第4話 城塞都市レイヴェル➁
事情を一通り聞いた兵士は、ガルドへ確認を取った後、別の書類を取り出した。
「結論から言えば、今すぐ正式な身分証を出すことはできん」
「……そうですか」
「だが、ガルドが発見した経緯を証言している。ひとまず町へ入ることは認めよう」
透は思わず顔を上げた。
「いいんですか?」
「無条件ではない。仮の入町記録を作る。身元の確認が済むまで、定められた場所へ出向いてもらう必要がある」
「どこへ?」
「中央区の教会だ。あそこなら、身元不明者や霊体の扱いについても相談できる」
ガルドが隣で頷いた。
「それなら、俺が連れていく」
「頼めるか?」
「ああ。どうせ店へ戻る途中だ」
兵士は記録帳へ何かを書き込み、一枚の紙を差し出した。
「これは仮の通行記録だ。正式な身分証じゃないから、なくすなよ」
透は受け取り、紙面へ目を落とした。
細い線で囲まれた枠の中に、見覚えのない文字が並んでいる。名前や日付が記されているのだろうが、どの部分が何を意味するのか分からなかった。
「……読めないのか?」
兵士が尋ねる。
「すみません。こちらの文字はまだ分からなくて」
「話は普通に通じてるのにな」
「自分たちでも不思議なんです」
男は難しい顔をしたが、最後には紙の一角を指で示した。
「ここが名前。こっちが許可を出した門の記録だ。教会へ着いたらこれを見せろ」
「分かりました」
透は紙を折らずに鞄へしまった。
これでひとまず、町へ入れる。
そう考えると、肩へ入っていた力が少し抜けた。
もちろん、問題が解決したわけではない。身元も住む場所も決まっておらず、使えるお金もない。それでも、森の中で道に迷っていた時と比べれば、状況は確実に前進している。
「助かりました。ありがとうございます」
透が頭を下げると、兵士は軽く手を振った。
「礼ならガルドに言ってくれ。こいつが連れてこなきゃ、俺たちも事情を知らなかった」
ガルドは肩をすくめる。
「まだ町へ入っただけだ。先のことはこれから考えろ」
「はい」
透は短く返した。
それから、澪と一緒に詰所を出た。
◇
門をくぐった先には、活気のある町並みが広がっていた。
幅の広い通りには石畳が敷かれ、両側には二階建てや三階建ての建物が並んでいる。木骨の間へ石や漆喰を詰めたような家屋が多く、軒先には色とりどりの布や看板が吊るされていた。
荷車が行き交い、人々の声が重なり合う。
焼いた肉の匂い。
香草の混じった料理の香り。
どこかで金属を打つ乾いた音も聞こえた。
透は通りの様子を眺めながら、ようやく実感した。
ここは本当に、人が暮らしている町なのだ。
「わぁ……!」
澪が隣で声を上げる。
「すごいよ、透! お店がいっぱいある!」
「そうだな」
「あっ、あそこ! 何か焼いてるよ!」
澪が指差した先では、店先の鉄板らしいものの上で、串に刺された肉が焼かれていた。
透にも香ばしい匂いが届く。
昨夜からまともな食事を取っていない身体には、なかなか厳しい光景だった。
「……腹減ったな」
「私も!」
「お前は食べられないだろ」
「食べたい気持ちはあるの!」
澪が胸を張る。
その様子を見ていたリナが笑った。
「二人ともお腹空いてるの?」
「俺は、かなり」
「じゃあ、父さん。後で何か食べさせてあげようよ」
「分かってる。まずは教会だ」
ガルドは荷車を進めながら、通りの先を示した。
「ここがレイヴェルの商業区だ。中央へ行けば教会がある。俺の店も、そこからそう遠くない」
透は頷きながら、街並みを目に焼きつけた。
大通りから分かれる細い路地。
噴水のある小さな広場。
色鮮やかな布を扱う店。
並んだ建物の壁には、知らない文字が書かれた案内板もある。
内容が分からないことを除けば、通りにはどこか見慣れた生活の気配があった。
「ねえ、透。あの看板、何て書いてあるんだろ?」
「分からん」
「じゃあ、あっちは?」
「それも読めない」
「こっちは?」
「急に読めるようになると思うか?」
「奇跡が起こるかもしれないじゃん!」
「奇跡は、そうそう起こらないから奇跡なんだ」
澪は笑いながら、看板の前へ浮かんでいった。
彼女も文字そのものは読めないらしく、図柄や商品の並びから店の種類を予想しているようだった。
それでも、周囲の人々は特別に騒ぐ様子を見せない。澪の姿へ目を向ける者はいるが、少なくとも大通りで騒ぎになるほどではなかった。
この世界では霊体の存在が知られている。
まだ一部の人間にしか確認できていないが、その可能性はかなり高そうだった。
透は澪の方へ目を向けた。
今朝、彼女がリナと普通に会話できたことを喜んでいたのを思い出す。
日本では、透以外の人間に自分の存在を認識してもらうことさえ難しかった少女だ。今は町の中を浮かびながら、店を眺め、周囲の人々へ興味を向けている。
その表情は明るかった。
彼女にとって、この世界へ来たことがすべて悪い出来事とは限らないのかもしれない。
もちろん、帰る方法を探すことに変わりはない。
ただ、今この瞬間くらいは、珍しい町並みを楽しませてやってもいいだろう。
◇
大通りを進むうちに、周囲の建物は少しずつ大きくなっていった。
商店が並ぶ区域を抜けると、石造りの建物が増え、通りも整然としてくる。広場の向こうには高い鐘楼があり、その隣には白い壁と青みがかった屋根を持つ大きな建物が見えていた。
「あれが教会だ」
ガルドが示す。
透は鐘楼を見上げた。
日本で見慣れた教会とは少し形が違うが、宗教施設らしい荘厳さは感じられる。入口へ続く石段には人々が行き交い、建物の側面には小さな庭も設けられていた。
「大きいねえ」
澪が呟く。
「ああ」
「ここなら、帰る方法も分かるかな?」
「まだ何とも言えないな。でも、遺跡のことを聞けるかもしれない」
透は鞄の中にあるスマートフォンを意識した。
昨夜撮影した遺跡の写真。
床に刻まれていた複雑な図形。
澪が見覚えを感じた、あの壁の模様。
どれも意味は分からないが、調べるための材料にはなるはずだ。
荷車が教会前の広場へ入り、ゆっくりと停車した。
ガルドが手綱を引き、リナは御者台から降りる。
「着いたぞ」
「ありがとうございます」
透は荷台から降り、鞄を肩へ掛け直した。
澪も隣へ浮かび、教会の入口を見上げている。
「……ねえ、透」
「何だ?」
「ちょっと緊張してきた」
「さっきまであんなに騒いでただろ」
「それはそれ!」
澪は少しだけ口を尖らせた後、建物へ視線を戻した。
「だって、幽霊のこととか詳しい人がいるんでしょ?」
「多分な」
「私のことも、何か分かるのかな」
透はすぐには答えなかった。
澪が何者なのか。
なぜ自分の過去を覚えていないのか。
それらも、帰還の方法と同じくらい分からないことだった。
「聞いてみよう」
「……うん」
透が歩き出すと、澪も隣へ並んだ。
教会の入口では、年配の女性が一人、訪れた人々の対応をしていた。灰色の髪を後ろへまとめ、落ち着いた色の神官服らしい衣服を身につけている。
ガルドがその女性へ声を掛けた。
「マルタさん、ちょっといいか?」
女性が顔を上げる。
「何じゃ、ガルド。今日は随分早いの」
「ちょっと事情があってな。相談したいことがある」
「また厄介事か?」
「今回は俺の商売じゃない」
ガルドはそう言って、透たちを示した。
「森の奥で拾った二人だ。身分証もなくてな。門では仮の入町記録を出してもらったんだが、教会へ行けと言われた」
女性の視線が透へ向き、続いて澪へ移る。
その目は、初対面の相手を値踏みするように細くなった。
「……ふむ」
短く呟いた後、彼女は澪を見つめた。
「珍しいの。これほど輪郭の安定した霊体とは」
「え、あの……」
澪が少し戸惑ったように声を漏らす。
「私、そんなに珍しいんですか?」
「少なくとも、そこらで見かけるものではないな」
女性はそう答えると、今度は透へ目を向けた。
「お主が、この娘と一緒におるのか?」
「はい。神代透です」
「白石澪です!」
澪も慌てて名乗る。
女性は二人を交互に見てから、ガルドへ向き直った。
「で、何があった?」
「俺が聞いた話だと、古い遺跡で目を覚ましたらしい。そこへ来た経緯が分からんそうだ」
「……古い遺跡?」
女性の表情が僅かに変わった。
透はその反応を見逃さなかった。
ガルドが詳しく知らないと言っていた場所について、何か知っているのだろうか。
「森の奥にある、崩れた石造りの遺跡です」
透が補足すると、女性は少しだけ眉を寄せた。
「お主ら、あそこへ入ったのか?」
「はい。というより、そこで目を覚ましたんです」
「……なるほどの」
女性はしばらく考えた後、建物の奥へ続く廊下を示した。
「詳しく聞こう。ここでは落ち着いて話せん」
ガルドが頷く。
「頼めるか、マルタさん」
「話を聞くくらいならな。身分証の件も含めて、まず事情を整理せねばならん」
マルタと呼ばれた女性は、透たちへ向き直った。
「お主ら、ついてきなさい」
透は軽く頭を下げ、澪と一緒にその後へ続いた。
目の前の女性がどこまで詳しいのかは分からない。
それでも、遺跡の話を聞いた時の反応は気になった。
透は鞄の肩紐を握り直し、教会の奥へ視線を向ける。
ようやく、帰る方法を探すための話ができそうだった。
その隣で、澪が小さく呟いた。
「……ねえ、透」
「何だ?」
「私、今度こそ何か分かるかな」
透は少女の横顔を見た。
期待と不安が混じったような表情だった。
「分からない。でも、聞くだけ聞いてみよう」
「……うん」
二人はマルタの後を追い、静かな廊下へ足を踏み入れた。
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