第101話:絶海の孤島
一、 灰の軌跡と、マナ無き者の歩み
ズリッ……。ザクッ……。
一切の光が死に絶え、分厚い沈黙だけが支配する忘却の深淵。教国ルミナの地下数万メートルに広がるこの暗黒の空間で、岩肌を擦る不規則な足音だけが、等間隔に、そしてひどく重々しく響き続けていた。
カルムの足取りは、限界という言葉をとうに通り越していた。
一歩前に踏み出すたびに、右肩の付け根からぶら下がったままの【炭化した右腕】が揺れ、ポロポロと黒い灰を虚空に撒き散らす。
彼の背後には、点々と続く黒い灰の軌跡と、泥に混じった赤黒い血の跡が、終わりのない線となって連なっていた。
「……ハァ……ッ……ゲホッ……ガハッ……!」
カルムは岩壁に左手をつき、肺の底から込み上げてくる血の泡を吐き捨てた。
呼吸をするたびに、肺が千切れそうなほどの激痛が走る。
この忘却の深淵には、星の核から直接漏れ出す【原初マナ】が高濃度で充満している。通常の空気とは異なり、この空間に漂う気体はそれ自体が猛毒の放射線のような性質を持っており、魔法使いであってもマナの防壁を展開し続けなければ、細胞が内側から焼かれて数十分で絶命する極限環境であった。
だが、今のカルムには、その身を護るための「マナ」が一切存在しない。
三使徒との絶望的な死闘。相棒であるアルを護るため、そして己のすべてを懸けて叩き込んだ【全界焦土咆哮】。
あの極限覚醒のオーバーロードにより、彼の体内にあった毛術回路(マナ回路)は完璧に焼け落ちてしまった。
魔法使いとしての器官を完全に喪失し、炎を生み出すどころか、防禦マナの一滴すら絞り出すことができない。今の彼は、スラムの裏路地をうろつく一般人よりも、遥かに脆く、弱々しい【ただの傷ついた肉塊】に過ぎなかった。
「……クソが……。息を吸うだけで……喉が焼けそうだぜ……」
カルムは、かすむ左目で、果てしなく続く下りの岩道を見据えた。
マナ防壁がないため、原初マナの毒素がダイレクトに血肉を侵食してくる。皮膚は赤黒く爛れ、水膨れができては破れ、そこから体液が流れ出している。
それに加えて、右腕がないことによる極端な重心のズレが、歩行という単純な動作すらも困難なものにしていた。少し油断すればバランスを崩し、鋭い岩肌に顔から倒れ込んでしまう。
(……アル……)
意識が薄れそうになるたび、カルムの脳裏に浮かぶのは、別れ際に見た相棒の泣き顔だった。
『僕も……強くなる。……一人で、最高の包丁を見つけて……絶対に、神様の理不尽を解体できる料理人になってみせるッ!』
『だから……絶対に、絶対に生きて帰ってきてねッ!』
血と泥にまみれ、愛用の包丁を真っ二つに折られながらも、決して絶望に屈することなく前を向いた少年料理人。
あいつは、あんなに小さくて、力もないのに、誰よりも強くて気高い魂を持っている。
俺がマナを失い、右腕を失って「足手まといになる」と告げた時、あいつは泣いて引き止めたが、最後は俺の覚悟を受け入れ、自分の足で立ち上がったのだ。
(あいつが……あんなに必死に強くなろうとしてるのに。……俺がこんな所で、毒にやられてくたばるわけにはいかねぇんだよッ!)
カルムは、岩壁にめり込むほど強く左手の指を突き立て、己の頬を内側から強く噛み破った。
口の中に広がる生温かい血の味と、強烈な痛みが、遠のきかけていた意識を強引に現実へと引き戻す。
俺は、アルの最強の相棒になるためにここに来た。
神の法則(理不尽)すらも焼き尽くし、あいつの背中を、あいつの作る温かい厨房を、誰にも脅かされないための【絶対の火力】を手に入れるために。
マナがなくなった? 腕が炭になった?
そんなものは言い訳にならない。
マナがねぇなら、俺の『命のすべて』を叩き直して、新しい炎を創り出すまでだ。
「……待ってろよ、シェフ。……次に会う時は、お前がビックリして腰を抜かすくらいの……とんでもねぇ火力になって、帰ってやるからな……ッ」
カルムは、自らを鼓舞するように低く呟き、再び泥だらけの足を前へと踏み出した。
光のない暗黒の道程。時間感覚すらとうに失われ、何日、あるいは何週間歩き続けているのかも分からない。
ただ、下へ、下へ。
より過酷な、より死に近い星の心臓部を目指して、カルムは血と灰の軌跡を引きずりながら、忘却の深淵の果てへと歩みを進め続けた。
二、 最下層の地獄、沸騰する死海の出現
それから、どれほどの時間が経過しただろうか。
カルムの体力は限界の底のさらに底を突き破り、もはや執念と本能だけで身体を動かしている状態だった。
空腹と渇きが内臓をねじ切り、視界は赤と黒のモザイクのように明滅を繰り返している。
「……ハァ……ハァ……っ……」
不意に、カルムの頬を、これまでとは質の違う【強烈な熱風】が撫でた。
ただの原初マナの蒸気ではない。物理的な、顔の皮膚が瞬時に炭化しそうになるほどの、暴力的で直接的な熱量。
カルムが、重い頭を上げて前方を睨み据えると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「……なんだ……ここは……」
忘却の深淵の最下層。
星の地殻の最奥部において、空間が突如としてドーム状に大きく開け、そこに【広大な海】が出現したのだ。
だが、それは水で満たされた海ではない。
赤熱するマグマと、超高濃度の青白い原初マナがドロドロに溶け合い、不気味な泡を立てて煮えたぎっている【地下の死海】であった。
ドバァァァァァァァァンッ!!!!
死海の表面では、時折、マグマとマナの反発作用によって数百メートルもの高さの火柱が爆発的に噴き上がり、岩盤の天井を焦がしている。
空気は完全に沸騰しており、海から立ち上る有毒な硫黄ガスと超高温の蒸気が、視界を赤黒く歪ませていた。
並の生物であれば、この空間に足を踏み入れた瞬間に全身の水分が蒸発し、灰となって散るであろう極限の地獄。
「……行き止まりか……?」
カルムは、熱波に顔をしかめながら、煮えたぎる死海の水平線を見渡した。
深淵を下へ下へと降りてきた結果、星の核を覆うマグマの海へと到達してしまったのだ。
これ以上先に進む道は、どこにもないように見えた。
だが。
カルムの左目が、死海の遥か彼方、歪んだ熱波の向こう側に、一つの【異様な影】を捉えた。
「……あれは……島……か?」
赤と青の極彩色の地獄の真ん中に、ぽつんと浮かぶ、巨大な漆黒の塊。
近づくことも許さない死海のど真ん中に、明らかに周囲の地形とは異質の【絶海の孤島】が存在していたのだ。
その孤島の周囲では、恐るべき現象が起きていた。
荒れ狂うマグマの波と原初マナの暴風が、その島を中心にして、まるで巨大なすり鉢の底へ吸い込まれるように、激しく沈み込んで渦を巻いているのだ。
「……なんだ、あの異常な引力は……。島全体が……重力場そのものを捻じ曲げてやがるのか……?」
マナを持たないカルムでさえ、その島から放たれる圧倒的なプレッシャーを肌で感じ取ることができた。
それは、自然現象の脅威ではない。
何万年、何十万年もの間、その島で繰り広げられたであろう【凄まじい暴力と闘争の記憶】が、空間そのものにこびりつき、岩や大地を狂わせているような……途方もなく濃密な『武の残滓』。
カルムの全身の血が、本能的な恐怖と、それ以上の【歓喜】によって一気に沸騰した。
「……へっ。……ここだ……」
カルムは、炭化した右腕を揺らし、血に染まった唇を吊り上げて笑った。
「あそこに……俺が強くなるための『何か』がある。……神様どもをぶち殺すための、究極の地獄が……あの島で俺を待ってやがる……ッ!」
魂の奥底で、何かが激しく警鐘を鳴らしている。
あそこに行けば、死ぬ。確実に、惨たらしく、一瞬で圧殺される。
だが、カルムは一歩も引かなかった。
死を恐れるくらいなら、最初からこの深淵には降りてきていない。アルに背中を預けてもらうための力を手に入れられないのなら、生きていても意味がないのだ。
「待ってろよ、あの黒い島……。俺が今から、お前の懐に飛び込んでやるからな……ッ!」
カルムの視線は、死海の彼方に浮かぶ孤島へと完全に釘付けになっていた。
三、 死の海への漕ぎ出し、決死の渡海
孤島へ向かう決意を固めたカルムだったが、現実は無情であった。
目の前に広がるのは、触れれば一瞬で骨まで溶けるマグマの海。
かつてであれば、己の極光炎を足元から噴射し、推進力にして空を飛ぶか、海面を滑るように移動することもできただろう。
だが、今のカルムには炎の推進力など一ミリも出せない。完全な生身の人間が、どうやってこの死の海を渡るというのか。
カルムは岸辺を歩きながら、渡海の手段を必死に探した。
熱波で皮膚がひび割れ、目から血の涙が滲む。
しばらく岸辺を探索していると、岩場に巨大な白い塊が引っかかっているのを見つけた。
「……こいつは……骨、か?」
それは、かつてこの死海に生息していたであろう、全長数十メートルにも及ぶ【古代マグマ獣の頭骨】であった。
何千年もマグマの海を泳ぎ続けていた獣の骨は、すでに原初の熱とマナによって変質しており、ちょっとやそっとの熱では溶けない特殊な高密度カルシウムの塊と化していた。
「……上等だ。……こいつを船代わりにするしかねぇな」
カルムは、残された左手でその巨大な頭骨を押し、マグマの海へと少しずつスライドさせていった。
ズズズズズ……。
頭骨がマグマの海に触れた瞬間、ジュワァァァァッ! と凄まじい白煙が上がったが、骨は溶けることなく、見事に死海の上に浮かんだ。
カルムは、思い切り岩場を蹴り、その頭骨の上へと跳び乗った。
「……あっつぅぅぅぅッ!!」
跳び乗った瞬間、頭骨の下から伝わってくる尋常ではない熱気に、カルムは思わず悲鳴を上げた。
骨は溶けてはいないが、マグマの熱をダイレクトに伝導している。まるで真っ赤に熱された鉄板の上に裸足で立たされているような激痛が、足の裏から全身を貫く。
靴底は一瞬で溶け落ち、足の皮膚がジュゥゥッと音を立てて焼け焦げる。
「……クソがッ……! これくらい……耐えられなくて、何が相棒だッ!!」
カルムは激痛に歯を食いしばり、姿勢を低くして頭骨のくぼみにしがみついた。
推進力はどうするか。
カルムは、岸辺に落ちていた長く太い魔物の大腿骨を拾い上げ、それを【オール】の代わりにして、マグマの海へ突き入れた。
ジュボッ……。
「うおおおおおおおおっ!!」
カルムは、左腕一本の力で、マグマの海を漕ぎ出した。
重い。水の何百倍もの粘度を持つマグマを掻き分けるのは、尋常ではない腕力が必要だ。
カルムの左腕の筋肉が悲鳴を上げ、血管が浮き出て破裂しそうになる。
だが、彼はオールを漕ぐ手を止めなかった。
ザクッ、ズズズズズ……!
少しずつ、本当に少しずつ、頭骨のイカダが岸から離れ、死海の沖合——絶海の孤島へと向かって進み始める。
周囲は、文字通りの地獄だった。
マナの防壁がないため、海面から立ち上る数百度の熱波が直接カルムの身体を焼く。
髪の毛はチリチリと燃え焦げ、皮膚は水分を完全に奪われて干し肉のようにひび割れ、口の中は極度の乾燥で血の味が充満している。
(……ガラテアと戦った時も……海竜の腹の中で溶かされかけた時も……地獄だと思ったが……。……ここは、レベルが違いすぎるぜ……)
カルムの意識が、熱と苦痛によって何度も遠のきそうになる。
だが、その度にアルの笑顔が、エレナの不屈の背中が、カルムの精神をギリギリのところで繋ぎ止めた。
「俺は……アルの火だ……! あいつが俺を待ってんだ……! こんな所で、燃え尽きてたまるかァァァァッ!!」
カルムは、気合いの咆哮を上げながら、必死に左腕でオールを漕ぎ続けた。
絶海の孤島が、熱波の向こう側で少しずつ、その異様な全貌を現し始めていた。
四、 死海からの強襲、片腕の修羅
カルムのイカダが、死海の中間地点に差し掛かった時のことだった。
ゴポッ……ゴポポポポポ……ッ。
突如として、カルムの乗る頭骨のイカダのすぐ横で、マグマの海面が大きく盛り上がり始めた。
「……チッ。……やっぱり、出やがるか」
カルムは、オールを持つ手に力を込め、左目を鋭く細めた。
ここは星の最下層、原初マナが満ちる海。生命が存在しないわけがない。
ズバァァァァァァァァンッ!!!!
マグマの滝を巻き上げながら、海中から姿を現したのは、全長三十メートルを超える巨大な蛇のような魔物——【原初溶岩蛇】であった。
鱗の一つ一つが赤熱する黒曜石で構成され、口からは超高温のマグマの涎をダラダラと垂らしている。
マナを持たないただの人間など、一目見ただけで灰になるような、純粋な暴力の化身。
「シャアァァァァァァァァァッ!!!!」
原初溶岩蛇が、カルムを侵入者と認識し、巨大な顎を開いてイカダごと丸呑みにしようと襲いかかってきた。
「……邪魔すんじゃねぇよ、トカゲ野郎がッ!」
カルムは、イカダの上で体勢を低くし、魔物の顎が迫るタイミングを見極めた。
右腕はない。魔法の炎も出せない。逃げる場所は、灼熱のマグマの海しかない。
ならば、どうする。
迎撃する。残された【左拳】ただ一つで。
「オラァァァァァァァァッ!!!!」
カルムは、オールを放り出し、迫り来る原初溶岩蛇の巨大な下顎に向かって、己の全体重と闘志を乗せた左のストレートを、真っ向から叩き込んだ!
ドガァァァァァァァァァンッ!!!!
拳が、魔物の灼熱の鱗に激突する。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
マナのコーティングがない生身の拳。
超高温の黒曜石に素手で殴りつけた代償は、あまりにも大きかった。
カルムの左手の皮膚が一瞬にして焼け焦げ、指の骨が砕ける嫌な音が響く。凄まじい激痛が腕から脳へと駆け抜け、カルムの視界が真っ白に飛んだ。
だが、カルムは拳を引かなかった。
引けば、食われる。ここで負ければ、アルとの約束が果たせない。
(……俺は……アルの相棒だ……ッ!! こんな所で、負けてたまるかァァァァァァッ!!!!)
カルムの魂の奥底で、かつて燃え盛っていた『炉』の残骸が、激しく摩擦音を立てた。
マナはない。だが、己の命そのものを薪にする【魂の熱】は、まだ完全に消え去ってはいない。
「死ねェェェェェェェェェェェッ!!!!」
カルムの絶叫と共に。
彼の火傷で爛れた左拳の表面に、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、マナとは全く異なる【真紅の熱線(魂のオーラ)】が爆発的に噴き出した!
バキィィィィィィィィィィンッ!!!!
「……ギギャアァァァァァァァァッ!?」
魂のオーラを纏ったカルムの左拳が、原初溶岩蛇の下顎の黒曜石の鱗を完全に粉砕し、そのまま強烈な衝撃波となって魔物の頭部を大きく海中へと跳ね飛ばした。
ズドォォォォォォォンッ!!
魔物はマグマの海へと叩き落とされ、痛みと恐怖に身をよじらせながら、深く暗い海の底へと逃げ去っていった。
「……ハァ……ハァ……ハァ……っ……!」
カルムは、膝から崩れ落ち、イカダの上に倒れ込んだ。
撃退した。左腕一本、生身の力だけで、深海の化け物を殴り飛ばしたのだ。
だが、その代償はあまりにも重かった。
カルムの左手は重度の火傷で爛れ、指はあらぬ方向へ曲がり、拳の形を保つことすら困難な状態になっていた。
右腕は炭化し、左手も破壊された。
肉体の限界は、とうの昔に過ぎ去っている。
「……へっ……。……ざまぁみろ……トカゲ野郎……」
カルムは、焦げた匂いのする左手を見つめながら、血に染まった歯を見せて笑った。
意識が、もう完全に闇に飲まれようとしている。
熱波と疲労、そして激痛が、カルムの精神のシャッターを強制的に下ろそうとしていた。
イカダは、波に揺られながら、絶海の孤島へとゆっくりと近づいていく。
カルムの意識が完全に暗転する寸前、彼の耳に、波の音とは違う【ドズンッ……】という重い衝撃音が聞こえた気がした。
五、 異常重力の島、踏み込んだ地獄
ガツンッ……!! メキメキメキッ……!!
カルムの乗っていた頭骨のイカダが、ついに孤島の岸壁に激突した。
何千年も溶けなかった古代獣の頭骨であったが、岸壁の岩肌とマグマの挟み撃ちに遭い、限界を迎えて粉々に砕け散り、マグマの海へと沈んでいった。
「……あ……がっ……」
イカダが砕ける反動で、カルムの身体は空中に投げ出され、孤島の黒い岩盤の上へと無様に転がり落ちた。
ゴロゴロと転がり、岩に身体をぶつけて、ようやく停止する。
退路は断たれた。もう二度と、この島から自力で海を渡って帰ることは不可能となった。
「……着い……たか……」
カルムは、うつ伏せに倒れたまま、かろうじて左目を開き、周囲の光景を見た。
そこは、まさに【死と闘争のモニュメント】と呼ぶべき場所だった。
島全体が、硬質な黒曜石と原初金属で覆われており、植物の影は一切ない。
大地には、何千メートルにも及ぶ巨大な剣の斬撃の痕や、隕石が落ちたような巨大なクレーターが無数に刻み込まれている。
空には、周囲のマグマの海から吸い上げられた赤い蒸気が、巨大な渦を巻いて島全体を覆い隠していた。
ここが、かつて神と対等に渡り合った古代の闘鬼たちが修行したとされる、伝説の【武神の孤島】。
カルムは、立ち上がろうとして、残された左手と両足を地面についた。
その瞬間。
「…………なっ!?」
ドズゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!!!!
カルムの全身を、目に見えない巨大な鉛の塊が、上空から叩き潰すような【圧倒的な重圧】が襲った。
「がはぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
カルムは、立ち上がるどころか、再び地面に顔面から叩きつけられ、口から大量の血を噴き出した。
何だ、これは。
重い。空気が、空間が、自分の身体そのものが、普段の何倍、いや何十倍もの重量を持って、地面へと引きずり込もうとしている。
カルムの骨という骨がミシミシと悲鳴を上げ、内臓が重力に耐えきれずに下へと垂れ下がるような、悍ましい圧迫感。
(これが……この島の、異常重力……!)
カルムは、全身から血の汗を流しながら、この島の異常性を理解した。
マグマの海がすり鉢状に沈み込んでいた理由。
それは、この孤島そのものが、周囲の空間を歪めるほどの【超高密度の重力場】を形成しているからだった。
ただ立っているだけで、全身の骨が砕け、心臓が押し潰される極限の環境。
「……ハァ……っ……ハァ……っ」
カルムは、地面にへばりつきながら、血の混ざった唾を吐き捨てた。
右腕は使えない。左手も火傷で潰れた。マナはない。
そして、この立っていることすら不可能な異常重力。
誰がどう見ても、完全なる死地。
ここで生きていける人間など、この世に存在しない。
だが——。
「……へっ……。……最高じゃねぇか……」
カルムは、地面に顔を押し付けたまま、狂気にも似た凶暴な笑みを浮かべた。
「これくらい……理不尽で、イカれた地獄じゃねぇと……。あの神様どもをぶち殺す力なんか、手に入るわけがねぇ……ッ!」
カルムの脳裏に、アルの泣き顔が、エレナの不屈の背中が、ハッキリと浮かび上がる。
待ってろよ、みんな。
俺は今から、この地獄の底で、神様すらもドン引きするくらいの【最強のバケモノ】に生まれ変わってやる。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」
カルムは、全身の骨が軋む音を無視し、潰れた左手と、両足の筋肉を極限まで酷使して、異常重力に逆らいながら、ゆっくりと、しかし確実に……その場に立ち上がった。
絶海の孤島。武神が遺した絶対の地獄。
そこで、マナを失い、腕を失った一人の少年が、自らの魂の炎を極限まで叩き直すための、血と激痛に塗れた【修羅の修練】の第一歩を、いま力強く踏み出したのである。




