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第8話 日常の傍らで⑦


 仕事を終え、教会へ戻る道を歩いている間、澪は珍しく静かだった。

 普段なら、今日店で起きたことや覚えた文字、稼いだ金、途中で見かけた食べ物など、何かしら話題を見つけてくる。

 それが今日は、中央通りへ出てもほとんど口を開かなかった。

「気になるか」

 透から声を掛けると、澪は少し間を置いてから素直に答えた。

「……うん。怪我した人がいるって聞いたから」

「本当かはまだ分からない」

「それは分かってる」

 返事は早かった。

 噂だと理解していても気になる。

 おそらくそういうことなのだろう。

「もしさ」

 澪は前を向いたまま、迷うように言葉を続けた。

「私たちが行ってたら、何か違ったかな」

 透は歩みを緩めず、その問いについて考えた。

 黒い靄は、自分と澪にしか見えていない。

 もしその靄が異常の原因へ直接繋がっているのなら、二人が同行することで調査が進む可能性はある。

 ただし、それはあくまで可能性だ。

 実際に行っていれば問題が解決したとは限らないし、自分たちを守るために誰かが余計な危険を負った可能性だってある。

「分からない」

 透は結論だけを急がず、考えたことをそのまま言葉にした。

「俺たちが行ってたら調査が進んだ可能性もある。でも、守られる人間が二人増えて、逆に怪我人が増えた可能性もある」

「私たちが足手まといになったってこと?」

「そうなる可能性もあるって話だ。俺たちは戦えるわけじゃないし、黒い靄が見えるからって、それだけで安全になるわけでもない」

 澪は反論しなかった。

 透自身、言っていて気分のいい話ではない。

 自分たちにしかできないことがあるかもしれない。

 それは事実だ。

 同時に、自分たちにできないことの方が圧倒的に多い。

 そこを都合よく無視すれば、ただの無謀になる。

「だから、向こうが必要だって判断するまでは行かない」

「……うん」

 澪は小さく返した。

 それからしばらくして。

「でも、呼ばれたら?」

 その問いには、透もすぐには答えられなかった。

 呼ばれた場合。

 自分たちにしか見えないものを、教会側が必要としているということになる。

 原因へ近づける可能性があると分かっていて、それでも危険だからと断る。

 それ自体は間違いではない。

 命を掛ける義務などないのだから。

 ただ、自分が本当にそう割り切れるかは別問題だった。

「……話を聞いてからだな」

 結局、透はそう答えた。

 何を求められるのか。

 どこまで危険なのか。

 どういう体制で調査するのか。

 それすら分からないうちに答えを決めても意味はない。

「透ならそう言うと思った」

「何だよ」

「別に」

 澪はほんの少しだけ笑った。

 その後は、二人とも墓地の話をしなかった。

     ♢


 教会へ戻った時、透は入口をくぐった直後から、いつもとは違う空気を感じた。

 人が多い。

 教会の関係者だけではなく、汚れた革鎧を身につけた男や、腕へ布を巻いた若者、杖を持つ術者らしき女性が廊下を行き交っている。

 店で聞いた噂が完全な作り話ではなかったことを、その光景だけで察するには十分だった。

「……帰ってきたか」

 廊下の奥からマルタがこちらへ歩いてくる。

 以前にも疲れているように見えたことはあったが、今日はその色がはっきりしている。姿勢そのものは普段と変わらないのに、顔にはここ数日の疲労が隠しきれずに残っていた。

「何かあったんですか?」

 透が尋ねると、マルタは周囲へ一度視線を巡らせた。

「ここでは話しにくい」

 その返答だけで、軽い報告ではないことが分かる。

「部屋へ行くぞ」

「今から?」

 澪が聞くと、マルタは首を横へ振った。

「いや。今日はもう遅いし、お主らも仕事帰りじゃろう。話は明日の朝にする」

 そこで一度言葉を切ったマルタの表情を見て、透は次に続く内容を何となく予想した。

「話したいことがある」

「墓地ですか?」

 確認すると、マルタは短く頷いた。

「そうじゃ」

 それだけで十分だった。

 数日前。

 マルタは、自分たちで調査を続けると言っていた。

 必要になれば、その時はこちらから頼むとも。

 そして数日後の今。

 教会には怪我をしたらしい人間が戻り、マルタから話をしたいと言われている。

 教会側だけでは解決できなかった。

 少なくとも、何らかの形で行き詰まっている。

 そう考えるのが自然だった。

「分かりました」

 透が答えると、澪も隣で頷いた。

 マルタは二人の様子をしばらく確認したあと、「今夜は休め」とだけ言い残し、再び廊下の奥へ戻っていった。

 透はその背中を見送りながら、ここ数日なるべく意識の外へ置いていたものを思い返す。

 旧墓地。

 納骨堂。

 黒い靄。

 レイス。

 自分たちが何度考えても答えを出せなかった異常は、透と澪が店で働き、文字を覚えている間にも止まらず続いていたらしい。

「透」

 澪が隣から声を掛ける。

「やっぱり呼ばれたね」

「ああ」

「どうする?」

「明日、話を聞く」

「それから?」

「それから決める」

 今は、それ以上の答えを出しようがなかった。

 危険なのは分かっている。

 自分たちは戦闘員ではなく、以前墓地へ入った時も、ハインやマルタに守られる側だった。

 それでも、経験のある冒険者や教会の術者たちが何日も調査を続けた末に、自分たちへ話が回ってきたのだとすれば、そこには何かしら理由があるはずだ。

 何を求められているのか。

 どこまで自分たちにしかできないことなのか。

 少なくとも、それを聞くまでは判断できない。

「……怖い?」

 透が尋ねると、澪は一瞬だけ黙ったあと、誤魔化さずに答えた。

「うん。怖いよ」

 そこで言葉を止め、何かを考えるように俯く。

 透は急かさなかった。

「でも、何が起きてるのかは聞きたい」

 やがて澪が続ける。

「私たちが何かできるかもしれないなら、それもちゃんと知ってから決めたい」

「ああ」

 その考えは、透も同じだった。

 助けられるかどうか。

 墓地へ行くかどうか。

 その答えを出す前に、まず知る必要がある。

 二人は並んで客室へ向かった。

 途中ですれ違った教会の男が、疲れた様子でこちらへ会釈する。透も短く返しながら、その姿へ一瞬だけ視線を残した。

 この数日、自分たちは文字を覚え、仕事をし、少しずつレイヴェルでの生活を形にしてきた。

 一方で、その同じ時間に旧墓地では別の人間たちが異常と向き合い続けていた。

 自分たちの日常と、墓地で続いていた異変。

 しばらく別々に進んでいた二つが、再び近づこうとしている。

 明日の朝。

 透と澪は、この数日間に旧墓地で何が起きていたのかを聞くことになる。


 読んでいただきありがとうございます!


 今のところ1日1〜2投稿を考えています。


 もしよろしければ、また来ていただけると大変喜びます。ブックマークしていただけたら更に喜びます(汗)


 それでは、次の話で!

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