第2話女幽霊、大学についてくる③
悠斗と並んで校舎へ向かう間、透はできるだけ澪の方を見ないようにしていた。
隣にいる友人には見えない少女が、反対側から顔を覗き込んでくる。
昨夜までなら適当に言い返せば済んだが、人目のある場所ではそうもいかない。今朝決めた約束を守るなら、澪が何を言っても基本的には無視するしかなかった。
もっとも、その約束を最初に破りかけたのは透自身だ。駅へ向かう途中でも、何度か普通に返事をしそうになっている。
たった数日で、澪に話しかけられたら答えるという習慣ができ始めているらしい。
「透、聞いてる?」
「ああ。最後の問題だろ」
「そうそう。途中までは分かったんだけど、その先がさ」
悠斗は歩きながら昨日の課題について話していた。透は要点だけを聞き、途中で計算を間違えているらしいことを伝える。
そのやり取りを、澪が興味深そうに眺めていた。
「へえ、透ってちゃんと大学生なんだね」
ちゃんと、とは何だ。
透は反論を飲み込んだ。
「そういえばさ」
悠斗がこちらを見る。
「お前、今日なんか変じゃない?」
「元からだろ」
「いや、そういう意味じゃなくて。さっきからちょいちょい横を気にしてない?」
なかなか鋭い。
透は前を向いたまま、歩く速度を変えなかった。澪も一応は気を遣っているらしく、今は少し離れた位置へ移動している。ただ、見えている相手を視界の端で追ってしまうのは、意識していても完全には防げない。
「寝不足なだけだ」
「またそれか。昨日、何してたんだよ」
「面倒なやつの相手」
「何それ。友達?」
「そんなところ」
友達と呼んでいいのかは、まだ微妙なところだった。
一緒に暮らすことにはなったが、知り合って数日しか経っていない。そもそも幽霊と人間の関係に、普通の呼び名を当てはめていいのかも分からない。
透がそんなことを考えている横で、澪が嬉しそうに顔を向けてきた。
「えっ、私のこと? 私、友達?」
答えられないのを分かっていて聞いているのなら、なかなかいい性格をしている。
透は澪を見ずに歩き続けた。
「面倒な友達って、お前にもそういうのいるんだな」
悠斗が笑う。
「いるらしい」
「らしいって何だよ」
透は曖昧に返しながら、講義室のある建物へ入った。
どうやら今日も、平穏な大学生活は期待できそうになかった。
◇
講義室には、すでに多くの学生が集まっていた。
前方には大きなスクリーンと教卓があり、段差のついた座席が後方まで続いている。透は中央より少し後ろの席へ向かい、悠斗と並んで腰を下ろした。
その様子を見ていた澪が、何やら感心したように声を上げる。
「わあ、大学の教室ってこんな感じなんだ」
澪は通路の上をゆっくり移動し、室内を見回していた。
高校の教室と違って、机も椅子も大きな階段状に並んでいる。自分の通っていた学校を思い出せないと言っていたが、こうした設備の違いは何となく分かるらしい。
「ここ、好きなところに座っていいの?」
透は鞄からノートを取り出しながら、小さく頷いた。
澪はそれを見て満足したように笑うと、透の隣にある空席の上へ移動した。椅子に腰掛けるような姿勢を取っているが、実際には座面から少し浮いている。
隣に女幽霊が座っている。
誰にも見えないとはいえ、なかなか落ち着かない光景だった。
「お前、ノート派なんだな」
悠斗が透の手元を見る。
「まぁな」
「俺もちゃんと取ろうと思ってるんだけどさ、説明聞いてると書くの忘れるんだよ」
「後で配られる資料に書き足せばいいだろ」
「そういう効率的なことを最初から教えてほしい」
悠斗はそう言って笑い、自分の筆記用具を取り出した。
授業が始まる頃には澪も大人しくなっており、透はひとまず安心した。九十分間、完全に静かにしていられるかは怪しいが、少なくとも講義の邪魔をしないという約束は覚えているようだった。
前方で教員が話し始め、学生たちがノートやパソコンへ目を落としていく。
透も資料を開き、説明を聞きながら要点を書き込んだ。
最初の二十分ほどは、特に問題なかった。
澪は空席に浮かんだまま、スクリーンを眺めている。時折周囲の学生へ視線を向ける程度で、透に話しかけてくることもなかった。
思っていたより素直だ。
透がそう判断しかけたところで、視界の端に動くものがあった。
澪だった。
最初は座席の上で姿勢を変えていただけだったが、やがて身体を横へ倒し、空中で寝転がるような格好になっている。退屈してきたらしい。さらにしばらくすると、今度は上下を逆さまにして、透のノートを覗き込み始めた。
透は視線を動かさず、書きかけの行を終えた。
「……字、綺麗だね」
褒められたところで、今は返事ができない。
「でも、これ何書いてあるの?」
透は顔を上げずに、ノートの隅へ小さく文字を書いた。
『講義内容だ』
「私、高校の勉強もあんまり覚えてないのに、大学の授業なんか分かるわけないじゃん……」
それなら、どうして講義室までついてきた。
透は、ノートの隅へ再び文字を書いた。
『静かに』
澪がそれを見た。
「……あ」
先ほどまでの姿勢を正し、慌てて口元を覆う。
効果はあったらしい。
「透、何書いてるんだ?」
今度は悠斗がノートを覗き込んできた。
「何でもない」
「静かに、って書いてない?」
「自分用の注意書きだ」
「お前、そこまで集中して授業受けるタイプだったっけ?」
「今日はな」
悠斗は不思議そうな顔をしたが、それ以上は追及してこなかった。
透はノートの隅を手で隠し、前方へ視線を戻す。
危なかった。
幽霊との会話を避けるための筆談が、今度は普通の友人に見つかるところだった。
隣では澪が肩を震わせている。
どうやら笑いを堪えているらしい。
原因はお前だろう。
透はそう言いたくなるのを抑え、その後は講義が終わるまで一度も澪の方を見なかった。
♢
午前の講義が終わると、悠斗が大きく伸びをした。
「終わったー。やっぱ九十分長いわ」
「いつも通りだろ」
「慣れるまでまだ掛かりそう」
透がノートを鞄へしまっている間に、澪は座席の上からふわりと浮かび上がった。開放された途端に表情が明るくなるあたり、相当退屈だったのだろう。
「透、大学生って毎日こんなことしてるの?」
透は周囲の学生が荷物をまとめ始めたのを確認してから、目線を変えずに小さく答えた。
「毎日同じじゃないけどな」
「大変だねえ」
「ついてきたのはお前だろ」
「そうだけど、授業ってもっと面白いのかと思ってた」
「何を期待してたんだ」
「大学生同士の恋愛とか、事件とか!」
「講義中にそんなこと起きてたまるか」
澪は口を尖らせた。
大学を何だと思っているのか。
透が立ち上がると、悠斗が顔を向けた。
「ん? 何か言った?」
「いや、独り言」
「お前、今日独り言多いな」
まずい。
このままでは、澪の存在を隠すより先に、透の方が妙な噂を立てられそうだった。
悠斗はしばらく透の顔を見た後、少し声を落とした。
「……また、何か見えてるとか?」
その言葉に、透は一瞬だけ動きを止めた。
入学してから知り合ったばかりとはいえ、悠斗には以前、透が普通の人間には見えないものが見えると話したことがある。半信半疑ではあったものの、笑い飛ばさずに聞いてくれた相手だった。
「どうしてそうなる」
「いや、お前たまに変な方向見るだろ。昨日も廊下で誰もいないところ気にしてたし」
「気のせいだ」
「ふうん」
悠斗はそれ以上踏み込まなかった。
代わりに、いつもの調子で笑う。
「まあ、何かあったら言えよ。俺に見えないものはどうしようもないけど、話くらいは聞くし」
「……あぁ」
透は短く返した。
澪はそのやり取りを聞きながら、珍しく何も言わなかった。
悠斗は本人なりに気を遣ってくれたのだろう。実際、透が昔から見えていたものの多くは、他人に説明したところでどうにもならなかった。
見えない相手へ無理に理解を求めるより、見えている自分が適当にやり過ごす方が楽だった。
ただ、澪は少し違う。
今までの霊と違って普通に会話が成立するし、何より自分の部屋に住み着いている。
いつか悠斗にも説明する必要が出てくるのかもしれないが、少なくとも今日のところは、まだ黙っておいた方がよさそうだった。
読んでいただきありがとうございます!
今のところ1日2〜3投稿を考えています。
もしよろしければ、また来ていただけると大変喜びます。
それでは、次の話で!




