↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/75

第3話 二つの月の下で④

荷車が近づくにつれ、引いている動物の姿がはっきりしてきた。


 馬に似ているが、透の知っているものより一回り大きい。首筋には短い毛が密生し、額からは後方へ緩く曲がった二本の角が伸びている。太い脚が土を踏むたび、車輪が浅い轍を刻みながら進んでいた。


 荷台には丈夫そうな布の幌が掛けられ、隙間から木箱や麻袋が覗いている。御者台に座っているのは、日に焼けた顔に短い髭を生やした中年の男だった。その隣には、透より少し年下に見える少女もいる。


 人間だ。


 服装は日本で見慣れたものと違うが、少なくとも外見はそう判断できた。


「透、どうする?」


 澪が耳元へ近づいてきた。


「まずは声を掛けてみる」


「言葉、通じるかな……」


「駄目なら身振りだな」


 不安がないわけではない。相手が友好的とも限らないし、この世界の人間にとって自分たちがどう映るのかも分からない。


 それでも、水も食料もないまま森を歩き続けるよりは、目の前の人間に助けを求める方が現実的だった。


 透は荷車の進路を塞がない位置へ移動し、両手を見える高さまで上げた。


「すみません!」


 御者台の男がこちらへ顔を向けた。


 すぐに手綱を引き、荷車の速度を落とす。角のある動物は数歩進んでから止まり、鼻先を軽く振った。


 男の視線が透の服装から鞄へ移り、続いてその隣を漂う澪へ向けられる。


 腰には短い刃物が下がっていた。


 相手に警戒されている可能性は十分にある。透はむやみに近づかず、その場で立ち止まった。


 男が何かを言った。


「――おい、こんなところで何をしてる?」


「…………」


 透は目を瞬かせた。


 聞こえた。


 意味が分かった。


 ただ、妙だった。


 耳へ入ってきた響きは日本語と違う。聞いたことのない音が混じっているのに、それを理解しようとすると、頭の中では自然に意味が繋がっていた。


「透?」


 澪も不思議そうにこちらを見ている。


「今の、分かったか?」


「うん。……分かった。え、何で?」


 どうやら澪も同じらしい。


 透は一瞬だけ迷ったが、まずは会話を続けることにした。ここで言葉の仕組みを考えていても、相手を待たせるだけだ。


「道に迷いました。人のいる場所を探しています」


 男が眉を動かした。


「迷った? この辺りを歩いて来たのか?」


「はい。森の奥から」


「奥って……まさか、あの古い遺跡の方じゃないだろうな」


 透は表情を変えないように努めた。


 遺跡を知っている。


 その事実だけでも、声を掛けた甲斐があった。


「そこから来ました。あの場所をご存じなんですか?」


「知ってはいるが……」


 男は言葉を切り、再び透たちを見た。


 警戒するのも無理はない。道もない森から見慣れない服装の男が現れ、傍らには宙に浮かぶ少女までいるのだから。


 むしろ、すぐに荷車を走らせなかっただけありがたい。


「父さん、この人たち、困ってるんじゃない?」


 御者台の少女が口を開いた。


 彼女も透と澪を交互に見ている。その視線は、空中に浮かぶ少女の位置で確かに止まった。


 透はそのことに気づき、胸の内で小さく息を呑んだ。


 今、澪を見たのか。


 日本では、透以外の人間が彼女へ明確な反応を示したことはなかった。大学でも誰一人、制服姿の女幽霊を認識していなかったはずだ。


 ところが目の前の二人は、最初から澪も数に入れているように見える。


「……ねえ、透」


 当の本人が声を潜めた。


「あの子、私のこと見てない?」


「そう見えるな」


 返事を聞いた澪が、ゆっくりと少女の方へ顔を向ける。


「あ、あのー……」


 試すような声だった。


 御者台の少女が反応した。


「はい?」


「…………えっ」


 澪が固まる。


 少女も、不思議そうに首を傾げた。


「どうかしました?」


「……聞こえるの?」


「え?」


「私の声、聞こえてる?」


「聞こえてますけど……」


 澪は透を振り返った。


 目を大きく見開き、何か言おうとして口を開く。しかし、すぐには言葉にならなかった。


 透にも驚きはあった。


 転移してから何が変わったのか、まだほとんど分からない。ただ、少なくともここでは、澪を認識できる人間がいる。


 その事実は、彼女にとって大きいはずだった。


「おい、そっちの娘は霊体なのか?」


 男が尋ねてきた。


 透は澪へ目を向けた。


 本人はまだ驚いた顔のままだったが、小さく頷く。


「はい。そうです」


「そうか。珍しいな。これだけはっきり形を保ってるのは、あまり見かけん」


 珍しい。


 だが、存在そのものは知られているらしい。


 透はその言葉を覚えておいた。


 この世界では、幽霊が見えることを隠さなくてもいいのかもしれない。少なくとも、目の前の男は澪を見ても、すぐに化け物扱いするような反応を見せていなかった。


「ねえ、透」


 澪が近づいてきた。


「私、今、普通に返事してもらえた」


「あぁ」


「透以外の人と喋れた……!」


 声が弾んでいた。


 透は短く頷き、御者台の親子へ向き直った。


 詳しい話は後でいい。今はまず、助けを求める必要がある。


     ◇


 男はガルドと名乗った。


 町で雑貨や日用品を扱っている商人で、隣に座る少女は娘のリナというらしい。二人は近隣の集落での取引を終え、レイヴェルという町へ戻る途中だと説明してくれた。


「お前さんたちは?」


「神代透です。こちらは白石澪」


「トオルとミオ、か。聞き慣れない名だな」


「遠くから来たので」


 嘘ではない。


 ただし、距離の説明が難しいだけだ。


「遠くって、どこ?」


 リナが興味深そうに身を乗り出す。


 透は少し考えた。


 日本と言ったところで通じるとは思えない。かといって、異世界から来たと説明して信じてもらえるかは分からなかった。


「……ここからだと、かなり遠い場所です」


「どの辺り?」


「それも、今はよく分からなくて」


「よく分からない?」


 ガルドが眉をひそめた。


 当然の反応だろう。透自身、説明しながら怪しい話だと感じている。


「目を覚ましたら、あの遺跡にいました。どうしてそこにいたのか、まだ分かっていません」


 そこまでは事実だった。


 憑依や光の図形の話を今すぐ持ち出しても、相手を困らせるだけだろう。まずは居場所を確保してから、必要に応じて説明すればいい。


 ガルドは透の顔をしばらく見ていた。


「……妙な話だな」


「そうですね」


「自分でもそう思ってる顔だ」


 透は否定しなかった。


 すると、リナが澪へ視線を向ける。


「ミオさんも、あそこから?」


「う、うん。透と一緒に」


「そうなんだ。私、こんなにはっきりした霊体を見たの初めて!」


 澪は少し照れたように笑った。


「私も、普通に話してもらえたの初めてかも」


「えっ、そうなの?」


「前にいたところでは、ほとんど誰にも見えなかったんだよね」


「へえ……不思議」


 リナは身を乗り出したまま澪を眺めていたが、ガルドに軽く肩を叩かれ、御者台へ座り直した。


「それで、二人とも行く当てがないわけか」


「はい。できれば、町までの道を教えていただけると助かります」


「道を教えるだけでいいのか?」


「……可能なら、水を少し分けていただきたいです」


 透は正直に答えた。


 昨夜から何も飲んでいない。喉の渇きは、もう無視できるほど軽くなかった。


「食事は?」


「昨日の夜が最後です」


「なら、町まで歩くのはきついだろうな」


 ガルドは少し考えるように顎へ手を当てた後、荷台の方を振り返った。


「リナ。水筒を取ってくれ」


「うん!」


 リナが幌の下へ身を乗り入れ、革製の水筒を取り出した。


 ガルドはそれを受け取ると、透へ差し出す。


「飲め。こっちは予備がある」


「ありがとうございます」


 透は両手で受け取り、口をつけた。


 冷たくはなかったが、乾いた喉へ水が流れ込む感覚に、ようやく身体が少し落ち着いた。勢いよく飲み干したくなるのを抑え、数口で水筒を離す。


「……助かりました」


「無理して飲むなよ。まだ道中がある」


 ガルドの言葉に頷き、水筒を返そうとしたところで、澪が横から覗き込んできた。


「ねえ、おいしい?」


「水だぞ」


「そうだけど」


「……普通においしい」


「今、ちょっとだけ嬉しそうに言った」


「喉が渇いてたからな」


 澪は笑ったが、すぐに水筒へ視線を落とした。


 彼女には飲めない。


 透はそのことを改めて意識したものの、余計なことは言わなかった。代わりに水筒をガルドへ返し、もう一度礼を述べる。


「町までは、あとどのくらいですか?」


「荷車なら昼過ぎには着くだろう。歩くならもっと掛かるな」


「そうですか」


「乗っていくか?」


 透は顔を上げた。


 申し出はありがたい。


 ただし、見知らぬ場所で出会ったばかりの相手だ。親切を疑いたいわけではないが、何の確認もせず荷台へ上がるのは少し躊躇われた。もっとも、そんな相手から水を受け取って飲んでしまったが。


 ガルドは透の表情を見て、口元を僅かに緩めた。


「別に取って食いやしない。こんなところに置いていって、後で野垂れ死にされたら寝覚めが悪いだけだ」


「父さん! その言い方は、ないでしょ!」


「事実だろ」


 リナが呆れたように言う。


 透は二人のやり取りを見ながら、もう一度周囲を確認した。


 荷台には商品らしい木箱が積まれている。武装しているのはガルドだけで、今のところ敵意を向けられている様子もない。町までの道を知る相手と一緒に行けるなら、森で迷う危険も減らせる。


 もちろん、それだけで安全が保証されるわけではない。


 それでも、今の自分たちには他の選択肢がほとんどなかった。


「……お願いできますか」


「ああ。荷台に場所を作るから待ってろ」


「何か手伝います」


「助かる。そこの箱を奥へ寄せてくれ」


 透は指示された木箱を持ち上げた。


 思ったより重かったが、どうにか荷台の奥へ運ぶ。ガルドも別の荷物を動かし、二人が腰を下ろせる程度の空間を空けてくれた。


「私はどこでも平気だよ!」


 澪が荷台の上へ浮かぶ。


「そうだな。お前の席は必要ない」


「その言い方、何かひどくない!?」


 二人のやり取りを見ていたリナが、クスっと小さく笑った。


 透はその反応を見て、少し不思議な気分になった。


 澪の冗談に、自分以外の人間が笑っている。


 たったそれだけのことが、今までになく新鮮だった。


読んでいただきありがとうございます!

今のところ1日2〜3投稿を考えています。

もしよろしければ、また来ていただけると大変喜びます。

それでは、次の話で!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。