第4話 城塞都市レイヴェル➄
円盤の上を走る光は、澪のいる方向へ細く伸びていた。
透が隣へ移動すると、その一部が揺れ、ゆっくりと形を変える。まるで二人の位置を確かめるような動きだった。
「……これ、俺にも反応してるんですか?」
「そのようじゃな。トオル、円盤の右側へ立ってみなさい」
マルタの指示に従い、透は机の脇へ移動した。
光が再び伸びる。
今度は透の立つ方向へ。
「おお……!」
澪が身を乗り出した。
「何これ、面白い!」
「まだ診てる途中だぞ」
「分かってるって。でも、透が動くと光も動くんだよ?」
「見れば分かる」
透は円盤から目を離さず、胸元へ手を当てた。
先ほど感じた奇妙な感覚は続いている。痛みはない。ただ、身体の奥で何かが微かに引かれ、澪のいる方向を知らせているようだった。
以前から霊の気配を察することはできた。
だが、それは近くに何かがいると分かる程度のものだったはずだ。今は姿を確認しなくても、彼女がどの位置にいるのか、妙にはっきり感じ取れる。
透が視線を向けると、澪も胸の辺りを押さえていた。
「お前も分かるのか?」
「うん。何か……透がこっちにいるって感じ」
「見えてるからじゃなくて?」
「違うの。目を閉じても分かる気がする」
澪はそう答え、確かめるように目を閉じた。
マルタが二人の様子を見比べる。
「ふむ。では、もう少しだけ確かめようかの。ミオ、お主は入口の方へ。トオルはその場におりなさい」
「はーい」
澪が机から離れていく。
扉の前まで移動したところで、円盤の光が少し弱まった。
同時に、透の胸にあった感覚も薄くなる。
だが、消えたわけではない。
「……まだ分かります」
「娘の位置か?」
「はい。入口の辺りにいるのは、見なくても」
「ミオはどうじゃ?」
澪は目を閉じたまま、透の方を指差した。
「こっち。透、そこにいる」
「ほう」
マルタが小さく頷く。
透は円盤へ目を戻した。二つの光は弱くなっているものの、完全には途切れていない。
気配が分かるというだけなら、霊感の影響とも考えられる。しかし、澪も同じ感覚を覚えているとなると、それだけでは説明しにくかった。
「次は……」
マルタが言いかけたところで、透は手を上げた。
「すみません。一つ確認してもいいですか」
「何じゃ?」
「この検査で、澪に何か影響が出る可能性はありませんか?」
マルタは円盤から手を離した。
「今のところ、異常な反応は出ておらん。じゃが、全くないとまでは言い切れぬな」
「なら、これ以上は一度止めたいです」
昨夜のことが頭をよぎる。
澪が軽い気持ちで憑依を試し、抜け出せなくなった。その結果、二人は見知らぬ世界へ来ている。
今回の道具が同じものだとは思わない。それでも、仕組みを理解しないまま反応を強めていくのは避けたかった。
「……透」
澪が目を開ける。
「私なら平気だよ?」
「平気かどうか分からないから、確認してるんだろ」
「それは、そうだけど」
マルタは二人のやり取りを聞き、円盤を木箱へ戻した。
「よかろう。今得られた反応だけでも、考える材料にはなる」
「ありがとうございます」
「無理に続けるつもりはない。お主らの身体――いや、娘の場合は霊体か。どちらにせよ、未知の状態を調べておるのだからな」
澪が入口から戻ってきた。
透の横へ並ぶと、少し不満そうに顔を覗き込む。
「何か分かりそうだったのに」
「続きは、安全に確かめられる方法を考えてからだ」
「……分かった」
今回は素直に引き下がった。
少なくとも、昨夜の失敗を忘れてはいないらしい。
◇
「まず、分かった範囲の話をしよう」
マルタは木箱の蓋を閉じ、机の中央へ置いた。
「お主らの間には、霊的な繋がりがあるようじゃ」
「繋がり……ですか」
「魂の結びつき、と言った方が分かりやすいかもしれんの」
透は隣の澪を見た。
彼女も同じようにこちらへ顔を向けている。
「それって、契約みたいなものですか?」
澪が尋ねた。
「似た反応を示す場合はある。じゃが、今の検査では契約の印は確認できんかった。主従の関係とも違うようじゃな」
「よかった!」
澪が胸を撫で下ろす仕草をする。
「私、透の使い魔とかじゃないんだね」
「最初からそう言ってるだろ」
「でも、ちゃんと確認できた方が安心じゃん!」
透としても異論はない。
門で契約者と使役霊かと尋ねられた時から、その区別は気になっていた。澪は自分の意思で行動している。人間に命じられて動く存在として扱われるのは、本人にとっても望ましくないはずだ。
「では、この繋がりは何なんでしょうか」
透が尋ねると、マルタは少し考えるように指を組んだ。
「一方がもう一方を支配するものではなく、互いの存在を結び留めておるように見える。今のところは、そう説明するのが近いじゃろうな」
「結び留める……」
「お主が娘の位置を感じ、娘もお主を感じ取る。円盤も双方へ反応した。片側だけに働くものではなさそうじゃ」
透は胸元へ目を落とした。
転移直後から続いていた感覚に、ようやく名前がついた。
ただ、名前が分かったところで、仕組みまで理解できたわけではない。
「離れられなくなるんですか?」
澪の質問に、透も顔を上げる。
マルタは首を横に振った。
「それはまだ分からん。ただ、先ほどの反応は、離れた相手を引き戻すものではなかった。少なくとも、今すぐ二人の行動を制限するようには見えん」
「……そっか」
澪は少し考えた後、透へ目を向けた。
「じゃあ、私がどっか行っても、透には分かるかもしれないんだ」
「そういう可能性はあるな」
「迷子にならなくて済むじゃん!」
「お前が勝手に迷子になる前提なのか」
「透だって迷うかもしれないでしょ!」
「俺は地図を確認する」
「ここの文字、読めないくせに!」
痛いところを突かれた。
透が口を閉じると、澪は得意げに笑った。
マルタも小さく肩を揺らしたが、すぐに表情を戻す。
「ただし、繋がりがあるからといって無茶をしてよいわけではないぞ。どの程度の距離まで感じ取れるかも、今のところ不明じゃ」
「はい」
二人の返事が重なった。
◇
「そういえば、マルタさん」
透は机の上の木箱へ目を向けた。
「この世界では、霊体はどういう存在なんでしょうか」
「どういう、とは?」
「町の人たちは澪を見ても、あまり驚いていませんでした。門でも契約者と使役霊かと聞かれましたし、こちらでは珍しくないのかと思って」
マルタは納得したように頷いた。
「なるほど。お主らの故郷とは事情が違うのじゃな」
「はい。少なくとも、普通の人間が霊体を見たり、声を聞いたりすることはほとんどありませんでした」
「この世界では、霊体の存在そのものは広く知られておる。誰もが日常的に出会うわけではないが、存在を疑う者は少ないじゃろうな」
「じゃあ、私みたいなのも普通にいるんですか?」
澪が身を乗り出した。
「お主ほど明瞭な意思を持つ霊体は珍しい。人々が比較的目にするのは、術者と契約した使役霊じゃよ」
「使役霊……」
「契約者から魔力を受け取り、姿や活動を維持しておる霊体じゃ。意思の薄いものが多く、単純な指示に従って動く。使い魔の一種として扱う者もおるな」
透は門でのやり取りを思い返した。
あの兵士が契約の有無を最初に確かめたのは、そうした霊体が知られているからなのだろう。
「使役霊は、町でも見かけるんですか?」
「術者や冒険者の傍らにおることはある。連れ歩く者ばかりではないが、霊体を見たからといって騒ぎにはならん。もっとも、苦手とする者もおるから、誰もが歓迎するわけではないぞ」
「なるほど……」
澪は宙でくるりと回り、自分の身体を見下ろした。
「じゃあ、みんな私のこと、誰かの使い魔だと思ってたのかな」
「そう考えた者もおるじゃろうな。じゃが、門では独立霊体として記録されたのじゃろう?」
「はい!」
「ならば、勝手に誰かの所有物と決めつけられることはないはずじゃ。ただし、珍しがられることはあるかもしれんの」
透は澪の方を見た。
人々が騒がなかった理由は分かった。
霊体自体が見慣れない存在なのではなく、澪のような個体が珍しいのだ。
「でも、使役霊がいるなら、亡くなった人を霊体として残したいと思う人もいるんじゃないですか?」
透が尋ねると、マルタは静かに頷いた。
「無論、おる。家族や伴侶を失い、もう一度会いたいと願う者は少なくない。じゃが、霊体になるかどうかは、生きておる者が自由に決められることではないのじゃ」
「……どういうことですか?」
「人は死ねば、魂もまた現世から去る。それが本来の流れとされておる。霊体として留まる魂は、極めて稀なのじゃよ」
澪が首を傾げた。
「じゃあ、何で残る人がいるんですか?」
「それが分かれば苦労はせん。魂の性質、死の際に置かれた環境、周囲の魔力……様々な説がある。強い未練も、その一つとして語られておるな」
「未練……」
「じゃが、想いが強ければ必ず残れるというものではない。そうでなければ、世の中は今頃、霊体で溢れておるじゃろう」
透は頷いた。
確かに、その通りだった。
大切な相手を失っても、もう一度会いたいと願うだけではどうにもならない。霊体の存在が認められた世界でも、死別そのものがなくなるわけではないのだ。
「なら、契約はどういう仕組みなんですか?」
「すでに現世へ留まっておる霊体に魔力を与え、存在を安定させるものじゃ。契約によって魂を新しく作り出すわけではないし、去ってしまった魂を自由に呼び戻せるわけでもない」
「……そっか」
澪が小さく呟いた。
マルタは彼女へ視線を移す。
「それに、残った魂のすべてが、生前の人格を保っておるとは限らん。記憶が曖昧で、自分が誰だったのかさえ分からぬ霊体も多い。使役霊として知られておるものには、そうした個体もおるのじゃ」
「じゃあ、契約したから意思が薄くなるってわけじゃないんですね」
透が確認すると、マルタは頷いた。
「元から明瞭な意思を持たぬものもおる、ということじゃ。もちろん、契約の内容によって行動が制限される場合もあるがの」
澪は少し考えた後、自分の胸を指差した。
「じゃあ、私は契約してないし、自由に動けるし……」
「そこが興味深いところじゃな」
マルタは彼女の輪郭を見つめた。
「お主ほど姿が安定しており、人間と変わらぬように会話できる個体は珍しい。まして、契約の印も確認できぬとなればの」
「……私、結構珍しい幽霊なんだ」
「今さら気づいたのか?」
透が言うと、澪は頬を膨らませた。
「だって、日本では他の幽霊と比べたことないもん!」
それはそうだ。
透も、これまで見てきた霊の中で澪ほど明瞭に会話できる存在を知らない。だが、本人に比較の基準がないのなら、珍しいと言われても実感は湧きにくいだろう。
「もっとも、お主のような霊体が全く知られておらぬわけではないぞ」
マルタが続けた。
「いるんですか?」
澪が顔を上げる。
「ああ。大陸でも名の知られた強者の傍らに、古くから付き従う霊体がおるという話は有名じゃ。使い魔とは違い、生前の人格と記憶を保ち、自らの意思で行動するそうな」
「へえ! 私みたいな人がいるんだ!」
澪の表情が明るくなった。
「会ってみたいなあ」
「そう簡単に会える相手ではないがの。それに近年は、姿を見せることも減ったと聞く」
「どうして?」
「長い年月を経て、存在が薄れつつあるらしい」
澪は口を閉じた。
透もマルタへ目を向ける。
「契約していても、ですか?」
「魔力を与えれば、姿や活動を保ちやすくはなる。じゃが、それだけで魂そのものが永遠に衰えぬわけではないのじゃよ」
「……消えてしまうこともあるんですか?」
澪の問いに、マルタは静かに頷いた。
「霊体の多くは、時間とともに輪郭が薄くなり、やがて姿を保てなくなる。契約はそれを遅らせる手段にはなっても、完全に止められるとは限らん」
透は隣の少女を見た。
澪の姿は、今もはっきりと見えている。表情も声も、日本にいた時から変わらない。
だが、それがいつまでも続く保証はないのか。
彼女が現れたばかりの頃には、考えもしなかったことだった。
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それでは、次の話で!




