↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

52/71

第7話 できること⑨


 予感は、半分だけ当たった。


「これは?」


「油」


「正解です」


「じゃあ、こっちは?」


「……紐」


「惜しい。荷造り用の細紐」


「それ、惜しいで済むのか?」


「紐は合ってますから」


 リナは棚から棚へ移動しながら、次々と商品の名前を教えてくる。


 品物そのものを覚えるだけなら、それほど難しくない。


 問題は、その下に置かれている値札や商品札だった。


「じゃあ、これ読んでください」


 差し出された木札へ目を凝らす。


 三文字。


 見覚えはある。


 午前中、教会でも似た文字を習った。


 一文字ずつなら、何となく分かる。


 だが、並べられた途端に自信がなくなる。


「……油?」


「違います」


「紐?」


「さっきの商品から一回離れましょう」


「正解は?」


「石鹸です」


 透はもう一度木札を見た。


「似すぎじゃないか?」


「どこがです?」


「全部」


「全然違いますよ?」


 即答だった。


 透には違いがまだ分からない。


 少なくとも数日前まで日本語しか使っていなかった人間にとっては、見慣れない線の集合にしか見えなかった。


「私も分かんない」


 肩越しに覗き込んでいた澪が、助けにならない同意を寄越す。


「お前も勉強中だろ」


「だから一緒に覚えようよ」


「じゃあ、これは?」


 透が木札を向ける。


「……油!」


「今、外したばかりだろ」


「あれ?」


 リナが吹き出した。


 完全に二人まとめて笑われている。


 透は木札を持ち直した。


 ここで意地になる必要はない。


 そう考えながらも、さっき間違えた文字だけは絶対に覚えておこうという気になっている辺り、澪に負けず嫌いと言われても否定しきれないのかもしれない。


 考えてみれば、大学へ入るまで英単語も漢字も散々覚えてきた。


 言語そのものが違うとはいえ、やることは同じだ。


 反復する。


 間違える。


 直す。


 また覚える。


 少なくとも、拳が光る条件を調べるよりは遥かに分かりやすい。


「トオルさん、覚えるの早いですね」


 しばらくすると、リナが感心したように言った。


「まだ全然だよ」


「でも、さっき間違えた文字はもう間違えてません」


「同じ失敗を何度もするのは嫌だからな」


「ほら」


 澪がすぐ食いつく。


「透って、やっぱり変なところで負けず嫌いだよね」


「変なところは余計だ」


「だって普段は何でも『別に』って顔してるのに」


 心当たりがないわけではない。


 どうでもいいことへ執着する性格ではない。


 ただ、必要だと判断したことは別だ。


 文字は必要。


 なら覚える。


 それだけの話だった。


「必要だからやってるだけだ」


「それを負けず嫌いって言うんじゃない?」


「違うだろ」


「どう違うの?」


「……知らん」


「ほら」


 澪に得意げな顔をされた。


 これ以上続けると面倒だ。


 透は黙って棚へ意識を戻した。


 その時。


「すみません」


 入口から声が掛かった。


 中年の女性客が、店内を見回しながら困った様子をしている。


「細い針金ってありますか?」


「あ、はい!」


 リナが向かおうとした。


 だが。


「それなら、こっちです!」


 澪が先に飛び出した。


 女性の前へ回り込み、店の奥を指差す。


 客は一瞬だけ目を見開いた。


 半透明の少女が突然案内を始めれば、多少驚くのも無理はない。


「こっち?」


「はい! 確か、この辺りの――」


 澪が勢いよく進む。


 一つ目の棚。


 二つ目。


 三つ目。


 そして。


 そのまま通り過ぎた。


「……あれ?」


「一つ前だ」


 透が声を掛ける。


「あ」


 澪が空中で急停止した。


「そうだった!」


 何事もなかったような顔で戻る。


「ここです!」


「ありがとう」


 女性は苦笑しながら商品を探し始めた。


 澪は満足げに透のところまで戻ってくる。


「ほら。私も仕事できた」


「半分くらい俺が案内した気がするけどな」


「細かいこと気にしない」


「客相手では気にしろ」


「次は間違えないから!」


 失敗よりも、自分が役に立てたことの方が嬉しいらしい。


 透は呆れながらも、それを止めようとは思わなかった。


 むしろ、こういう仕事なら澪にもできる。


 物は持てない。


 棚を整理することもできない。


 商品を客へ手渡すことも無理だ。


 それでも話すことはできる。


 場所を覚えれば案内できる。


 困っている客を見つけて、リナやガルドを呼ぶこともできる。


 これまでの澪は、何かをしようとするたび「触れられない」という壁にぶつかってきた。


 その彼女に、自分にもできる仕事がある。

 それは思っている以上に大きなことなのかもしれない。


「ミオさん」


 リナが声をかける。


「次のお客さんが来たら、案内お願いしてもいいですか?」


「いいの?」


「もちろん。分からなかったら私呼んでください」


「任せて!」


 澪の声が一段明るくなる。


 透はその横顔を見ていた。


 この世界へ来てから澪は何度も、透にとっては当たり前だったことを喜んでいる。


 他人と話せる。


 名前を呼ばれる。


 一緒に町を歩ける。


 そして、今は仕事まで任されている。


 もし元の世界へ帰ったら、また自分以外には見えなくなるのだろうか。


 あの部屋で過ごしていた頃のように。


 誰とも話せず、声を掛けても気づかれず触れることもできない。


 それが本当に、澪にとって「帰る」ということになるのか。


 そんな疑問が、一瞬だけ胸へ浮かんだ。


 だが、今ここで答えを出す問題ではない。


 澪には記憶がない。


 自分が誰なのか。


 どうして霊体になったのか。


 元の世界に何を残しているのか。


 何も分かっていない。


 帰る方法を探しその上で考える。


 以前二人で話した結論は、今も変わらない。


 ただ、選べるようになった時に以前より簡単には決められなくなっているかもしれない。


 透はその考えを胸の奥へ留め、目の前の棚へ向き直った。



 読んでいただきありがとうございます!


 今のところ1日2〜3投稿を考えています。


 もしよろしければ、また来ていただけると大変喜びます。ブックマークしていただけたら更に喜びます(汗)


 それでは、次の話で!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。