第9話 再び墓地へ①
翌朝、透と澪が呼ばれたのは、以前にも検査で使った教会奥の一室だった。
窓から差し込む朝の光が長机の上を斜めに照らしており、その中央には見覚えのない大きな紙が何枚も広げられている。
描かれているのは旧墓地の見取り図らしく、文字の大半はまだ読めないものの、墓石を示していると思われる小さな印や、中央を横切る通路、北側に描かれた四角い建物には見覚えがあった。
納骨堂。
自分たちが数日前、レイスに囲まれて逃げ帰った場所だ。
「座れ」
マルタに促され、透は長机の手前にある椅子へ腰を下ろした。
澪はその隣へ漂い、座る必要などないはずなのに、透と同じ高さになるよう自然に位置を合わせる。
向かい側にはマルタ、その隣にはハインが座っていた。
ここ数日まともに顔を合わせていなかったハインは、以前よりもはっきり疲れているように見えた。怪我をしている様子こそないものの、目の下には薄く疲労が残り、机の上には透明石や数種類の器具、書き込みの増えた紙束が置かれている。
昨夜、教会へ戻った時に見た人の多さも思い出す。
腕へ布を巻いていた若者。
汚れた防具を身につけた冒険者。
慌ただしく行き交う教会の人間たち。
そして、マルタから告げられた「明日の朝、話したいことがある」という言葉。
そこまで揃っていて、単なる経過報告だけで終わるとは考えにくかった。
「昨日の話ですけど、墓地の調査についてですよね」
透が確認すると、マルタはすぐに頷いた。
「そうじゃ。まずは、これまでに分かったことから話しておく」
その言葉を受け、ハインが机の上の地図を透たちの方へ向けた。
「最初にお二人と入った日から今日まで、教会と町の冒険者で複数回の調査を行いました。最初の二日は、入口周辺と外縁部を中心に確認しています」
ハインの指が、墓地入口を示しているらしい印から、外側をなぞるように動いていく。
「出現したレイスは、その都度処理しました」
「倒せたんですよね?」
澪が尋ねる。
「はい。個体差はありますが、今のところレイス自体は対処可能です」
その答えに、透は特別驚かなかった。
以前マルタたちから聞いていた内容とも一致する。
自分が一体を相手にするだけでも必死だったからといって、この世界で訓練を積んだ人間まで同じとは限らない。むしろ魔法や霊体への対処法が存在する世界なのだから、術者や冒険者がレイスを倒せる方が自然だ。
問題は、それだけの戦力を投入しても、墓地の封鎖がいまだ解かれていないことにある。
「レイスを処理したあと、教会側で周辺の浄化も行いました。その直後は、魔力の乱れもかなり弱まります」
「でも、また戻る」
透が口にすると、ハインは静かに頷いた。
「その通りです。最初は翌朝まで弱い状態を保っていましたが、その後は戻るまでの時間が短くなっています。昨日は昼過ぎに浄化した場所で、夕方には再び強い乱れが確認されました」
透は地図へ視線を落とした。
昨日、店で客が話していた「まだ墓地は閉鎖されたまま」という噂が頭へ戻ってくる。
単純に調査へ時間が掛かっているのではない。
処理しても戻る。
しかも、戻るまでの時間が短くなっている。
何かを取り除けていない。
そう考える方が自然だった。
「レイスが原因じゃないってこと?」
澪が先に口にする。
透も同じ可能性を考えていた。
「少なくとも、レイスを倒せば終わる現象ではないと考えています」
ハインの返答を聞き、透は地図上の印を目で追った。
「むしろ、レイスは結果の方なのかもしれないな」
「結果?」
澪がこちらを見る。
「別に原因があって、そこからレイスが出てるんじゃないかってこと。水が漏れてる床を拭いても、出てくる場所を塞がないと終わらないのと同じだ」
「ああ……なるほど」
澪が納得したように地図へ視線を戻す。
今の墓地も、それに近いのかもしれない。
レイスを倒す。
周囲を浄化する。
その行為自体には効果がある。
ただし、異常を生み出している何かが残っているから、時間が経てばまた元へ戻る。
「私たちも、同じ可能性を疑っています」
ハインの言葉に、透は軽く頷いた。
「それで、納骨堂ですか」
「はい」
ハインの指が、地図の北側に描かれた四角い建物へ移った。
「墓地の中で、最も魔力の乱れが強いのがこの周辺です。それは、お二人と入った時から変わっていません」
「中には入ったんですか?」
澪が尋ねる。
ほんの僅かだが、部屋の空気が重くなったように透は感じた。
答えを聞く前から、上手くいっていないのだろうと予想できる。
「入口までは複数回到達しました。ただし、内部の本格的な調査にはまだ入れていません」
「レイスが多いから?」
「それもあります」
ハインの返答に、透は意識を向ける。
それも、ということは、単純に敵の数だけが問題ではない。
「納骨堂へ近づくほど、魔力の乱れが強くなります。それに伴って術式の安定性が落ち、結界にも影響が出始めています」
「影響って?」
「以前なら止められたレイスが、結界へ強く干渉するようになっています」
ハインの表情が僅かに硬くなる。
「まだ突破されたわけではありません。ただ、同じ術式に対する反応が以前より強い個体が確認されました」
透は無意識に右手を軽く握った。
レイスの半透明な腕。
身体を抜けるような冷たさ。
拳が届いた時の感触。
あれが以前より強くなっている可能性がある。
もちろん、それだけで危険度が何倍にもなったと決めつけることはできない。
個体差かもしれない。
環境の影響かもしれない。
墓地に漂う魔力の乱れが強まったことで、結果的にレイスの干渉力まで上がっている可能性もある。
まだ分からないことは多い。
ただ、状況が改善していないことだけは確かだった。
「怪我人が出たって聞きました」
透が尋ねると、ハインとマルタが短く視線を交わした。
「出た」
答えたのはマルタだった。
「幸い、命に関わる者はおらん。昨日の調査で冒険者が一人腕を傷め、術者が一人、魔力を使いすぎて倒れた」
「レイスにやられたんですか?」
「直接攻撃を受けた者もおるが、昨日の二人は撤退時の混乱によるものじゃ」
店で聞いた「怪我人が出た」という話は事実だったらしい。
ただし、町の噂から想像したほど深刻ではない。
そこは安心していい。
同時に、専門家が怪我をする程度には調査が難航していることも分かる。
「それで」
透は一度、机の上の地図全体へ目を向けた。
「黒い靄は?」
結局のところ、そこが一番気になっていた。
ハインの口元が僅かに引き締まる。
「確認できていません」
「誰も?」
「はい」
「教会の術者にも?」
「見えていません」
「霊体を見るのが得意な人でも?」
「試しました」
ハインは机の端に置かれた透明石へ手を添えた。
「通常の霊体探知、魔力探知、残留魔力の確認、簡易的な術式解析も行いました。それでも、お二人が言っていた『黒い靄』そのものを直接捉えた者はいません」
透は返事をせず、その事実を頭の中で整理した。
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