第8話 日常の傍らで④
浄化した場所へ着いた時点で。
ハインは嫌な予感が当たったことを理解した。
「……戻ってますね」
同行していた術者が低く呟く。
透明石の中心では、光が小刻みに揺れている。
昨日。
ここではほとんど反応が消えていた。
それを確認してから撤収した。
今日。
元に戻っている。
いや。
正確には。
「昨日より少し強い」
ハインは思わず声に出した。
「やっぱりか?」
近くにいた冒険者が聞き返す。
「断定はできません。ただ……」
透明石を持つ手へ意識を集中する。
わずかな違い。
それでも。
ここ数日、同じ場所で同じ道具を使い続けている。
その経験が告げている。
弱くなってはいない。
少なくとも。
浄化が積み重なって改善しているようには見えない。
「もう一度やりますか?」
術者が尋ねる。
ハインはすぐには答えなかった。
できる。
浄化術そのものは使える。
今ここで繰り返せば、一時的には反応が弱まる可能性が高い。
だが。
それで何になる。
同じことを繰り返すだけなら。
魔力と時間を消耗しているだけだ。
「今日はやめましょう」
ハインは結論を出した。
「先を調べます」
同行者たちの表情が引き締まる。
視線の先。
墓地の奥には納骨堂がある。
トオルとミオが、黒い靄が濃くなっていると言った場所。
前回。
複数のレイスが現れ、撤退を余儀なくされた地点。
そこへ近づく。
今回の目的は。
戦うことではない。
原因を探すこと。
それを忘れてはいけない。
♢
納骨堂が見え始めたところで、空気が変わった。
実際に風が止んだわけではない。
音が消えたわけでもない。
ただ、周囲の魔力が明らかに乱れている。
透明石の光が、不規則に明滅を繰り返していた。
「強いな」
前衛の男が足を止める。
「分かりますか?」
「魔力は詳しくないが、嫌な感じくらいはする」
それだけでも十分だった。
術者ではない人間にも分かるほど。
異常が強くなっている。
ハインは納骨堂へ目を向ける。
古い石造りの建物。
扉は閉じられている。
外から見える範囲に異常はない。
トオルとミオが言っていた黒い靄も。
ハインの目には何も映らない。
「……ここなんですよね」
同行していた若い術者が呟いた。
「二人が見たというのは」
「はい」
「本当に見えていたんでしょうか」
疑問を持つ気持ちは分かる。
自分たちには何も見えない。
道具にも直接は反応しない。
それなのに。
異世界から来た青年と、特殊な霊体だけが見たと言っている。
普通なら疑う。
ハイン自身も。
最初なら、同じことを考えたかもしれない。
だが。
「二人とも、ほぼ同じ場所を指していました」
ハインは納骨堂から視線を外さないまま答えた。
「示し合わせた様子もありません。それに、二人が指摘した場所ほど魔力の乱れが強い」
偶然。
思い込み。
そう説明することもできる。
ただ。
偶然で片づけるには一致が多すぎる。
「見えているものが何なのかは分かりません」
ハインは続けた。
「でも、何も見ていないとは考えにくいです」
ここ数日の調査で。
その考えはむしろ強くなっていた。
自分たちが何も見つけられない。
だから、トオルたちも間違っている。
そう判断するのは簡単だ。
しかし。
未知の現象を、自分たちの知識の範囲へ押し込める方が危険だった。
マルタが何度も言っている。
分からないものを、分かったつもりになるな。
今は、それがよく分かる。
「扉まで行きますか?」
冒険者が尋ねた。
ハインは周囲を確認する。
レイスの姿はない。
だが、透明石の揺れは強い。
「今日は入口までです」
「中には入らない?」
「まだ情報が足りません」
「慎重だな」
「生きて帰るためです」
即答すると、男が僅かに笑った。
「嫌いじゃない」
褒められたのかは分からない。
だが、慎重すぎるくらいでいい。
あの日。
トオルとミオを連れて入った時。
判断が一つ遅ければ。
誰かが戻れなかった可能性もある。
同じ失敗をするつもりはない。
隊列を整え。
納骨堂へ近づく。
一歩。
二歩。
三歩。
透明石の光が強く揺れる。
「止まってください」
ハインが声を上げた。
同時だった。
右側。
倒れた墓石の陰から。
影が浮かぶ。
一体。
その奥から二体。
さらに。
納骨堂の横からも。
「四……いや、五!」
誰かが叫ぶ。
「前衛!」
「分かってる!」
盾が突き出され。
剣が抜かれる。
術者が詠唱へ入る。
ハインも杖を構えた。
数は多い。
だが。
対処できない数ではない。
問題は。
なぜ増えている。
昨日より多い。
浄化した。
倒した。
それなのに。
「左、二体!」
声を飛ばす。
冒険者が動く。
剣へ付与された光が走る。
一体目を斬る。
二体目を盾で押し止める。
ハインが術式を撃ち込む。
輪郭が崩れる。
後方。
術者の一人が短い詠唱を終え、床へ結界を展開する。
侵入を阻む光の線が足元へ広がった。
そこで。
レイスの一体が妙な動きを見せた。
結界へ正面から触れる。
普通なら弾かれる。
だが。
輪郭を大きく崩しながらも。
一瞬だけ。
前へ押し込んだ。
「……っ!」
術者の顔が強張る。
「強くなってる?」
ハインにもそう見えた。
前回より。
干渉力が高い。
断定はできない。
個体差かもしれない。
それでも。
嫌な符合だった。
「下がって!」
ハインが叫ぶ。
「ここで粘る必要はありません!」
「まだ倒せるぞ!」
前衛が返す。
「倒せるかどうかじゃない!」
声が強くなる。
今の目的は討伐ではない。
原因の調査。
ここで戦闘を続けて負傷者を出す意味はない。
しかも。
倒したところで。
また現れる可能性が高い。
「撤退します!」
短く判断を下す。
冒険者は一瞬だけ迷ったものの。
すぐに剣を返した。
「聞いたな! 順番に下がるぞ!」
前衛が後退。
術者が結界を維持。
ハインは最後尾へ回りながら、追ってくるレイスの位置を確認する。
一体。
二体。
三体。
墓地中央まで戻ったところで。
追跡が止まった。
レイスたちは境界でもあるかのように、それ以上先へ来ない。
その動きにも。
ハインは引っかかりを覚えた。
ただ漂っているだけではない。
納骨堂周辺から離れない。
守っている。
そんな言葉が頭を過ぎる。
だが。
すぐに打ち消した。
意図があると決めつけるには早い。
そこへ留まる理由が別にあるだけかもしれない。
何も分かっていない。
だからこそ。
今は記録する。
それだけでいい。
墓地の外へ出た頃には、昼をかなり過ぎていた。
全員無事。
負傷者なし。
結果だけを見れば成功と言える。
だが。
ハインの気分は重かった。
簡易机へ地図を広げ、今日確認した場所へ印をつけていく。
レイス出現地点。
魔力反応が強い地点。
前日浄化した区域。
そして納骨堂。
印が増えるほど。
分からないことが視覚化されていく。
「どう見る?」
護衛の冒険者が隣から地図を覗き込んだ。
「レイス自体は倒せます」
「それは分かってる」
「問題は、倒しても意味がない可能性があることです」
男の表情から軽さが消える。
「また出ると?」
「少なくとも、その可能性は高いです」
「面倒だな」
「ええ」
それが一番正確な感想かもしれない。
強い敵なら強い人間を呼べばいい。
数が多いなら人数を増やせばいい。
しかし。
原因が分からない。
倒しても減らない。
浄化しても戻る。
これでは。
戦力を増やすだけでは解決しない。
「例の二人は?」
冒険者が地図を指で叩いた。
「あの黒い何とかが見えるっていう」
「黒い靄です」
「呼ばないのか?」
ハインは一度黙った。
トオル。
ミオ。
二人を連れてくれば。
今、自分たちには見えないものが見えるかもしれない。
それは確かに魅力的だった。
だが。
「まだです」
「理由は?」
「二人とも戦闘員ではありません」
トオルはレイスを殴った。
だが。
あれを戦力として数えるつもりはない。
再現性がない。
本人もそう理解している。
ミオも同じだ。
霊体ではあるが、戦闘能力があるわけではない。
むしろレイスから狙われる可能性すらある。
「まずは、こちらでできることを試します」
ハインは地図へ目を戻した。
「それでも駄目なら」
その先は。
言わなくても分かる。
自分たちでは見えないものを。
見える人間へ頼るしかない。
ただ。
それを決めるのは今ではない。
「明日も入るのか?」
「はい」
「懲りないな」
「仕事ですから」
「俺たちもだけどな」
男が苦笑する。
ハインも僅かに口元を緩めた。
だが。
地図へ視線を戻した瞬間。
その軽さは消えた。
旧墓地。
納骨堂。
増えるレイス。
繰り返す魔力異常。
そして。
自分たちには見えない黒い靄。
どこかに原因がある。
それだけは間違いない。
問題は。
それが何なのか。
どこにあるのか。
そして。
なぜ。
異世界から来た二人にだけ、それが見えるのか。
答えは一つも出ていない。
ハインは透明石を持ち上げる。
今は静かだ。
墓地の外へ出た途端。
あれほど不規則だった光は、何事もなかったかのように落ち着いている。
「……また明日か」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
調査は続く。
明日も。
その次も。
原因へ届くまで。
あるいは。
自分たちだけでは届かないと認める時が来るまで。
読んでいただきありがとうございます!
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それでは、次の話で!




