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腐敗論




 目が覚めてからどれくらいたっただろう。


 今僕はどこにいるんだろう。


 立ち上がる気力がない。



『なぁニコラス。世界って、理不尽だろ?』



 理不尽なのはお前だ。


 頭の中で兄の声が反響する。


 そのたびに心の何かがなくなっていく気がする。


 いや、すでに無くなったのだ。


 そう思うたび意識がどこか遠くへ行ってしまう。


 硬く臭いベッドに寝ている。ここがどこか早く確かめて安全を確認しないといけない。


 頭ではわかっているが体が動かない。


 シーツを指で遊びながら天井を見ている。とても低い天井だ。


 自分以外の何かをなくした。


 前に決めたことがある。


 どんなに怖くても、痛くても、しんどくても、立ち上がって笑ってやるんだ。


 立ち上がって笑って見せてやれば僕の勝ちだ。


 生まれた時から何かを持っているお前たちですら、僕を倒すことはできないんだって。


 違う、これは後付けだ。


 立って笑ってやらないと僕は生きてはいけない。


 兄は心が折れたら立ち上がれなくなると言っていた。


 そんなわけない、息を吸ってしまえば立ち上がるしかない。


 生きている限りは立ち上がってしまう。


 今だって何もせずベッドにいるが、いつかは飽きて立ち上がってしまうだろう。


 心が折れても腹は減る。心が折れても体は生きようとする。


 そして立ち上がってしまったら、もうおしまいだ。


 死にたいとか生きたいとかどうでもよくなる。


 心が折れたまま立ち上がって、ただ人形のようにお腹を満たして。


 それをみんなが咎めるが、何を言っているか理解できなくなる。


 だってそうだろう、生まれた時には決まっていたんだ。


 何もできないって決まっていたんだ。


 じゃあ生きるって何さ、死ぬって何さ。


 もともと何もないなら何をしても変わらないじゃないか。


 そりゃお前たちは生まれた時から何かを持っていたからわかるんだろうな。


 死んだら何かを失えるもんな。


 僕にはそんなものない。


 何も変わらないものに違いなんてわからない。


 それでも咎めるように何かを言ってくる。


 わからない。


 わからないけどお前たちが何かを必死に訴えていることはわかる。


 だから笑ってしまうんだ。


 なにいってんだこいつらって。


 そうやって生きてきたら、今度はそれで咎め始める。


 めんどくさい。


 どうせお前らには理解できない。


 俺もお前らを理解できない。


 でもあんまりにもうるさいから、ふりをしてやるんだ。


 元気に笑っているふりをしてやるんだ。


 めんどくさいから合わせてあげる。


 それでみんなは満足した。


 めんどくさくなくなって僕も満足、お前たちも満足。


 そうやって生きてきたら何かが手に入ったんだ。


 何もなかったと思ったら手に入ったんだ。


 たまたまかもしれない。神様のただの気まぐれかもしれない。


 手に入ったものがあったんだ。


 そうか、これがお前たちの気持ちだったのかって。


 そしたら初めて生きていこうと思えたんだ。


 だけどそれもお前たちは奪った。


 そんなみじめなものなんて捨てて、こっちのほうがいいよって。


 僕の手から奪ってバラバラにしてぐちゃぐちゃにして。


 また何かを失った気がした。


 だけど手に入れ方はわかってる。


 おんなじことをすればいい。


 それをもっと簡単にやればいい。


 何かがなくなって倒れたら、立ち上がって少し笑って。


 また何かを探せばいい。


 でもあれは違う。


 あの本は、僕に何かをくれたんだ。


 はじめて世界が奇麗に見えた気がしたんだ。


 それを本からもらったんだ。


 自分じゃない、誰かからもらったんだ。


 なのに――


 その誰かはお前たちに殺された。


 もう戻ってくることはない。


 無くなったならどうしようもない。


 奪ってくれたなら取り返せたのに。


 あぁこれでまた、僕には何もない。


 奇麗な世界などどこにもない。


 そうだ、何もなくなったんだ。


 何もなくなったなら立ち上がり方は知っている。


 立ち上がって笑えばいい。



「……フヒッ」



 さぁ無駄な時間は切り捨てよう。


 こんなことをしているとめんどくさくなるだけだ。


 立ち上がってお前たちと同じふりをしよう。


 それでみんなめんどくさくない。


 今度はもっと早く手に入れられる。


 もう二度と、誰かからはもらえないかもしれないけど。


 まずはここがどこか確かめなければ。


 僕はベッドから起き上がった。






 汚く傷んだ狭い部屋だ。奇麗にしたら使用人の部屋に似ているかもしれない。


 天井が低いと思ったら寝ていたベッドの上にもベッドがある。二段ベッドという奴だろう。


 外につながっているのは扉と木窓。


 扉の先はわからないので木窓に寄る。


 軽く隙間を開けて様子を見る。


 夜の町だ。小さい建物がひしめくように並んでいる。


 向かいの建物の高さが同じ、二階建てということは僕がいるのも二階のようだ。


 下の通りはぽつぽつと平民たちが歩いている。


 時折この窓の真下に来て消えていくので、この建物は人が多く出入りする建物のようだ。


 入っていく人、出ていく人の格好に統一性はない。



「確かに真新しい服を着ている平民なんてどこにもいないな」



 兄の助言を思い出し笑えて来た。


 稽古と同じだ。情報収集も本で見るよりやったほうがいいとわかった。


 窓を閉じて扉に向かう。


 耳を澄ますと様々な人の声が聞こえる。


 とても騒がしい。だが遠い。


 扉の近くには誰もいないと考えて、少し扉を開き様子をうかがう。


 廊下だ。誰もいない。


 扉から出て周りを見る。


 同じような扉が五つ、廊下の先には木窓、反対側は階段のようだ。


 騒がしかった声は階段のほうからだ。


 階段を半分降り、顔を少し出して階下をうかがう。


 二十人くらいの人がそれぞれテーブルを囲んで談笑をしている。


 木のコップや料理がテーブルに置かれていた。料理店か何かのようだが、こんな汚い料理店は初めて見た。


 いや、これが普通なのだろう。今僕は平民の中にいるのだ。


 奇麗な服なんて着ないし、本なども持っていないのが平民。


 臭くても香水などつけないし、言葉も野蛮なのが平民だ。


 この鼻をつく臭いはお酒だろう。ということは酒場という奴か?


 たぶんそうだ、いや憶測で考えるのはだめだ。


 害意の気配はない。


 みんな酒と話に夢中で警戒などしていない。


 一人ずつ観察していく。


 部屋の隅に怒気を放つ人たちがいる。


 よく見たらベックとミサトリアだった。


 この場で二人のテーブルだけ温度が違う。


 二人は僕の護衛と御者、危険はないはず。何か怒鳴りあってはいるが。


 警戒もせずに怒鳴りあっているということは、この酒場は安全なんだろう。


 今の自分の格好を見る。家を出た時と特に変わりはない不格好な平民服。


 ということは金づるに見えるはずだ。


 しかし他に服はない。荷物もどこにあるかわからない。


 平民は野蛮ということは、もしかしたら歩いただけでからまれるかもしれない。


 これだったら貴族服を着て貴族だと主張したほうがまだよかった。


 ベックたちの所に行くまでに他の客に絡まれたくはない。


 だったら迎えに来てもらおう。だって僕の護衛だろう?


 僕は階段を転がる。転がった先で床にぶつかる。



「あんた! だいじょうぶかい!」



 前掛けを掛けた妙齢の女性がすぐに駆けつけてきた。お前じゃない。


 その後ろでベックが来るのが見えた。さすが僕の護衛。



「坊主! 気が付いたか!」



 ベックが来るまでに立ち上がってしまおう。おばさんには礼を言った。礼には礼をだ。



「おはようベック、ここはどこ?」



 目の前に来たベックに問いかける。


 僕が笑って問いかけるといぶかしげな眼をしてベックは答えた。



「……宿場町リンザスの月の輝き亭っつう宿屋だ。あそこで飯を食ってる最中だ、坊主も来い」



 酒場ではなく宿屋だったのか。


 僕は頷いてミサトリアが手を振るテーブルへ向かった。


 後ろについてきているベックが小声で僕に問いかけた。



「坊主、わざと転んだな?」



 そんなことあるわけないじゃないか。


 と、答えられなかった。


 黙ってテーブルへ歩くが、背中に感じる目線が痛い。




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