の支配から完全に解き放ってくれたんだァァァッ!」
地を揺るがすほどの、爆発的な凱歌。
人々は抱き合い、涙を流し、カルムとアルの名前を狂ったように叫び続けた。
数千年の間、使徒という絶対者の理不尽に虐げられ、家畜のように管理されてきた人間たちが、自らの手で未来を掴み取り、神の軍勢を打ち破った、歴史的な歓喜の瞬間であった。
カルムは、周囲で沸き起こる大歓声を聞きながら、ゆっくりと立ち上がり、アルの手を引いて自分も立ち上がらせた。
「……英雄、か。……柄じゃねぇな」
カルムが、頭を掻きながら苦笑する。
「……ふふっ。でも、みんなカルムのこと、大好きなんだよ。カルムの火が、みんなの心を温めてくれたから」
アルが、嬉しそうにカルムの腕に抱きつく。
「……まあ、悪くはねぇよ」
カルムは、アルの肩を抱き寄せたまま、その鋭い黄金の左目(解体眼)を、歓喜に沸く地上から、遥か上空——成層圏の彼方に浮かぶ、使徒たちの居城『天門』へと向けた。
地上のゴミ掃除は、終わった。
世界を縛っていた重力の楔も、数万の軍勢も、俺とアルの力で完全に解体した。
だが、本当の『元凶』は、まだあの空の上で、震えながら俺たちを見下ろしている。
(……待ってろよ、エノク、メリエル、バアル。……てめぇらが世界中にばら撒いた理不尽のツケは、俺がキッチリ、耳を揃えて払わせてやる)
カルムの両腕の『赤蓮の紋様』が、次なる戦い(調理)を渇望するように、さらに強く、激しく脈打ち始める。
彼が武神の孤島で得た力は、まだその底を見せてはいない。
神の理不尽すらも解体する『我流極奥義』の真の姿は、これから始まる天門での最終決戦において、完全にその牙を剥くこととなる。
「……行くぞ、アル。エレナ」
カルムの言葉に、アルが力強く頷き、エレナが新たな覚悟と共に背筋を伸ばす。
アガルタの地に帰還した深紅の流星は、地上の絶望を完全に焼き払い、今、反撃の矛先を神の喉元へと真っ直ぐに突きつけた。




