第6話 触れられるもの③
しばらく、誰も動かなかった。
共同墓地の奥から響いた音は一度きりだった。
石が擦れたようにも、重い何かが地面を引きずったようにも聞こえた。だが、木々の向こうに動くものは見えない。
風が吹き、枝葉が揺れ乾いた音を立てた。
「……風じゃないよね?」
澪が小さな声で尋ねる。
「多分な」
透は墓地の方から目を離さなかった。
単に古い墓石が崩れただけ、という可能性もある。
長く使われていない場所なら、石組みが傷んでいても不思議ではない。動物が入り込み、何かを倒したのかもしれない。
ただ、祠の黒い靄が自分たちに反応した直後というのが気になった。
偶然と片付けるには、タイミングが良すぎる。
いや、どれも違うのだろう。都合のいいように解釈したいが、そうでない何かがこの先には存在している。認めたくなくてもそうなのだろうと誰もが予感した。
「マルタさん」
「ああ。行くぞ」
マルタも同じ判断をしたらしい。
「じゃが、ここから先は従ってもらう。ハインが先頭、わしが最後につく。トオルとミオは間に入りなさい」
「分かりました」
「はい」
先ほどまでとは声の調子が違うマルタに、透も冗談を返す気にはならなかった。
ハインは、腰から短い杖を抜き身構えると戦闘態勢をとっていた。
昨日から何度か目にしていたが、実際に構えるところを見るのは初めてだ。
長さは肘から指先ほど。
木製にも見えるが、表面には細い金属線が埋め込まれている。先端には小さな透明石が固定されていた。
「それ、武器なんですか?」
歩き出しながら透が尋ねる。
「術式の補助具です」
「魔法を使うための?」
「近いですね。魔力を整えたり、術式の起点にしたりします」
ハインは前方を警戒したまま答えた。
「殴ることもできますがね」
「鈍器じゃん」
澪が呟く。
「最後の手段です」
真顔で返された。
冗談なのか本気なのか分からないが、透はそれ以上尋ねず、周囲へ意識を戻した。
一行は、祠の横から伸びる細道を進んでいく。
そして数十歩も行かないうちに、景色が変わった。
木々の間に、いくつもの石碑が現れる。
大きさも形もバラバラで、一定ではない。
人の腰ほどのものもあれば、膝より低いものもある。表面には文字らしきものが刻まれているが、風雨に削られ、読めそうにないものも多かった。
そこは、紛れもない墓地。
説明されるまでもなかった。
「……広いね」
澪が辺りを見回す。
「ああ」
透も同じことを考えていた。
外から見えた範囲より、ずっと奥行きがある。
墓石は整然と並んでいる場所もあれば、木の根に押されて傾いている一角もあった。
長い年月の中で、少しずつ形を崩してきたのだろう。しかしそれ以上に気になるのは――。
「さっきより濃くない?」
澪の言葉に、透は頷いた。
黒い靄。
祠では根元に滲む程度だったのだが、ここでは地面すれすれに薄く広がっている。
霧のように一面を覆っているわけではない。
墓石の陰。
木の根元。
石畳の割れ目。
場所によって濃淡があり、小さな流れがいくつも重なっているように見えた。
「マルタさん。俺には黒いものがあちこちに見えます」
「わしには見えぬな」
そう言ったマルタは金属の輪を掲げた。
中心の透明石は、祠にいた時よりも明らかに曇っている。
「じゃが、魔力の乱れは強くなっておる」
「シルさんについてたのも、ここからなのかな?」
澪が尋ねる。
「可能性は高くなったな。まだ断定はせんがの」
透も同意見だった。
シルは、この道を使い始めて数日後に体調を崩した。
墓地へ入ったわけではない。
ただ祠の前を通っただけ。
それでも黒い靄が付着したとするなら、この場所から何かが外へ漏れ始めていることになる。
「祠がある意味って、もしかして……」
透は来た道を振り返った。
「墓地から何か出るのを抑えるためですか?」
マルタが足を止める。
「……鋭いの」
「術式が弱っていたから漏れ出した? 当たりですか?」
「半分じゃ」
マルタは少し考えてから、祠の方向へ顔を向けた。
「あれは死者へ祈りを捧げる場所じゃ。それ自体は昨日話した通り。じゃが、昔の墓地では、祈りの場へ簡単な鎮めの術式を組み込むこともあった」
「鎮める?」
「墓地に溜まる魔力を散らし、外へ流れ出すのを弱めるためじゃ」
なるほど。
魂を閉じ込めるためではない。
霊体を発生させるものでもない。
あくまで、土地に溜まる魔力を調整する役割。
それなら、これまで聞いた説明とも矛盾しない。
「でも、さっき調べた時は術式が働いてないって」
澪が首を傾げる。
「今となっては、ほとんど機能しておらんのじゃろう。長年放置されておるからの」
「じゃあ壊れたから、黒いのが外に出始めた?」
「それも可能性の一つじゃ」
マルタは断定しない。
祠が弱り墓地に溜まっていた何かが外へ漏れた。
そして通りかかった人間へまとわりついた。
流れとしては自然だ。
ただ、それだけでは説明できないこともある。
なぜ黒い靄は透と澪へ反応したのか。
なぜ普通の人間には見えないのか。
何より、あれは単なる魔力なのか。
透は足元に漂う薄い影を見つめる。
今のところ、動きに意思は感じない。
だが昨日は――確かに自分へ伸びてきた。
「止まってください」
先頭を歩いていたハインが、不意に片手を上げ制止する。
それに合わせて全員が足を止めた。
「どうしました?」
「見えませんが……何か」
ハインの構える杖に嵌め込まれた石が、色を変え反応している。透明度が下がり鈍い光を放っていた。
透は杖が指し示す前方を見渡す。その先に、少し開けた場所があった。
「澪」
「うん」
声を掛けるまでもなく、彼女も同じ方向を見ていた。
「見えるか?」
「まだ……」
澪が言いかけたその時だった。
地面を覆っていた黒い靄が一斉に動きだし 一箇所へ集まり始めた。
「……何だ?」
透は無意識に身体を低く構えた。
黒い流れと化した靄が墓石の間を這っていく。
その数は、増え続け次々に重なっていき形を作っていく。
人。
最初に浮かんだのは、その言葉だった。
頭。
胴体。
二本の腕。
下半身は曖昧で、足と呼べる形はない。
それでも、人型だと認識できる程度には輪郭がある。
「……見えた」
硬く強張った澪の声が同調する。
「私にも見えたよ」
透と澪が認識していく中、マルタは渋い顔をみせる。
「トオル?」
マルタに尋ねられた透が補足を入れる。
「人みたいな形になってます」
「位置は?」
「正面。十五メートルくらいです」
ハインが杖を構える。
「私には、ぼんやりと魔力の塊が見える……ような気がします」
杖の反応を介して魔力を追うことで、ハインは僅かに感じ取れたようだ。しかし視認出来ておらず、完全には捉えていないらしい。
透には、はっきり見える。
黒い人影。
ただし、昨日見た使役霊とは明らかに違った。
顔がなく、目も口もない。形をなんとか形成しているだけの黒い塊。立体的な影のようだ。
輪郭は揺れ続け、身体の内側では靄が渦巻いている。
そしてそれは、人程の大きさになると俯いていた頭を上げる。
そこで動きが止まった。
「……え?」
澪が小さく声を漏らす。
黒い人影の顔に当たる部分が、ゆっくりこちらを向く。
透ではない。
マルタでもない。
ハインでもない。
澪を見ている。
「澪。俺の後ろへ」
「でも――」
「いいから」
声に力を込めると、澪は透のすぐ後ろへ回る。
靄も、それを追うように向きを変えた。
間違いないだろう。
理由は分からないが靄は澪に反応している。
同じ霊的な存在だからか。
澪が特殊だからか。
それとも、透との繋がりまで含めて何かを感じているのか。
考える時間はなかった。
そして黒い人影と化した靄が動いた。
「来る!」
透が叫んだ。
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今のところ1日2〜3投稿を考えています。
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