第7話 できること⑪
店を出る頃には、日がかなり傾いていた。
赤く染まった通りを、仕事を終えた人々が行き交っている。
「初給料もらっちゃったね」
澪が嬉しそうに言う。
「一枚だけどな」
「金額じゃないの」
「そういうもんか」
「そういうものです」
記憶を失っている以上、生前に働いた経験があったのかも分からない。
だから本当に初給料なのかは不明だ。
ただ、少なくとも澪自身にとっては初めての経験なのだろう。
「透は何か買うの?」
「しばらく貯める」
「真面目だなぁ」
「借りた金も返さないといけないだろ」
「あ」
澪が声を止めた。
「その反応は、忘れてたな」
「……ちょっとだけ」
「自分の借金じゃないと思ってただろ」
「だって借りたの透だし」
「お前のリクエストで色々買ったぞ」
「私、ご飯食べないよ?」
「お前のリクエストで色々食べたぞ」
「……半分くらい?」
「何が半分なんだ」
「私の負担?」
「都合よく減らすな」
くだらない言い合いをしながら、教会へ向かう。
こうして歩いていると、午前中に教会で色々検査していたことが少し遠く感じられた。
だが、問題が消えたわけではない。
旧墓地は今も封鎖されている。
昨日、自分たちが逃げ帰った場所には黒い靄が残り、納骨堂の周辺には複数のレイスがいた。
教会側が今日も調査しているはずだ。
透たちにしか見えていない黒い靄についても、何か分かったのかもしれない。
考えているうちに、隣から声が飛んだ。
「透?」
「何だ」
「急に静かになったけど、どうしたの?」
「墓地のこと考えてた」
澪の表情から、さっきまでの浮ついた明るさが少し薄れる。
「……まだ終わってないもんね」
「ああ」
「また行くことになるかな」
透はすぐには答えなかった。
可能性はある。
自分たちだけが黒い靄を見られるという事実が変わらなければ、教会側から協力を求められることもあり得る。
だが、昨日の自分たちは、まともな戦力ではなかった。
ハインとマルタに守られながら、偶然レイスへ拳が届いただけ。
今朝の検査でも、その力を自由に使えるようになったわけではない。
ならば本来は経験のある人間へ任せるべきだ。
「今すぐは行かないだろ」
「そうなの?」
「教会にも冒険者にも、俺たちより戦える人間はいる」
澪は黙って聞いている。
「黒い靄のことが必要なら、その時に話が来るんじゃないか」
「自分から行かないの?」
「行って何するんだよ」
「……見る?」
「そのためだけに危険な場所へ入る必要があるかは、向こうが判断するだろ」
「なんか現実的だね」
「普通だろ」
透としては当然の判断だった。
見える。
だから役に立てるかもしれない。
だが、それは自分たちが率先して危険へ飛び込む理由にはならない。
戦える人間が調査して。
それでも原因が分からず。
本当に自分たちの目が必要になったなら。
その時に考えればいい。
「でも」
澪が前を向いたまま続ける。
「困ってたら、ちょっと気になるかな」
「その気持ちは分かる」
「え。分かるんだ」
「何だよ」
「透なら『関係ない』って言うかと思った」
「そこまで冷たくない」
「自分で言う?」
透は答えなかった。
気になる事と首を突っ込むことは別だ。
今の自分たちにできることと、できないこと。
そこを間違えれば、また誰かに守られるだけになる。
だから。
今は待つ。
それが一番合理的だった。
♢
教会へ戻ると、入口近くの廊下にマルタがいた。
何人かの教会関係者と話していたが、透たちへ気づくと短く手を挙げる。
「戻ったか」
「はい」
「仕事はどうじゃった?」
意外な質問だった。
透は一瞬だけ答えを探す。
「思ったより普通に働けました」
「何じゃ、その感想は」
「もっと何もできないと思ってたんじゃない?」
澪が横から口を挟む。
「お前は?」
「私も働きました」
「ほう」
「お給料も貰ったんですよ」
自慢げな声だった。
「透が持ってるけどね」
「お主が持てんからじゃろう」
「まぁそうですけど」
「なら文句を言うでない」
「文句じゃなくて説明です」
マルタが呆れたように笑う。
その様子だけを見るなら、墓地の件で緊迫しているようには見えない。
だが、いつもより僅かに疲れている。
透にはそう感じられた。
「墓地は?
自然と口から出た。
マルタの表情がわずかに変わる。
「今日も人を入れた」
「どうでした?」
「入口周辺のレイスは処理できた。浄化も行っておる」
そこまでは予想していた。
教会にはマルタやハイン以外にも術者がいる。
町には冒険者もいるレイスそのものを倒せる人間が存在することは、昨日の時点でも分かっていた。
「納骨堂までは?」
「まだ本格的には入っておらん」
マルタは簡潔に答えた。
「まず外側を調べ直しておる。昨日のお主らの話もあるからの」
黒い靄。
レイスの増加。
納骨堂周辺の異常。
透たちが見た情報は、すでに教会側へ共有されている。
だからこそ、経験のある人間たちが順番に確認しているのだろう。
「黒い靄は?」
澪が尋ねる。
「今のところ、見えたという者はおらん」
その答えに、透は僅かに眉を寄せた。
やはり。
昨日だけの偶然ではないらしい。
霊的な知識を持つマルタ。
魔法や結界を扱えるハイン。
そして今日入った術者たち。
それでも黒い靄そのものは認識できない。
理由は分からない。
ただ、自分と澪にだけ見えているという可能性は、少しずつ高くなっている。
「明日も調べるんですか?」
「ああ」
マルタは迷いなく答えた。
「教会だけではなく、町の冒険者にも協力を頼んでおる。まずはわしらで調べる」
その言い方に透は、自分たちが含まれていないことを察した。
「俺たちは?」
「来んでよい」
即答だった。
澪が瞬きをする。
「いいの?」
「よい」
マルタは二人を順に見る。
「昨日危険な目に遭ったばかりじゃ。お主らが、黒い靄を認識出来るのは心強いがそれだけで素人を何度も墓地へ連れていく理由にはならん」
もっともだ。
むしろ透はその判断に納得した。
自分たちの力が特殊だからといって、何もかも解決できるわけではない。
戦う技術も墓地を調査する経験も、どれを取っても今の自分たちより専門家の方が上だ。
「向こうで何か見つかれば、また教えてください」
透が言うと、マルタは小さく頷いた。
「もちろんじゃ」
「俺たちに必要なことがあれば?」
「その時は頼む」
それで十分だった。
今できる事と、自分たちがやるべきこと。
それは同じではない。
墓地に異常があるからといって、自分たちが毎回出向く必要はない。
役割があるなら果たすが、無いのなら。
今は生活を整える方が先だ。
「じゃあ明日も仕事だね」
澪が透を見る。
「文字の勉強もな」
「うっ」
澪は、あからさまに嫌な顔をした。
「何で嫌そうなんだ」
「仕事は楽しかったんだけど」
「文字も覚えろ」
「透だけ覚えて教えてよ」
「自分で読めた方がいいだろ」
「分かってるけどー」
不満を零しながら、澪は客室へ向かって漂い始めた。
今日は。
透は自分の魔力について少し知った。
澪との繋がりについても、僅かな手掛かりを得た。
そして二人して、この世界で働くことができた。
それだけでも昨日より前へ進んでいる。
「透」
廊下の先から澪が振り返る。
「明日、石鹸の文字当て勝負ね」
「何で勝負になるんだ」
「今日二人とも間違えたから」
「お前は油って言っただけだろ」
「透も似たようなもんじゃん」
「違う」
「じゃあ勝負」
「話聞けよ」
澪の声が静かな廊下へ響く。
透は呆れながら、その後を歩いた。
読んでいただきありがとうございます!
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それでは、次の話で!




