第10話 交わる視線⑦
五体のレイスが、墓石の向こうでゆっくりと輪郭を濃くしていく。
透は反射的に右手を握ったが、前へ出るつもりはなかった。
ここまで来る前に何度も確認している。自分たちの役目は黒い靄を見ることであり、戦うことではない。前回のように追い詰められれば別として、今は目の前に戦うための仲間たちがいる。
「二体が左へ回るぞ!」
ハインの声が飛ぶ。
ほぼ同時に、レイスたちが動き出した。
正面から三体、左側から二体。
見た目には人の形をしているものの、その動きには生きた人間らしい躊躇がない。墓石の間を滑るように進み、最短距離でこちらへ迫ってくる。
「正面は俺が取る。左、二人で頼む!」
アルトが叫ぶ。
盾を持った男と槍の女性が左へ向きを変えた。
アルトは一人で正面の三体へ踏み込む。
「三体!?」
澪の声が上ずる。
透も同じことを考えた。
いくら強いとはいえ、一人で三体を受けるのは無茶ではないのか。
だが、アルトの動きに迷いはなかった。
剣を低く構えたまま一歩踏み込み、その瞬間、身体が僅かに沈む。
次の瞬間には、距離が一気に縮まっていた。
速い。
先ほどの戦闘より明らかに。
何をしたのか透には分からないが、足運びだけで説明できる加速ではない。
先頭のレイスが腕を振り上げるより早く、アルトの剣が下から斜めに走った。
霊体を斬り裂く淡い光が、半透明の胴体を大きく崩す。
そこで追撃しない。
右から迫っていた二体目へ身体を半歩ずらし、振り下ろされた腕を剣の腹で受け流した。
その間に三体目が横へ回る。
透たちのいる中央へ抜けようとしている。
「行かせるか」
アルトが短く吐き捨てた。
崩れかけた一体目を放置し、三体目へ向けて身体を反転させる。
剣を振り回すのではなく、まず進路へ割り込む。
レイスが向きを変えようとした瞬間、横薙ぎの一撃が胴体を捉えた。
一撃では消えない。
それでも十分だった。
進路を完全に止められたレイスへ、後方から術者の光弾が飛び込み、その輪郭が大きく歪む。
「今です!」
ハインの声に合わせ、アルトの剣が再び走った。
レイスが散る。
一体。
透が数えた時には、アルトはすでに次へ向かっていた。
左側でも戦闘が続いている。
盾の男が前へ立ち、二体の攻撃を受け止める。盾へ半透明の腕が触れるたび、表面に刻まれた術式が淡く発光していた。
以前ハインが使っていた結界と同じように、霊体の干渉を防ぐ効果があるのだろう。
槍の女性はその陰から突きを繰り出し、盾へ意識を向けたレイスの身体を確実に削っている。
後方の術者も、ただ攻撃しているわけではない。
前衛の武器へ掛けた術式を維持しながら、抜けようとする個体にだけ光弾を撃ち込む。
誰か一人が圧倒しているのではない。
役割を分け、それぞれが自分の仕事をしている。
透はそれを見て、前回との違いを強く感じた。
自分が無理に前へ出る必要などない。
むしろ余計なことをすれば、この連携を崩す。
「透!」
澪の声に意識を戻す。
正面。
アルトが相手をしていた二体目のレイスが、剣を避けるように横へ飛び退いていた。
そのまま。
透ではなく。
澪へ向きを変える。
「また私なのぉ!」
澪自身も気づいたらしい。
レイスがこちらへ滑り込んでくる。
距離はまだある。
アルトとの間には別の一体がいる。
透の身体が反射的に前へ出かけた。
しかし。
「動くな!」
アルトの声が飛ぶ。
その一言で、透は踏み出しかけた足を止めた。
次の瞬間。
アルトが目の前のレイスへ真正面から踏み込む。
一撃。
完全に倒すことを優先せず、身体を大きく崩しただけで横へ抜けた。
そのまま澪へ向かう個体を追う。
速い。
透が二歩進むより先に距離を詰め、レイスと澪の間へ入った。
半透明の腕が振り下ろされる。
アルトは剣で受け流し、その勢いを利用するように身体を回転させた。
刃が横からレイスの胴を捉える。
大きく揺らいだ輪郭へ、さらに二撃目。
霧のように散った。
「だから動くなって言っただろ」
アルトが振り返る。
透は言い返せなかった。
足が半歩前へ出ている。
完全に無意識だった。
「……すみません」
「謝るのは後でいい。まだ終わってない」
アルトはそれだけ言い、すぐ戦闘へ戻っていく。
透は奥歯を軽く噛んだ。
約束したばかりだ。
前へ出ない。
勝手に動かない。
分かっていた。
それでも、澪へレイスが向かった瞬間、考えるより身体が先に反応した。
「透」
隣から声がする。
「何だ」
「今、出ようとしたでしょ」
「……ちょっとだけだ」
「ちょっとじゃない」
「分かってる。スマン」
澪の声にも緊張が残っている。
責めたいというより、心配しているのだろう。
透は一度深く息を整え、戦場全体へ意識を戻した。
残り三体。
アルトたちは十分に対応できている。
ならば、自分が見るべきものは別にある。
黒い靄。
透は戦闘から視線を外しすぎないよう注意しながら、レイスの周囲へ意識を向けた。
やはり。
何かがおかしい。
レイスたちが動いても、黒い靄の大きな流れは変わらない。
先ほど澪へ向かった個体の近くでも、靄はレイスについて移動していなかった。
むしろ。
「……澪」
「何?」
「お前の近く」
「え?」
透は眉を寄せる。
ほんの一瞬だった。
レイスが澪へ向きを変えた時、流れていた黒い靄の一部が僅かに揺れたように見えた。
だが今は、もう元へ戻っている。
「何かある?」
「いや……」
見間違いかもしれない。
戦闘中で視界も安定していなかった。
断定するには弱すぎる。
「あとで話す」
「分かった」
透はそれ以上口にしなかった。
数十秒後。
最後のレイスがアルトの剣を受け、形を崩した。
そのまま槍の女性が横から貫き、霊体が完全に散る。
「終わり!」
ハインが周囲を確認する。
前衛三人はすぐに武器を下ろさず、しばらく墓石の陰や通路を警戒していた。
新たなレイスが現れないことを確認してから、ようやくアルトが剣先を下げる。
「怪我は?」
「ない」
「こっちも問題なしよ」
盾の男と槍の女性が答える。
術者たちにも異常はない。
五体。
それを相手にして、誰一人怪我をしていない。
透が想像していた以上に、今回の隊は安定していた。
「トオル」
アルトが近づいてくる。
「さっき」
「分かってます」
「まだ何も言ってないぞ」
「前に出ようとしたことですよね」
「ああ」
アルトは剣を肩へ担ぐようにしながら、透を正面から見た。
「ミオが狙われたからってのは分かる。でも、お前が出たら守る対象が一人増えるどころか、位置がずれる」
「はい」
「俺が間に合わなかった時は?」
透は少し考える。
「その時は動きます」
アルトの眉が上がる。
「反省してないな?」
「してます。でも、何もしないとは約束できません」
澪が危険なのに、ただ見ている。
それは無理だ。
役割を守る必要は理解している。
それでも、絶対に動かないと断言すれば嘘になる。
アルトは数秒黙ったあと、呆れたように鼻から息を吐いた。
「まあ、そこまで言い切るなら仕方ねえか」
「いいんですか?」
「良くはない。でも、守れない約束されるよりマシだ」
その答えは少し意外だった。
「ただし、俺たちが対応できてる間は動くな。判断する前にまずこっちを見ろ」
「分かりました」
「それならいい」
そこで会話は終わった。
叱るだけではない。
無理な約束を押しつけるわけでもない。
透はアルトという男への評価を、また少し修正した。
読んでいただきありがとうございます!
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それでは、次の話で!




