第二章16 家族写真
そして、墨然の部屋へと足を踏み入れる。
もちろん、事前に本人の許可は取ってある。正確に言うなら、洗面所で身支度を整えようとした墨然から、「先に部屋で待っていてください」と言いつけられたのだ。
第一の世界で、際允は未来の墨然の住所を訪ねたことがある。そこには最低限の家具しか置かれておらず、私物もほとんど見当たらない空間だった。
際允がずっと送ってきた生活と同じように、極限のミニマリズムを体現したような部屋。
だが、今こうして入り口からざっと見渡した限りでは、十六歳の墨然が本当の「家」で過ごす部屋は、それとはまったく異なる趣を見せていた。
例えば、壁には野球選手のポスターが堂々と貼られ、キャップやユニフォームが掛けられている。
ユニフォームには、際允の知らない名前が刺繍された面を表にして飾られていた。本棚には個人の趣味が透けて見える小説や漫画、雑誌がぎっしりと並び、遠目からでも野球をはじめとしたスポーツ関連の用語が溢れているのがわかる。
墨然の劇的な変化に呆然とすると同時に、際允はこれが自分にとって「他人の部屋」に入る初めての経験であることに気づいた。
唯一親しかった止湮でさえ、高校の寮での部屋に行ったことがない。その上、そういった話題で盛り上がったこともない。そのため、普通の男子高校生の部屋がどんなものなのか、全く見当がつかなかったのだ。
今、ようやくその第一印象が、自分の心に刻まれた。
墨然が中学時代、バスケ部の主力だったという話は聞いたことがある。だから去年、北都高校の一年生になった墨然が帰宅部となったというニュースが流れた時は、多くの先輩たちが目を丸くしたらしい。
際允自身はそんなこと微塵も気にしていない。だが、当の本人が今もなお、スポーツを愛する少年そのものといった風情で部屋を飾っているのは、純粋に意外だった。
その時、部屋を巡らせていた視線が、机の上の写真に吸い寄せられた。無意識に数歩歩み寄ると、机の片隅がはっきりと見えてくる。
そこには、長方形の写真立てが二つ並んでいた。水色と淡黄色のフレームはどちらも質素な単色で、それぞれに一枚ずつ写真が収められている。
右側の淡黄色の写真立てには三人の写真。真ん中には六歳くらいの、白髪に金瞳の男の子。その左右で三十代くらいの男女がそれぞれ子供の手を引き、三人は幸せそうにレンズに向かって笑っている。
墨然と、遠い故郷にいる実の両親との写真――際允は一目でそれを確信した。
一方、左側の水色の写真立てには、四人での集合写真が入っていた。
背景はこの家のリビングだ。墨然と由心がソファに並んで座り、後ろには妲依娜と輝絡が立っている。
写っている墨然はすでに十代の少年になっていた。右側の写真のような無邪気な笑顔ではなく、不機嫌そうな顔でカメラを思いきり睨みつけている。その隣で輝絡が口角を上げ、妲依娜は由心の肩を抱いて眩いばかりに笑っていた。
四人とも部屋着姿で、着飾った様子もない。
ある日、誰かがふと思いついて「四人で写真を撮ろう」と言い出し、その場ですぐにスマホと三脚を取り出して撮影した――そんな、ありふれた、あまりにも日常的な一枚。
実の両親との写真の隣に、その「家族写真」が置かれていること。それが墨然にとってどのような意味を持ち、どれほど大切であるかは、もはや言葉にするまでもなかった。
際允は一瞬、胸が詰まるような息苦しさを覚えた。第一の世界の記憶が、制御不能なまま脳内で再生され始める。
それは、際允の死について話し合うため、初めて墨然を客として家に招いた日の午後だった。
墨然を玄関まで送ると、止湮はリビングに戻り、三人掛けソファの端に座った。そして、約束通りローテーブルを片付け、使い終わったティーポットと三人のマグカップをキッチンの流し台へ運んで洗う際允の姿を、黙ったまま見つめていた。
洗い終えた茶器を横に置いて乾かし、片付けを終えた際允はリビングに戻る。止湮の視線を常に肌に感じながら、いつものように彼から一席分だけ席を空けて、ソファの反対側に腰を下ろした。
「ありがとう」
座ると同時に、止湮が物腰柔らかく微笑んで言った。
当時の際允は、家事をしたことで同居人から感謝されることにまだ慣れておらず、思わず頬が熱くなるのを感じた。
「……別に」
ぷいと視線を逸らしながらその一言だけを返すと、止湮がクスクスと小さく忍び笑いをする声が聞こえた。
――こいつ……っ!
その後、二人はリビングで言葉を交わすこともなく、それぞれの時間を過ごしていた。
手持ち無沙汰な際允は、ローテーブルの下にあった本を手に取ってパラパラと読んでいた。隣の止湮はスマホを取り出して、誰かとメッセージのやり取りでもしているのか、両手の指を素早く動かしている。
「際允」
「なんだ?」
しばらくして、唐突に止湮から名前を呼ばれた。際允は本を置き、右隣の止湮を怪訝そうに目を向ける。
止湮の顔には、いつもの穏やかな微笑みが浮かんでいた。もはや止湮のトレードマークと言ってもいいくらいの、いつもの笑顔。
「今世で、絵を描いたことはある?」
「絵?」
全く予想外の単語を突きつけられ、一瞬呆然としてから際允は答えた。
「ないけど……。別に絵が好きっていうわけでもないし」
「そう? でも、前世の君は絵が上手だったじゃないか。高校一年生の頃だっけ? 美術の授業で君が描いてくれた僕の似顔絵、そっくりだったじゃん」
そう言うと、止湮は何か思いついたかのように、悪戯っぽい笑みを漏らして言う。
「あの絵、僕の部屋に大切にしまってあるんだ。もし君が忘れたってしまったら、取ってきて記憶を呼び戻してあげようか?」
――こいつ、絶対わざとだろ! さっき僕が遺物の話で恥ずかしがって緊張していたのを見てて、わざと言ってる……!
「結構です!」
際允は恥ずかしさのあまり、思わず声を荒らげて叫んでいた。




