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第二章6 「今夜は、うちに泊まってください」

「以前というのは、自分が高校生になる前のこと、ですよね? 確かに何度か顔を合わせたことはある……けど、つい最近のことですし、先輩もはっきりと覚えているはずですよね? なぜそんなことを聞くんですか」


 墨然すみしかは再び無表情に戻り、冷淡な響きを帯びた声で答えた。


 際允あいゆるの記憶にある限り、墨然が高校に入学する前に顔を合わせたのは二回だけだ。

 三年前、墨然が中学の校外学習で北都高校の見学に来た時。そして、去年の北都高校の学園祭。

 とはいえ、これまでは短い言葉を数句交わした程度の仲。今日までの際允にとってみれば、見知らぬ他人と大差ない存在だった。


 墨然の回答から察するに、彼と際允の間で「過去の面会」に対する認識に齟齬はないようだ。

 ならば、第一の世界にいたあの二十代墨然は、一体どういうことなのだろうか。


 二つの世界の墨然の間に感じられる、決定的な違い。

 年齢による体格の差を除けば、それは際允に対する「態度」――ただそれだけだった。

 際允・ランニオンが死んだ後の六年間で、一体何が彼をそう変えたというのか。


「どうして急に『以前どこかで会ったか』なんて、変なことを聞くんですか?」


 墨然が不可解そうに問いかける。

 いいだろう、正直に話すとしよう。際允は腹を括った。


「もし、僕に――死んだ後に今世の記憶を保持したまま未来へ転生したり、タイムリープしたりする、そんな能力があると言ったら……信じてくれるか?」


 あまりにも荒唐無稽な話。

 だが、墨然なら信じてくれるのではないか、という予感があった。


「なるほど。つまり先輩は、『時の元霊げんれい』なんですね」


 そして事実、墨然はあっさりとそれを肯定した。


「時の、元霊……」


 際允はその聞き慣れない名詞を、唇の中で反芻する。


 『元霊』とは、一般人とは異なる特殊な能力を持つ、ごく少数の人々を指す呼び名。

 特異な力を持ってはいる元霊だが、肉体そのものは普通の人間と変わりなく多量出血や心停止が起きれば死に至る。彼らの身の安全を保障すべく、契約管理協会の主導によってすべての元霊の正体は隠蔽されている。

 三大国と能力契約を結んでいる火・水・風の元霊も例外ではない。既知の三名以外に元霊が存在するのか、いるとすれば誰で、どのような能力を持つなのか、といった情報は完全に秘匿されているのだ。


 ゆえに、この世に時間を操る『時の元霊』が存在していても不思議ではない。こんな奇妙な力を持つ際允がその時の元霊だと言われても、驚きはなかった。

 ただ、一つだけ解せないことがある。


「なぜ、墨然くんがそれを知っているんだ?」


 しかも、これほど断定的に。


「『契約の族』の人間だからですよ」


 第一の世界の際允が聞きそびれていたその問いに、目の前にいる第二の世界の墨然は、一切躊躇いもなく答えを差し出した。


――なるほど、そういうことか。


 『契約の族』とは、生まれながらに契約を操る能力を持つ一族。

 三大国から独立した「契約の国」という国家を築き上げ、各国の教会と対立する『契約管理協会』を実質的に支配する。


 契約能力とは、具体的に言えば『契約に効力を持たせる力』。

 例えば、火の能力を国民に貸し出す『火の契約』も、契約能力によって発動させなければ、ただの紙屑に過ぎない。


 人口こそ極めて少ない契約の族。一見地味で、火や水のような破壊力を持たないその能力。

 それでもその特別さゆえに、人々から尊敬と依存を集め、今日まで存続してきたのだ。


 これで、墨然が際允の能力について理解を示した理由は解けた。契約の一族として、一般人が知り得ない知識を持っていたからなのだろう。


「火の国の人じゃなかったんだ?」

「はい。でも、そう驚くようなことでもないと思ったんですけど」


 常に冷静さを保つ際允が、その事実に驚きを隠せずにいるのを見て、墨然も当惑の色を浮かべた。


「族の者は子供の頃から三大国へ派遣され、知識を学ぶ。そして学業を終えた後は、そのままその国の協会支部で働くことになっているんです。自分も火の国に送られた一人で、六歳の時からここに住んでいますよ」


 これまで、際允は墨然が外国人である可能性など考えたこともなかった。

 その理由に、一つは、墨然が孤立した性格である点を除けば、外見、言語、振る舞い、習慣のすべてが火の国の人間と見ても違和感はないこと。

 そして何より、第一の世界で火の国の警察官になったの成人墨然を知ったからだ。


 墨然はなぜ、火の国の警察官になろうと思ったのだろうか。たとえ外見ほど冷淡ではなく、熱い志を持って警察官を夢見ていたのだとしても、故郷に戻って働くほうが普通の考えなのではないか。

 将来協会で働くために、幼い頃から異郷へやってきたはずの墨然。なぜ第一の世界の未来では、計画通り協会に入るのではなく、火の国の警察官になっていたのだろうか。


「学校のみんなは知っているのか?」

「知らないでしょうね。話したことはないので。大して重要なことでもないと思ってるんですから」


 重要性という点では確かにその通り。知ったところで、墨然という人間に対する評価が変わるわけではない、と際允は思った。

 第一の世界を経験していなければ、際允だって気に留めることはなかっただろう。


「とにかく、僕が『今日』を経験するのは二度目なんだ。一度目の世界で、僕は明日、何者かに殺された。その後、今世の記憶を持ったまま転生した。だが、転生後に十二歳になった年、未来を変えるために能力を使ってパラレルワールドの過去――つまりこの世界の今日の午後へやってきた」


 際允はひとまず、墨然の将来についての疑問を脇に置いた。止湮としずの死を回避することこそが、目下の急務なのだから。

 その情報を咀嚼するのにしばらく時間をかけた墨然は、やがて衝撃を受けた様子で最初の疑問を口にする。


「先輩は、明日亡くなるんですか?」

「え?」


 墨然があっさりと信じたことにも驚いたが、最初の問いがそこだったことに、際允は虚を突かれた。


「……そんなに簡単に信じてくれるのか?」

「僕の知る『時の能力』の特性と一致し、先輩が嘘をついているようにも見えませんから」

「墨然くん……案外、人を信じやすいほう、なのか?」


 際允は思わず心配になった。

 だが、第一の世界の大人墨然は警戒心の強い男だったはずだ。そこまで案ずる必要はないのかもしれないが。

 そう思った際允に、墨然が少し呆れたような顔をする。


「先輩の話に筋が通っているから信じただけですよ。もし、『先輩と昔どこかで会ったのに、先輩すら覚えていない』とか支離滅裂な話だったら信じませんでしたけど」


……まだその話を引っ張るかよ。


「それで。先輩は、明日亡くなるんですか?」

「未来を変えられなければ、そうなるだろうな」

「先輩は、明日の死という運命を変えるために、現在へ戻ってきたんですか?」

「厳密に言えば、そのためじゃないんだが」


 正直に打ち明けることにした。


「もし明日死んだら、僕は転生する。その結果として将来、別の一人が死ぬことになる。僕の目的はその死を阻止することだ。そのためには、明日の死を防ぐのが一番効率がいい」

「なるほど。先輩が自分の死に対して、どこか無関心に見える理由が分かった気がしますね」


 そんなことまで見抜かれているのか。それほど顔に出ていただろうか。


「それで、明日の死を回避する策はあるんですか?」

「一応な」


 際允は自分の計画をすべて話した。


「まず、明日はちょうど僕の十八歳の誕生日だ。日付が変われば、僕の中に宿っていた契約が成立するはずだ。そして明日僕を殺す犯人は、そのうちの一つの契約相手なんだ。だから、奴に殺される前に契約管理協会へ行って相談し、契約内容から奴の正体を探ろうと思っている」

「明日?」


 その言葉に、墨然は眉間の皺をさらに深める。


「第一の世界では、先輩は明日の何時に亡くなったんですか?」

「夜の八時過ぎだ」

「協会が始まるのは朝の九時。正体が分かるのは早くてもその時間になりますよ? それだと時間がなさすぎませんか? 対応策を練る余裕があるとは思えません」


 墨然は、当の本人である際允よりも必死に運命の改変を案じているようだった。

 対して、際允は無造作に肩をすくめる。


「さあ。まあ、失敗したとしても、また過去に戻ってやり直せばいいだけの話だしさ」

「…………」


 なぜか、墨然の表情が暗く沈んだ。


——もしかして、墨然は怒っているのか。


 際允は一拍遅れてそれに気づいた。

 今、何か気に障ることを言ったのだろうか。際允は当惑して目をしばたたかせる。


 際允が反省の答えを出す前に、墨然は何らかの決心を下したかのように彼を見据え、呼びかける。


「先輩」


その金色の瞳が、一点の曇りもない決意を宿して真っ直ぐに射抜いてくる。




「今夜は、うちに泊まってください」




「…………あ?」

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