第6話 触れられるもの⑨
帰り道。
墓地から十分に離れたところで、マルタが足を止めた。
「トオル。腕はどうじゃ?」
「さっきよりはマシになってきました」
透は右手を開いて握った。
まだ痺れが残り、小刻みに拳が震える。
ただ、指先の感覚は少しずつ戻っていた。
「痛みは?」
「拳が少し」
「普通に殴った反動もあるじゃろうな」
「そうですね。あんなに思いっきり殴ったのは久しぶりでした」
透は、苦笑気味に笑った。
相手が霊的な存在でも、拳には確かな抵抗が返ってきた。
つまり、触れられるからといって無傷で済むわけではない。
力を使えるようになったとしても、素手で何でも殴ればいいという話ではなさそうだ。
「あの、透さん。二回目に殴った時ですが」
ハインが歩きながら口を開く。
「一回目より、反応がはっきりしていました」
「分かるんですか?」
「魔力を見る訓練はしていますから」
ハインは少し考えるように視線を落とす。
「ただ、あれをトオルさん自身の魔力と言っていいのかは、まだ分かりません」
「自分でもさっぱりです。どう違うんですか?」
「性質が少し変でした」
透は眉を寄せた。
「変?」
「普通、人が魔力を使う時は、本人の内側から外へ流れます」
ハインは自分の胸元を指し、そこから手を前へ動かした。
「ですが、さっきのトオルさんは、それとは少し違った」
「どう違ったんでしょうか?」
「一度、別の方向から何かが流れ込んでいるように見えました」
透の歩調が僅かに遅くなる。
別の方向。
思い当たるものは一つしかない。
透は、チラリと隣を見る。
すると澪もこちらを見ていた。
「……私?」
ハインは首を傾げる。
「可能性はあります」
澪の表情が変わった。
「私、透に何かした?」
「覚えてないのか?」
「何もしてないよ。あの時はただ……」
澪が一度言葉を止める。
「ただ?」
「透が危ないって思った」
ただそれだけ。
透も同じだった。
澪を守ろうとした。
澪は透が危ないと思った。
その瞬間、魂の繋がりを介して何かが流れた。
もしそうだとすれば。
「マルタさん」
「言いたいことは分かる」
マルタは前を歩いたまま答える。
「魂の繋がりを介して、ミオからトオルへ何らかの力が渡った可能性じゃろう」
「はい」
「あり得なくはない」
初めて、完全な否定ではない答えが返ってきた。
「霊体が契約者へ魔力を渡す例はある。逆に、人間から霊体へ供給する方が一般的ではあるが、双方向の例が皆無というわけではない」
「でも、俺たちは契約してないですよね」
「そこなんじゃ」
マルタが振り返り、話を続ける。
「だからこそ、既知の仕組みと同じだと決めつけぬ方がよい」
やはり結論は出ない。
だが、一つ可能性が増えた。
「じゃあ私、役に立った?」
澪が少し嬉しそうに尋ねる。
「まだ分からんぞ」
マルタがすぐに釘を刺す。
「でも、可能性はあるんですよね?」
「まぁ……ある」
「やった!」
澪が両手を上げ、本当に嬉しそうに喜んだ。
その反応に、透は少しだけ意外なものを感じた。
自分に力があったかもしれないという事実より、透の役に立てたこと自体を喜んでいるように見える。
――いや。
そこまで決めつけるのは違うか。
「何? ジロジロ見て」
澪が訝しげにこちらを見る。
「別に」
「今、何か考えたでしょ」
「いつも考えてる」
「そういう意味じゃなくて!」
透はフッと笑い視線を前へ戻した。
ただ。
悪い気はしなかった。
教会へ戻った頃には、昼を少し過ぎていた。
マルタとハインはそのまま報告へ向かい、透と澪は応接室で待つことになった。
しばらくして別の神官が、透の診察に入ってきた。
透を椅子に座らせると、右手の上に手をかざし術式を唱える。
すると淡く発光し、手のひらから腕へと調べていった。
結果として骨に異常はなかった。
筋肉にも、目立った損傷は見られない。
冷たさと痺れについては、魔力による一時的な影響の可能性が高いと言われた。
ただし。
同じことを無理に繰り返すなと、念を押された。
「ほらね」
診察が終わった途端、澪がイタズラな笑みを浮かべて言う。
「何が?」
「無茶したら駄目って」
「お前に言われたくない」
「今は私が言う番!」
妙に堂々としている。
透は近くの椅子へ腰を下ろし、右手を軽く握った。
もう、ほとんど痺れは残っていない。
「ねえ」
澪が透の正面へ浮かぶ。
「もう一回、触ってみていい?」
「何に?」
「透に」
いつになく真剣な表情の澪に透は一瞬、言葉を止めた。
「……何で?」
「だって」
澪は自分の手を見る。
「あれには触れたんでしょ?」
「俺がな」
「でも、私から力が行った可能性もあるんでしょ?」
「可能性だけどな」
「だから」
澪がもう半歩だけ近づく。
「何か変わってるかもしれないじゃん」
理屈としては分からなくもない。
ただ、なぜか妙に意識してしまう。
今までなら、澪が触れようとしても、その手はすり抜けるだけだった。
それを二人とも知っている。
なら、気にする必要などないはずなのに。
「……好きにしろ」
「じゃあ、手出して」
「俺が?」
「確認するんだからいいでしょ」
透は気恥ずさを感じながら右手を上げた。
手のひらを澪へ向ける。
彼女も同じように右手を持ち上げた。
二つの手が向かい合う。
少しずつ距離が縮まっていき。
あと数センチ。
二人は一旦動きを止め、一呼吸した後に再び近付ける。
さらに近づき。
やがて重なった。
結論からいって感触はなかった。
澪の指先が、いつも通り透の手のひらを通り抜ける。
二人とも、すぐには動かなかった。
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