コゲの物語~ピアノの音色を聞く悪役令嬢
真白と悪役令嬢がキスをしていた、理科第一準備室から出た、俺はそのまま学園からの帰路に就く。
アキアカネの赤とカラスの黒い群れが飛び交う夕凪とミカン畑しかない斜面を景色が少しにじむほどにただただ俺は駆け抜ける。なぜ逃げるように走っているのかは俺にもわからない。
帰宅部の奴らはもうだいたい帰っており、部活動のある奴らはまだ学校にいるため、もともと全校生徒の少ない私立牡丹一華学園の通学路に俺以外の人影は見えなかった。
「気持ち悪い。クソ!気持ち悪い」
俺は叫んだ。ただただ叫んだ。
自分自身が何に対して怒っているのか最初はわからなかった。別に真白と俺はもう別れているのだから、真白が誰と付き合おうが、誰とキスをしようと真白の自由だ。
ならば、あの悪役令嬢に怒っているのだろうか?あんな手紙をよこして、俺に真白を自分のものだと見せつけるように真白の唇を奪った、彼女に怒っているのだろうか?それもあるのかもしれない。
だが真白はあいつのことを拒んではいなかった。ならば、、、
「わかっている!わかってんだよ!そんなこと、、、」
息がどんどん荒くなって、心臓が痛くなる。この心臓の痛みはサッカー部を引退した影響による体力の低下だけではないのだろう。
俺は本当に真白のことが好きだったんだろう、、、
気が付くといつ潰れたのかもわからないパチンコ屋の脇を通り、いつも真白と一緒に海を眺めながら二人でいろいろなことを語り合った、防波堤に来ていた。
「海とか来ちゃったよ、、、何やってんだ俺?」
フラフラとその防波堤を歩んでいく。そこに見えてくるのは一台の潮風で少し錆びれた渚色のピアノ。真白は別に特段うまくもない俺のピアノを熱心に聞いてくれては、いつもほめてくれた。
ピアノの前にあるぼろぼろの椅子にまるで魂が抜けた泥人形のように、ゆったりと俺は腰を掛ける。猫のように手の関節を丸め、ピアノの白鍵に指をかける。
そこで俺がひき始めたのは献呈(シューマン/リスト編)。その曲は俺が真白の前で初めて引いた曲だった。
この曲は一般的にはピアノ曲として知られているが、実はロベルト・アレクサンダー・シューマンが1840年結婚式の前日に妻のクララ・シューマンに贈った歌曲集《ミルテの花》作品25の第1曲〈献呈 Widmung〉をリストがピアノ独奏用に編曲した曲である。
真白はこの曲を弾くとまるで小さな獣のような八重歯を少しちらつかせて、あまりよくはない歯並びを少し恥ずかしそうにしながら。その日あったなんでもない事とか、俺への何でもない愛の告白だとかそんな無駄なことを歌っていた。
その曲を嚙みしめるみたいにゆったりと弾いていく。何度も何度も、、、
そうするうちに段々と日が少しずつ沈んでいき、夜空は黄昏色に染まっていく。その曲を壊れたマリオネットのように弾き続ける俺に、、、
「ポツンッ」という雫が天から落ちてくる。最初は涙かと思ったのだが、違った。別にどっちでもいい。
「雨か、、、」
俺は少しずつ強くなっていく雨などどうでもよいと言わんばかりに献呈を壊れかけた渚色のピアノで弾き続ける。
この曲を弾いていると、真白と話した、どうでもいい思い出を思い出す訳がなかった。舌を入れられている真白の顔を思い出す。ゆったりと悪役令嬢の豊満な胸に顔をうずめ少し赤らむ真白を思い出す。俺の事を哀れむ真白の顔を思い出す
「ああそうか、、、」
やっとわかった。
「気持ちが悪いのは俺だ、、、」
そういった俺はなぜかその時真白を奪われてから、初めて右の瞳からゆったりと雫をたらした。
「恨むぜ、神様。なんで頭はこんなに熱いのに、心臓はこんなにも冷たいんだ。こんな気持ち悪い感情を作ったあんたは、、、」
これが嫉妬。その感情を俺はこの時初めて知った。
「失恋ってこんなに辛いのかよ、、、」
でもどうでもいい、こんな、か細い一滴の雫は雨が流してくれる。その雨もやがて蒸発して海になったり、川になったりする。もしかしたら俺がまた飲み干してしまうからもしれない。だからどうでもいい。
「何やってんの君?」
そんなことを考えていると、聞き覚えのある声が後ろからした。ゆったりと俺の背後に傘の影が現れる。そして背中にタオルが乗せられた。
ゆったりと俺は振り返る。そこにいたのは俺から大切なものを奪った悪役令嬢蝦夷菊三毛だった。
「どっかの悪役令嬢に泣かされたから、ピアノ弾いてたんだ。」
「すきなの?」
「いや、、、結構好きだと思ってたんだけどな、本当はピアノを聞いている、白色の兎さんが好きだっただけみたい」
「だった?」
俺はその問いに対して、何も返すことは出来なかった。




