第7話 できること⑩
それから数時間。
仕事は大きな問題もなく続いた。
透は軽い商品の移動と整理をしながら、棚の位置と商品名を覚える。
リナに教わりながら値札の文字を読み、間違えたものはその場で覚え直した。
澪も客が入ってくるたび元気よく挨拶し、分かる範囲で案内する。
最初こそ商品棚を間違えたものの、二度目からは失敗しなかった。
途中、店の奥にいるガルドを呼びに行こうとした澪が、当然のように壁へ向かって進んだ。
「おい、ちょっとまて」
「何?」
「ちゃんと扉から行けよ」
「何で? こっちの方が早いよ」
「客が見たら驚くだろ」
「でも私、霊体だよ?」
「知ってる」
「だったら壁くらい抜けてもよくない?」
「できるかどうかと、店でやっていいかは別だ」
「透は、細かいなあ」
「働くなら店のやり方に合わせろ」
「はーい」
不満を隠そうともせず、澪は渋々扉へ回った。
その後ろ姿を見送りながら、透は妙な感覚を覚える。
少し前までは、現代の自室で勝手に壁を抜けるな。他人の部屋へ入るな。
と注意していた。
それが今では、異世界の雑貨屋で同じ幽霊へ似たようなことを言っている。
世界が変わっても、澪の行動はあまり変わらない。
そのせいで、自分の注意の内容まで大して変わらないらしい。
その事実がおかしくて、知らないうちに口元が緩んだ。
「トオルさん?」
リナが怪訝そうに覗き込んでくる。
「どうかした?」
「なんか今、笑ってませんでした?」
「いや、気のせいだろ」
「そうですか? 怪しい」
リナの追及をかわし、透は次の木箱へ手を伸ばした。重みは感じるがこれ位なら背中にも右腕にも問題はないだろう。
午前中、マルタにあれだけ念を押された。
ここで無理をして痛みをぶり返せば、何を言われるか分かったものではない。
それ以前に、自分から働かせてもらっておいて初日から使い物にならなくなるのは避けたい。
そう判断し、無理のない範囲で仕事を続けた。
♢
西日が店の奥まで差し込み始めた頃。
「今日はそこまででいい」
ガルドの一言で、初日の仕事が終わった。
透は軽く疲労感のある肩を回す。
背中にも多少の疲れがあるが、痛みが悪化した様子はない。
右腕も問題なく動く。
少なくとも初日としては上出来だろう。
「どうだった?」
ガルドが聞く。
「文字はまだかなり怪しいです」
「そっちじゃない。作業の方だ」
「それなら、大丈夫だと思います」
「なら十分だ」
短いやり取り。
それだけで評価としては足りたらしい。
ガルドは腰の小袋を外し、中から銅貨を5枚取り出し透の前へ置く。
「今日の分だ」
「もう貰っていいんですか?」
「働かせたんだから払う。当たり前だろ」
「……ありがとうございます」
透は銅貨を手に取った。
手の中で小さな金属音が鳴る。
教会から借りた金とは違い、この世界へ来て初めて自分で働いて得た金だった。
金額としては大きくない。
それでも実感があった。
ここへ来てから必要なものの多くを、誰かに助けてもらっている。
仕方のない状況だと理解していても、一方的に世話になり続ける状態には落ち着かなかった。
今日の賃金だけで生活できるわけではないが、それでもようやく自分で返し始めることができる。
「それと」
ガルドがもう一枚、銅貨を机へ置く。
「こっちはミオの分だ」
澪は、ガルドを見てそれから銅貨で視線が止まった。
「……私の?」
「ああ」
「でも、私ほとんど案内しかしてないよ?」
「その案内も仕事だ」
「途中で間違えたけど」
「次から間違えなきゃいいだろ? 初日だ。そんなもんだ」
ガルドにとっては、それ以上説明する必要もないのだろう。
働いた。
だから払う。
ただそれだけ。
だが、澪はすぐには返事をしなかった。
机の上に置かれた一枚の銅貨を、じっと見つめている。
その様子から透は遅れて気づいた。
澪は金を持てない。
指を伸ばしてもすり抜ける。
財布を持つこともできない。
報酬を得ても、自分の手で受け取ることさえできない。
その事実が、せっかくの喜びに水を差すのではないか。
そんな考えが頭を過ぎった。
しかし。
「……これ、私のお金?」
澪が確かめるように聞いた。
「ああ」
ガルドは迷いなく答える。
「お前が働いた分だ」
「そっか」
澪の表情がゆっくり柔らかくなる。
銅貨には触れられない。
それでも自分のものだと認めてもらった。
自分が何かをして、その対価として得たもの。
澪にとって大切なのは、硬貨そのものではなかったのかもしれない。
「透」
「何だ」
「持ってて」
机の上を指差す。
「いいのか?」
「私じゃ持てないもん」
「使う時は?」
「ちゃんと私に確認して」
「分かった」
「勝手に使ったら倍返しだからね」
「利率高すぎるだろ」
「それが幽霊金利」
「なんだよそれ」
いつもの調子が戻り、透は銅貨を拾い上げ自分の賃金とは分けて小袋へ入れた。
一枚。
ほんの僅かな金額。
それでもこれは澪の金だ。
そう考えると、適当に自分のものへ混ぜる気にはなれなかった。
「何買おうかな」
「欲しいものあるのか?」
「考えるところから楽しいんでしょ」
透は返事をせず、楽しそうにしている澪を眺めた。
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