第9話 再び墓地へ➁
最初に黒い靄を見たのは、ガルドの店へ来た若者だった。
正確には、その若者の身体にまとわりついていたものを、自分と澪だけが見ている。
次は旧墓地。
そこでも同じものが存在し、奥へ進むほど濃くなっていた。
自分と澪が示し合わせたわけではない。
互いが何を見ているか確認する前から、ほぼ同じ場所へ違和感を覚えていた。
ならば、単純な思い込みや幻覚で説明するのは難しい。
教会側も、すでにそこまでは疑っていないのだろう。
「黒い靄そのものは見えない。でも、俺たちが靄が濃いって言った場所ほど魔力の乱れが強くて、レイスも多い。浄化しても、時間が経てばまた戻る」
「そうです」
ハインが肯定する。
並べて考えるほど、黒い靄を無視する方が不自然になる。
靄そのものが原因なのか。
別の原因から生じている現象なのか。
そこまでは分からない。
ただ、墓地の異常と無関係ではない可能性はかなり高い。
「だから俺たちを呼んだ?」
透が尋ねると、マルタはすぐには答えなかった。
机の上で両手を組み、しばらく透と澪を見つめたあと、ゆっくり口を開く。
「その前に、もう一つ話しておくことがある。昨日、納骨堂近くまで進んだ調査隊が妙なことを確認した」
「妙なこと?」
「レイスの動きじゃ」
マルタは地図の納骨堂周辺を指で囲む。
「追われながら撤退した際、ある場所まで下がったところで、レイスどもが追ってこなくなった」
「結界があったから?」
澪が尋ねる。
「違います」
今度はハインが答えた。
「そこには境界を作る術式はありませんでした」
透は地図へ目を落とした。
追ってこない。
その言葉で、自分たちが前回逃げた時のことを思い返す。
納骨堂周辺で複数のレイスが現れ、ハインたちが抑える中で撤退し、自分も一度拳を振るった。
ただ、混乱していたせいで、レイスがどこまで追ってきたのかまでは正確に覚えていない。
「同じ場所に留まってる可能性がある?」
「その可能性はあります」
ハインが答える。
「納骨堂を守ってるとか?」
澪の言葉に、マルタはすぐには否定しなかった。
「そう決めるのは早い。何かを守っているのかもしれんし、単にその範囲から離れられぬだけかもしれん。魔力の濃度や術式の影響で、行動範囲が限定されている可能性もある」
透も同意だった。
動きに規則があるからといって、そこへ意志まであると決めつけるべきではない。
ただ、納骨堂周辺から離れない。
近づくほど魔力の乱れが強くなる。
レイスの数も増える。
以前、自分たちが見た黒い靄も濃かった。
別々に見えていた情報が、同じ場所へ集まっている。
「中に何かある可能性は高そうですね」
「わしらもそう考えておる」
マルタの声が僅かに低くなる。
問題は、その先へ簡単には進めないことだ。
単純に戦力が足りないというだけではなく、原因が見えないまま深部へ進むこと自体が危険なのだろう。
「だから」
透は一度、地図へ視線を落とした。
ここまで聞けば、話がどこへ向かっているのかは分かる。
「俺と澪に、黒い靄を見てほしいと?」
部屋の中が静かになる。
澪が隣から透へ顔を向ける。
マルタは少し間を置いたあと、ゆっくり頷いた。
「そうじゃ。ただし、お主らに戦えと言うつもりはない」
マルタはそこを最初にはっきりさせた。
「レイスを倒せとも、納骨堂へ突入しろとも言わん。わしらが必要としておるのは、お主らにしか見えておらんものじゃ」
それなら、役割は理解できる。
「黒い靄の位置を見る」
「それだけではありません」
ハインが続ける。
「可能であれば、濃さや流れも確認してほしいんです。どこかから出ているのか、どこかへ集まっているのか、それとも墓地全体に漂っているだけなのか」
なるほど、と透は考える。
前回、自分たちは黒い靄が存在すること自体に意識を奪われていたし、途中からはレイスへの対応で周囲を観察する余裕もなくなった。
どこから来ているのか。
どう動いているのか。
その辺りまで細かく確認できれば、原因へ辿り着ける可能性がある。
「……私も必要?」
澪が尋ねる。
声には僅かな緊張が混じっていた。
「できれば」
ハインが答える。
「トオルさん一人より、二人で確認してもらった方が確実です」
「同じものが見えてるか確認できるから?」
「はい。片方だけが見たものより、二人が別々に確認して同じ結果になった方が判断材料としては強いです」
澪はそれ以上何も言わず、手元へ視線を落とした。
透には彼女が何を考えているのかまでは分からない。
ただ、普段より静かになった様子を見る限り、墓地へ戻ることを何とも感じていないわけではないのだろう。
透自身も同じだった。
行きたいかと聞かれれば、答えは明確に「行きたくない」になる。
あそこで何が起きたかは覚えている。
レイスに囲まれ、右腕の感覚を失い、自分では制御できない力に頼ってどうにか逃げ帰った。
危険なのは分かっているし、今回は以前より状況が悪化している可能性まである。
断る理由ならいくらでもあった。
その一方で、自分たちにしか見えないものがある。
教会も冒険者も何日も調査し、レイスを倒し、浄化まで行った。それでも原因へ辿り着けず、自分と澪にだけ見えている情報が残っている。
そこまで聞いた上で、何も知らないふりをするのも違う気がした。
ただし、だからすぐに行くと決めるほど単純な問題でもない。
「すぐ答えなくてもいいですか?」
透が尋ねると、マルタは迷わず答えた。
「もちろんじゃ。これは命令ではない」
「断っても?」
「構わん。お主らには、この町の問題へ命を掛ける義務などない」
その言葉を聞いて、透は僅かに肩の力を抜いた。
断れば失望される。
そういう圧力を掛けられているわけではない。
純粋に、必要だから頼まれている。
ならばこちらも感情だけで答えず、条件を確認して判断するべきだ。
「もし参加するとして、次はどういう編成で入るんですか?」
透が地図へ視線を戻しながら尋ねると、マルタの眉が僅かに上がった。
「行くと決めたわけではないんじゃろう?」
「決めてません。だから聞きます」
「判断するためか」
「はい」
安全性。
人数。
自分たちの役割。
撤退する基準。
そこが分からなければ、参加するかどうかも決めようがない。
危険な場所へ入るという点は同じでも、前回と同じ人数なのか、十分な護衛が付くのかでは意味がまるで違う。
マルタはしばらく透を見たあと、僅かに口元を緩めた。
「そう来ると思っておった」
「褒めてます?」
「半分はな」
「残り半分は?」
「慎重すぎる」
「褒めてないですね」
「じゃが、今回はそれでよい」
マルタは地図の横へ置かれていた別の紙を取り出した。
「こちらも、同じ人数で何度も入るつもりはない。すでに増員を手配しておる」
「町の冒険者だけでは足りないんですか?」
「足りぬというより、これ以上同じ者へ負担を掛け続けるのは得策ではない。それに今回は、納骨堂への接近を前提にしておる」
つまり、これまでより本格的な調査になる。
「他の街へ応援を頼んだ」
「他の街?」
澪が反応する。
「この辺りで腕の立つ者がおる都市じゃ。教会と冒険者組合の双方から要請を出してある」
「もう来るんですか?」
「一人は、明日には到着する予定じゃ」
一人。
透はその言葉を頭の中で繰り返した。
最初は、たった一人なのかと感じる。
ただ、逆に考えれば、わざわざ他の街から一人で呼ばれる程度には実力を認められている人物なのかもしれない。
「その人が来てから、もう一度入る?」
「その予定じゃ」
マルタはそこで話を区切った。
「じゃから、答えは今日中でよい」
透は隣へ視線を向けた。
澪と目が合う。
彼女も何か言いたそうにしているが、ここで自分だけで決めるつもりはなかった。
黒い靄を見る役割は、透だけのものではない。
澪も同じだ。
「分かりました。少し、二人で話します」
「ああ。決まったら教えてくれ」
マルタが頷き、それで話は一旦終わった。
透は椅子から立ち上がり、机の上に広げられた旧墓地の地図へもう一度目を向ける。
入口から続く通路。
並ぶ墓石。
奥にある納骨堂。
何日もかけて教会や冒険者たちが調査を続け、それでも原因へ辿り着けなかった場所が、紙の上には静かに描かれている。
今度はそこへ、自分たちが再び足を踏み入れることになるかもしれない。
行くか、行かないか。
その答えを出すには、まず隣にいる澪ときちんと話す必要があった。
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それでは、次の話で!




