第6話 触れられるもの➄
「あのようなものを、こちらではどう呼ぶんですか?」
透が尋ねると、マルタは黒い人影が消えた場所を見ながら答えた。
「今の段階なら、レイスと呼ぶのが近いじゃろうな」
「レイス……」
「霊体とは違うんですか?」
澪がすぐに尋ねる。
「呼び方の境界は地域や学派によって違う。じゃが、わしらは概ね区別しておる」
マルタは地面へ残る魔力の反応を確かめながら続けた。
「霊体は魂そのものが形を保った存在じゃ。人格や記憶が薄い場合もあるが、核となる魂がある」
「レイスにはない?」
「必ずしも、元になった魂がないとは言えぬ。じゃが、今のようなものは残留した感情や魔力、魂の断片などが混ざり合い、人のような形を取ったものと考えられておる」
透は先ほどの人影を思い返す。
顔がなかった。
意思らしいものも感じなかった。
それでも澪へ向かってきた。
「じゃあ、死んだ人本人ではない?」
「そう考えるのが一般的じゃ」
「一般的……」
「例外はある。だから絶対とは言わぬ」
マルタらしい答えだった。
分からないところを、分かったように話さない。
「触れるかどうかも違うんですか?」
「そこが難しいところじゃな」
マルタは透の右手を見る。
「レイスは魔力を取り込み、一時的に現世への干渉力を強めることがある。先ほどの個体は、ハインの結界へ触れておったじゃろう。まぁ属性の相性もあるがな」
「ああ……」
確かに。
最初の攻撃で、人影の腕は光の膜へぶつかった。
なら、人間の拳が届く可能性も全くないわけではない。
「じゃあ俺が殴れたのも、魔力を取り込んで干渉力が上がったせいってことですか?」
「普通の人間が素手で殴って、あれほど明確に弾くことはない」
そう単純な話ではなかったようだ。
「拳に光が宿った影響もありますね」
マルタを手伝っていたハインが顔を上げた。
「何らかの形で、トオルさん自身の魔力か、別の力が攻撃へ乗ったと考える方が自然です」
「別の力……」
透が視線を澪へ向けると、彼女もこちらを見ている。
二人して同じ事を考えたのだろう。
魂の繋がり。
だが、それを口にしたところで答えは出ない。
「さて、今日はこれ以上試すのは無しじゃぞ」
辺りを調べ追えたマルタが、先回りして言った。
「まだ何も言ってませんが?」
「顔に書いておるぞ」
「それ、私に言うやつ!」
澪がマルタに抗議する。
「二人とも同じじゃ。危なっかしいからのぉ」
「一緒にされるのは納得いかないですね」
「私だって同意見なんだけど!」
ため息混じりに指摘するマルタに二人は口を揃えて反論する。こんな状況でも、返す言葉だけは出てくるようだ。
透は小さく息を吐くと右腕を確認する。直後と比較すると痛みと痺れは少しずつ弱まっている。その事に一先ず安堵した。
「問題は、あのレイスがどこから出たかですね」
ハインの言葉で、空気が戻る。
今は透の拳を調べに来たわけではないのだ。シルへ黒い靄がまとわりついた原因と墓地から何が漏れ出しているのか。
そちらが本題だった。
「さっきの一体だけとは思えません」
周囲を見渡すと黒い靄はまだ消えていない。
人影が形を失った後も、墓地のあちこちに薄く漂っている。
「その通りじゃ」
マルタも頷いた。
「むしろ一体現れたことで、原因が墓地の中にある可能性は高まった」
「進むんですか?」
「もう帰りたいが、調査する必要がありそうじゃな」
澪が意外そうに目を見開く。
「引き返さないんですか?」
「原因が分からぬままでは、また誰かに付着する可能性がある」
確かにそうだろう。昨日の男だけで済む保証はないし、すでに他にも同じ症状を訴えている人がいる可能性すらある。
「ただし」
マルタの声が強くなる。
「今のようなものが複数現れたら、即座に撤退する」
「分かりました」
「トオル。お主は戦おうとするな」
「……はい」
「今のは偶然うまくいっただけと考えなさい」
反論は、なかった。透自身、自惚れるつもりもない。あの場面で生き残れた事は、偶然だろう。
一発殴れた。
それだけ。
腕には反動が残り、どうして触れられたのかも分からない。
これを戦う手段として数えるのは危険すぎる。勿論いざとなれば、戦う覚悟を決めなければならないが。
澪は、先の件で責任を感じている様子がある。明るく振る舞っているが、透は声を掛けることにした。
「澪も戦おうとするなよ? 俺の近くにいろ」
「分かった」
「勝手に前へ行くのも禁止な」
「分かってるって」
「何か感じたら――」
「すぐ言う!」
怒っているのだろうか、先に言われた。
「……ならいい」
「透、私のこと信用なさすぎじゃない?」
「実績だ」
「それマルタさんの!」
澪を、あしらいつつ透は墓地の奥を見つめる。
先の人影が現れた場所よりさらに先。
墓石が密集する一角の向こうに、黒い靄が流れている。
いや。
流れている方向がある。
「……マルタさん」
「何じゃ?」
「あれ、全部同じ方向から来てます」
「なんと! それは、どこじゃ?」
透は奥を指差した。
「墓地の中央……いや、少し北側です」
澪も目を凝らす。
「本当だ。あっちの方が濃い」
黒い塊が、まるで川のように墓石の隙間を縫うように伸びている。
しかしその先は木々に隠れ、ここからでは見えない。
ハインが杖を向けると先端の石が微かに光を帯び、やがて濁っていくけ。
「反応がありますね」
「反応の強さは?」
「ここより上です」
マルタが黙る。
進むべきか引き返すのか。先の戦闘で対峙した人影よりも強大な敵と遭遇するかもしれない。
もしそうなるとまた、あの二人を守りながらの戦いになる。
ハインは、うっすらと黒い靄を探知しているようだが、マルタには認識出来なかった。
足を引っ張るのは、自分かもしれない。だが、使命感が僅かに勝った。
数秒後。
「そこまで確認する」
決断した。
再び隊列を組む。
ハインが前。
透と澪。
最後にマルタ。
先ほどより、歩く速度を落とし一つ一つ墓石の陰を確認しながら進んでいく。
透は右拳を軽く握り感覚を確かめた。
まだ僅かに痺れている。
あれに触れた感触が思い出された。
冷たくて重い。
今まで一度も感じたことのない、霊的な存在を殴った感覚。
そして隣を見ると、いつもと同じ半透明の姿で澪が浮かんでいる。
手を伸ばしてもすり抜ける存在。
靄には触れた。
澪には触れない。
その違いが何なのか今は分からない。
ただ、その疑問が妙に胸へ残った。
「透?」
「何でもない」
「ほんと?」
「ああ」
透は前へ向き直り前を見据えた。
今考えても答えは出ない。
だが、先ほど拳に宿った光が、もし魂の繋がりと関係しているのなら。
いつか澪にも触れられるようになるのだろうか。
そんな考えが一瞬だけ頭に浮かぶが、すぐに打ち消した。
何故そんなことを考えたのか、自分にも分からなかったが今はそれどころではない。
頭の片隅へ、その考えをしまっておく事にした。
墓地の奥へ進むほど、黒い靄は濃くなっていく。
そしてその先。
傾いた墓石の向こうに、何か大きな影が見え始めていた。
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