第6話 触れられるもの①
翌朝。
透が教会の客室を出ると、廊下にはまだ朝の冷たい空気が残っていた。
窓から差し込む光も弱く、町が完全に動き始めるには少し早い時間らしい。遠くから鐘の音が響き、その後を追うように、どこかで扉の開く音が聞こえた。
「おはよう、透!」
隣を浮かぶ澪だけは、朝から変わらず元気だった。
「……おはよう」
「眠そうね」
「起きたばかりだからな」
「昨日は早く寝たじゃん」
「誰かが寝る前までずっと喋ってたからな」
「誰だろうね?」
「お前だよ」
「えー?」
澪は知らないふりをして前へ進む。
今日も通常運転の彼女に、透は小さく息を吐いた。
眠気はある。
だが、それ以上に頭は冴えていた。
今日は昨日見つけた古い祠と、その先にある共同墓地を調べる。
若い男の背中にまとわりついていた黒い靄。
透と澪には見えたが、ガルドやリナには見えなかった。
しかも男が通勤路を変えた時期と、体調を崩した時期はほぼ一致している。
偶然だと切り捨てることもできるが、黒い靄が透の手へ反応したことまで含めれば、何かしらの因果がある可能性は高い。
問題は、その「何か」が何なのかだった。
霊体なのか。
魔力の淀みなのか。
あるいは、この世界では別の名前で呼ばれる現象なのか。
今の透には判断材料が足りない。
だからこそ、今日はマルタが同行する。
専門家と言っていいのかは分からないが、少なくとも透たちよりは、この世界の霊や魔力について知識がある。
勝手に手を出さず、まず観察する。
それが今日の方針だった。
「透」
「何だ?」
「昨日からずっと考えてるでしょ」
澪が横から顔を覗き込んでくる。
「まあな」
「黒いの?」
「ああ」
「やっぱり気になるよね」
澪の声から、昨日のような軽さが少し消えた。
彼女もあの靄を見ている。
それどころか、透と同じように「嫌な感じがする」と言っていた。
澪は霊体だ。
ならば、人間である透とは違う感覚で何かを察知している可能性もある。
「お前、昨日のあれに近づいた時、何か他に感じなかったか?」
「他に?」
「冷たいとか、引っ張られるとか。俺と繋がってる時みたいな感覚でもいい」
澪は少し考える。
「うーん……透とのやつとは違ったかな」
「どう違う?」
「透のは、そこにいるって分かる感じ。昨日のは……」
言葉を探すように、澪が眉を寄せた。
「近づきたくないっていうか。見てると落ち着かない感じ」
「直感に近い?」
「多分」
明確な答えではないが、それでも無意味ではなかった。
少なくとも、魂の繋がりによる感覚とは別物らしい。
透はその情報を頭の片隅へ置いた。
「じゃあ今日は、何か違う感覚があったらすぐ言ってくれ」
「分かった」
「勝手に近づくなよ」
「分かってるってば」
「触ろうとするのもなし」
「私は触れないって」
「憑依は禁止」
「そこまで言わなくても分かってる!」
澪が頬を膨らませる。
だが、返事そのものは素直だった。
昨日の自分の失敗も含めて、未知のものへ安易に触れる危険性は二人とも理解し始めている。
少なくとも、そう思いたい。
◇
教会の玄関へ着くと、マルタはすでに待っていた。
昨日と同じ落ち着いた色の衣服に、今日は肩から小さな革鞄を下げている。
その隣には、一人の若い神官が立っていた。
二十代半ばほどだろうか。
短く整えた茶色の髪に、灰色の外套。腰には短い杖のようなものを提げている。
「来たか」
「おはようございます」
「おはようございます!」
透と澪が挨拶すると、若い神官も軽く頭を下げた。
「こちらはハイン。今日は念のため同行させる」
「ハインです。よろしくお願いします」
「神代透です」
「白石澪です!」
澪は元気よく名乗る。
ハインの視線が彼女へ向いた。
やはり霊体そのものに驚く様子はない。
ただ、数秒ほど観察するように見てから、少しだけ眉を上げた。
「聞いていた以上にはっきりしてますね」
「やっぱり珍しいですか?」
「ええ。ここまではっきり話す霊体は、そう多くありません」
澪は少し得意げな顔になる。
「ふふん」
「何で誇らしげなんだ」
「珍しいって褒められたから」
「褒めてるか?」
ハインが僅かに笑った。
反応を見る限り、堅苦しい人物ではなさそうだ。
「ハインは、こうした現象の調査を何度か経験しておる」
話を戻すようにマルタが説明する。
「昨日話した黒い靄が、単なる残留魔力ではなかった場合に備えてな」
「戦える人なんですか?」
澪が尋ねる。
「必要なら、それなりには」
ハインは腰の杖へ手を置いた。
透は杖へと目をやる。
武器というより、魔術の補助具に近いのかもしれない。
この世界に来てから、まだまともな戦闘は経験していない。
できれば今日も、経験せずに済んでほしい。
「トオル」
マルタがこちらを見る。
「昨日の男が通ったという道順は覚えておるな?」
「はい。西門寄りの古い区画。その先の共同墓地へ続く道です」
「うむ。まず祠を確認する。その後、必要なら墓地へ入る」
「必要なら、ですか?」
「あそこは広い。闇雲に歩き回る意味はないからの」
もっともだった。
原因が祠にあるなら、墓地へ踏み込む必要はない。
逆に、祠が単なる通過点でしかない可能性もある。
今日の目的は怪異退治ではなく、原因を探すことだ。
「それと、もう一度言っておく」
マルタが透と澪を交互に見る。
「勝手に触るな」
「はい」
「はい……」
昨日注意されたことを思い出し、二人の声が少し小さくなる。
「特にミオ」
「何で私だけ!?」
「実績じゃ」
「透も昨日やったじゃん!」
「俺は触ってない」
「触ろうとは、したよね!」
「お主もじゃ、トオル」
「……はい」
結局、二人まとめて注意された。
ハインが横で笑いを堪えている。
どうやら、今日の調査は始まる前から立場が決まっているらしい。
♢
西門へ近づくにつれ、街並みは少しずつ変わっていった。
中央区のような大きな建物は減り、二階建ての家や古い倉庫が増えていく。
石畳もところどころひび割れ、補修された跡が目立つ。
人通りも少ない。
まだ朝だからという理由だけではなさそうだった。
「こっちは古い区画なんですか?」
透が尋ねる。
「そうじゃ」
「城壁が今の形になる前から使われていた場所も残っておる。町が拡張されるにつれて、商業の中心は東へ移っていった」
「だから人が少ない?」
「それもある。住んでおる者は今でもおるが、空き家も増えたの」
透は周囲を見渡した。活気はまるでないが 完全な廃墟ではない。
窓辺に洗濯物が干されている家もあり、通りの端では老人が掃除をしている。
ただ、中心街と比べれば明らかに静かだった。
「墓地も、この辺りが昔の町の外だった頃に作られたんですか?」
透の質問に、マルタが頷く。
「よく気づいたの」
「城壁の位置が変わったなら、墓地の場所も今とは違ったんじゃないかと思って」
「その通りじゃ。昔は町外れだった。今は拡張された城壁の内側に取り込まれておるがな」
なるほど。
透は頭の中で地形を組み立てる。
町が拡張される前、ここは外縁部だった。そのため墓地と祠が置かれた。
時代が進み、城壁が外へ広がった結果、古い墓地だけが街の中に残った。
そう考えれば、現在ほとんど使われていないという話にも納得できる。
「ねえ、マルタさん」
澪が前を漂いながら振り返る。
「昨日言ってた、魔力の淀みって、こういう古い場所だとできやすいんですか?」
「古いからというだけではない」
「じゃあ、何で?」
「人が使わなくなり、流れが滞るからじゃ」
マルタは歩調を変えずに続ける。
「魔力は、川の水のように流れる。人の営みや術式、土地の性質によって形を変えながらな。それが長く放置されれば、偏った場所に溜まることがある」
「溜まるとどうなるんです?」
「何も起きぬこともある」
「起きることも?」
「ある」
マルタの答えは短かった。
その言い方から、簡単な話ではないのだろう。
「霊体が生まれるとか?」
「それは別じゃ」
即座に否定される。
「昨日も話した通り、霊体として残るかどうかは、魔力が多ければ決まるというものではない。淀みはあくまで魔力の偏りじゃ」
「じゃあ、昨日の黒いのは?」
「まだ分からん」
マルタはそれ以上、推測を口にしなかった。
透はその態度に少し安心した。
知識があるからこそ、分からないものを簡単に分類しない。
昨日から一貫している。
霊体。
残留魔力。
感情の痕跡。
言葉だけならいくつも候補はある。
だが、名前を付けた瞬間に理解した気になるのが一番危険なのだろう。
透自身も気をつける必要がある。
日本での経験を、そのままこの世界へ当てはめるわけにはいかない。
似ている現象でも、原因が違う可能性は十分にある。
「……透」
不意に澪が呼ぶ。
「何だ?」
「あっち」
彼女が指差した先。
細い路地の向こうに、古びた石壁が見えた。
その先には、雑草に覆われた細い道が伸びている。
透は足を止めた。
まだ距離はある。
それなのに、何かが引っかかった。
「……これか」
「何か感じるのか?」
ハインが尋ねる。
「少しだけ」
「どんな感じです?」
透は言葉を探す。
「気配というより……空気が違う感じです」
「曖昧ですね」
「自分でもそう思います」
ただ、嘘ではない。
日本でも、霊的なものが多い場所へ近づくと、空気が重く感じることがあった。
実際に気温や湿度が変わっているわけではないのだろう。それでも、身体の奥が先に警戒する。
今の感覚は、それに近い。
「私も」
澪が小さく言う。
「昨日の黒いのに近い感じがするよ」
透はすぐ彼女を見る。
「もう?」
「うん。まだ弱いけど」
これは偶然ではないかもしれない。
二人とも同じ場所を前にして違和感を覚えている。
ただし、同じ原因を感じているとは限らない。
透は周囲へ目を向けた。
マルタとハインには、今のところ変化は見られない。
「マルタさんたちは?」
「わしには、まだ特別なものは感じぬ」
「私もです」
ハインは、首を振った。
「となると、お主らの感覚の方が先に捉えておる可能性があるの」
マルタが澪を見る。
「ミオ。無理に探ろうとするでないぞ」
「何もしてません!」
「ならよい」
透は路地の先へ視線を戻した。
昨日、黒い靄は若い男にまとわりついていた。
そして彼は、この先を毎日通っていた。
方向としては一致する。
「行きましょう」
透が言う。
足を進めるほど、人の気配が薄くなった。
建物の数も減り、やがて両側に古い石壁が続く道へ出る。
壁の隙間から草が伸び、地面には枯れ葉が溜まっている。
時折風に吹かれた枯れ葉が音を立てるが、それ以外は静かだった。
「……何か、急に雰囲気変わったね」
澪が声を抑える。
「観光地みたいに言うなよ」
「言ってないでしょ」
軽口は返ってきたが、いつもほど明るくない。
彼女も警戒しているのだろう。
そのことが、透にも伝わってくる。
いや。
伝わってくる、という表現でいいのだろうか。
ふと、胸の奥に小さなざわつきを感じた。
自分のものかと思ったが、少し違う。
澪の方を見ると彼女もこちらを見た。
「……今」
「分かった?」
「ああ」
言葉にしなくても、互いに何かを感じ取った。
昨日マルタの検査で確認された、魂の繋がり。
単に位置を把握するだけではないのかもしれない。
だが、今は確かめる時ではない。
「どうした?」
マルタが振り返る。
「一瞬、澪の……感情みたいなものを感じた気がしました」
「私も。透が警戒したの、何となく分かった」
マルタの目が僅かに細くなる。
「それは後で詳しく聞こう。今は前を見なさい」
「はい」
その通りだ。新しい現象に気を取られている場合ではない。
透は改めて前へ向き直る。
道の先に、小さな石造りの建物が見え始めていた。
読んでいただきありがとうございます!
読者様! 評価ポイント? も付けていただきありがとうございました!
数字で表示されるとなんだか実感が湧きますね。
これから積み上がっていけるように面白い作品作りに励みます!!
もしよろしければ、また来ていただけると大変喜びます。
それでは、次の話で!




