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血塗られた交渉






 いや、答えない。


 手から力を抜いて右手のナイフを離す。


 そのままコップをつかみ取り、一気に飲む。


 パナンの水だ。もう少し味わいたかったが仕方ない。


 飲み終わったコップを勢いよくカウンターに打ち付ける。


 背後で椅子を引く音が多数聞こえる。



「おいしー、おかわり!」



 ナルラの耳の毛が逆立つ。


 銅貨を出すふりをして下に落とす。


 慌ててそれを拾うふり。椅子から降りて一瞬だけ背後を確認する。


 立ち上がっている獣人が五人いた。そのうち一番近い細い体の獣人が手を後ろに隠していた。腰の皮鞘にナイフがない。


 不自然にならないように席に座りなおして、銅貨をカウンターに置く。


 距離的には大丈夫だ。僕にナイフを抜いたことを気付かせるくらいの力量の人なら、この距離でも対応できるはず。



「んー獣人について何かって言われましても、先ほども言ったように会ったばかりの人種に何か思うことなど、見た目以外のことはありません」



 ナイフを肉に刺して口へ運ぶ。


 口へ運んだついでに軽く遊ばせてナイフの重心を把握する。大丈夫、これなら投げられる。


 顔は笑顔を絶やさない。表情の変化で勘違いされては困る。


 情報がないのだ。何が竜の尾かわからない。だったらうやむやにするべきだ。うやむやにしてごまかし、後でどういうことだったか調べればいい。



「……わっかりましたー!」



 ナルラがコップを回収して奥へ消える。


 椅子に座る音が三つ。後ろで止まっていた談笑が再開した。


 肉を二切れだけ残し、食べるのを止める。食べきると皿が回収されて、武器が手持ちのナイフしかなくなってしまうからだ。


 獣人の男が右隣に座った。先ほどナイフを抜いていた男だろう。



「ようお坊ちゃん、家出か何かかい?」



 体をこちらに向けて話しかけてくる。鉄の胸当てをした縞模様の耳を持つ獣人だ。見たところ前衛戦士系の体つきをしている。



「いいえ、違います。どちら様でしょうか?」


「……その肉うまそうだな、残ってんなら俺にくれよ」



 ナイフは手放したくない。



「おいしいので取っておいたんです、あげませんよ?」


「そんなこといわずにさぁ? おじさんにもおにくちょーだいよー」



 自然な動作で僕の肩に腕を掛けてきた。


 男はナイフを持つ僕の右手に手を重ね、ナイフを抜き取っていく。


 ごまかしたのは失敗だったか。逃がしてくれそうにない。



「はぁ、じゃあいいですよ、どうぞ食べてください」


「そうかい、ありがとなっ!」



 ナイフは僕の右手の甲に突き立てられた。


 僕は反射するように右腕に力を入れて手を持ち上げ、右手をナイフの柄まで貫通させる。


 力を入れてナイフを固定、そのまま軽くナイフをひねって男の手を外し、刺さったままの右手を振って男の首を平手打ちする。


 男の首に、僕の手のひらから出ているナイフの刃が刺さった。


 しまった――


 急いで手が離れないよう男の体を引き倒す。


 こんなに簡単に刺さるものだとは思っていなかった。姉なら刺さることなどないし、ベックなら避けて離れてくれるはずだった。


 なんでこんなにも簡単に刺さるんだ、ありえないだろ!


 傷つけられて敵意を向けられたので保身のために男の首にナイフを当てて脅しをかけるつもりだった。失敗した。


 右手を男の首から離さないようにしながら、背を外につながる扉に向けて店内を警戒する。


 男女合わせて十一人の獣人が武器を手に取っている。



「動くな! 動いたらこいつが死ぬぞ!」



 手のひらで血が流れているのがわかる。僕の血と男の血、今はまだ僕の血のほうが多く流れているはずだ。だがナイフを抜いたとたんに男の血が噴き出すだろう。


 人殺しなんてやったことがない。でもわかる。手を離したらこの抱えた命は零れる。僕は手から魔力を流して男の命をつなぎとめている。


 男を殺すのであれば後ろの扉からすぐに逃げればいい。だが外に男の仲間がいたら積みだ。運良く逃げられても追われることになる。殺さないとなるとナイフを抜いて治療をする時間が必要だ。


 どうしたらいい、どうすればいい!


 木のコップが落ちた音が響いた。ナルラが戻ってきたのか。


 その音が合図となり獣人たちが動こうとしたので、魔力を一瞬だけ緩め血を噴出させる。



「動くと死ぬっていったんだ! お前たちが動かなければ死にはしない!」



 男の生命の輝きは薄い。おかげで僕の魔力がよく通る。



「ニコラスさん……やはりマルダナ商会の手の者ですか」



 ナルラがうつむいてしゃべるが、知らない。


 もうどうしたらいいかわからない。



「マルダナ商会なんて知らない。獣人なんて知らない。僕はただの冒険者だ! この男が僕にナイフを刺した! やり返そうとしたら首に刺さったんだ、何が悪い!」


「マルダナのガキが! その身のこなしをするガキが、カタギなわけがねえ! ガスールを離しやがれ!」



 メイスを持った黒耳の獣人が吠える。



「離したら死ぬぞ、いいのか!」



 あぁ畜生っどうしたらいい! 冷静になれ、頭を動かせ!


 逃げたらこの男は死に、獣人が追ってくる。逃げなかったら囲まれてどうしようもなくなる。


 男を抱えて治療しながら逃げるなんてできない。


 それにこの男と周りの獣人たちの関係性がわからない。名前を呼んだということは知らない仲ではないはず。


 兄の言葉を思い出せ、本で読んだ知識を改めろ、ベックたちには何を教わった――


 数舜で答えを導き出す。


 今僕にできることは、二つ。


 話し合いで解決できることに賭けて時間を引き延ばす。


 だがこれは厳しい。相手の情報がなさ過ぎて、どうやって信頼を得たらいいのかがわからない。話し合いという交渉のテーブルに着かせることなどできる気がしない。


 となると、これしかない。



「ナルラ、こっちへ来い! 来ないとこいつが死ぬぞ! 手ぶらで来い!」



 ナルラを呼ぶ。身のこなしから戦う人ではないはず。この中で一番弱いはず、そして給仕だ。一番認知度があるはずだ。


 ナルラがカウンターから出てくる。左手で腰のナイフを抜いてナルラに向ける。



「いまからこの男を離す! 少しでも変な動きをしたら男とナルラを殺す! いいな!」


「ふざけっやがってっ……ちっ、おめえら動くな!」



 先ほど吠えていた黒耳が周りを制す。


 僕はナイフをゆっくりと引きながら男に生命属性魔力を流す。


 三つ息をついたところでナイフが抜けた。手の甲からも抜きたいが、隙は見せられない。


 刺さっているナイフが振れないように、人差し指で男の首を触り最後の治療をする。


 これで死にはしていない、血の汚れ以外は元通りだ。気絶している男から離れてナルラの首に左手のナイフを添える。



「僕は店を出る! ついてきたらナルラは殺す! 仲間を呼んでも殺す! わめいても殺す! 騒いでも殺す! わかったら全員椅子を壁に向けて座れ!」



 黒耳が号令を出し、獣人たちが壁を向いて席に着く。



「ナルラも両手を上げて」



 ゆっくりと震える両手を上げるナルラ。


 僕は右手からナイフを抜き取り治療する。


 ナルラの体を触って武器がないか確かめる。太腿に固い感触がある。給仕服の中に手を突っ込んでそれを出す。小ぶりのナイフだ。


 そのナイフを床に捨てる。ほかにはなさそうだ。あとの問題は魔法か。


 兄のように無詠唱で魔法を使われたらどうにもならない。だがベックたちが無詠唱を使えるのはごく一部の魔術師だけと言っていた。ナルラはただの給仕だと思う。使えないほうに賭けよう。


 ナルラの背は僕より高いので首にナイフを突きつけていると不格好になってしまう。突きつける場所を背中に変える。


 後ろ手に扉を少し開ける。騒いだから人が消えたのだろうか、誰もいない。


 扉を大きく開け、ナルラに外に出るように指示する。



「お前たちは日が昇るまでこの店から出るな。出たらナルラが死ぬと思え。僕は近くでお前たちを見ているからな?」



 言葉を残し外に出る。


 両手を上げ体を震わせるナルラ。僕と話している最中に、僕の後ろで不穏な動きをする獣人たちは見えていたはず。それを止めなかったのだ、自業自得だろう。



「手は降ろしていい。何もないように装え。行き先は朝露の香呂だ」


「……あっ……はい」



 朝露の香呂は通りを曲がればすぐだ。店に残した獣人たちが騒げば宿まで音が届くだろう。


 ナイフを外套の下に隠し、ナルラの後ろを歩く。


 とにかく戦槌がいる。


 ガスールと呼ばれた男の力量から考えると、相手は姉やベックほど強くないはず。


 最悪を考えながら朝露の香呂の扉を開いた。






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