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第二章2 存在抹消

――いや、いいんだ。止湮としずが生き残り、幸せになることこそが、真の目的なんだから。


 授業開始を告げるチャイムが鳴り響き、授業が始まった。際允あいゆるは目の前の真っ白なノートを見つめながら、静かに思考の海へと潜っていく。

 目的を果たすためにも、まずは現状を整理すべきだ。


 墨然すみしかが言った通り、際允は過去に戻った。118年2月14日――この日を経験するのは、これで二度目になる。

 便宜上、一度目の世界を『第一の世界』、この二度目の世界を『第二の世界』と呼ぶことにしよう。この先に『第三の世界』が存在するかどうかなど、今は知る由もないのだから。


 第一の世界で死んだ後、記憶が来世の目暁まさとへと引き継がれた事実を鑑みれば、自分の能力の本質は「意識の転移に記憶の操作」、といった類のものなのかもしれない。

 だとすれば、今こうして過去に戻ったように見える現象も、正確には自分の意識が第二の世界の現在へと転移し、同時に並行世界の自分が第一の世界の記憶を突如として獲得した――ということなのだろうか。


 第一の世界での最後の記憶は、今から十二年後。止湮が死んだ、あの日。

 墨然の住所で訃報を聞き、過去へ戻る能力の存在を知らされ、墨然からの協力を取りつけた、あの瞬間。


――「止湮先輩があなたを守るために自殺したという俺の推測を。過去に戻って未来を変えられるという能力の話を。そして、過去へ戻るあなたを助けるという俺の言葉を……。信じてくれるか?」

――「信じるよ」


 あの対話の後の記憶はない。当時の身体の衰弱ぶりを考えれば、おそらく意識を失い、それ以降の記憶などそもそも紡がれなかった可能性が高い。


 第一の世界の墨然がその後どうなったかは気になるが、第二の世界に意識が移った今の自分には、どうすることもできない。

 何より、眼下には解決すべき火急の課題がある。それらの懸念は、ひとまず心の奥底へと棚上げすることにしよう。


 今、自分に何ができるかを考えよう。

 最大の目的は、十二年後の止湮の死を回避することだ。そして今、能力によって十二年前に戻った自分の前には、天の啓示のごとく、あまりに単純な答えが突きつけられている。




――際允・ランニオンが、成人当日に死ななければいい。


――それだけですべてが解決する。




 明日死ななければ、『際允・ランニオン殺害事件』は起きない。止湮が帯契者たいけいしゃを継承することもない。

 自分が目暁として転生し、六年後に止湮と再会することもない。再会後の諸々が起きなければ、必然的に十二年後の止湮の死も、因果の彼方へと消え去る。


 最初から「目暁」など生まれなければいいのだ。目暁という存在そのものを、この手で抹消すればいい。

 そのためには、まず明日の夜に殺されるという運命を阻止しなければならない。


 単に明日の死を避けるだけなら、明日の夜に別の場所に身を潜めるという単純な方法でも通用するかもしれない。


――だが、明後日は? その次は?


 犯人である輝絡てつなが、際允が寮にいないと知り、執拗に探し出して殺しに来ないという保証はどこにもない。

 根本的な解決のためには、やはり輝絡の殺害動機を突き止める必要がある。少なくとも、その試みだけはしておかなければならない。


 しかし、元の世界では、止湮と墨然が六年間も時間と心力を注いでもなお、捜査に進展はほとんどなかった。

 その主因は、輝絡の正体も行方も、杳として知れなかったことにある。

 第一の世界では、止湮のために輝絡の人相書きを描いてあった。だが、火の教会を刺激せぬよう大規模な捜索ができず、また墨然に際允の転生者だと知られぬよう協力を仰げなかったことも災いし、捜査は袋小路に陥っていたのだ。


 あの男の身元に繋がる唯一の手がかりは、際允との『契約』だった。

 だが、第一の世界で際允が死んだ後、唯一の家族である養父も亡くなってしまった。際允の生前の契約を閲覧する権利を持つ者がいなくなり、その線も完全に途絶えてしまった。


 第一の世界において、輝絡はまるで煙のように消え失せた。

 六年に及ぶ捜査が幾重もの障害に阻まれたせいで、過去に戻った今も、際允はこの凶行の主について何一つ有力な情報を持ち合わせていない。


 明日、成人した自分の中に宿った契約が有効になる。その後、午後八時に輝絡に殺害されるまでの間に『契約管理協会』へ向かうこと。思いつく手段といえば、それくらいだ。

 契約内容を確認すれば、契約相手である輝絡の正体や何らかの情報が得られるかもしれない。……おそらく、だが。


 それが叶わぬなら、あとは本来の歴史通りに寮で奴を待ち構え、本人から情報を引き出すか、あるい殺害を思いとどまるよう説得するしかない。

 不確定要素が強く、どう見てもリスクの高い賭けだが、『パラレルワールドへの跳躍』という切り札がある以上、これも一つのプランとして心に留めておく。


――それだけか……。


 際允は記憶の隅々まで必死に掘り返す。他に、使える情報はないか。


――そうだ。墨然くん。


 第一の世界の墨然は、まるで万事を見通しているかのようだった。

 際允の事件に並々ならぬ関心を持つ上、なぜか際允の特殊能力についても知っていた、あの墨然。


 ならば、この世界の彼も何かを知っているのではないか。

 たとえ知らずとも、事情を打ち明ければ、彼なら何らかの反応を示し、知恵を貸してくれるかもしれない。

 目的は未来を変えることだ。ならば、第一の世界でしていなかった行動を取ることは、少なからず助けになるだろう。


 今受けているのが、今日の最後の授業。放課後になったら、すぐに墨然のクラスへ向かうことにしよう。

 そう決めた際允は、残り時間を確認するため、黒板の上の時計に目をやる。

 あと数分だけだ。

 すぐ前には、止湮の後頭部があった。背中越しでも、止湮が熱心に受講しているのが容易にわかる。


 目の前の止湮は、別世界の未来で起きたことなど、何一つとして知っていない。それが分かっていても、罪悪感が胸を突く。


 結局、自分も同じだ。

 自らの命を重んじるという約束を違え、目暁としての人生を投げ出した。


 自分にも、約束以上に守るべきものがあったから。

 目暁という存在を抹消してでも、成し遂げなければならないことがあったから。


――止湮が死ぬ未来を、必ず変えてみせる。

――そうすれば、誓いを破ったことも、決して無意味な行為にはならないだろう。

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