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第二章3 行き先の知らぬ放課後、君の隣を

止湮としず、悪い。ちょっと用事があって……今日はここで」


 放課を告げるチャイムが校内に鳴り響くのとほぼ同時だった。際允あいゆるは手早く鞄をまとめながら、前の席に座る止湮に向かってそう言い放った。


「用事?」


 止湮が意外そうに目を丸くする。

 それも無理はない。放課後を共に過ごし、そのまま晩ご飯を共にする――それが二人のルーチンとなって、早三年。

 際允がその誘いを断るなど、これが初めての出来事だったのだ。


「まあ……。とにかく急いでるんだ。じゃあ、また明日」


 まともな説明も思いつかないまま、際允は言葉を濁した。

 あまり時間をかけては、墨然すみしかが教室を発ってしまうのではないか―― そんな焦燥感に背中を押され、ただ一言だけ付け加えた。

 なおも怪訝そうな顔で、際允のあまりに異常な振る舞いを気にかける止湮だったが、最終的には、


「また明日」


 とだけ返した。

 その声を背中で受けながら、際允は一年A組の教室へと駆け出す。


 授業が終わって間もない教室では、生徒たちが雑談に興じたり、帰り支度を整えたりと賑わいを見せていた。

 際允は躊躇うことなく後方のドアから足を踏み入れる。好奇と驚きが入り混じった一年生たちの視線を無理に意識しないようにして、教室内を見渡す。


――見つけた。


 前方の角の席に、見覚えのある後ろ姿があった。

 既に鞄を手に立ち上がり、今にも教室を出ようとしているその背中に、際允は間髪入れずに声をかける。


「墨然くん」


 呼びかけに応じ、少年が振り返る。

 記憶の中にある、十六歳の墨然そのままだった。銀髪に金の瞳を持つ端正な少年は、無表情な面持ちを崩さない。その眼差しは、冷徹ですらあった。

 第一の世界で見てきた二十代の彼に比べれば、いくぶん幼さが残るものの、その完成された容姿に大きな変化はない。


 ただ、身長だけはかなりの差があった。

 際允の記憶では、二十代の墨然は止湮よりも僅かに高く、百八十五センチほどはあったはずだ。だが、目の前の彼は際允より少し高い程度で、百七十八センチといったところか。

 際允が何も知らなかったあの六年の間に、随分と背が伸びたらしい。


 視線が交差した瞬間、墨然の瞳に驚きと困惑、そして――歓喜の色が入り混じった複雑な光がよぎる。

 驚きと困惑は、このタイミングで際允が訪ねてくるなど予想だにしていなかったからだろう。だが、あの「歓喜」の感情は一体何なのか。

 際允がその疑問を咀嚼しきる前に、墨然の瞳は再び凪いだ静寂を取り戻した。


「際允先輩。何か用ですか?」


 淡々としたその口調は懐かしく、際允の胸に妙な安心感をもたらす。


「少し話がしたいんだけど。この後、時間ある?」


 その瞬間、教室中が騒然となった。墨然でさえ、明らかに呆然と立ち尽くしている。

 自分は何か変なことでも言ったのだろうか。


――そもそも、この連中はなに聞き耳を立てているんだよ?


 際允は当惑すると同時に、肌を刺すような視線に緊張を覚えずにはいられなかった。もともと見知らぬ他人の視線には敏感なのだ。

 墨然に話すべき重要な用件がなければ、とっくにこの場から逃げ出していただろう。


 珍しく呆けた様子を見せていた墨然だったが、すぐに顔をしかめる。そして、周りの野次馬たちを一瞥すると、


「場所を変えましょう」


 ただ、相変わらずの平淡な口調で、際允にそう告げた。




 際允は、場所の決定権をすべて墨然に委ねた。

 日頃から止湮にすべてを任せきりにしている、その慣習をなぞるかのように。


 だから今、際允はただ墨然を見つめ、一歩一歩ぴったりと後を追っていた。

 対する墨然は、際允が遅れるのを恐れているかのように、時折振り返っては彼がついてきているのかを確認する。

 そんな奇妙な様子で、二人は放課後の混み合う廊下を通り抜け、学校を出る。目的地も知らぬ道を歩み進める。


 第一の世界で、自分ともっと話したがっていた大人の墨然。隣を歩く少年を見ていると、際允はどうしても、その寂しげな姿を思い出してしまう。

 少しばかり非合理な補償心理からか、学校を出て他人の視線が減ったところで、際允は自ら墨然に話しかける。


「墨然くんも、見つめられるのは苦手?」


 すると、少年の墨然はひどく面食らったような顔で際允を見た。言うまでもなく、「今日の先輩はどうしてこんなに変なんだろう」という困惑が、その表情から漏れ出している。


――なんでどいつもこいつも、同じ反応ばかりなんだよ。


 少しばかり羞恥に駆られ、際允は少年を睨みつけた。睨まれ、墨然は一瞬だけビクッと固まる。


「そういうのはあまり気にしないんですけど。慣れてますから」


 さすがは止湮に次ぐ校内の有名人、と言うべきか。


「というより、先輩がまだ慣れていないことの方が意外ですよ」

「僕が?」

「なぜそんなに驚くんですか?」


 心底不思議そうに問い返す際允に、墨然もまた不可解そうな表情を浮かべる。


「先輩は結構有名ですよ? あなたを気にしている人間なんていくらでもいる……少なくとも、一年生の間では」

「っ、え……?」


 止湮以外との接触が少なすぎたせいで、そんな事実にすら気づいていなかった。

 仮に墨然の言うことが本当なら、第一の世界で自分の「自殺」が知れ渡ってしまった後、校内ではどれほどの騒ぎになっていたのだろうか。

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