第6話 触れられるもの⑥
墓石の向こうに見えた影は、こちらの動きを窺うように、その場から動かなかった。
先ほど遭遇したレイスよりも明らかに大きい。ただ、人型の何かが立っているというよりは、黒い靄が一箇所に凝縮し、墓地の一角そのものを覆っているように見えた。
その中心から何本もの細い影が伸び、墓石の隙間や地面の割れ目へと散っている。
「……あれです」
息を潜めながら近付いた透達は、少し離れた場所で様子を伺っていた。
「黒い靄が、全部あそこから伸びてます」
「私にも見えるよ」
澪も隣で頷いた。
ハインが杖を向けると、先端に取り付けられた石が淡く光り、直後には先ほどまでより強く鈍い輝きを帯びた。
「反応が急に上がりました」
「距離は?」
「三十歩ほど先です。ただ……」
ハインは一度言葉を切り、杖の先を微調整する。
「一箇所に魔力が集まりすぎています」
マルタも金属の輪を掲げた。
中心に嵌め込まれた石は、祠で見た時のように表面が曇るだけではなく、内側から灰色に染められたように濁っている。
「これ以上、無闇に近づくでないぞ」
「はい」
透は返事をしながら、周囲を確認した。
来た道は後方で右側には墓石が密集しており、足場も悪い。左には木々が並んでいるものの、その先は比較的開けている。
今は戦うつもりなどないが、先ほどのレイスの動きは速かった。単純に走って逃げるだけでは、相手に先回りされる可能性もある。
ならば、何かあった時にどの方向へ動けばいいかだけでも把握しておくべきだった。
「透」
澪が小声で呼ぶ。
「何だ?」
「さっきより、嫌な感じが強いんだけど」
「奇遇だな、俺もだ」
胸の奥に落ち着かない感覚が残っている。
ただ、その感覚が純粋に透自身のものなのか、それとも魂の繋がりを通して澪の緊張まで伝わってきているのか、今はもうはっきりしなかった。
最初は互いの位置が分かる程度だったはずだ。
それが墓地へ入ってからは、警戒や不安まで断片的に伝わってくるようになっている。
環境の影響なのか。
繋がりが変化しているのか。
それとも、これまでは気づいていなかっただけなのか。
今ここで考えても答えは出ない。
「ミオ」
マルタが振り返る。
「先ほどと同じじゃ。何か感じても、自分から近づくでないぞ」
「分かってます」
澪は素直に答えた。
軽口を返さないところを見ると、本人も今の状況が先ほどまでとは違うと理解しているのだろう。
「ハイン。もう少し進めるか?」
「やってみます」
ハインが先行し、透たちも距離を空けながら後を追った。
近づくにつれ、黒い影の内側に隠れていたものが少しずつ見えてくる。
「……建物?」
澪が呟いた。
透も目を凝らす。
影そのものが巨大なのではなかった。
その中心に、石造りの低い建物がある。
半分ほど地面へ沈んだような造りで、正面には小さな扉が設けられていた。周囲の墓石よりも明らかに古く、石材には深いひびが入り、縁には苔が広がっている。
黒い靄は、その建物全体を包み込むように集まっていた。
「マルタさん。あれは?」
「納骨堂じゃな」
「納骨堂?」
「昔、この墓地で身寄りのない者や、墓を維持できぬ家の遺骨を納めておった場所じゃ」
透は改めて建物を見た。
日本にも似た施設はある。
ただ、こちらのものは長く使われていないらしく、扉の金具は錆び、石壁の一部には植物の根まで入り込んでいた。
「今も使ってるんですか?」
「いや。新しい墓地へ役目を移してからは、ほとんど開けておらんはずじゃ」
「じゃあ、あの中に……」
澪が途中で言葉を止めた。
遺骨が納められていること自体は不自然ではない。
問題は、その周囲に異常なほど魔力が集まり、黒い靄まで発生していることだ。
「祠と同じように、ここにも術式があるんですか?」
透の問いにマルタが答える。
「あるはずじゃ。遺骨を納める場所ゆえ、魔力の滞留を防ぐための簡単な鎮めの術式が施されておった」
「それが壊れた可能性が高い?」
「そう考えるのが自然じゃろうな」
これで、ある程度の筋は通る。
墓地に残った魔力。
長年の放置。
弱った祠と納骨堂の術式。
そこから溢れたものが集まり、レイスを形作った。
さらに、その一部が外へ流れて、シルにまとわりついた。
ただ、それですべて説明できるわけではない。
「でも、それだけなら」
透は黒い塊を警戒しつつ言う。
「どうして澪を狙ったんでしょう」
マルタはすぐには答えなかった。
「そこは、わしにも分からぬ」
やはり、そこだけは別の問題らしい。
単なる魔力の淀みなら、特定の相手を選ぶ理由がない。
まして澪は人間ではなく、安定した霊体だ。
「同じ霊的なものだから?」
澪が自分を指差す。
「可能性はあるのぉ」
「取り込もうとした、とか?」
「嫌な言い方するな」
「だって、あんな勢いで来たじゃん」
冗談めかしているが、完全に笑い飛ばせる話でもなかった。
レイスが残留魔力や魂の断片を集めて形成される存在なら、澪のように明瞭で安定した霊体は、相手にとって何か価値があるのかもしれない。
吸収。
同化。
あるいは、別の何か。
どれも想像の域を出ない。
それでも、最悪の可能性を考えておく必要はある。
「澪。俺から離れるなよ」
「……うん」
今度は文句も返ってこなかった。
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