闇の中へ
「だぁーから、力で振るな! 刃は滑らせないと意味がないって何度言ったらわかんだおめぇは!」
「そんなこと言われたってわかんないよ! もっと具体的に教えてよ!」
「だからこうぬるっとやるんだよぬるっと! 振りかぶるんじゃなくて滑らすんだよ!」
「こう?」
「ちげぇ!」
馬の休憩中、僕はベックにナイフの使い方を教えてもらっていた。
しかしわからない。言われた通り滑らせるようにぬるっとナイフを振っているのだがダメらしい。
いろいろと振り方をしてどれがいいのか聞いてみても『全部だめ』ときた。
剣の才能がないから刃物全般の才能ないのもわかってたけどさ。
ベックが真剣に教えてくれるから悔しさが増す。申し訳なくて一人で練習したくなるが、ベックが許してくれない。
「あぁくっそ、ミサトリア、その馬の水桶貸せ!」
「はいはーい」
馬をブラッシングしていたミサトリアが馬用の水桶を持ってくる。
あまりにも出来が悪いからここに顔を突っ込んで反省しろみたいな?
「いいか、坊主の今の動きはこうだ」
ベックがナイフで桶の中の水を切る。水しぶきが上がって僕のところまで飛んできた。
どうやら水で教えてくれるらしい。確かに空中でやるよりも比較がしやすいかもしれない。
「で、ちゃんとナイフを使うとこうなる」
ベックがもう一度ナイフで水を切る。
水しぶきが上がらない。これはすごい。
確かに水に入るナイフを見たはずなのに、水は波を変えただけでしぶきが上がらなかった。
「やってみる」
真似して僕も水を切る。桶が切れた。
もう一度――桶が割れた。
「坊主……水すら触れてねぇぞ」
「いや、だって滑らしたら横に行くよね、そしたらふちに当たるよね……」
「ねぇよ……そうか、まず当てることからか」
「やーいニコラスのへったくそー」
「ミサトリアも手本見せてよ」
目をそらされた。
刃を滑らすって難しい。だけど教えてもらえるなら、めげたくない。
「ミサトリアも茶化すな。突くならできて切ろうとすると当たらねぇ。しゃぁねえ、裂くから教える、ミサトリアぁ布!」
「あいよーおやぶん!」
そういってミサトリアは馬車の中に布を取りに行った。
アイゼンは馬車を入念に点検している。ある程度走ってから不備がないか点検することで事故が減るらしい。もし不備があったらリンザスに戻って修繕するそうだ。
その時間にこうやって訓練してもらっているわけなので、もっと点検していてほしい。
ミサトリアが手ぬぐい状の布切れを持ってきた。
ベックが受け取り授業が再開する。
「坊主は刺すと突くができる。垂直に力を入れることは問題ないってことだ」
刺すと突くに関してはやりやすかった。刃を縦にして垂直に力を伝えればいい。戦槌の頭でやっている感覚を手に落とし込むことで少し練習するだけでできたのだ。
「だが切るはできない、ってことはだ、力を伝えながら横に移動させることが慣れてねぇんだ。普通は包丁とかで体が覚えてるはずなんだがな」
包丁など握ったことがない。いや握ったことはあるか、自衛用に。何の意味もなかった。
「そしたらアプローチを変える。今度はこれだ、まずは刺す」
ベックは右手のナイフを逆手に持ち左手で吊るした布に刺した。
「そして刃を滑らし、裂く」
刺した場所から下方向にナイフが移動し、布が左右に裂かれていく。
「やってみろ」
「わかった」
ベックが投げた布を受け取る、布の端が奇麗に裂かれている。布地のほつれも見当たらない。
力を抜きナイフの重さと回転の力をまっすぐに切っ先へ。布へ刺す。
見事に布に刺さる。そこからベックの真似をして下に引っ張る。
引き裂く音が鳴り、縦ではなく横に裂けた。ナイフの刃は下向きなのになぜ横に。
「刃が滑らねぇとたわんで横に裂けちまうんだよ。それが綺麗に裂けるまでやってろ。布はマカハトで補充してやる」
もう一度やってみる。やはり横に裂ける。
力を入れず滑らせてみよう。ナイフが抜けるだけ。
とにかく試行錯誤でナイフを滑らすが一向にうまくいかない。
そうやっているうちにアイゼンの点検が終わり訓練はお開きとなった。ちなみに『あぶねぇから馬車でナイフ出すんじゃねぇ』とのことで移動中は練習ができない。悔しい。
その後三回ほど休憩をはさみ、日が傾きかけた時間でドドガマ渓谷が見えてきた。
東西一線に伸びる山々の中に、そこだけ大きな谷になっている。
谷の壁はまるで巨大な剣で断ち切ったかのような絶壁だ。
本に書かれていた伝説では創世記にドワーフの王が人族と対立した時に斧で断ち切ったとかなんとか。
谷など無い山脈に突如として現れるドドガマ渓谷はアーヴェンジェフ公国と中立都市ゲールをつなぐ唯一の道だ。
アイゼンによるとここは観光名所でもあり軍事防衛拠点ともなっているので治安がとてもいいらしい。ただし住宅等は中立都市との協定上作れないらしい。
谷に近づいてきた。
近くで見ると谷の中には日が一切刺さず闇が広がっている。
谷の様相と相まって強大な魔物が現れそうな雰囲気だ。
谷の道幅は広く大型の馬車でも十台は横に並んで通れるのではないだろうか。隅には小さい川が流れている。
谷に入ると湿った空気と冷たい闇が襲ってくる。闇の中でも道がわかるようにと道なりに火がたかれているのが見える。
上を見上げる。途方もない高さの壁に挟まれている。はるか彼方に見える空はもう赤くなっていた。
「すごいね」
闇が濃すぎて隣で御者をしているであろうミサトリアの顔が見えない。
「あぁここはすごいぞ、朝でも昼でも日が差さないんだぜ。俺たちドワーフの中ではここは『ドルゥトゥア』っていう聖地なんだ。何百年も前、血みどろの南北戦争を止めた王の一撃の地。ドルゥトゥアってのは古代ドワーフ語で『終わりの地』って意味だ。この谷ができたおかげで戦争が終わったってなってる。そりゃこの谷の暗さじゃ敵も味方もわかんねぇからな。そのうち前も後ろもわかんなくなる。戦争どころじゃないぜ。まぁ今となっちゃ向こう側まで火がたかれて迷うことは無いけどな」
「ふーん、そんなことがあったんだ。アンデッドが湧きそうだね?」
「あったっていっても伝説でしかないからな、事実はわからない。それとここに魔物が出たことは無いらしい。切り立った壁が特別らしくて魔物をよせつけないんだと」
魔物すら近づかない谷か。奥へ奥へと続く火が闇へ誘っているようで背筋が冷える。
「でもそう考えるとすごいね、この中に砦があるんでしょ?」
「そーだな、ほんと考えられねえよ人間ってやつは。俺たちが冥府へと通じると思ってる道に拠点建てちゃうんだもんな。お、見えるか? 遠くに大きめの明かりが見えるだろ、あれが国境砦マカハトだ」
闇の中で目を凝らす。遠くに横に長い火のようなものが見える。
「見えた、それじゃもうすぐ着くんだね、よかった」
「いーや、あれが見えてから半刻はかかる。光ってるから近くに見えるけどな。実際近くでみるとすげーぞ、楽しみにしてていいぜ、お姉さんが保証する」
近いように見える光まで半刻か、落ち着かないな。
道しるべの篝火の横を通る時にしか自分が確認できない。
この谷はなぜだか音が反響しないので、馬車が闇の中に浮いているような気がしてくる。
馬車から落ちたらそのまま奈落の底へと消えてしまうのではないか。そんな考えがよぎるたびに背に汗が流れる。
その汗が谷の空気で冷えて体温が奪われていく。
その感覚が、死に一歩一歩近づいている印のような気がして唾をのむ。
早く砦についてほしい。
それだけを考えて体を固まらせていると、手に何かが振れる。
驚き触れたものを弾いてしまった。
「お、嫌か? こえぇならお姉さんの手ぇ握っててもいいんだぞ? ほれほれ」
触れたのはミサトリアだったようだ。そういって闇の中で自分の体がぺたぺたと触られる。
その感触の原因を掴んで放さない。
篝火が通ると、僕がミサトリアの腕をつかんでいるのが見える。
これはいたずらさせないために掴んでいるんだと頭に言い聞かせて、僕は時間がたっていくのを待った。




