第6話 触れられるもの➁
祠は、想像していたよりも小さかった。
高さは透の肩より少し低い位だろうか。
古い石を組み合わせた簡素な造りで、正面には小さな空洞が開いている。
かつて何か置かれていたのかもしれないが、今は何もない。
屋根の一部は欠け、表面には苔が広がっていた。
「これが……」
澪が呟き、透は返事をしなかった。
祠そのものより、その周囲が気になった。
空気が重い。
胸を締めつけられるほどではないが先ほど感じた違和感が、ここでは明確になっている。
そこは、長居したいと思える場所ではなかった。
「昨日の黒いの、見えるか?」
透が澪へ尋ねる。
「ん――今は……」
祠の周りを見回しながら澪が続ける。
「ない。あ……」
「ん?」
「あそこ」
彼女が指差したのは、祠の根元だった。
一見すると、ただの影にしか見えない。だが、目を凝らしているうちに違いが分かった。
石の影より、わずかに濃い黒。そして僅かに揺れていた。
「……あるな」
祠の隙間から、黒い靄が滲み出していた。それは、昨日の男にまとわりついていたものと、よく似ている。
「マルタさん」
「ああ」
透が説明する前に、マルタが革鞄を開いた。
中から取り出したのは、昨日使ったものとは別の道具だった。
透明な石を嵌め込んだ、小さな金属製の輪。
彼女が祠へ近づけると、中心の石が微かに曇る。
「……反応がありますね」
ハインの声が低くなる。
「やはり、魔力そのものは乱れておる」
「黒い靄は見えますか?」
透が尋ねる。
「わしには見えぬ」
「私もです」
ハインも答える。
つまり、昨日と状況は同じだ。
透と澪には見えるが、二人には見えない。
単純に魔力を感知できれば視認できるものではないらしい。
この差は何だろうか。
透は日本にいた頃から、普通の人間には見えないものを見ることができた。
無害なただそこに居るだけの存在や、背中にゾクゾクと悪寒が走る近付いてはならないと直感で感じるような存在もだ。
それは、この世界でいうところの霊体と悪霊のような立ち位置なのだろうか。
澪は霊体だ。霊体は、見えてこの黒い靄は、見えない。そこが分からない。
注意が逸れないように透は意識を切り替え目の前に集中する。
「近づいてみましょうか」
透が一歩前へ出ようとする。
「待て」
そこでマルタに止められた。
「昨日のことを忘れたか?」
「大丈夫です。触りません」
「近づくだけでも反応する可能性があるのだろ?」
確かにそうだ。
昨日、黒い靄は触れる前に透へ向かって伸びた。
距離に反応したのか、透自身に反応したのか、それすら分かっていない。
「じゃあ、どうします?」
「まず、わしが調べる」
マルタが金属の輪を持ったまま、ゆっくり祠へ近づく。
一歩。
二歩。
近付くにつれマルタの表情同様、透明な石の曇りが濃くなっていく。
「魔力の淀みは強いですね」
ハインが追従し横から確認する。
「ただ、術式が働いているようには見えませんね」
「うむ」
マルタは祠の周りを慎重に歩き調べていく。それを透と澪は少し離れた場所から見守った。
黒い靄は動かない。
マルタが近づいても反応せず、祠の根元に漂っている。
「……透」
澪が小声で呼ぶ。
「何だ?」
「変じゃない?」
「何が?」
「昨日シルさんについてたやつ、動いたよね」
「ああ」
「でも、今のはマルタさんが近づいても動かない」
昨日透へ反応したそれは、マルタに反応していない。
偶然ではないとすれば、対象を選んでいることになる。
では、何を基準に?
霊感。
魂。
澪との繋がり。
候補はいくつか浮かぶが、どれも根拠がない。
「俺にだけ反応するか確かめる必要があるな」
「いや、その流れで近づかないでよ?」
「分かってる」
透はマルタが戻るのを待った。
「祠の内部に強い反応はない」
戻ってきたマルタが言う。
「じゃが、周囲の魔力は確実に乱れておる。祠の術式も機能を失っておるな」
「原因は?」
「術式は風化じゃろうな。それ以外は、まだ分からん」
「墓地の方にも何かありそうですね」
透が祠の先を見る。
細い道が続いているさらに奥に木々の間から、古い石碑のようなものがいくつも見えた。
共同墓地だろう。
マルタも同じ方向を見て呟く。
「可能性はあるの」
「じゃあ行くの?」
澪の問いに、マルタはすぐには答えなかった。
数秒思案し、そして透に視線を移した。
「その前に、トオル」
「はい」
「昨日と同じ距離まで近づいてみなさい」
澪が目を丸くした。
「え?」
「反応を見る。ただし、わしが止めたらすぐ下がれ」
「分かりました」
透は警戒しながらゆっくり前へ進む。
一歩。
変化はない。
二歩。
黒い靄はまだ動かない。
三歩。
昨日、シルへ近づいた時と同じ程度の距離。
そこで変化が表れる。ゆらりと黒い靄が揺れた。
「透!」
澪の声が飛ぶ。
黒い靄が、祠の根元から触手のように細く伸び真っ直ぐ透へ向かっている。
「下がれ!」
マルタの声が掛かるとほぼ同時に透は後ろへ跳ぶ。
透との距離が空くと黒いそれは、途中で止まった。
そのまま数秒揺れた後、ゆっくり祠の方へ戻っていく。
心臓の高鳴りを感じながら、透は距離を取ったまま、黒い靄を睨む。
「……俺に反応してるのか?」
少なくとも、その可能性は高い。
マルタには反応しなかった。
「もしかして」
小さな声が隣から聞こえた。
「透だけじゃないかも」
「どういうことだ?」
彼女は祠を見つめたまま答えない。そして、ゆっくりと透から離れた。
「澪?」
一歩。
二歩。
「待て。何する気だ」
「大丈夫。近づかないよ」
澪は透とは逆方向へ移動する。
祠との距離は変わらない。
それなのに。
黒い靄が揺れた。
「……え?」
透は息を止める。
靄の先端が、澪の移動した方向へ僅かに動いている。
「これ……」
澪が透を見る。
「私たち、どっちかじゃない」
透も同じ可能性へ辿り着いていた。
自分でもない。
澪だけでもない。
なら。
「……二人の繋がりに反応してる?」
マルタの表情が変わった。
その瞬間。共同墓地の方角から、低い音が響いた。
石が擦れるような。地面の下で、何かが動いたような音。
全員の視線が一斉にそちらへ向く。
数秒の静寂。
「……今の、何?」
澪の声から、いつもの軽さが消えていた。
その問いに透も答えられなかった。
ただ一つだけ分かるのは、祠だけを調べて終わる話ではなさそうだ。
透は木々の向こうに並ぶ古い墓石を見つめた。
胸の奥に、先ほどとは比べものにならないほど強い警戒が広がっていく。
その感覚が自分だけのものなのか。
それとも、隣にいる澪のものまで混ざっているのか。
今の透には、もう区別がつかなかった。
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