第6話 触れられるもの⑩
「……やっぱり駄目か」
先に口を開いたのは澪だった。
「ああ」
「ちょっと期待したんだけどな」
澪は、軽い口調笑っている。
それでも、その言葉は妙に透の中へ残った。
何を期待したのか聞く必要はない。
物には触れられない。
誰かに触れることもできない。
澪にとって、それはずっと当たり前だった。
こちらへ来てから、声を聞いてもらえるようになった。
名前を呼んでもらえるようになった。
他人と普通に話せるようにもなった。
ただ、触れられないという部分だけは、何も変わっていない。
「……まあ」
透は手を下ろす。
「今回ので、何か方法がある可能性は出てきただろ」
「え?」
「霊的なものへ干渉する手段があるなら、お前に同じことができないとは限らない」
口にしてから、少し言い過ぎたかもしれないと感じた。
根拠はない。
期待だけを持たせるのは良くない。
「可能性の話だけどな」
すぐに付け加えた。
「分かってるよ」
澪は柔らかく笑った。
先ほどより、少し明るい笑顔だった。
「じゃあ、そのうち触れるようになるかもね」
「そうかもな」
「そしたら何する?」
「何って……」
そんなこと聞かれても困るが考えれば、いくらでもあるだろう。
「とりあえず」
澪が楽しそうに笑う。
「透のほっぺた引っ張る」
「何で最初がそれなんだ」
「当然今までの仕返し」
「俺、そこまで何かしたか?」
「した!」
「具体的には?」
「いっぱい!」
「なんだよいっぱいって。曖昧だな」
「うるさい!」
透は小さく笑った。
触れられるようになった未来を想像して、最初に出てくるのがそれなら。
まあ、澪らしい。
そこで応接室の扉が開いた。
入ってきたのはマルタ、少し疲れた顔をしているようだが、歳を考えるとむしろ元気すぎるスーパーお婆ちゃんだろう。
「随分楽しそうじゃな」
「聞いてください、マルタさん!」
澪が振り返る。
「いつか透に触れるようになったら、最初にほっぺた引っ張っていいですよね?」
「わしに許可を求めるでない」
「ほら」
ドヤ顔で澪が振り返る。
「何がほらだ」
透は呆れながらも、少しだけ肩の力を抜いた。
マルタは二人を一度見た後、机の向かいへ腰を下ろす。
「さて。墓地の件じゃが、しばらく立入禁止になった」
空気が切り替わる。
透も姿勢を正した。
「教会と町の術者で調査隊を組む。納骨堂を中心に調べ直すことになった」
「俺たちは?」
「当面、右手の療養じゃな。勝手に行くなよ?」
答えは即座だった。
「分かりました。それに好き好んであんなとこ行きたくありませんよ」
「意外と素直じゃな」
「俺たちだけでどうにかできる問題じゃないですから」
一体なら、偶然に近い形で殴れた。
だが複数相手では話にならないだろう。
今日の撤退も、ハインとマルタがいたから成立しただけだ。
「それでよい」
マルタが頷く。
「ただし、お主らに関しては、別に調べたいことが増えた」
「ですよね……」
「まず、トオルが霊的な存在へ触れられた理由」
透は右手を見る。
「次に、ミオとの魂の繋がりを通じて、何かが渡った可能性」
「はい!」
澪だけ返事が元気だった。
「楽しそうにする話ではないぞ」
「でも、私にもできることがあるかもしれないんですよね?」
「そこは否定せん」
マルタは少し言葉を選ぶ。
「ただ、力があることと、安全に使えることは別じゃ」
「……はい」
「今度は勝手に試すでないぞ」
「分かってます」
今回は、本当に理解しているように見えた。
少なくとも、透にはそう感じられた。
「今日は休め」
マルタが立ち上がる。
「明日から、また文字の勉強もあるからの」
「事件の後に勉強か……」
澪が少し遠い目をする。
「異世界へ来ても勉強からは逃げられないな」
「透もでしょ!」
「俺は逃げるつもりない。勉強は、苦にならないタイプだし」
「私だってないよ!」
「今の顔で?」
「ちょっとだけ嫌なだけ!」
したり顔で透も立ち上がった。
墓地。
レイス。
触れられた拳。
澪から流れ込んだかもしれない力。
分からないことは、増え続ける。
帰る方法すら見つかっていないのに、新しい疑問ばかり積み上がっていく。
それでも。
今日、確かに分かったことが一つある。
この世界には今まで触れられなかったものへ、手を届かせる方法が存在するかもしれない。
それがいつか、澪にも届くのか。
今はまだ分からない。
「透、行こう!」
扉の前から澪が呼ぶ。
「ああ」
透は彼女の隣へ並んだ。
肩が触れるほど近い距離。
実際には、触れることはない。
それでも今は。
以前より、その距離が少しだけ縮まったような気がした。
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