第2話 女幽霊、大学についてくる①
翌朝、透が目を覚ますと、白石澪がベッドの横で待ち構えていた。
昨日の朝も部屋にいたのだから、存在そのものに驚きはない。ただし、今日は窓際ではなく、透が目を開ければすぐに顔が見える位置で浮かんでいる。しかも、こちらが起きたことに気づくと、待っていましたと言わんばかりに笑顔を向けてきた。
「おはよう、透!」
「……おはよう」
「今日、大学行くんだよね?」
挨拶の次に出てきたのがそれだった。
昨夜、明日考えると答えたことを、どうやらきちんと覚えていたらしい。むしろ、透が寝ている間もずっとその返事を待っていたのではないかと思えるほど、期待に満ちた顔をしている。
透は身体を起こし、枕元の時計を確認した。目覚ましが鳴るまで、あと三分ほどある。
「朝から元気だな」
「幽霊だからね!」
「理由になってるのか、それ」
「眠くならないし、疲れないし、いつでも元気!」
そう言って澪は胸を張った。
本人がそこを長所として捉えているなら、わざわざ否定する必要もないだろう。ただ、眠る必要のある透からすると、午前中から全力で話しかけられるのは少々厄介だった。
「それで、大学!」
「覚えてるよ」
「じゃあ、行ってもいい?」
「まず顔を洗わせろ」
「それ、考えてる間に準備終わっちゃうやつじゃん!」
「なら準備が終わるまで待ってろ」
澪は不満そうに頬を膨らませたものの、透が寝台を降りると素直に道を空けた。道を空ける必要自体はない。身体をすり抜けられる相手なのだから、透がそのまま歩いても衝突することはないはずだ。
それでも、こうして普通の人間と同じように振る舞われると、相手が幽霊であることを忘れそうになる。
実際、昨日からの二人の会話は、ほとんど普通の同居人同士のそれだった。
少し違うのは、同居人が壁を抜け、物に触れず、食事も睡眠も必要としないことくらいか。
いや、十分違うな。
透は洗面所へ向かった。
◇
朝食を済ませた後、透は食器を洗いながら、澪へ改めて事情を説明することにした。
「大学へ来るのは別にいいけど、いくつか条件がある」
「えっ、いいの!?」
「条件を聞け」
「はい!」
澪は透の横へ移動し、背筋を伸ばした。
空中で直立する幽霊に姿勢を正されると、何となく妙な気分になる。
「まず、大学にいる間は勝手に話しかけるな」
「えーっ!?」
「何でそこで驚く」
「一緒に行く意味なくない?」
「お前、他の人には見えないだろ」
澪が口を閉じる。
昨日までの様子を見る限り、透以外の人間が澪の姿を認識できている気配はなかった。透には声も聞こえるが、周囲の人間に同じものが聞こえるとは限らない。
少なくとも、本人の話では、これまで話しかけてもほとんど反応してもらえなかったらしい。
そんな相手と大学の廊下や教室で普通に会話していれば、周囲からどう見えるかは考えるまでもない。
「俺だけが急に喋り出したら変だろ」
「……確かに」
「だから、人がいるところでは話しかけるな。どうしても何かあるなら、周りを見てからにしてくれ」
「小声なら?」
「状況による」
「目で合図するのは?」
「お前に合図されても、俺が見返したら何もないところを見てることになる」
「難しい……」
澪は真剣な顔で考え始めた。
そこまでして話しかけたいのか。
透は洗い終えた皿を水切り籠へ置いた。
「それから、講義中は静かにしてろ」
「大学の授業って、そんなに長いの?」
「一コマ九十分」
「九十分!?」
「普通だろ」
「私、絶対暇になるんだけど!」
「ついてきたいって言ったのはお前だ」
透としては、わざわざ大学までついてくる理由がよく分からない。
澪は教室の物に触れられず、授業の内容を記録することもできない。講義を聞くことくらいはできるだろうが、自分の名前以外の記憶が曖昧な彼女にとって、大学の授業がどれほど役立つかも不明だった。
もっとも、昨日は一日中部屋でテレビを眺めていたらしい。
物に触れられず、誰とも話せない場所に置いていくよりは、外の景色でも見ていた方が気が紛れるのかもしれない。
「嫌なら部屋に残っててもいいぞ」
「行く!」
返事は早かった。
「じゃあ、講義中は静かにな」
「分かった。絶対邪魔しない!」
澪は勢いよく頷いた。
その言葉をどの程度信用していいのか、透にはまだ判断できない。昨日も「怖がらせるのは今日で終わり」と言った直後に、明日はもっとすごいことを考えると宣言していた相手だ。
ただ、彼女が約束そのものを軽く扱っているようには見えなかった。着替えや入浴の時はきちんと離れていたし、こちらが本気で嫌がることは避けようとしている。
ならば、ひとまず信用してみてもいいだろう。
「最後に、勝手に人を怖がらせるなよ」
「えっ」
「えっ、じゃない」
「でも、せっかく外に出るのに……」
「昨日まで俺で練習してたんだろ。それで我慢しろ」
「透は全然怖がらないじゃん!」
「昨日は驚いただろ」
「あれは私の勝ちだけど!」
そこは譲らないらしい。
澪は少し考えてから、渋々といった様子で頷いた。
「分かった。今日は見学だけにする」
「そうしてくれ」
「でも、面白そうなことがあったら教えてね」
「何を?」
「大学生ってどんな感じなのか、とか」
そう言って笑う澪を見て、透は少しだけ考えた。
彼女の制服は高校生のものに見える。本人も生前は高校生だったのだろうと話していたが、どこの学校へ通っていたのか、何年生だったのかさえ曖昧だという。
大学へ行くことに興味を示すのは、単に暇だからというだけではないのかもしれない。
とはいえ、それをわざわざ聞き出す必要もない。
「面白いことがあるかは知らないけどな」
「いいの! 行ってみたいだけだから」
澪は満足そうに頷いた。
こうして、透の大学生活に女幽霊が同行することになった。
許可したのは自分だが、改めて考えると随分おかしな話だった。
読んでいただきありがとうございます!
今のところ1日2〜3投稿を考えています。
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それでは、次の話で!




