第132話:再会への序曲
一、 崩落する迷宮と、取り戻した絆
バリバリバリバリバリバリッ……!
使徒エノクの権能によって作られた疑似空間『断絶の闘技場』が、カルムの放った【我流極奥義・赤蓮解躰】の衝撃波と、全ての処刑天使が解体されたことによる魔力逆流に耐えきれず、まるで老朽化したガラス建築のように大音響を立てて崩壊していく。
虚構の天井が剥がれ落ち、偽りの壁が光の塵となって四散した。
その煙幕と光芒の向こう側から姿を現したのは、教国ルミナの真の最深部——天井の吹き抜けから教国の人工太陽の光が斜めに差し込む、荘厳にして禍々しい【大聖堂の中央大広間】であった。
「……ハァ……ッ……ハァ……ッ……」
カルムは、崩れ落ちた大理石の破片の上に立ち、生身の両手の手刀を静かに下ろした。
彼の両腕の皮膚に深く刻まれた『赤蓮の紋様』は、興奮冷めやらぬといった様子でチリチリと熱を帯び、真紅の命の熱と緋色の祈りの光を脈打つように交互に明滅させている。
「……カルム……ッ!」
背後から、小さな足音が走ってくる。
アルだった。
彼はボロボロの黒鉄の包丁を腰のベルトに押し込むと、泥と血に汚れた顔のまま、カルムの背中へと勢いよく飛びついて抱きついた。
「……本当に、帰ってきてくれたんだね……! 腕も……腕も元通りになって……!」
アルの温かい体温と、涙で濡れた鼻息が、カルムの背中に直接伝わってくる。
かつて使徒との戦いで右腕を焼き切られ、武神の残滓に左腕を砕かれ、絶望の地獄(武神の孤島)へと落ちていったあの日。アルはカルムの消えゆく身体を抱きしめ、ただ泣くことしかできなかった。
だが今、アルの手が触れているのは、あの地獄を己の魂と絆の力だけで打ち破り、完璧な再生と進化を果たした【本物のカルムの肉体】だった。
「……バカ言え。当たり前だろ」
カルムは、背中にしがみつくアルの頭を、生身の右手で乱暴に、しかし愛おしそうになで回した。
「……お前が『生きて帰ってきて』って言ったんだ。……俺が約束を破ったこと、一回でもあったか?」
「……ううん、一度もない! カルムはいつだって、僕の言ったことを全部叶えてくれたッ!」
アルが鼻をすすりながら、満面の笑みを咲かせる。
その傍らで、大盾を杖代わりにして身体を支えていたエレナ・ルミナスが、血に染まった頬を緩め、深く、深く安堵の息を吐き出した。
「……見事だ、カルム殿。……君が孤島で手に入れたその力、そしてアル殿との寸分の狂いもない連携……。私ごときが口を挟む余地など、最初からなかったようだな」
「……何言ってんだよ、エレナ」
カルムは振り返り、満身創痍の女騎士の肩に、左手をぽんと置いた。
「……お前が俺のいない間、命がけでアルを護ってくれたから、俺は安心して地獄で修行できたんだ。……感謝してんぜ、エレナ」
「……カルム殿……」
エレナの碧眼が一瞬潤み、彼女は気恥ずかしそうに視線を泳がせた後、気高く胸を張った。
「……フッ、礼には及ばん。私は『不滅の盾』と誓ったのだ。君たちが最高の料理(未来)を作るための器となること……それこそが私の騎士道だ」
スラムの野良犬と、落ちこぼれの少年料理人、そして教国を追われた女騎士。
失うものしかなかった三人が、地獄の修練と絶望の死闘を乗り越え、ついに心技体のすべてにおいて完璧な信頼で結ばれた【最高のパーティー】として、ここに完全な再集結を果たしたのだ。
二、 天界の支配者、三使徒の冷眼
『……感動の再会劇は終わったかしら? 下等生物ども』
大広間の天井近く、吹き抜けの空間に浮かぶ【黄金の玉座エリア】。
そこから、鈴の音のように透き通った、しかし氷のように冷酷で無慈悲な女性の声が降り注いだ。
使徒メリエル。
彼女は黄金の宝座に浅く腰掛け、優雅に脚を組みながら、眼下のカルムたちをゴミを見るような不快気な瞳で見下ろしていた。
『まさか、私の処刑天使たちが一瞬で解体されるなんてね。……でも、勘違いしないで頂戴。アレはあくまで、教国の「セキュリティ・プログラム」の末端に過ぎないわ』
メリエルの隣で、筋肉の巨躯を黄金の甲冑に包んだ使徒バアルが、凶暴な肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべて太い腕を組んだ。
『ガハハハハハハッ! 面白ぇじゃねェか、カルムッ! 武神の孤島で百倍重力に潰されて死んだかと思えば、随分と威勢のいいツラになって帰ってきやがった! ……その両腕の妙な模様と炎、俺の拳で原形が残らねェくらいに叩き潰してやるのが楽しみだぜッ!』
そして、三人の使徒の中央——最も高貴で、最も冷酷な計算を秘めた男、使徒エノクが、静かに眼鏡のフチを押し上げた。
『……認めざるを得ないな、個体名カルム。君は、我々が管理するこの世界の「システム(マナ法則)」における、最大にして唯一の例外事象だ』
エノクの声には、焦りも怒りもない。ただ、未知の試薬を観察する科学者のような、乾いた知的好奇心だけが存在していた。
『マナ回路を喪失しながら、魂の熱量を直接物理現象へと変換する能力。そして、対象の構造の不全を見極め、概念そのものを切断する「解体」の技術。……君の存在は、神の秩序にとってあまりにも有害だ』
エノクの周囲に、無数の神聖ルーン文字が環状に浮かび上がる。
『ゆえに、ここで終わらせる。……これ以上の「エラー」の拡散は、世界の管理において許容できない』
三使徒。
教国ルミナの頂点に君臨し、神の代理人として数千年の間、人間の生死も、感情も、歴史すらもノートの上の数字のように書き換えてきた絶対の支配者たち。
彼らが放つ圧倒的な神威のマナは、大聖堂の大気を物理的に押し潰し、白大理石の床に激しい亀裂を走らせていた。
かつて、忘却の深淵でこの圧力を受けた時。
カルムは膝を折り、爪が剥がれるほど床を掻きむしり、自分の無力さに絶望するしかなかった。
だが。
三、 修羅の嘲笑と、解体眼の確信
「……ヘッ」
カルムの口から漏れたのは、絶望の悲鳴でも、怒りの咆哮でもなかった。
それは、相手の底の浅さを見透かしたような、心底可笑しそうな【嘲笑】であった。
「……おいおい、使徒様よ。相変わらず、長々とお偉そうな御託を並べ立ててくれるじゃねぇか」
カルムはだらりと両腕を下げた自然体のまま、一歩前へ出た。
彼の左目——黄金色に輝く【解体眼】が、上空に鎮座する三使徒の全身、そして彼らが纏う「絶対的な神の法則」を、静かに、しかし完璧に透過していた。
(……視える。……見え見えだぜ、クソ野郎ども)
カルムの解体眼に映る三使徒の姿。
かつての彼には、それは触れることすら許されない「絶対の壁」に見えていた。
使徒エノクの持つ『数値の書き換え(防御力百万)』。
使徒メリエルの持つ『概念の拒絶(攻撃無効)』。
使徒バアルの持つ『絶対的な物理破壊(爆砕の拳)』。
だが、武神の孤島で、三十倍・百倍の異常重力を切り裂き、理の存在しない『武神の無の境地』と死闘を繰り広げてきた今のカルムにとって。
彼らが誇る「神の法則(チート能力)」など、マナというエネルギーを使って複雑に編み上げられた【ツギハギだらけの不格好な構造物】に過ぎなかった。
どんなに数字を上げようが、どんなに攻撃を無効化しようが。
それが「作られた仕組み」である以上、マナの流入口があり、法則が交差する結節点が存在する。
アルが、どれほど硬い魔物の肉であっても、命の形を見極めて包丁を滑らせれば一瞬で解体できるように。
カルムの『赤蓮の双刃』は、彼らの絶対法則の結節点を、ミクロン単位の精度で切り裂き、ただの「ただの生身の肉」へと叩き落とすことができる。
「……エノク。お前は俺を『バグ』だの『エラー』だの呼んだな」
カルムが、右手の生身の指先を、上空のエノクへ向けて真っ直ぐに突き立てた。
「……違ぇよ。俺はバグなんかじゃねぇ。……お前らが好き勝手に世界を弄くって作った『不味そうな料理(法則)』を……綺麗に三枚におろして叩き直すための……【料理人の包丁】だッ!」
四、 魂の呼応、熱気の波及
カルムの全身から、爆発的な真紅と緋色の極光が立ち上った。
ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!
その熱量は、大聖堂の分厚い天井を突き破り、聖都ルミナの空全体を真っ赤に染め上げた。
それだけではない。
第130話で海を渡ったあの【神殺しの熱気】が、今や教国全土、そして世界中の虐げられていた人々の魂と完全に同期し、巨大な反逆のうねりとなって聖都へ集結し始めていたのだ。
『……報告! 聖都外郭の防衛線、レジスタンスの総攻撃により完全突破されました!』
『……教国各地で、神殿騎士団に対する民衆の蜂起が発生! 止まりません!』
大聖堂の通信魔導具から、悲鳴のような報告が次々と響き渡る。
三使徒が数千年にわたって築き上げてきた「絶対の支配」という恐怖の呪縛が、カルムという一人の少年の放つ熱によって、跡形もなく崩壊しつつあった。
『……下等生物どもが、調子に乗るんじゃないわよッ!』
メリエルが激昂し、黄金の宝座から立ち上がった。
彼女の背後に、世界そのものを書き換えるための巨大な【神聖演算環】が展開される。
『いいわ、カルム。あなたのその汚い炎ごと、この聖都もろとも消し去ってあげる! 神の絶対法則「世界改変」を発動——』
『……待て、メリエル』
メリエルの詠唱を遮ったのは、巨漢の使徒バアルであった。
バアルは黄金の甲冑を弾き飛ばし、赤黒く筋肉が脈打つ素肌を露出させると、凶悪な笑みを浮かべて大聖堂の床へと飛び降りた。
ズガァァァァァァァァァンッ!!!!
大聖堂の床が激しく陥没し、バアルの放つ圧倒的な物理的圧力がカルムたちを襲う。
『使徒の法則だの演算だのは後だ! ……まずは俺が、あのガキの自慢の腕を根元から引きちぎって、その『赤蓮』とかいう生意気な模様を血で染めてやるッ!』
バアルの巨大な拳に、全空間の重力とマナが超高密度で集約されていく。
それは、かつてカルムが武神の孤島で戦った『力学の巨鬼』や『バルガス』の暴力を遥かに凌駕する、神の威光を纏った【絶対破壊の拳】。
五、 我流極奥義・赤蓮解躰、構えの完成
「……アル」
カルムは、迫り来る使徒バアルの殺気を前にして、一切の動揺を見せることなく、静かに背後の相棒を呼んだ。
「……準備はいいか?」
「……うんッ!」
アルが、ボロボロの黒鉄の包丁を両手で強く握り締め、カルムの左隣へと並び立った。
アルの漆黒の瞳の奥で、黄金の【真理の目】が、使徒バアルの巨大な身体を巡るマナの流動、そして使徒の不死性を担保している『神の核』の位置を、寸分の狂いもなく捉えていた。
「……バアルの拳は、すごく大きいけど……腕の付け根と、胸の装甲の繋ぎ目に、神様の法則が集中してる『結び目』がある! そこを叩けば、あの人の破壊力は全部自分に跳ね返るよ!」
「……へっ、上等だ!」
カルムが、両腕の生身の腕を胸の前でゆっくりと交差させた。
シュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ…………ッ。
カルムの両腕に刻まれた赤蓮の紋様から、真紅の命の熱と緋色の祈りが、厚さ一ミクロン以下の【純白の概念刃】となって立ち上る。
【我流極奥義・赤蓮解躰】。
スラムの喧嘩殺法から始まり。
アルの包丁さばきに学び。
三使徒に打ちのめされて全てを失い。
武神の孤島という地獄で、十倍、三十倍、百倍の重力と死闘を繰り広げ。
初代武神との真剣勝負を経て完成させた、神の法則すらも解体する最高峰の武術。
力(莫大な魂の熱量)と、技(対象の理を寸分違わず切り裂く精密さ)。
その二つが完全に融合したカルムの姿は、もはやスラムの野良犬ではなく、世界を料理する【気高き修羅の料理人】そのものであった。
「……来いよ、使徒ども」
カルムの黄金の左目が、鋭く輝く。
「……お前らが作ったその理不尽な世界……俺とアルの包丁で、残さず全部……三枚におろしてやるよッ!!」
六、 激突する因果、反逆の極光
ドガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!!!!
使徒バアルの放った絶対破壊の拳と。
カルムとアルが放つ【我流極奥義・赤蓮解躰】の純白の閃光が。
大聖堂の中央で、世界をふたつに分断するほどの爆発的な光と共に、真っ向から激突した。
激突の瞬間、大聖堂の天井が吹き飛び、聖都ルミナの空に、どこまでも高く、どこまでも美しい【真紅と緋色の十字の極光】が打ち上げられた。
それは、長きにわたる神の支配の終焉を告げる光。
そして、虐げられてきた人間たちが、自らの手で未来を掴み取るための、気高くも苛烈な反逆の狼煙であった。
修羅の修練を終え、神殺しの刃を手に入れた少年カルムと。
最高の真理の目を持ち、彼を支える少年料理人アル。
二人が紡ぎ出した極光の刃は、絶対の支配者たる神の喉首へと、怒涛の勢いで突き刺さっていくのだった——。




