第5話 異世界生活はじめました③
最初に入ったのは、大通りに面した衣料品店だった。
店先には麻や綿に似た生地の上着が吊るされ、木箱には畳まれた衣類が並んでいる。店内の壁際には棚が設けられ、普段着から旅装まで幅広く扱っているようだった。
透は入口で足を止め、値札らしき木札へ目を向けた。
……読めないな。
今朝覚えた数字を探してみたものの、見慣れない文字と並ぶと、どこで区切ればいいのか分からない。
「いらっしゃい!」
奥から声がした。
四十代ほどの女性が布を畳みながら顔を上げる。透の服装を一度見てから、その隣に浮かぶ澪へ視線を移した。
「おや、可愛らしい霊体を連れてるね」
「こんにちは!」
澪が元気に返事をする。
女性は少し目を丸くしたものの、すぐに笑顔を見せた。
「ずいぶん元気な子だねえ。使役霊かい?」
「違います! 独立霊体です!」
答えるのが早い。
昨日マルタから説明を受けたばかりだというのに、もう使い慣れているらしい。
「そうかい。それは失礼したね」
店主は軽く頭を下げ、透へ向き直った。
「今日は何を探してるんだい?」
「普段着を一式。できれば、あまり高くないものをお願いします」
「予算は?」
透はマルタから借りた布袋を取り出した。
中身は銀貨六枚と銅貨四枚。昨日まで貨幣の価値すら分からなかったことを考えれば、随分と恵まれている。
ただし、これで衣類だけでなく、洗面道具や筆記具も揃えなければならない。
「全部で銀貨六枚と銅貨四枚です。ただ、他にも買うものがあるので、服には半分くらいまでで」
「なるほどね。なら、まずは普段着から見ていこうか」
店主は棚から数着を取り出した。
淡い灰色のシャツ。茶色のズボン。それから、前を紐で留める簡素な上着。
どれも装飾は少なく、動きやすそうな作りだった。
「この辺りなら、丈夫で値も張らないよ。旅人にもよく売れる」
「……なるほど」
透が手に取って生地を確かめていると、横から澪が割り込んできた。
「透! こっち!」
少女が指差したのは、少し離れた棚に掛けられた黒い上着だった。
長めの裾に、襟元まで留められる前合わせ。装飾を抑えた作りで、確かに見た目は悪くない。
「それ、いいと思わない?」
「悪くないな」
「でしょ! 絶対似合うって!」
透は値札を見る。
知らない文字。
……値段が分からない。
「すみません。これはいくらですか?」
「銀貨五枚と銅貨二枚だね」
「戻しておきます」
「早い!」
澪が叫んだ。
「まだ試着もしてないじゃん!」
「服だけで予算が消える」
「でも、かっこいいよ?」
「かっこよさで洗面道具は買えない」
「現実的すぎる!」
透は上着を元の場所へ戻した。
帰る方法も分からない状況で、見た目だけを優先する余裕はない。もっとも、澪が選んだ服は自分の好みにも近かったので、少し惜しくはあった。
その様子を見ていた店主が笑う。
「気に入ったなら、もう少し安いのもあるよ」
奥の棚から取り出されたのは、濃い灰色の上着だった。
先ほどのものより丈は短いが、形は似ている。生地には多少の使用感があるものの、目立った傷みはない。
「仕立て直した古着だけどね。これなら銅貨七枚だよ」
「……かなり違いますね」
「新品と古着じゃ、そんなものさ」
透は袖を通してみた。
肩幅は少し余るが、動きに支障はない。丈も問題なさそうだった。
鏡を探していると、澪が正面へ回り込んでくる。
「おお……!」
「どうだ?」
「いい! そっちも似合う!」
「さっきと同じこと言ってるぞ」
「本当に似合ってるんだから仕方ないでしょ!」
店主が壁際の鏡を示した。
透が前に立つと、そこには見慣れない服を着た自分が映っていた。
灰色の上着は少し落ち着いた印象で髪型も顔も変わっていないのに、服が違うだけでこの町へ多少は馴染んで見えた。
……悪くないな。
「これも候補にします」
「あいよ。下に合わせるなら、こっちのズボンがいいね」
店主は濃紺のズボンを取り出した。
こちらも装飾はほとんどない。腰回りは紐で調整できるらしく、ベルトがなくても着られそうだった。
透は生地を確かめ、値段を聞く。
「銅貨八枚。上着と合わせて銀貨一枚と銅貨五枚だね」
残りの予算を頭の中で確認する。
これならシャツを追加しても、他の買い物に十分回せそうだ。
「試着してもいいですか?」
「もちろん。奥に着替える場所があるよ」
「透、私も――」
「お前はここで待ってろ」
「まだ何も言ってない!」
「言おうとしただろ」
「似合うか確認したかっただけなのに!」
「着替えてから見ればいい」
澪が不満そうに頬を膨らませた。
店主は二人のやり取りを聞きながら笑っている。
「仲がいいねえ」
「そう見えます?」
澪がすぐに反応した。
「うん。ずいぶん気安く話してるからね」
「ふふん」
なぜそこで得意げになる。
透は軽く息を吐き、衣類を持って試着用の仕切りへ向かった。
その背中へ、澪の声が飛んでくる。
「透! ちゃんと全部着てから出てきてね!」
「当たり前だ!」
♢
結局、透が購入したのはシャツ二枚、ズボン一着、灰色の上着、それから下着類だった。
店主はまとめて買うならと、少し値を引いてくれた。合計は銀貨二枚と銅貨七枚。
予算の半分近くを使ったことになるが、着替えを含めて一式揃えられたのだから、悪い買い物ではないだろう。
「ありがとうございました!」
澪が店主へ頭を下げる。
「こちらこそ。またおいで」
店を出ると、透は買った衣類を鞄へ収めた。
日本の服も、捨てるつもりはない。
今となっては故郷から持ってきた数少ない品だ。汚れたからといって、簡単に手放したくはなかった。
「ねえ、透。新しいの、今着ないの?」
「あとで着替える。今は荷物になるからな」
「えー。せっかく似合ってたのに」
「帰ったら見られるだろ」
「それもそうか!」
澪は納得し、次の店を探し始めた。
……本当に切り替えが早い。
透は歩きながら、手元の貨幣を確認する。
残りは銀貨三枚と銅貨七枚。
ここから洗面道具と筆記具を買う。
できれば、少しは手元へ残しておきたい。
「次は靴だね!」
澪が言った。
「一応、見てみるか」
「やった!」
彼女が指差した先には、革靴や作業用の履物を並べた店があった。
入口には厚底の靴が何足か置かれ、壁には革紐や手入れ用の道具も吊るされている。
透は棚を眺めながら、今履いている靴と比べた。
日本で買った運動靴は森を歩いたせいで汚れているが、靴底はまだ十分に残っている。履き慣れている分、こちらの方が歩きやすい可能性もあった。
ただし、未舗装の道を長く歩くなら、現地の靴も必要になるだろう。
「これなんか、どう?」
澪が示したのは、足首まで覆う革製の靴だった。
縫い目がしっかりしており、底にも厚みがある。見た目からして丈夫そうだった。
「悪くないな」
透が値段を尋ねると、店主は銀貨二枚と銅貨八枚だと答えた。
……高い。
買えば、残りは銅貨九枚。
その金額で他の必要品まで揃えるのは厳しい。
「今回は見送ります」
「ええっ!?」
澪が驚いた。
「いい靴だったのに!」
「まだ今のが使えるからな。服と違って、すぐに替える必要はない」
「でも、森とか歩くならあっちの方がよくない?」
「必要になったら買う。その時まで金を残しておきたい」
透は靴底を見せた。
土は付いているが、破れも大きな摩耗もない。
「今のところは、これで十分だろ」
「……そっか」
澪は少し残念そうだったが、納得したように頷いた。
実際、彼女の指摘も間違ってはいない。靴は重要だ。特に、この世界でどこまで移動することになるのか分からない以上、足元の装備を軽く考えるべきではないだろう。
ただし、今は優先順位の問題だった。
透は店主へ礼を言い、店を出た。
次に向かったのは、日用品を扱う雑貨店だった。
棚には木製の櫛や手拭い、石鹸に似た固形物が並んでいる。水を汲むための小さな器や、針と糸をまとめた道具もあった。
「……これは、必要そうだな」
透は手拭いを一枚、簡素な櫛、それから石鹸らしい品を手に取った。
店主へ使い方を確認すると、どうやら予想通りだった。香りは控えめで、衣類を洗う時にも使えるという。
「これで銅貨六枚です」
透は支払いを済ませ、買ったものを小さな袋へ入れてもらった。
「透、私の分は?」
「お前、何に使うんだ?」
「……櫛とか?」
「持てないだろ」
「見た目を整える気持ちはあるんですー!」
澪が自分の髪を手で梳く。
半透明の指は、彼女自身の髪には自然に触れているように見えた。
そういえば、自分の身体には触れられるんだったな。
透は少し考えたが、結局余計な買い物はしなかった。
使えるかどうか分からないものを、借りた金で揃えるべきではない。
「必要なものが分かったら、その時に考えよう」
「……それもそうだね」
澪は素直に頷いた。
ただし、少し離れた棚に置かれていた髪飾りを見つけると、すぐに顔を輝かせた。
「あっ、あれ可愛い!」
「今日は買わないぞ」
「分かってるってば! 見るだけ!」
透は軽く息を吐いた。
このままでは、買い物が終わる頃には店の数だけ欲しいものが増えていそうだ。
こんばんは。先程ブックマーク第1号様の報告をさせていただいたのですが、なななんと!ブックマーク第2号様が早くも現れました(泣)
ちょっと出来すぎな展開に驚きと喜びを爆発させています。
読んでいただきありがとうございます!
今のところ1日2〜3投稿を考えています。
もしよろしければ、また来ていただけると大変喜びます。
それでは、次の話で!




