夜の逃避行
夜風になびく栗色の髪はところどころに跳ねがあり、質の悪いオオカミの毛のようで、鳶色の丸い目が幼さを際立たせている。
「子供?」
一考もせず疑問が口から出てしまう。どこからどう見ても子供が御者をしていたのだ、しかも冒険者という。
「え、まじ? うれしー! お姉さんそんなに若く見える?」
僕のつぶやきを聞きミサトリアはほほに手を当て恥ずかしがった。
意味が分からない。
この子が御者なのかと確認を取りたくなりベックのほうを向くと、変わらず兄と煙草をふかしている。
もしかして子供の御者は当たり前のことなのだろうか。
「なんだベック、胸糞悪いお利巧坊ちゃんって言ってたけど全然いい奴じゃねえか」
嬉しそうに御者台から僕の肩を何度も強くたたく。
わりと痛い、子供でもさすが冒険者ということだろうか。
「えぇっとニコラス様、でいいんだよな! ミサトリアちゃん特製干し肉食べるか? うまいぞ? ほらほらー」
マントの中から塩気の強そうな干し肉が取り出され、僕の目の前で釣り餌のように振られる。
「ババぁ、ちゃんと前見て手綱握ってろ! 森ん中だぞ!」
ベックが吠えた。
「俺だって暇なんだよベック! こんな濃い魔力の光出してたら魔物なんて寄ってくるかってんだ! なーなー暇! ひーまー! あれ、ちょっとまてばばぁっつった? ねぇばばぁって言った? 顔削いで前までつるつるにするぞベック!」
「うるせえ情緒不安定ババぁが、ちゃんと前向け!」
「あーまた言った! またババぁって言いやがった! うわあぁぁんベックがいじめるよぉ」
ミサトリアが御者台から乗り出して僕に抱き着いてきた。抱き寄せられた僕はほおずりされてしまう。アプルの実のような優しい香りがした。
「うーいいこいいこ。いやされるぅー」
「ちょ、ちょと、ミサトリアさん? たづな! たづな!」
手綱が下に落ちている、さすがに僕も焦って注意する。
「だーいじょーぶだーいじょーぶ。ジョルジョとボナハは頭いいから勝手に進んでくれるよー、んーやっぱ若いっていいなぁ、肌がすべすべ!」
馬の名前だろう。それはわかったからいい加減頬ずりを止めてほしい。
ミサトリアの肩を押して強引に離れさせる。「あぁ」と惜しむような声をあげていたが、ミサトリアを引きはがすことができた。
なんなのだろうこの子は。
「そうだ、お話をしようニコラス様。ほらここ座ってお話しよ?」
ミサトリアは体をずらし、自身の隣を二回たたいた。そこに座れということだろうか。
僕も暇を持て余していたので、体を起こしてミサトリアの隣に座ることにした。
前の梁を抜けるときに
「坊主、ばばぁに食われんなよ。そいつ百歳超えたくそばぁだからな」
ベックが忠告してくるが何を言っているかわからなかった
そんなベックはミサトリアに干し肉を投げられる。それを器用に掴み口に運ぶベック。
御者台は風がよく当たる。
僕の所にだけ毛皮が敷かれていた。毛の厚い毛皮だ、なんの毛皮だろう。
御者台に座ってみると意外と馬の尻が近くて驚く。蹴り上げた土が飛んでこないか心配だ。
「なんだ、いろいろ見てるな。御者台に乗るのは初めてか?」
手綱を握りなおしたミサトリアが微笑んで僕を見る。
「えぇ、風が気持ちいいんですねここ」
感想を述べる。
「うーうい奴、うい奴。かわえぇのー。よっしゃ!かわゆいお前にサービスだ!」
そういうとミサトリアが手綱を大きく振った。
途端に強い衝撃が走り体が後ろに持っていかれる。御者台に座っていなかったら転んでいただろう。
後ろで「ばっふざけんな!」というベックの声が聞こえた。
馬車がさっきの倍は出ているんじゃないかと思える速度で走る。
木々が次々と後ろへ消えていく。風がかなり強く、目が乾きそうだ。
正直怖い。
「はっはー! いけいけジョルジョ! はしれボナハ!」
とても楽しそうに手綱を振るミサトリア。
光の届いていない前方からすごい速度で木々が現れてくる。怖い。もし目の前に突然木が現れたら、この馬車はどうなってしまうのだろうと想像してしまう。
しかし、怖いながらも、体がうずく。
森の暗闇を切り裂いて走る光景は、僕の心を躍らせた。
わずかな道の曲がりでも体が大きく引っ張られる。その感覚がとても楽しい。小回りが利く乗馬にはない重く突き上げる衝撃が尻から頭まで駆け抜ける。。
「ヒャッハー! 走れ走れ!」
僕は必死に御者台の手すりを掴んでいるのに、ミサトリアは立ち上がって手綱を引いている。
馬車の中で物が暴れる音がする。荷物の心配が頭に過るが、前から目を離すと何が起こるか怖くて振り向けない。
「坊主! その馬鹿を止めろ!」
ベックが叫ぶが僕は浮く体を抑えるのに必死。
「今の俺はだれにも止められねえ! いいぃぃぃやっふぅぅぅぅう!」
ミサトリアが叫ぶと手綱を空に放って両手を大きく広げ始めた。全身で風を感じているのだろう。とても満足そうな顔をしている。
「このど阿呆がぁ!」
後ろからベックの手が伸びてきてミサトリアのなびく外套をつかんだ。
「坊主、手綱!」
ベックは強引に外套を引っ張る。ミサトリアは「だぁ!」という悲鳴をあげて馬車内に引きずり込まれた。
一人になる御者台。これはまずいと、急ぎ落ちそうになっている手綱を拾う。
「手綱を引いて減速しろ!」
その怒鳴り声に急いで一気に手綱を引く。
馬のけたたましい悲鳴が響く。
馬と馬車を連結する皮ひもがひきつる音がなる。揺れも走っているときの比じゃない、ひっくり返るのではないかと思うくらい揺れた。
「一気に引っ張る馬鹿がどこにいる! 手綱を放せ!」
手綱を放して手すりにしがみつく。
「あほか! 放すなよ! 緩めろって意味だぼけっ!」
手綱の力がなくなったのを感じた馬は前のめりになると、左右に体をゆすった。
馬車の右側が浮く感じがした。皮のちぎれる音がする。
御者なんて一度もやったことがないし、乗ったことのある馬車は御者台と客室が壁で仕切られていたので見たこともない。
連結部を支える木がはじけ飛ぶのが見えた。
背にやわらかい衝撃が、同時に僕の体が空に放り出される。
僕はベックに抱えられて空を飛んだ。
足の先で馬車がひっくり返るのが見える。馬の鳴き声と木の割れる音が耳を割いた。
ベックが転がりながら地面に着地する。抱えられていた僕は丁寧に守られていて衝撃をほとんど感じなかった。
大きな衝突音が聞こえた後、ゆっくりと体が地面に降ろされる。
道の脇の木にぶつかり馬車が止まったようだ。横倒しになったため天井の骨組みがひしゃげてしまっている。
「あーぁあーぁあーぁ。やってくれるぜったく。坊主、ケガはねえか」
しゃがんで僕に着いた土埃を払っていくベック。顔がとても嫌そうだが払う手つきが優しい。
横転した馬車の後ろから兄とミサトリアが出てきた。兄は笑って、ミサトリアはバツが悪そうな顔だ。
払い終わったベックが立ち上がり周りを見渡すと、ため息をついて言った。
「しゃぁねえ、休憩だ。ミサトリアはジョルジョとボナハを、ノイマン様は馬車を起こすの手伝ってくれ。坊主、お前は休んでろ」
ベックはない髪を掻きながら馬車へ近づいて行った。




