第7話 できること③
最初に調べることになったのは、透自身の魔力量だった。
ハインが机の中央に置かれていた透明石を手に取り、そのまま透の前まで滑らせる。
掌に収まるほどの大きさで、表面は丁寧に磨かれていた。
内部には細い亀裂にも似た筋が何本か走っており、窓から差し込む光を受けるたび、薄青とも白ともつかない色を返している。
「これに触れてください」
「触るだけでいいんですか?」
「はい。力を込めたり、何かを意識したりする必要はありません。普段通りで」
それなら余計なことを考えない方がいい。
透はそう判断して右手を伸ばした。
昨日、レイスを殴った方の手だ。
一瞬だけ左手を使うべきかとも考えたが、単純な魔力量を測る検査なら、左右で結果が変わるとも思えない。
むしろ昨日異常が起きた右手を使った方が、何か差が出るなら拾える可能性もある。
指先が石へ触れる。
ひやりとした感触が皮膚へ伝わった。
それ以外に、身体の内側を探られるような違和感も、魔力らしきものが吸い出される感覚もない。
「……何も起きませんね」
澪が透の肩越しから石を覗き込む。
期待していたほど派手ではなかったらしい。今にも「光らないの?」と言い出しそうな顔をしている。
「まだです」
ハインは慣れた様子で答えた。
焦る必要はないということなのだろう。透もそのまま指を置いて待つ。
やがて透明だった石の奥へ、淡い白色の光がゆっくり滲み出した。
眩しいほどではない。
朝靄の向こうに浮かぶ月のような、輪郭の柔らかい明かりだった。
「これが魔力ですか?」
透は光の奥を見つめる。
自分の中にあるものが目に見える形へ置き換えられている。
と考えると不思議な感覚だった。昨日まで魔力というものは、この世界の住人が使う未知の力でしかなかった。それが今は、自分の中にも存在すると示されている。
「正確には、石がトオルさんの魔力へ反応している状態です」
ハインが石を少し傾ける。
角度が変わっても、中心の光は消えない。
「量としては……」
透が先を促すと、ハインは石の明るさをしばらく確認したあと、淡々と答えた。
「平均的ですね」
「平均」
「はい。少なくはありません。ただ、多いとも言えません。この町で暮らしている一般的な成人と比べても、特別な数値ではないです」
やはり。
透はその結果に落胆することも、逆に安心することもなかった。
墓地で起きたことだけを切り取れば、自分に特別な力が目覚めたと考えることもできる。
だが、本当に生まれつき強大な魔力を持っているのなら、これまで何の兆候もなかった方が不自然だ。
転移した遺跡。
教会で受けた検査。
マルタが魂の繋がりを調べた時。
これまで透自身だけが突出した反応を示した場面はない。
例外は、必ずと言っていいほど澪が関わっている。
魂の繋がりが反応した時。
そして昨日、レイスを殴った時。
ならば、自分だけを調べて特別な答えが出ないことは、むしろ仮説を絞る材料になる。
「適性みたいなものも分かるんですか?」
「ある程度なら」
ハインは石を戻し、今度は別の器具を取り出した。
三本の細い金属棒を円環状に組み合わせた奇妙な道具で、それぞれの先端には米粒ほどの小石が取り付けられている。
「ただし、これも大まかなものです。魔力の流れ方や偏りを見るだけなので、これだけで得意な術式まで決められるわけではありません」
「それで構いません。お願いします」
透は再び手を差し出した。
ハインが器具を近づけると、三本の棒が細かく震え、それぞれの先端へ小さな光が浮かび上がる。
一つ目。
二つ目。
三つ目。
順番に灯ったものの、どれか一つだけが強く輝く様子はなかった。
「……こちらも目立った偏りはありませんね」
「つまり普通?」
澪がすかさず口を挟む。
「今のところは」
「透、普通だって」
「聞こえてる」
「もっとこう、主人公っぽい何かないの?」
「誰が主人公だ」
「何となく」
「雑すぎるだろ」
澪は肩をすくめる。
透は呆れながらも、内心では「普通」という結果を悪く受け取っていなかった。
強力な魔法を使えるわけでもない。
特定の属性へ極端に傾いているわけでもない。
ならば昨日の拳を説明するためには、別の要因が必要になる。
その方が、これまでの出来事とも噛み合う。
「昨日の拳を、この魔力量だけで説明できますか?」
透が尋ねると、ハインはすぐには答えなかった。
器具を机へ戻し、先ほどの透明石へもう一度視線を落とす。自分の印象だけで答えず、測定結果と昨日の状況を照らし合わせているらしい。
「難しいと思います」
「やっぱり」
「普通の人間でも、訓練すれば魔力を身体へ纏わせることはできます。ただ、トオルさんはそういう訓練を受けていませんよね?」
「はい」
「それに、昨日の反応は一般的な身体強化とも違って見えました」
そこでハインが一度、透の姿勢を観察するように視線を動かした。
「それとは別に、一つ気になっていたことがあるんですが」
「何です?」
「トオルさんは、体術か何かを習得されているんですか?」
「それ、私も気になってた!」
澪がすぐに反応する。
透は二人を見比べた。
そこを聞かれるとは思っていなかった。
昨日は考える余裕もなく身体を動かしていたが、ハインから見れば素人にしては不自然な部分があったのだろう。
「ボクシングを少しかじってただけですよ」
「ボクシング?」
聞き慣れない単語だったらしく、ハインが首を傾げる。
「元の世界の格闘技みたいなものかな。私も初めて聞いたけど」
澪が横から補足した。
「殴り合う競技だよ。俺も本格的にやってたわけじゃない。基礎を少し習った程度だ」
だから昨日の動きも、技術として誇れるほどではない。
ただ、拳の握り方や体重の乗せ方を全く知らない人間よりはましだった。その程度だ。
「なるほど。道理で」
ハインは納得したように頷く。
「昨日、咄嗟の状況にしては踏み込みや拳の出し方が自然でした。魔力の現象とは別に、身体の使い方には理由があったわけですね」
「それでも、レイスを殴った時の現象自体は説明できないですよね」
「はい。そこは別です」
透も同意だった。
ボクシングの経験があるから拳を当てられた。
それと、本来触れられない存在へ拳が届いたことは全く別の問題だ。
ハインも話題を戻すように器具へ視線を向ける。
「違い、でしたね」
少し言葉を探してから続ける。
「昨日のトオルさんの魔力は、身体全体へ均等に流れていませんでした」
「と、言うことは拳に?」
「かなり局所的です。しかも、ご自身の内側から押し出したというより……」
ハインは適切な表現を探すように一拍置いた。
「外から流れ込んだものが、必要な場所へ集まったように見えました」
透は返事をせず、その言葉を頭の中で反芻した。
外から。
そこまで明確に言われれば、思い当たる候補は多くない。
澪。
あるいは、二人を繋いでいる何か。
透自身の魔力が平均程度だったという結果まで加えれば、昨日の現象を自分一人の力として考える方が、かえって不自然になる。
「私?」
澪も同じ結論へ辿り着いたらしい。
さっきまでの軽い調子が少しだけ薄れ、確認するように自分を指差す。
「候補としては、かなり有力だと思います」
「候補なんだ」
「まだ断定はできません」
「みんな慎重だなぁ」
澪が唇を尖らせる。
早く「自分が役に立った」と確定してほしいのだろう。
「慎重で悪いことはないだろ」
透が返すと、その矛先がすぐこちらへ向いた。
「だから二人して同じこと言わないでよ」
その反応に、透は僅かに口元を緩めた。
けれど同時に、澪が結論を急ぎたがる理由も分からなくはない。
昨日の力が彼女のものだったと分かれば、これまで「何もできない」と感じてきた部分が一つ変わる。
だからこそ、曖昧な段階で期待だけを膨らませるべきではない。
嬉しい結論ほど、根拠は慎重に確かめた方がいい。
「では次じゃ」
マルタがそこで口を挟んだ。
話が同じ場所を回り始めたと判断したのだろう。
「今度は二人の繋がりを見る」
「どうするんですか?」
「まず離れてくれるか」
言われるまま、透と澪は部屋の両端へ移動した。
透は窓側。
澪は扉側。
距離にして十数歩ほど。
以前、魂の繋がりを調べた時にも似た検査は行った。あの時は距離が開くにつれて感覚が僅かに弱くなったものの、完全に消えることはなかった。
「互いの位置は分かるか?」
「分かります」
透は目を閉じる。
視界がなくなっても、澪の存在だけは奇妙なほど自然に意識へ残った。
扉側。
自分より少し高い位置。
普段より遠いせいか感覚の輪郭は僅かに淡い。それでも、部屋のどこにいるかを迷うほどではない。
目で見ているわけでも、音を聞いているわけでもない。
ただ、そこにいると分かる。
何度経験しても、説明しにくい感覚だった。
「澪は?」
「分かります。透は、窓の方ですね」
「よし」
マルタが頷き、次の指示を出した。
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